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存在が認識を包含するとした場合の補足。。。
「認識が存在を包含するとした場合の補足。。。」のついでに、やっちゃいますか。。。

私の考えの「にこごり」。。。にて示した

存在と認識は独立しているのか、---(A)
認識が存在に含まれるのか、---(B)
存在が認識に含まれるのか、---(C)

今回は(B)の場合です、

ここでの前提条件も、
「私の認識」と「あなたの認識」は、同一ではない
ということになろうかと思います。

あと、前回、「ぞんざい」に扱った「存在」ですが、まず、「認識可能な存在」を、
「共通認識可能な存在」と「共通認識不可能な(すなわち各認識主体に固有に認識可能な)存在」の2種類に分けることとします。
この分類で、「認識可能な存在」全てを含むことになります。
前回は、認識側から考えたので、自然とそういう分類にならざるを得なかったため、分類の必要性はありませんでした。

ただし、今回扱う「存在」は、「認識」を超えているので、「認識不可能な存在」を含みます。
で、この制約の元で(B)を考えるとどうなるのか。。。
やはり、最初は
(B-1)認識主体ごとに存在が別々にある
(B-2)存在は一つで認識主体が複数ある
に分けられる。

で、(B-1)では、やはり(C-1)と同じで、「共通認識可能な存在」が存在しないという状況になり、各人の世界ごとに「いっちゃってる」状態(なんら情報交換不可能な並列する別の宇宙空間にいる状態とおなじ。注:多世界解釈の宇宙とは異なる。)になるので、対象外。。。

問題は(B-2)です。
(B-2-1)各人の「認識」というものに、厳密ではないけれど、ある種の「包含関係」がある。
すなわち、
存在全体に含まれる、「認識1」
存在全体に含まれる、「認識1を含む認識2」
存在全体に含まれる、「認識1を含む認識2を含む。。。」

すなわち、「ある種の学問」における知の階層(梯子)構造(というより上下関係)に相当するものを要請してしまいうる。ということです。

逆に言えば、魂・情に対する物質・知の優位を説き、かつ、知の上下関係を説く学問は、このタイプの考え方に立脚せざるを得ないということになりうると思います。

(B-2-2)各人の「認識」は並列している。
存在全体に含まれる認識1
存在全体に含まれる認識2
。。。

それぞれの認識には、「共通の認識」に対しては、重なり合う部分がある。

このあたりの考え方は、ごく普通の考え方になろうかと思います。

すなわち、通常の人々にとって、(B)系列における、B-2-2が、もっとも受け入れられやすい形なんでしょう。。。
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# by kisugi_jinen | 2004-10-15 04:02 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
認識が存在を包含するとした場合の補足。。。
私の考えの「にこごり」。。。にて示した

存在と認識は独立しているのか、---(A)
認識が存在に含まれるのか、---(B)
存在が認識に含まれるのか、---(C)

ですが、
実は、(C)において、重要な事項を書くのを忘れてました。。。
まぁ、極論の中の極論になるんで、枝葉かもしれませんが。。。

以下、「存在」については、ずいぶん「ぞんざい」な扱いをしていますので、あしからず。
というか(C)系列については、深く考えたことが無いのもありますが、(C-1)以外は、すくなくとも「共通認識可能な物理学的存在」を含む「存在」としています。

ここでの前提条件は
「私の認識」と「あなたの認識」は、同一ではない
ということになろうかと思います。

この制約の元で(C)を考えるとどうなるのか。。。
(C-1)認識主体ごとに存在が別々にある
(C-2)存在は一つで認識主体が複数ある
と、なります。

で、(C-1)では、各人の世界ごとに「いっちゃってる」状態になるので、対象外。。。というより、おそらく「存在」の定義が異なる。すなわち、「わたし」という存在のみを存在として扱い、「他は存在しない」としなければならない。

問題は(C-2)です。
(C-2-1)各人の「認識」というものに、厳密ではないけれど、ある種の「包含関係」がある。
すなわち、
存在を含む認識1
存在を含む認識1を含む認識2
。。。

すなわち、「ある種の宗教」における魂の階層(梯子)構造(というより上下関係)に相当するものを要請してしまいうる。ということです。

逆に言えば、物質に対する魂の優位を説き、かつ、魂の上下関係を説く宗教は、このタイプの考え方に立脚せざるを得ないということになりうると思います。

(C-2-2)各人の「認識」は並列している。
存在を含む認識1
存在を含む認識2
。。。

それぞれの認識には、「共通の存在」に対しては、重なり合う部分がある。

私が、いわゆる哲学書として一番最初に読んだ、「はじめての現象学」(竹田 青嗣)では、この「共通の存在」をベースにした考えにて「共通認識」を扱うのだ、と読んだ記憶がある。。。
(定かではない、手元に本が無い。。。)

(C)系列においては、C-2-2が、もっとも受け入れられやすい形なんでしょう。。。
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# by kisugi_jinen | 2004-10-14 03:22 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
デリダの死。。。「存在論的、郵便的」(東 浩紀)を読み返して。。。
「情」を「知」で扱おうとするとき、「ラベル・記号」としての「言葉」を貼り付けることで、「意味」の共有化を図ろうとする。

しかしながら、「対象物」を共有化できる「静的なもの」ではなく、「情」レベルで扱われるものは「対象物」が存在しない「方向性のみ」を共有できる「動的なもの」である。
数学で言えば、関数と導関数、点とベクトル、に相当する。

「知」は、ありとあらゆるものに「記号・符号・ラベル」を貼り付けるため、同一次元で扱おうとする傾向に陥ってしまう。それゆえに、「語りえぬもの」が一つのレベルに対してであるかのごとく錯覚に陥ってしまいがちになるが、本来「固有名」として扱い得ないものに「記号・ラベル」を貼り付けている以上、2重の意味で「語りえぬもの」(郵便的、存在論的)を扱うことになってしまうのだろう。。。そういった、「知」にとっての対象としての「情」は、「知」と並列し、「知」の外にあり、「知」と相互作用するように見える。。。

しかしながら、「情」の本質は、「知」と、そして「意」を含む「その他」と折り重なりながら相補的に「このわたしのこの」心を作り出すと共に、「動的」であるがゆえ、「他者・外部」との連続性・共感・共生を維持するに、必要不可欠だということである。

「情」を伴わない「知」は「知」たりえず、「知」をともなわない「情」は「情」たりえない。。。

。。。。「知」は静的であり、「情」は動的である。。。

注意すべきは、「方向性」のみが共有可能な「情」に対して、「知」がラヴェリングを行ったとき、その「仮想の対象物」に「共有可能性」を見出したとき、「宗教」が始まるであろう。。。ということである。

※07/05/30 19:10補足・追加
情に方向性があるというとき、対象物の有無は関係しない。
個々に異なる対象物がある(主観的な要因が強い)場合に対し、その方向性のみが普遍化(記号化)され共有化される段階で、対象物がない状態(客観的な要因が強い)へと変化する。
上記「対象物が存在しない」とは、まさに、そのような状況について記述している。
したがって、共有化された情の指し示す先に、何らかの対象物を想定したならば、それは、たとえ存在しなくても存在物として扱われ、宗教的な意味合いの強いモニュメントになるであろう。。。

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# by kisugi_jinen | 2004-10-13 05:28 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
情と知。。。
ふと、言葉遊びに思索をゆだねてみた。。。

哲学=智を愛する

「愛する」という言葉は、本来「情」の側面を「知」の側面にて「ことば」にしたものであり、「方向性」のみがあるものだと思う。

すなわち、「知」のレベルよりも「情」のレベルにこそ「哲学」の真髄があるように思われる。。。
そうして、「知」を「情」が包含するかのようにも受けとれる。。。


たしか、数年前、そういったことを語っておられた旅人が一人、おられたような。。。

===2004.10.12 18:45追加。。。

「知」のレベルでも、「認識・存在」という2方向(わたしがメビウスの輪にたとえた二元論的方向性)があり、さらに「知・情」という2方向がある。。。どちらが真というわけではなく、「どちらも」わたしには必要不可欠なものである。

そうして、それら「わたし」からの種々の方向性と、わたしを取り巻く外部の種々の方向性との関係を考えると、まさに複雑に絡み合う世情そのものになってしまう。。。

じゃあ、そんなこと考えなくても。。。
って、ことになるかもしれないけれど、一番重要なことは、

「わたしがそう考えるから、そうであり、わたしがそう信じるから、そうである」ということを抜きにしては、「わたし」は「わたし」ではなくなる、ということである。

「何も考えないで、そうである」のと、「とことんまで考える過程で、そうである」のとは、「わたし」が「わたし」であるかどうか?というレベルにて異なるといえる。さらに言えば、次の一歩が、大きく異なるかもしれない。。。と。。。

それだけ、「わたし」の思考・信念という領域に対しては、『わたし』が常に考え続けねばならないのだろうと思っている。

私の場合、考え方の根本は、5年、10年というスパンで変わってきている。。。
おそらく、年をとるにつれて、変化はほとんどなくなるのだろう。。。
でも、一生考え続けて生きたい問題ではある。。。
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# by kisugi_jinen | 2004-10-12 12:53 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
「にこごり」。。。別の視点。。。
量子力学を知らなくても、磁石で遊んだ記憶は多くの人が持っているはずです。二つの円形の磁石を鉛筆に通して、反発するように向かい合わせて、ビィヨォーーーン、ビィヨォーーーンと、上下に揺らした経験は、多くの人がしたはずです。

で、その間に指を入れても、何にも無いし、何も感じない、目に見えない力が働いている不思議。。。

「物が落ちるのが当たり前」と思っていても、「磁石の反発」は、最初に目にした瞬間から不思議な事象に思えてしまい、どう説明されても「不思議さ」は、なくなりません。

逆説的ですが、ここで「不思議なことはない、科学で説明できる」という考えを持つと(いわゆる)「科学者」には「絶対に」なれません。

(いわゆる)科学で可能なのは、「引力と斥力とを定量的・定性的に説明可能な論理的・理論的・無矛盾な(ひとつの可能性としての)説明」をすることぐらいです。

で、何を言いたいのかといえば、磁石と磁場という関係は、「存在」と「場」の関係に当たります。「場」は、すなわち、「存在」同士の「関係」そのものと言い換えてもいい。

この「関係(場)」の記述はできるが、「どうしてそういう関係(場)があるのか」については、まったくもって「科学」は無力なのです。「そういう関係が認められるから、みんなが経験できるから、だれもそうでないことを観測できないから、そうある」としか、いいようがない。

もし、「この私のこの」心に対して、科学的な説明がなされたとしても、それは、磁石の場(すなわち磁場)に対する説明と同じで、「どうしてそういういう心があるのか」については、決して科学は説明することが出来ない。

逆説的になりますが、磁石と磁場の関係が、「物質的な私」と「心」との関係にたとえられるのなら、「心」とは、「物質的な私」と「物質的な全体」との関係そのものという考え方もできると思います。

すなわち、エヴェレットの多世界解釈のレベルに見られるように、「宇宙全体」を一元論として捉えて、さらに上位レベルに解答を保留する逃げもありえますが、もし、上位レベルにその解答が隠されているならば、「この宇宙全体」にその「影」が投影されている必要があり、その「影」に相当するのが、「場」であり「心」という(関係として捉えうるもの)であると思うわけです。

もし、そうであるならば、物質と切り離せない場そのものが、心そのものであるという解釈が可能になろうかと思うわけです。

すなわち、片側から見れば、それぞれ一元論と書いてある紙、その両面をみれば二元論となる。どうしてもつながらない両方向への一元論は、「わたし」という結び目でメビウスの輪のねじれを形作る。。。そういう考え方も、一つの可能性としてありうるのではないだろうか。。。ということです。。。
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# by kisugi_jinen | 2004-10-10 20:53 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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