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片隅で聴いていたボブ・ディラン。。。
ボブ・ディラン。。。

ガロの「学生街の喫茶店」の一節が脳裏で響き始める。。。
。。。
学生で 賑やかな この店の
片隅で聴いていたボブ・ディラン
。。。

実を言えば、ボブ・ディランの歌だと、はっきりと認識して聴いたものはないように思う。日本でガロの「学生街の喫茶店」が流行っていた頃、私は小学校低学年だった。幼心に「あさま山荘事件」のテレビ中継が脳裏に蘇る。。。
。。。
あの頃の歌は聴こえない
人の姿も変わったよ、おー
時は 流れたー
。。。
その当時で、既に過去に流行った歌だと歌い込まれている。

ネットで試聴可能な一部を聴いてみた。

幼い頃に背伸びして真似したがっていた当時の大っきいお兄ちゃん達は「あしたのジョー」に重なり、一方で、幼心に怖くて嫌いだった「学生紛争」の担い手も重なる時代。その更に向こう側の香りがする、くっきりとしていて、ハーモニカを鳴らすパートが響き、ノスタルジアの更に向こう側へと誘うような曲。。。

私が愛した日本のフォークの向こう側の香りを、久しぶりに嗅いだ気持ちになった。
懐かしさの向こう側。。。

ボブ・ディラン おめでとう。。。




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# by kisugi_jinen | 2016-10-14 03:13 | つれづれ。。。 | Comments(0)
君の名は。。。
「君の名は」・・・随分とレトロな題名だな・・・
最初の印象は、昭和初期のラジオドラマ「君の名は」に抱いていた感傷的なイメージが重なり、逢えそうで逢えないメロドラマを現代風にアレンジしたアニメだろうと、勝手に思い込んでいた。
いや、見終わった後、当たらずも遠からずだったことに、逆説的に衝撃を覚えた。

巧妙に合わせない設定は時代を超え・背景を変え、アニメにては「みなしごハッチ」や「母を訪ねて三千里」などで、数十年に一度、結実するように思える。

更に言えば、この手の設定は女子系の、いや、男女を問わず全人類が有する愛情という琴線に触れるのだろう。女子力の高さが思いやりという琴線に触れる様に。。。
そう、時間を経た繰り返し・・・

何千年もの周期で巡る彗星と、地球が巡り逢うこと。
様々な物事に周期性を見出そうとすること。
月の満ち欠けに、母子を繋ぐ生命活動との周期性を見出す様に。。。
あらゆる生命活動の根源に、宇宙全体と何がしかの関連性を見いだしたくなる様に。。。

そこに、日本古来の黄泉の国と、現世とを繋ぐ口を重ね合わせる。。。
余りにも巧妙でありながら、危なかしい設定を配置し、ほんの一瞬の巡りあわせがずれるだけで崩壊しそうなストーリー展開。。。

織姫星と彦星とが宇宙という現世では、決して出会うことが無くても、物語の世界で、出逢わせたくなるように。。。

偶然と運命と宿命と奇跡、そうしてそれらが観客の持つ流れ星に対する偶有性という心の琴線に絡まりながら、より合いながら、一本の糸、いや、組紐を織りなしていく。
見終わった後、心の中では、中島みゆきの「糸」が流れていた。。。


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# by kisugi_jinen | 2016-10-12 03:39 | つれづれ。。。 | Comments(0)
シン・ゴジラと所信表明演説でのスタンディング・オベーション
ポケモンGOのお台場騒動と、シン・ゴジラと。。。

頭の先から尻尾の先まで人間。。。

もう一頭見つけた。

所信表明演説でのスタンディング・オベーション

取り残されることへの恐怖を抱きつつ、最後の方で仕方なく立ち上がる党員。

尻尾の先から逃げようとしたら、黒焦げの状態になって張り付いたまま、晒され続けてしまいかねない。。。

鶏口牛後

がんばれ日本!!

2016.10.04 00:30 追記
某新聞社の一部等が、過去に別の党にて同様の行為がなされていたとの指摘。尻尾の先が認識されるか、されないか。認識されない時、それは、認識主体がシン・ゴジラの内部にいて、外部を認識できないのか、もしくは、外部にいて、シン・ゴジラを認識できないのかの、何れかに該当するであろう。
二つないしそれ以上の見解が、相互に認識しあい、発言できるということの大切さをこそ、認識すべきなのだろう。
何れにしても、無理やり引きちぎられた尻尾だからこそ、黒焦げの人影が見える。切断面の両側に思いを馳せるべきだろう。

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# by kisugi_jinen | 2016-10-02 02:08 | つれづれ。。。 | Comments(0)
ポケモンGOのお台場騒動と、シン・ゴジラと。。。
お台場でのポケモンGO騒ぎ。
不正ツールが一因との話もあるが、誘因が何であれ、シン・ゴジラの移動そのものを彷彿とさせる出来事である。ただし、頭部から長い尻尾の先まで、人間だという構成。。。

ヴァーチャルの世界での欲望と知が、リアル世界を崩壊させていく。

ビートたけしの「赤信号、みんなで渡れば怖く無い」が当然の如くに広まっていくとき、制御を失った「流れ」は、シン・ゴジラの進攻の如く、ゆっくりとした、そうして確実な崩壊へと向かうかもしれない。。。

拙い歴史観から類似の事象が、脳裏に浮かぶ。
お蔭参り、そうして「ええじゃないか」騒動である。
過去においては、対象は「神様」であり、降ってくるものは、「おふだ」であった。
現在、対象は「レアポケモン」であり、降ってくるものは、「花吹雪」や、「出現情報」である。

シン・ゴジラ。。。

原子力・破壊の象徴としてのゴジラの語源に「god(神)」が埋め込まれて、一つのモニュメント・偶像として定位するとき、モニュメントのヴァーチャル方向への思い・情は、ヴァーチャルの世界での口からの咆哮と放射熱線として表され得る。
対して、モニュメントを通したリアル世界への思いは、対ゴジラ作戦として描かれ得る。古来、ゴジラは、スクリーンの表面に描き出されたモニュメントでしかなかったのだが、シン・ゴジラでの尻尾の先に「人類」を埋め込むことで、創り出されたヴァーチャルの世界をリアルな世界に繋げようとした庵野監督。

今回の騒動はヴァーチャルが投影されたリアルの世界。

リアルな世界での騒動の現場を俯瞰するとき、頭部から長い尻尾の先まで人間でできたシン・ゴジラいう構成に繋がるであろう。
相対するヴァーチャルの世界では、「god(神)」すら人知レベルにあって、神社本殿に設置されたジムに君臨しているレア・ポケモンが重ね合わされる。

2016.09.27 00:30 一部追加・修正

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# by kisugi_jinen | 2016-09-26 04:39 | つれづれ。。。 | Comments(0)
ray。。。Butterfly。。。BUMP OF CHICKEN。。。
2年ぐらい前から聴き始めたBUMP OF CHICKEN。
と言っても、久しぶりにCDとして購入したアルバム・RAYから入ったので、それ以前の曲はよく知らない。

RAYから受けたイメージは、リアルとロールプレイングゲームに代表されるヴァーチャルとの狭間に息づく若者の心情と言ったところ。
両者を重ね合わせ、透かして見てる感覚に捉われる。リアルの側から透かし見る世界には、ヴァーチャルの世界だけでなく、思い出の世界も重なり合う。私の様な中年のノスタルジックな回顧癖にも上手く重なり合ったのだろう。そういった情景を作り出している代表作が「ray」となっている。
歌詞には少し捻って意味を考えさせる様なフレーズがあるが、この部分にて、視聴者の意識を現実へと呼び覚ます効果があると思う。
しかしながら、私が興味を持ったのは、もう一つの視点についてである。
生死の境界を透かし見る視点である。
いや、元々生死の境界が存在しえないヴァーチャル世界へのリアルからの視点と言ってもいいだろう。「天国への階段」のイントロに重なる「ゼロ」は、正にそういった視点の代表作だろう。
日本人にとっての死生観は曖昧さを美徳とするが如くだが、知的に考え抜いた先に定位させ続けないと、宗教に飲み込まれてしまいかねない脆さがある。
そういったデリケートな領域に踏み込んでいながら、ヴァーチャルを利用しての禁断の境界越えを見事に描出していると言っても過言ではない。

アルバム・RAYについても、もっと書きたいことがあるのだが、死生観をさらに深く追求している「Butterfly」について書くべきだろう。

この曲を最初に聴いたとき、サッカーの応援ソングか何かか?と思った。というのも「サンガ」というフレーズが耳に残ったからである。後日、CDの歌詞カードにて「量産型」だと知ったのだが、語の区切りと語尾を曖昧にしてフレーズを繋げる技を確認したので、ますます聴き込む結果となった。
ここでの「量産型」は、正に「人間」そのものを指していると思っている。
いや、もっと広く、遺伝子レベルで定義され得る、種という概念になろうか?
そういった視点にて見ていくと、個体・個人という枠組みに対する種・民族・全体・世界・社会と言った枠組みを対置していると見做すこともできる。
あたかも卵から蝶までの変化の様に決められた運命としての道筋、そこにおいてのアイデンティティの確保は、思春期人にとって最大の問題でもあると共に、蝶になる前の蛹の様に、通過儀礼でもある。

さて、死生観について少し具体的に見てみる。例えば「明日生まれ変わったって、結局は自分の生まれ変わり」
蛹の中で、芋虫の体は一度ドロドロに溶けて、生まれ変わった様に蝶になる。もしかしたら、そういった意味のフレーズかもしれないが、素直に取れば、死後に続く輪廻転生の概念に通じていると捉えるべきだろう。しかしながら、「生まれ変わったとしても」と言った仮定であることは重要だと思う。だからこそ、複数の宗教すら簡単にスルーしてしまい得る日本の「曖昧さ」、いや「タフさ」を秘めた歌だと思う。

更に、全体の基調とでもいうべき、当事者の視点に立脚しての記述。
「この心 自分のもの 世界をどうにでも 作り変える」
「その心 自分のもの 君が見たものから 生まれていく」
非常に危うい独我論を彷彿とさせるフレーズでもあるが、アイデンティティの確立という概念からすれば、越えるべき思索になる。
また、二つ前の引用に続くフレーズ
「どういじればどうなるか 本当はちゃんと 知っている・・・」
この部分、思春期人が通過しなければならない「人智で全てをコントロールできる」と言った幻想を臆することなく言い切っている。

2016.09.22 追記
前回、かなり持ち上げた評価を書いたのだが、総じて「自身の視点」という踏み台(不動点)をしっかりと担保しているからなのだろう。特に、
「悲しいほど強い魂 どれだけ憎んでも 消えない 消せない」
のフレーズは、
「我思うゆえに我あり」を、斜めにつき破り、受動的・悲観的な側面から、能動的・主体的な側面へと、自らを誘っている。
たとえ、魂の存在そのものを否定されたとしても、他のなんびとも理解しえないとしても、自らが感じざるを得ない「魂」としか言いようの無い塊。
その塊・魂は、他者によって消され得るものでもなく、自らの手によって消し得るものでもない。
絶対的に否定的な側面にて消滅を否定するが故、たとえ限定された「知」の内部であったとしても、いや、限定されざるを得ない「知」の内部だからこそ、逆説的に肯定的に「生」を歌い上げている。

まさに、思春期人の死生観を、見事に詠み上げた歌だと思う。




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# by kisugi_jinen | 2016-09-20 03:42 | つれづれ。。。 | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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