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「知の境界」と「アキレスと亀」
ゼノンの「アキレスと亀」は、有名な話です。

この問題がパラドキシカルに扱われる理由は、
(1).時間・距離を無限分割可能としたこと
(2).境界を設定したこと
の2点にあります。

通常、この問題を論破するために、「時間・距離の無限分割」といった数学的な概念(数列・無限級数)が用いられたりします。
すなわち、ゼノンは「境界」を「アキレスが亀に追いつく地点」としたため、数学の領域で格好の餌食にされてしまうわけです。

しかしながら、この問題の根本的な問いかけは、(1)の「時間・空間は無限分割可能か」ということにあり、その問題を考える人間の「思考(知的側面)の限界」(2)を、ほんとうの「境界」に設定したかったはずです。

すなわち、(1)は、

(1').「時間・空間が無限分割可能」であるならば、距離や速度や時間が、すべて「仮想的な大きさ・方向を持たない点」に収縮してしまうのでは?

という問いかけに等しいわけです。

(1')は、数学の世界では、微分やベクトルという概念で扱われることになりますが、ゼノンの問いかけは、微分の微分(2階微分)という方向性においての無限にまで追いかけてきます。すなわち、メタのメタのメタ。。。という方向における(「超越的・否定神学的」な思考を含めた)無限に対してもです。さらにいえば、「郵便的・脱構築的・リゾーム」を含めた、あらゆる方向に逃げようとする「思考」に対してもです。

で、(2)との関係は、まさに、そういう「無限分割に対する仮想的な点」を取り巻く「無限の思考」を含めた「知」という概念に対し、

(2').「知には限界があるのではないのか?」

という問いかけに等しいわけです。
by kisugi_jinen | 2004-10-16 07:05 | 思考。。。 | Trackback(4) | Comments(0)
Tracked from 来生自然の。。。 at 2005-01-10 07:11
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Tracked from 来生自然の。。。 at 2005-01-10 07:12
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Tracked from 来生自然の。。。 at 2005-01-10 07:13
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Tracked from 来生自然の。。。 at 2005-01-10 07:13
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

by kisugi_jinen
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