自らを崇高なる戦闘員と信じている方々へ。。。
生きている限り人生
死後のことは死後に考えればいい だって死後のことについて、全く同じことを言う人など誰もいやしない 同じようなことを言う人がいたら 特定の宗教の教えを覚えていて語る人、別の宗教の人が間違っていると語る人 でも、全く完全に同じことを語る人など、誰一人としていやしない だからこそ、宗派の分裂がおこることは、歴史を学ぶまでもない なぜなら、生きている限りの人生において、それぞれの人生だから たった一つ言えることは 皆、いつかは死ぬってこと だったら死ぬまで生きようよ そうやって生きていこうと 懸命に生きて行こうとする人々 自らの信じるところに基づいて そうやって一生懸命に生きている人々を殺戮する人々は その信じるところを誰に聞いたのだろうか? 何を読んだのだろうか? その誰かとか、何かとか、そういったものが「絶対」だと どうして分かったのだろうか? どうして「複数の絶対なる者」同士が この世やあの世で戦闘をつづけなければならないのだろうか? その教えと、その教えを語った人々と、その教えと異なる教えと、その教えと異なる教えを語った人々と それらは、貴方の信じる「絶対」なのだろうか? 「絶対」なるものは、そういった教えとか教えを語った人々のさらに向こう側にあると思わないのか? 形あるものに固執すべきではない 教えとか、教えを語る人々とか、そういったものは全て形あるものに過ぎない。 貴方たちの求めつづけるものが崇高なものでありつづけるのは、 そういった形あるものにとどまり続けないからだろう。 貴方たちにとって崇高であろうとするものなら 殺戮しようとしている人々にとって崇高であろうとするものと どうして異なっていると分かるのだろうか? 彼らが「悪魔という形あるもの」を信じていると信じるのなら 彼らもまた貴方たちの信じる形あるものが「悪魔」だと信じるだろう そういった「信じる」の向こう側に お互いの「信じる」といった形あるものの向こう側にこそ 戦闘や殺戮を越えた求め続けている「崇高なるもの」が隠されているのではないのだろうか いや、「崇高なる形あるもの」など 実のところないのかもしれない でも、そういった「求め続けようとする心」は 貴方方が、生きている限り、貴方方の心が求め続けている それだけは「死ぬまで」は確実にあるといえるのではないのだろうか? 貴方たちの心の中にも 貴方たちが殺戮しようとしている人々の心の中にも。。。
by kisugi_jinen
| 2015-03-24 04:28
| つれづれ。。。
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