だまし絵について。。。1.多義図形と概念。。。
何回かに分けて書いていこうと思います。
ほとんどは、私のブログで述べたことがベースです。リンクは後ほど時間があれば入れていきます。( 以下、長々書いていますが、要約すると だまし絵が総体(主体・対象・関係)から切り離されたときに「静的・平面的」であり、総体の中では「動的・立体的」である。ということです。 === だまし絵は、「絵」であるという概念、「多義図形」(相互入れ替え可能な複数の概念を含み、それらの中間の状態が不安定である)という概念を共有可能であるときに「だまし絵」となる。 注意しなければならないのは、そういった「概念」が「知的切断面」に過ぎない故に、「当該概念」を知的切断面として含む「総体」を、あたかも「知的に共有可能だ」と幻想的にでも誤認してしまいうるということである。知的には「総体」を認識することは不可能であり、その切断面(知的切断面)のみ認識可能であり、状報(情報ではない)として交換可能であるといことである。 あからさまに言えば、「猫に小判」である。「だまし絵」に「小判」と「猫」の絵が多義図形的に書き込まれていたとする。人間は「だまし絵」として認識するであろう。しかし、もし猫が自己認識可能であるにもかかわらず、「小判」という概念を持たないなら、そうして「絵」という概念を持つのなら、その猫にとっては「だまし絵」は、単なる「猫の絵」にしかならないであろう。 更に言えば、「絵」という概念すら持ち得ない場合には、酔狂人さんの仰る模様(模様という概念すら怪しい)にしかなりえないだろう。 l(エル)と1(イチ)、O(オー)と0(ゼロ)が文脈から読み取られるという作業は、まさしく多義図形としてのだまし絵における認識過程(知的切断)と相同になっている。 「概念」には(相対的に)「静的」と「動的」の二つがあると考える。 「動的概念」は、「主体」と「対象」と「関係」とを含む「総体」の「知的切断面」であるゆえに相対的な概念である。とくに「主体」に着目すると「主体」とは切り離されることができない。これは、「総体」・「概念」が「自己の自己に対する絶対優位性」(すなわち交換不可能性)という主体の空間的・時間的な変化(差延)とともに存在するからである。 しかしながら、『「概念は相対的である」という概念』(たとえば、「価値観とは相対的である」)を共有可能であるということは、『「個々の図は相対的である」という多義図形としてのだまし絵(概念)』を共有可能であるということと、非常によく似ている。これは「静的概念」に相当する。 すなわち、(場合によっては相反する相対的ないし複数の)概念(動的概念)を含む概念(静的概念)である。 上記「静・動」は知的切断面としての「静・動」である。知的切断を受ける前の総体は、すべて「動」であり、総体に対する知的切断面が、主体から切り離されたときには「静」となる。(以下、静・動がややこしいかもしれないので、時間があれば記号にて区別した表記に書き換えます) (相対的に)静的な概念は、対象概念を認識可能な全ての主体が、同一の概念として共有可能であることを意味する。これには科学的知識が含まれる。 カッコつきで相対的としたのは、暗黙裡に主体を「人類」というカテゴリー内に押しとどめているからである。 したがって、「人類」ではない主体を含めると、静的ではないかもしれない。 逆に言えば、主体が如何様な集団であるかを規定することで、それら集団内のあらゆる主体にとって共通する概念があるならば、それを、その集団における静的概念と定義するということである。 だまし絵的には、その絵は(総体として)動的であるが、だまし絵をだまし絵たらしめている多義図形を構成する一つ一つの要素は、通常静的な概念(知的切断面)である。 すなわち、多義図形というだまし絵は、(二つ以上の方向性を含有する動的な)概念の絵画的表現(総体に対する切断面)に相当すると考える。 ゲーデルの不完全性定理が、エッシャーのだまし絵に相当しうるということ、これは、総体に対する知的切断面が、(動的な)総体の(静的な)絵画表現に相当しうることを意味する。 このことは、切り離された静的な「切断面」(定理、だまし絵)に「主体」である「わたし」がめぐり会うということによって「動的な総体」がたち現れるということから類推可能であろう。
by kisugi_jinen
| 2005-01-06 04:18
| 思考。。。
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Comments(1)
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from 来生自然の。。。
at 2008-01-02 23:24
タイトル : だまし絵について。。。2.多義図形・概念と境界。。。
だまし絵について。。。1.多義図形と概念。。。 では、動的・静的の区分について、読み返すと修正したくなる記述がありますが、その点については、後ほど訂正させていただきます。 さて、多義図形にてネット検索してみると、興味深い記述に出会ったので、紹介と引用をさせていただくこととしました。(メモ程度のまとめです) 「環境ホルモンと非線型科学」 、合原 一幸 (東京大学大学院、 新領域創成科学研究科) http://www.env.go.jp/chemi/end/2001report/pdf...... more
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by
kisugi_jinen at 2008-10-10 03:19
ときどき、エキサイトのアクセス記録を見てみると、ここと、情報・状報へのアクセスが多いことに気づく。。。
私自身何度か読み返すのだが、読み返す度に、「あぁ、ここは、もう少し表現を変えた方が判りやすいかも」とか思ったりする。自身のトラックバック先でも「訂正」を示唆する文章を記述してしまっている。 他の投稿の場合、そういったことがあると手を加えてしまうことが多いのだが、ここの投稿だけは、そうすることを頑なに拒むものがある。 しかしながら、一カ所だけ、ミスを発見したので、取消線にて修正しておいた。 2005年1月に記述しているにもかかわらず、リンク挿入日とした日付を2004年としてしまっていた。 年明けの最初のあたりは、年の概念が多義図形的に重なりやすい。。。
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