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そして父になる。。。そして母になる。。。そして◯◯になる。。。
019.1.2 01:20 タイトル修正、本文一部修正。。。

「そして父になる」
福山雅治主演ということで、当初から話題のあった映画だったようだが、昨日、初めて見た。

端的には、古来からのことわざである「生みの親より、育ての親」。。。
その主題を、様々に並走する出来事や思索、人々との交流の内部に輻輳させつつ繰り返し、繰り返し、心の奥に呼びかけてくる。

音楽で言えばパッヘルベルのカノン。。。

円環からの出口は直ぐ横を素通りし、デジャヴのごとき出会いがしっぺ返しを浴びせてくる。
妻の言葉「あの時、あなたは言ったわよね、『あぁ、やっぱり』って、『やっぱり』って、どういう意味なの。(中略) 私、一生忘れない」
後に相手方の言葉「こちらで、二人とも引き取っても良いのですが」
子供と遊ぶ時、四つん這いになって同じ目線になることは必須事項でもあるのだが、知的なレヴェルにて、情さえもコントロール出来ると信じ込んでしまった脱・思春期人にとって、自身が経験するだけの時間が必要だということにすら、気づけないでいる。。。
何でも完璧にこなしそうな福山雅治だからこその当たり役だったのかもしれない。。。

「こんなこと」に話を広げると、男女という区分に問題を見出す方々もおられることとは思うが、同じようなレヴェルでのデジャヴが、男達の知的論理的な仮想空間で広がりつつある。
テロ、紛争、戦争。。。
悲惨さのみを受け取って、次世代に伝えざるを得なくなるのは、主に女性と子供達。。。

その昔「血の繋がり」という知的な言葉は、近年「遺伝子」という言葉に差し替えられて絶対的な基準に君臨して後、久しいのだが、良い意味で「育ての親、共有する時間」に軍配を上げさせた是枝裕和監督。。。

いや、良い映画を作って下さった。
心から感謝せざるを得ない。。。

ありがとう。。。

P.S. 2019.1.1 23:30 - 1.2 00:15
オンラインの読売新聞ニュースにて、
「本当の世界はゲームの中」衰弱死1歳児の母親」
という記事に目を止めた。

ゲームに夢中になる者同士の結婚、育児。。。
自身の心をリアルへと繫ぎ止める先、そこには家族は無いという悲劇。。。
ネット越しの繋がりに安息を求めるあまりに、授かった命を衰弱死させ、実刑判決を受けた方のインタビュー記事。。。

情、身体の欲望を知の発達にて統制し、家族を中心とした社会構成にて、相互に支え合って生きる道を模索してきた人間。。。

欲望を統制するはずだった知は、情や家族と言った現実から逃避する為に仮想空間を創造し、快楽を与えうるものに「現実味」を見出そうとし続ける。

「そして父になる」にて、輻輳する心の奥への問いかけが否定し続けたもの。。。そこに現実味を見出さざるを得ない状況に、母親を追い込んだもの。。。

そう言ったものがネット世界に溢れかえり、繋がりから切断された心の糸を撚り合わせて引きずり込んで行く。。。
「プロゲーマー」、「Eスポーツ」という命名にて、虚構の世界を現実味の有る世界へと反転させていこうとする意思。。。
ネットのコミュニティにて繋がりあった者たちは、仮想世界での仮想戦闘ゲームに興じ、現実世界での時間を浪費していく。。。

無垢の人造物に名を与えた途端、人の手を離れ、暴走しうるという物語、そう「風の谷のナウシカ」にて「オーマ」と名付けられ、裁定者・神とならんとする巨神兵という構図に重ね合わされる。。。
ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる、灰色の「時間泥棒」という命名が、最も相応しいだろうに。。。

「そして父になる」。。。
5年の歳月を取り戻す、スタート地点に立った父の物語。。。
件の幼児を衰弱死させた母は「そして母になる」道を永遠に断ってしまった。。。

ゲームに興じる若者達よ。。。自らの人生、「そして◯◯になる」を断ってしまわぬ様に。。。


by kisugi_jinen | 2019-01-01 14:34 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
Tracked from 来生自然の。。。 at 2019-01-03 04:37
タイトル : 死の境界の向こう側。。。文月メイ、「ママ」。。。
文月メイのデビュー・シングル「ママ」がネット上で賛否両論の論争になっているというニュース。。。特に「有線で放送見送り」というニュースから端を発しているようである。。。ねとらばニュース「虐待を受けた子ども視点の歌詞が賛否両論 有線で放送見送りにもなった楽曲「ママ」が物議」http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1310/04/news123.htmlスポーツ報知>芸能ニュース「文月メイ、歌詞が過激すぎて有線配信見送り」http://hochi.yomiuri....... more
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

by kisugi_jinen
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