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「いじめ」と「知的切断」と。。。知の優位性とその背景。。。
最近のイジメについて、週間文春に記事が載っていた。(2008年4月10日号)
先生も親も気がつかない「最新いじめ事情」
新郷由起
(時期を同じくして、文科省が裏サイトについて調査した結果を報告している。)
関連記事:
Excite エキサイト : ITニュース

それによると、いわゆる「陰湿さ」の本質が的確に述べられていた。
すなわち、暴力・腕力といった情→力といった行為は避けられ、知的に相手の情を操作し、イジメから抜け出るような行為に対して「できないように」精神的圧力を加え、また、外部に漏らすことができないように精神的に操るそうである。明らかに情→知といった流れで「知的にいじめる」実態が赤裸々に記載されていた。
いじめられている相手が、もし「死」を選んだとしても、「それがどうしたの?」と、涼しげな回答をするという。まさに、「知」によって切断された「情」である。
人の命の(知的)切断。。。国家による大量殺戮と個人による無差別殺人と。。。

このような情況・状況には、さまざまな背景が考えられるが、私的には、下記に並べたことが関与していると思っている。

1.「受動意識仮説」などの影響。
科学的に意思を統括すると目される脳領域の「電気信号」こそが、「意思」を表しているとする考え(科学的観測可能な事実→「心」を成立させている条件、すなわち外部環境→心という因果関係)に立脚し、全ての意思・情を含めた脳機能を徹底的に明らかにすることで、知情意を含めた「こころ」は知的・科学的に解明可能とする考え方。この考えを推し進めると、周囲からの刺激にて「こころ」は受動的に生じているため、責任や意思といった概念が一方的に「決定されるもの」として認識されてしまう。
※手を動かす行動と、「動かそうとした」という脳の特定領域のパルスの出現との間の時間差から、通常思われているように、「意思」→「行動」ではなく、「行動」→「意思」といった流れであることを「仮説」として掲げる考え方。あくまで「仮説」であり、「知的考察」の範疇から出ないし、「パルス」が認められている領域に限局して「意思」を考えている。さらに、明らかに概念上「知」を含む「知情意」(内面を含む)を(外側からの)「知」のみで捕らえられるかのごとく錯覚している(錯覚させようとしている)。

(08/04/20 06:40一部加筆)

2.死後の世界に関する考え方。
科学が発達している現在、霊や死後の魂を肯定的に見る傾向と否定的に見る傾向の差が強まっている。特に、オウム事件など凶悪な組織的犯罪行為や、霊感商法などの金銭に絡む問題、さらには死体放置・ミイラ事件などの多数の報道、それまで取り合わなかった物理学会が「ニセ科学」に対する対応を表明するなど、報道による顕著な表面化の影響もあるだろうが、本質的に二極分化の傾向が強まっているように思われる。この傾向は、国際的にもイスラム原理主義にても認められるが、アメリカの教科書問題(キリスト原理主義によるID:知的設計論)にも関連している。これらに共通していると思われるのは、「知的・論理的説明にて、納得させたものが勝ち」といった傾向の強さである。また、インターネット上、脳構造や遺伝子レベルで、「神」を認識可能な人種とそうでない人種に分けられるとの主張をしているグループも出現している。これら霊・神・死後の世界を含め、知的・論理的な理論に立脚し、その内容が科学的(ないし科学的に見える)データの裏打ちにて補強される傾向が強い。
物理学会年次大会での、「ニセ科学」をテーマにしたシンポジウム、について。。。

はっきり言ってしまえば、信じる人も、信じない人も、「はじめに情」があるということを、忘れようとし、ごまかそうとし、否定しようとし、「理知的に解決・理解・納得」しようとしているだけのことである。また、そうすることで、反論する側に対して、知的な反論・防御が可能だということも理由としてあげられるであろう。
千の風になって。。。モニュメントの真意。。。切断された情を結びつけるもの。。。

因果的・非因果的。。。能動的・受動的。。。意識と情と。。。

(08/04/20 06:40一部加筆)

3.集団化という集団、孤立化という集団。
これら「知的・論理的な因果関係による納得」を利用した賛同者確保(信者確保)の傾向は、つい最近問題となった科学的テレビ番組でのデータ捏造事件による視聴率確保とも密接に関与している。
というのも、
靖国。。。思想(知的切断)。。。右翼と左翼の差異と共通点。。。
にても記述したが、集団と個との、それぞれの知的代弁は、「ひとかたまりの集団という共通概念」と「ばらばらな個という共通概念」として共有される。これら概念がどの程度浸透しうるかは、これら概念の共有可能性、共感可能性の高さに依存していると考える。これら、「共有可能性、共感可能性の高さ」は「こころ・人間」を「知的側面」で捉えるだけで容易に交換可能な状報となりえるし、昨今のキャラクター系のゲームが受け入れやすいのも、同一の要因から来ていると思われる。

(08/04/20 06:40一部修正)

いずれにしても、共有可能性・共感可能性・交換可能性の高い「知的・幻想的・唯脳論的」な概念の多くは、子供たちの(塊であろうとばらばらであろうとに関わらず)集団形成に強く関与して入るであろう。学校教育という概念自体が、(共有可能な概念・知を教え・学ぶという機関である以上)そういった方向性から逃れられ得ないと考える。「集団と個」という二者択一概念枠にとどまるならば、「いじめ」という知的切断面を介して対するしか無くなるが、「集団と個」といった概念枠から外部へ移動したならば、さらなる「個」の概念、すなわち「引きこもり」とか「不登校」とかになるであろう。
これら三者択一(さらには、多者択一)の選択を迫られるとき、さらに「逃れようとする」こともあるだろう。。。

しかしながら、「知」にのみ依拠している(執着している)からこそ、多者択一(あれか、これか)といった知的切断に陥り、死後の魂についても「あるか、ないか」を共有可能な概念として「知的に扱いうる」と考えてしまうのだろう。。。

※08/04/20 07:05追加
以上まとめると、
交換可能性の高い(、すなわち知的に論理的に共有可能、あるいは因果論的・科学的な)静的概念・知・(知的切断された、狭義の)「情」(注1)のみ存在し、
交換可能性の低い(、すなわち共有不可能、あるいは非因果的・非科学的な)動的概念・(私とあなた・その他、および関連性を含めた)総体・(知的切断を受ける前の、広義の)「情」(○○的霊性といっていいかも)は不在、ないし、(理知的に議論の対象外のため)「劣るもの」というレッテルを貼り付けられている。

限定された(狭義の)「情」は、知的に切断可能ゆえ、すでに外部から切断されている。

その観点のみに立脚すれば、(前野氏の)「受動意識仮説」は、正論として受け入れられる。

「能動性のない」意識は、還元的・因果論的に、(すなわち、無矛盾かつ論理的・科学的に)取り扱うことが可能であり、その意味で、交換可能(科学的に再現可能、再生可能)な概念として取り扱いうる。(すべて因果関係でできているのであれば、原因となる事象を再現しさえすれば結果としての意識は再生可能という概念)

「(消えても)交換可能なキャラクター」→「交換可能な人間」への概念の適応に、何ら違和感を抱かない。(注2)

という図式である。

。。。

交換不可能、共有不可能、共感不可能な「情」。。。(あれも、これも)。。。

(知的に)教育すべきものではないにもかかわらず、その本質が求められようとしているのではないだろうか。。。


参考:08/04/23 22:40
愛国心・教育の方向性としてのすれ違い。。。


08/04/23 22:30 追加
===
注1
狭義の情、広義の情、知的切断面、境界について。。。
注2
「リセット」とかいった表現にて扱われる「交換可能性の高い状態」。反対に、「交換不可能な状態」とは、一連の行為によって、「取り返しのつかない」事態に陥ることを意味する。
一言で言えば、
やり直しのきかない人生
である。
「死刑にさえならなければ、捕まってもいい」
とか
「花を切断しても、代わりの花がある」
といった概念は、すなわち、「取り返しがつく」あるいは「交換可能性が非常に高い」といった概念になるであろう。この場合、「情」を排除した「知的・論理的」側面が強調されて(社会の脳化へと進行して)いる。
「(科学的)客観性の高さ」といった概念は、対象となる事象「以外」の条件が同一であるかぎり、「再現性が高い」ということを意味している。「誰にとっても、いつでも、どこでも」である。この概念と、上記「交換可能性の高さ」の概念が相同になっている。
それゆえ、「科学的」概念の優位性は、「知的」概念の優位性と相乗効果を発揮していると思われる。

by kisugi_jinen | 2008-04-19 05:44 | 思考。。。 | Trackback(2) | Comments(0)
Tracked from 来生自然の。。。 at 2008-06-14 20:21
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

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