「にこごり」の続き。。。
前回の「にこごり」では、「俯瞰的・神の視点的」な思考に向かうことなく、同一地平にて、、解決の糸口を探ろうとした場合の循環状態を表現しました。
というのは、その地平・水準を離れて「わたし」という存在・認識は「不可能」だからです。 しかしながら、別の、さらに上位水準からの俯瞰的な考察が可能であるとすれば、下記考察も許されえます。 認識と存在の二元論から存在(シュレーディンガーの方程式)中心の一元論への過程は量子力学の専門書に譲るとして、そこから、さらに手探りの二元論に進むには、非常に大きな制約があるということを認識しなければなりません。すなわち、存在中心の一元論が現段階で無矛盾で説明可能な全ての量子力学的事象を、説明可能でなければならないからです。 これは、とりもなおさず、存在中心の一元論をそのまま受け入れる二元論が必要になるわけです。 で、そんな矛盾したこと不可能では? ということに為ろうかと思うわけですが、実は、上記一元論には、「わたし」を含む宇宙の認識・存在を一元論的に扱うだけで、その上位レベル(すなわち、「相互作用を行う全存在・認識」の上位レベル)の想定に関しては、なんら言及していない。というか、「人智を超えている」ために、そういったレベルには言及できないということを暗に含んでいます。 それゆえ、そういった上位レベルの思考として、エヴェレットの多世界解釈があります。 逆に言えば、物質中心に説明可能なシュレーディンガーの方程式(二乗すると存在確率になる)を成立せしめているものが何なのかは、「この宇宙」のどこを調べても出てこない。それは、まさに「この私」を「この私」たらしめているものは、「この宇宙」のどこを調べても出てこない。という感覚と同一レベルにあるというわけです。 そして、両者とも、ただ、「この宇宙の全てと関連している」ということは、共通している。 ただ、それは、一般的に言われている「オカルト」を許容するのではない。しかしながら、「自由意志」という存在に関しては、そういうレベルにて許容可能にしているというレベルの話になります。
by kisugi_jinen
| 2004-10-10 17:49
| 思考。。。
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