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知と情と倫理と。。。
過去、本ブログでは、知の情に対する優位性、情の知に対する優位性、或いは、総体を知的に切断する面と切断面を貫く動的な情などの記述を行なってきた。
多くの場合、「理性的な」は、情を抑えつける知的な思索が優位なのでは無く、情を後付け的に説明し得る論理的な裏付けを求めようとすることだと思っている。

で、「倫理的な」であるが、そもそも法というレベルでの縛り、即ち、二者択一的な判断が有効なレベルではなく、状況・情況に応じた双方向的な立場での「・・・した方が良い」といったレベルの論考になる。

相互に(或いは一方的に)喧嘩状態とか、戦闘状態とか、問題を認識していない、或いは出来ない状況・情況であれば、当人にとって倫理的な思索は不可能であろう。他人が行った倫理的な思索は、当人にとっては何の意味も持ち得ない可能性が極めて高い。

相互に主体を交換可能なレベルに想定してこそ、倫理的な思索が成り立ち得ると考える。

例えば「〇〇ハラスメント」は、被害者の側と周囲の見解が一致したとしても、当人が相手の立場に立ち得ない場合、根本的な問題解決にはなり得ないだろう。当人に倫理的な思索にて、被害者の心情を慮る心が芽生えてこそ、やっとスタート地点に立てるということになるだろう。

人間が霊長類の中から、人間として分離したのは、相互に助け合い、思いやる心を持ったからだという話もある。--- 松沢哲郎先生(京都大学高等研究院特別教授)

情を押し殺した知性は犯罪へと向かい、知性を蔑ろにした情は破滅へと突き進む。

ネット優位の社会は、知と情のダイナミズムを意志にて統制しつつ、他者を思いやる心を持ち続けることが難しくなりつつあるのかも知れない。

そう思いつつも、諦めないで生き続けていくことが、大切なのかも知れない。。。

※松澤氏の講演があったとのこと。。。知らなかった。。。今度機会があれば、聴きに行きたいものである。
http://www.matsuzawa.kyoto/talks/ja/2017-01-26-gifu.html


by kisugi_jinen | 2017-09-30 23:17 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

by kisugi_jinen
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