情と状と心と。。。更なる考察。。。
やはり、AI(人工知能)に行く前に、もう少し考えてみよう。。。
辞書的な意味からも、「情」は内側(すなわち心)と非常に密接に関連することが再確認された。 では、「状」はどうだろうか? 「さま」ないし「じょう」と読むが、両方に共通しているのは 「すがた」とか「ありさま」である。 やはり、外見が主眼となっている。 そういう意味では「情況証拠」も「状況証拠」が、本来かもしれない。 ただし、相手の「心情」を読み取るという概念が背景にあるかもしれない。 「事情」(じじょう) gooでオンライン検索(三省堂提供「大辞林 第二版)すると、 「物事がある状態になった訳や原因。また、その結果、物事が今どのような状態にあるかということ。事の次第。事の状態。」 である。 すなわち、「事状」が本来的であろうかと思われるが、ここでも、そこに陥った「対象・物事(主として人、でなければ感情移入した対象)」の心情を察しようとする思いが「状」を、あえて「情」たらしめているのだと思われる。 と、再度、「情」と「状」について見てきたが、「情報」という日本語を含む英語は、同じくgooの三省堂提供「EXCEED 和英辞典」から information; intelligence; a report; news である。 日本語的なニュアンスからもそうであるが、「知っているかどうか」という「知的側面」での認識が問われる。すなわち、「情」(内面、特に心の内面)の「知的側面」、すなわち「記号化可能、記号として交換可能」な表在的な面が主体であろう。 そういう意味で、現在的に広く使われている「情報」とは「状報」的な側面が強いのだろうと思う。
by kisugi_jinen
| 2004-11-07 09:03
| 思考。。。
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Comments(2)
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kisugi_jinen at 2004-11-22 04:41
ネットで「状報」を引いてみた。。。
いや、びっくりした。。。 特定の宗教団体が、あえて「状報」なる言葉を使っていた。 「正しいもののみ記述したものが状報」とのことであった。で、よくよく考えてみると、「正誤」の判定は、知的側面でなされるがゆえ、「情報」から「情」を除いた「状報」になるのは、当たり前かもしれないと思った。
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kisugi_jinen at 2004-11-22 05:13
さらに「"状報" 情報」でググッてみると。。。
http://www.eng.hokudai.ac.jp/hsc/Dayori2001doc.htm が引っかかってきた。 専門家にもそういった見方をされておられる方がおられるようで、少し安心した。。。
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