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二者択一問題。。。orとandとエンタングルメントと。。。
(知を含む)全体を知のみで語ろうとするときに陥る切断面の形成(本ブログでの私的用語「知的切断面」)=概念形成、ないし(竹田)現象学や構造構成主義での「関心相関的に立ち現れるもの」。。。
構造構成主義と竹田現象学と私の知の思想史と。。。そして情と。。。
関心相関性について。。。構造構成主義に関する私見。。。2。。。
だまし絵について。。。1.多義図形と概念。。。


この「知的切断面」を、「境界」という概念で捉え直すならば、何度か言及しているように「二者択一問題」となる。
情の2方向。。。共有可能性・交換可能性・共感可能性の高さ。。。
ハクチョウ撲殺。。。「ゲーム感覚」と「楽しいから」の背景。。。
「いじめ」と「知的切断」と。。。知の優位性とその背景。。。
靖国。。。思想(知的切断)。。。右翼と左翼の差異と共通点。。。
「こころ」の認識(存在)。。。再認識と境界と同時生起。。。
知情二元論と知一元論と。。。モニュメントの存在的・存在論的と。。。
医療コンフリクトマネジメントにおける協調的問題解決の「協調的」とは。。。
にこごり。。。2。。。
責任回避の傾向。。。トップダウン。。。
愛国心・教育の方向性としてのすれ違い。。。
交換可能性と切断面(境界)の移動。。。
個と総体と。。。その2。。。
情の知的分断と情への回帰。。。そして排除の可能性。。。相補的。。。
などなど。。。


二者択一問題とは、「OR接合された拮抗問題」)(AかBか)であるが、量子力学のエンタングルメントないしEPR相関レベルでは、「AND接合された拮抗問題」(AもBも)が「あたりまえ」の世界になっている。

EPR相関とBellの不等式と。。。


量子力学での(AND接合された拮抗問題・AもBも、といった)非決定性・非因果性・非局所性は、いわゆるマクロレベルで(OR接合された拮抗問題・AかBか、といった)決定的・因果的・局所的に変化するようにみえる。(みえるだけで非決定性・非因果性・非局所性を保ったままだとするのが多世界解釈)
そうして、いわゆるマクロレベルでは、あらゆるものが因果論的に取り扱うことが可能なごとくである。
因果的・非因果的。。。能動的・受動的。。。意識と情と。。。

にもかかわらず、「こころ」は、非因果的・相関的な側面を持ち合わせている。
このことは、複雑性(の科学)にて説明可能だとされうるが、実際には、複雑性=均質化・平均化された法則性(静的)+ランダムノイズ(動的)である。

であるならば、科学的(すなわち、交換可能性の高い状況)で取り扱おうとするならば、こころの均質化・平均化された法則性を説明可能な領域(静的に評価可能な知的領域=交換可能・共有可能な領域)以外の、内発性・自発性・能動性を有する領域は、ランダムノイズレベルでしか扱いえないことになる。

「こころ」。。。科学的に扱うことが可能か。。。


そういったランダムノイズは、科学的にはマクロレベルから熱力学的なランダム性(=均質性)として取り扱われ、量子力学的なランダム性(=存在確率)との対応が考えられ得る。

ネーターの定理。。。


となると、やはり、量子力学的なランダム性と心の内発性・自発性との関連を考えてしまう。。。ただし、非因果論的・相関的に。。。
(たとえば、因果論的に「量子力学的ランダム性が心の内発性・自発性を決定している」といえるのなら、因果論的に「心の内発性・自発性が量子力学的ランダム性を決定している」といったこともいえるだろう。そうして、こういった解釈問題の「どちらかを選択しようとする態度」は、OR接合された拮抗問題・AかBか、といった決定的・因果的・局所的な考え方に囚われすぎていると言わざるをえない)

===mixi内での私の発言の一部(2008年04月01日 03:55)
多義図形での「曖昧さ」と「決定」といった概念について、よく考えることがあるんですが、そもそも人間の脳が「一つの事象に対して、A か B」といった拮抗する概念(二者択一概念)に対して、一つのみを選択しようとする(統合しようとする)方向性(力)は、意志とは無関係に無生物的に(たとえば脳構造レベル的に)決定されているんだろうか? といった疑問を抱くことがあります。

要するに、あたかも、「下位レベルからの信号を処理する“ひとかたまりの”機械として(論理的に)安定する“ため”に(分裂しないように)、拮抗する二つ以上の概念から一つのみを選択しようとする(脳機能上、設計されている)」として捉えれば、納得できるかもしれないと、ふと、思ったりするんです。

しかし、そう思ったとたんに、即座に、「いやいや、“AかBか”といった概念に対して、そのままでは“矛盾”しうる“AもBもあり”だと思い続けることができる」ので、脳機能上、多数の分裂した状態を保持し続ける(=思い悩み苦しみ続ける)ことも可能な訳です。

でも、よくよく考えてみると、拮抗する二つ(以上)概念を、そのまま保持し続けるのではなく、「拮抗する・二者択一的」といった概念と「共存する・並列する」といった概念の二種類のどちらかを選択しているんですよね。すなわち、さらなる「二者択一的概念」にて処理している(はずです)。

さらに、上記の二者択一概念ですら、並列的に扱おうと思えば、扱いうるんですけれど。。。

さて、脳機能として説明できるにしても、できないにしても、「二者択一問題を“両方ともあり”だと認識しようとする力(=「意志」といっていいだろう)は、どこから生じるのだろうか?」 を考えたりしています。

量子力学でのエンタングルメントの類の並列性(どちらもあり)は、いわゆる「マクロ」レベルで選択・決定される(どちらか一つ)のですが、高次脳機能レベルでは、再び並列性(どちらもあり)の(非決定論的な)選択も可能になっているわけです。

量子力学と無関係である「はず」なのに、似ている状態を選択可能だからこそ、量子力学を「理解しようとする」ことも可能なんだろうと思っています。

そういう観点自身、量子効果が(ひょっこり)顔を出しているのかもしれないと、ふと、思ったりしています(笑)。
===
by kisugi_jinen | 2008-08-22 03:50 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

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