個にして全、全にして個。。。
前回
あえて因果関係を求めるならば、「全体」ではなく「全体の変化」(という全体の一部)が「わたし」を生じせしめているということになろうかと思う。
ですが、
「生じせしめている」
というより
「そのもの」か。。。
すなわち
「全体の変化」=「わたし」
ということになろうかと思う。

量子力学を普遍的に適応しようとすることと同値であるところの「存在・認識」の重ね合わせ、ないし「物質・意識」の重ね合わせ。。。
すべてが一元論的に語りえるとした途端に、「わたし」が境界を持つという観念的(知的切断面的)認識が意味を持たなくなり、「わたし」は「全体の変化という全体の一部」であり、「全体」に含まれる。。。
「わたしの境界」の認識は、「わたしの知的切断面」に依存する。
それは、あたかも「多義図形・だまし絵」における「静的概念の認識」に似る。。。


そうして、そういった一元論的認識もまた、「わたしの知的切断面」であるがゆえ、「わたしの境界」として「多義図形・だまし絵」に立ち表れる一つの静的概念に相当するに過ぎない。。。

「全体の変化」=「わたし」
としたとき
「全体の変化」=「あなた」
となる。
変化の内容は決して同一にはなりえない。
それゆえ「わたし」≠「あなた」である。
にもかかわらず、「あらゆるものは全体から派生する」という静的な概念を、知的幻想的に共有可能だとするならば、「全体の変化」=「個」という概念も、知的幻想的に共有可能になる。

「全体の変化」が、「局所の変化」として認識されたとしても、「全体」とは一つのつながりを持っていて切り離し不可能ということ(これは定義でもある)から、「個」は時間軸を無視したときに「全体」と区別がつかなくなる。
すなわち、「わたし」と「あなた」との境界は時間軸を無視したときに消滅し「わたし」=「全体」=「あなた」という概念にまで拡張される。。。

これは、すなわち、水面に落ちるそれぞれの雨粒の波紋が、ある時刻という切断面では境界を持つにもかかわらず、互いに包含し合い、全体にまで広がっていく様に似る。。。

全体から派生したものは全体へと帰っていく。。。
---
同時に、
派生した個は、個として全体に対峙している。。。
あたかも、風の谷のナウシカ、全7巻が提示したごとくに。。。

知的幻想的に時の流れを越えたとしても、
それは、ゼノンのパラドックスという境界に落ち込んでいくようなもの。。。

厳然とした境界は常に立ち現れる。。。
こえるもの。。。それは
「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院)

であり、そこに流れる思いに、思いを馳せることであろう。。。
---(2005/01/18, 06:10追加、06:20訂正)

そうして、この概念(個と全体に関する概念)は、まさに、「私」と「境界」と「宗教」について。。。
を形作る。。。
(以下、05/01/19, 02:15追加)
上記、『「私」と「境界」と「宗教」について。。。』以降、しばらくは、「知的切断面」という概念にたどり着く前の思考ゆえ、そういった表現を使ってはいませんので、ご注意願います。
逆に言えば、「知的切断面」という静的概念が、「多義図形的」に組み込まれている可能性もあります。私自身、そういった目で読み返していません。もし、そうであるならば、「知的切断面」という概念を「陽」にした記述に書き換えて、新たに投稿してみようかと思います。

===2011/08/06 04:20追記===
「個にして全、全にして個」の出典について
ナウシカを読んだときに「どこかで聞いた(読んだ)言葉だな」程度しか認識がなかったが、仏教用語に「梵我一如」という言葉もあり、宮崎氏の造語なのか出典があるのか、それほど気にはしていなかった。ネット検索しても、ナウシカ出版の1991年以前については、関連しうるものとしては、仏教系かウィルバーのトランスパーソナル系、スーフィー系のピール・ヴィラヤト・イナーヤト・ハーンの言葉ぐらいしか引っかかって来ない。
英語では"One in all, All in one"になるようだ。
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,913659-1,00.html
http://wpedia.goo.ne.jp/enwiki/Pir_Vilayat_Inayat_Khan

いずれにしても、ナウシカの深層には、仏教を含めた東洋系の思想が流れているのには、間違いはない。

「風の谷のナウシカ」ででてくるのは、第1巻(ANIMAGE COMICSワイド版、宮崎 駿、1991年発刊)のp.127に、オーム(王蟲)の言葉
ワガ一族は
個ニシテ全
全ニシテ個
時空ヲ越エテ
心ヲ伝エ
ユクノダカラ ・・・

また、同第7巻のp.132に上述の回顧としてのナウシカの言葉
個にして全
全にして個・・・・・・
ある偉大な
王蟲が教えて
くれました

である。このことは、物語全体に輻湊していることでもあるが、最終章にて、王蟲の青い血でない、別の(というより「本質的には同一の」というべきか)、そうして更に濃い青い血にて染められた服をまとうナウシカの姿にこそ象徴されているともいえる。
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by kisugi_jinen | 2005-01-18 04:20 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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