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ゲノムとミームの狭間は、ゲノムとミームを素通りしている。。。
前回2004/11/9に、ゲノムとミーム(遺伝子と知)と、「わたし」との関係を書いた。
両方からの攻めのみでは、この「わたし」というものが素通りされてしまうということは、狭義の「科学」と狭義の「哲学」が、この「わたし」を素通りするという私の感覚と、まったく同じである。

というよりも、「わたし」に対する還元主義的な分析を基本とした統合が、ゲノム側から見た「わたし」の一側面(狭義の科学)であり、「わたし」に対する内面からの見据えが、知(言葉)側から見た「わたし」の一側面(狭義の哲学)であるということに相当する。

前回の投稿「愛すること生きることと死ぬことと。。。」では、「科学的側面」からの「わたし」に対する攻めが、「情」を捉えきれずにいることに対する思春期以降の不安定感が、ほとんど消失しながらも、根底にずーっと残り続けていた状態の記述に相当する。
その後、何人かの方々とネット上で交流し、特に「哲学的側面」からの攻めから、私の心に引っかかっている問題を見据えようと試みた。
その足跡が、私のホームページの内容そのものになっているわけです。

(広義の)科学も(広義)の哲学も、「知的側面」なくしては語りえない。。。

それゆえに、「情的側面」を有する「こころ」は、

コンピュータ上での記号で捉えることはできないし、
言葉という記号で捉えることもできない。。。

けれど、記号的側面(物語を書くとか、石に刻み込む)といった方法で、「こころ」の一側面である「情」の、さらに「一側面」を表すことはできる。そういった作品たちは、その人とその作品が一体となって、「その情のその一側面」という総体になっている。。。

で、そういった「一側面」をずーっと紡ぎ合わせていけば、総体としての「こころ」に成るはず。。。

って、それは即ち、みんなと関係し、喜び・怒り・哀しみ・楽しむ、その人の人生そのもの(死後があるなら死後を含めて)になるんでしょう。。。
by kisugi_jinen | 2004-11-14 08:55 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

by kisugi_jinen
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