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生命維持装置。。。病院組織としての責任放棄。。。
詳しい調査結果が報道されない限り、良くは分からないが、少なくとも、読売・朝日の両新聞を見た結果、私が受けた印象は、病院全体の体制として「延命処置・尊厳死」に対する対応が十分にできておらず、受け皿が無い故に、病院長自らが判断不可能とのことで、責任の所在を明らかにすべく、調査そのものを警察に押し付けたかのような印象を受けた。

通常は、何らかの倫理委員会が機能しているはずである。しかしながら、今回のケースではそういった委員会すら開かれた形跡が見られない。

病院運営の困難な昨今、経営重視の戦略を選択せざるを得ない病院が増えている(国立病院ですら例外ではない)ため、現場での状況が倫理委員会を開くことすら困難な状況だったのかもしれない。

したがって、事が発覚した以上、内部で処理不可能となり、やむを得ず警察の介入に一足飛びに移行したのだろうと思われる。

しかしながら、警察を介在しての捜査は、おそらく、当然、当人の死に直接携わってきた主治医(外科部長)の「情」を排しての調査が主体になるだろう。
そのとき、家族の方々は、どのように受け答えをされるのであろうか?

家族と当人との間の「情」、主治医と当人との間の「情」。。。

これらの「情」が再び絡まりあうのは、法廷でしかない。

本来、病院の倫理委員会を介して、「情」に綻びがあったなら、関係改善がなされるべきであったのに。。。

警察が介在してもなお、そういった「情」の関係改善の場として、病院と主治医と家族とが外部からの介入を排除した状況で、一度、じっくりと話し合う機会を設けることは不可能なのだろうか?

※06/03/28 00:35 追加
その後の報道で、病院長が内科系であり、心臓停止までの延命治療派であったことが明らかにされた。
おそらく、外科系の部長の立場とは、元々意見の対立が起こりがちだったことが予想される。
そういった暗黙の対立が、病院としての倫理委員会がなかった、ないし機能しえなかった理由になっていたのかもしれない。

by kisugi_jinen | 2006-03-26 21:39 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

by kisugi_jinen
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