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共同体の2重の壁。。。
幻想の共感と幻想の断絶(情の知による共通認識)を越える情。。。
での2004/10/29 07:15記述分のコメントを再編集し、投稿。。。
この折、誤って、もとのコメントを削除してしまいました。。。m(_;_)m

---2004/10/29 07:15記述分のコメント前半を説明的に書き換え---

「共有されうる出来事」と切り離せない、各人に生じる「情」
各人が、無意識の領域では抱えきれないほどの「情」を持つとき、
「知」的側面が、「名付け・理由付け」をすることで、
「情」の方向性が共有される。。。
その方向性の根元には、「共有されうる出来事」が横たわるであろう。

その根元が共有可能、かつ、方向性が共有可能。。。
とすれば、「情」の向かう先は「同一」だろうと、皆が錯覚に陥る。。。


その指し示す先が「あるのでもなく・ないのでもない」という世界であったとしても。。。
そうして、もし、その方向性の指し示す先に「知的に・幻想的に共有可能な存在」を認識するとき、同時に宗教的共同体が生まれるのであろう。

「知的に・幻想的に共有可能な存在」。。。それは、

本来的な「情」からも切り離されて「知的世界のみ」に存在するもの。。。想像することでしか認識不可能なもの・形而上学的存在・超越論的存在・バーチャルリアリティ的存在。。。

「その(幻想的)存在」には「情」も含まれるのでは?と、錯覚するほどに「宗教的共同体に属する各人の情」は「境界無く」素通りしていく。。。

あたかも、「その(幻想的)存在」から「情」が「あふれ出てくる」ような「正反対」の方向性(アフォーダンス理論的方向性)を感じ取ってしまう。。。

いったい、「仏像」のなんたるか、「十字架」のなんたるか、を「知らない」人々が、そこに「情」を感じ取れるであろうか?

。。。結局のところ「情」を越えた「知」は、共同体内部に境界を作らず、共同体という枠組みとしての境界を作り出す。

ここでは、共同体は知と(共同体にとって共有可能な)情という2重の境界(壁)が作られることになる。

--- 2004/10/29 07:15記述分のコメント後半、一部改変 ---
そうして、その「共同体」外部から、内部へと向かうとき、「共同体外部」の別の共同体(同胞)と共有される、知的側面にて認識された「情」のみでは、この2重壁は越え得ないし、「知的」に越えようとしても越え得ない。。。

それを知った上で、心身ともに赴くということは、心身ともに「境界の存在しない情」(すなわち、生死の境界がない状態)に変化してもいいということを意味している。。。のだろう。。。

境界を境界として「情・知」の両面で認識した上でなお、
越えうるものがあるとすれば、それは「情」でしかないのだろう。。。

「子を思う親の情」。。。「親を思う子の情」。。。

。。。境界を越えた総体としての情は、断ち切ることができない。。。

(2005.02.04 リンク 埋め込みました)
by kisugi_jinen | 2004-11-03 07:01 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(1)
Tracked from 来生自然の。。。 at 2007-12-17 04:46
タイトル : 夕焼けと海と。。。佐渡という境界。。。
「底の底がある」という認識と 「底の底がない」という認識と    その何れもが正しく、「かつ」、誤っている おなじく 「天の天がある」という認識と 「天の天がない」という認識と    その何れもが正しく、「かつ」、誤っている 「境界があって乗り越えられない」という認識と 「境界があって乗り越えられる」という認識と 「境界が無く乗り越えられない」という認識と 「境界が無く乗り越えられる」という認識と    その何れもが正しく、「かつ」、誤っている ...... more
Commented by kisugi_jinen at 2004-11-05 18:22
この投稿を最初に読まれた方は、非常に極端な文章だと思われる場合があるかもしれないので、補足しておきます。。。

この文章で、後半部分にては、イスラム教の「一派」という特殊な集団についての考察です。

すなわち
「もし、その方向性の指し示す先に「知的に・幻想的に共有可能な存在」を認識するとき、同時に宗教的共同体が生まれるのであろう。」
という部分から以降、そういった共同体を意識しています。

通常の共同体は、「知的側面主体」で結び合っているものや「情的側面主体」で結び合っているものなど、その配分はさまざまであろうと思われます。
<< 女性と男性の共同体。。。 母の願いは境界を越えるというの... >>



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

by kisugi_jinen
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