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知的切断。。。思春期人(ししゅんきびと)を越ええなかったのだろう犯人への随想。。。
AKB握手会での傷害事件を知ったとき、二つのことが脳裏をよぎった。。。
※2014.06.01 01:09 一部修正しました。(「傷害」を「殺傷」と誤って記述していました。お詫びいたします)

「犯人は、自己を外部から切断したがっているのでは?」

「AKBを含む人と人との繋がり方そのものの崩壊の危険性」
の2点である。。。

思春期人(ししゅんきびと)の知的切断。。。
以前、白鳥の事件について記述したことがあるが、対象は象徴性の高いもので、完全性を備えていると思われるものを狙う傾向があるのかもしれない。
ハクチョウ撲殺。。。「ゲーム感覚」と「楽しいから」の背景。。。
http://jinen.exblog.jp/8526197/
自身の心的な問題解決のために、知恵を振り絞って考えつくした極論を実行するわけである。
聞くところによると、のこぎりにカッターの刃を貼り付けていたということからも、自己内部(脳内)での知的な行為が究極レベルまで達していたであろうことがうかがえる。

知的切断。。。できる限り完全だと目される女性像を切断しようとしていたのだろう。。。

彼が切り離したかったものは、「誰でもよかった」のではない。

AKBのメンバーに完全な女性像を重ねたとき、ほんの少し方向が入れ替わるだけで、自身の母親に刃が向いていたかもしれない。
刃の方向は、そう考える自分自身に及んでいたかもしれない。
彼の生い立ちに触れる記事を目にしたが、思春期人(ししゅんきびと)を越えることができなかった情況が伝わってくる。。。

心と心の繋がり。。。情的な糸を、知的な刃物でプッツリと切断しようとする。。。切断対象は、自己と他者との境界。。。いや、思春期を越ええなかった自己そのものなのかもしれない。。。

そうして、AKB握手会のもつ二面性の内、知的・商業的な側面に切りつけたのかもしれない。。。メンバーのお二方の犠牲は、心痛むところではあるが、情的な側面としての人々の心の繋がりまでは、決して切断しえないことを、犯人自らが心の奥底から感じ取れる日が来るのであろうか。。。

思春期人(ししゅんきびと)を越ええなかったために、情に対する知的切断を、「実際の刃物」やネット上での「言葉」を用いて実行しようとする人々。。。彼ら・彼女らを救うことができるのは、心の奥底への情的な働きかけ以外の何ものでもないのかもしれない。。。

以下、参考になるかもしれない稚拙リンク。。。
「いじめ」と「知的切断」と。。。知の優位性とその背景。。。
http://jinen.exblog.jp/8425528
狭義の情、広義の情、知的切断面、境界について。。。
http://jinen.exblog.jp/7250310

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by kisugi_jinen | 2014-05-30 03:43 | つれづれ。。。 | Comments(0)
痛ましい事故への随想。。。
まずは、隣国の痛ましき事故に対し、謹んで哀悼の意を表します。
。。。

今日(いや昨日になってしまった)の夕方、日本海に立ち寄ることがあり、しばらく潮風に吹かれていた。
連休に突入したとはいえ、日本海を吹き荒ぶ風は冷たく、30分も佇んでいると体の芯から冷え込んでしまう。。。

日本海に沈む夕日の雲間から流れ来る光の帯が、砕け散る波頭に反射し、靄(もや)がかった海岸のテトラポットは、風と波の砕け散る音で、かすかに揺れ動くようにすら感じる。
隣国の南の海岸ですら、この寒さなのに。。。
沈みゆく船の中に残された、多くの若者たちの痛ましき最後を思うと、冷え切った体の痛みすらも、世迷いごとのようにすら感じざるを得ない。私の場合、ほんの少しの時間さえあれば、暖かい場所へと帰ることができるからでもある。。。

我が国と隣国で流される、流されている報道を見るにつけ、越えがたい境界概念が脳裏をよぎっていく。。。
端的に言ってしまえば、知と情の概念区分に相当する。
無論、本ブログの過去の記述にもあるように(※1)、どちらが上位概念だとかいった意味でも、二者択一的な境界を有しているとかいった意味でもないのだが、報道される内容の節々に、第三者的・他国的な視点が介在するため、私の思索癖でも同様に、どうしても評価の対象として扱われざるを得ないのかもしれない。

隣国の行動規範を、主として情を中心として思索すると、私の内部では、すっきりと受け入れられる。この「すっきりと受け入れられる」は、まさに知的切断面であり、切り離されるべきではない情の本質とは本来的には異質のものでしかないのだが、知的にしか理解しえない人類にとっては原罪にも似たモノである以上、語りつくさねばならないのかもしれない。

隣国では筆舌に尽くせない、人と人を繋ぐ情のあり様(ありよう)を、包み隠さず表現することを第一義的に選択せざるを得ないのだろう。このことについては、歴史的・民族的な背景があるように思われる。
ただし、時代の変遷の影響なのだろうか、知的に悪用する輩もいるようで、現時点では、そういった類の暴露合戦がニュース系統の首座を占めているように思われる。
しかしながら、「知的に」といった途端、「情的な・全体」は切断されているため、本質を見誤る危険性は常に存続し続けている。隣国内部ですら、そのような状況である。情的に発動された行為と、知的な思惑に影響された行為を切り分けることは、情を含む総体性からいえば、知的な切り分けそのものとなり、本質的な情すら切断しかねないであろう。

知・情の側面からの話以外に、国境を挟んでの安全性に言及する一部報道に関し、すこしだけ付け加えておきたいことがある。
上述の痛ましい事故の後に発生した隣国の地下鉄事故に関することも含まれる。
一部ネット上での報道に限定されているのであればいいのだが、双方の国の安全性に対し、国レベル・民族レベルでの評価そのものが「?」である。
通貨を基準としたグローバル化といった流れの中で、安全性が損なわれる方向にあるのは、どの国においても、同じことである。記憶に新しいのは、旧国鉄から分離したJR北海道での多発した事故と、その後の管理体制の問題であり、さらに遡れば、東日本大震災での福島第一原発の事故にも通じる部分がある。直近では、ピーチ航空の異常低空飛行が該当する。
双方の国のマスコミ(特にネットでの発信)が、そういった根本的なところを追求せずに、表面的な批判に終始している現状は、非常に痛ましい限りである。(ネット上でトップにリストアップされているものに限定されざるを得ないのも、ある意味、痛ましい事態ではあるのだが。。。)

※1:関連する本ブログ内記事については、後日、リンクを追記していく。
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by kisugi_jinen | 2014-05-04 02:40 | つれづれ。。。 | Comments(0)
伏して死すより、座して死す。。。
最近、横になって寝ることが少なくなった。。。

座ったまま寝てしまい、目が覚めて、そのまま職場に向かうことが多くなった。

忙しいのは忙しいのだが、忙しいとかいったレベルとは少し異なる様々な理由から、横になって寝るよりも、座ったまま寝ることが多くなったといえる。体自身が「横になりたくない」とダダをこねている状態(いや情態)というべきか。。。

今日は、仕事も溜まってるので、座したまま寝て起きて、そのまま職場に向かうつもりだったのだが、少しばかり書き留めておきたいことがあったので、ブログを更新しておく。

。。。

アクセス履歴で
水平的(リゾーム的)であることと、垂直的(ツリー的)であることと。。。

がリストアップされていた。

ネット世界に入り込み、哲学的な思索に踏み込んだ時代のことが思い返される。。。

。。。と、感傷に浸っている訳にはいかない。。。

上述を含め、思春期に越えるべきものを越えずに大人になってしまった人々が多すぎるのかもしれない。
少子高齢化、情報化社会(本質的には状報化社会、いや端的にいえばネット社会)、ゆとり教育などなど、現代社会を担うべく「おとな」の年齢層に達してる人々は、本質的にリゾーム的・(東氏の)動物的な思考を行っているのかもしれない。。。いや、単に「甘やかされ」過ぎているともいえるのだが。。。

修学旅行のバスを確保できずに、学生が自殺するといった偽手紙を作って現実から逃げようとしたり、「帰れ!」と言われてサッサと帰ってしまうアルバイト社員がいたり、体罰概念がネットを含めて状報化社会を彷徨ったため、「情的」領域が思索の根底から排除され、二者択一的に・知的に「やってはいけない」が先行し、教員が学生にナメられている等々。。。

これらの背景に見え隠れするのは、形式的にでも通過儀礼をして越えるべき境界概念が、いつの間にか消え去った(見えなくなった、感じなくなった)からかもしれない。。。

。。。

某大学の某先生の授業を思い出している。。。
「横になって寝ると、死ぬ」
という命題が真になる確率は非常に高い。
これは、「死ぬ前には、多くの人々が横になって寝た状態だから」である。
だから、「横になって寝たから、死ぬ」という、因果関係として解釈するのは間違っている。
といった話だった。。。

私が、今回の投稿で記述している話にも似たところがあるかもしれない。
一見、「因果関係がある」かの如くに考えてしまう事柄も、いわゆる疑似相関なだけで、本質的ではないのかもしれない。。。
単に、「それが、人間・生命体というもの」というバックグラウンドに内在されている事柄なのかもしれない。。。

それでも、あがなおうとする力・思索を為していくのもまた、人間なのであろう。。。

そういった事柄とは、全く無関係なのだが、いつの日にか「座して死ぬ」ことを夢見ている。。。

おっと、そろそろいかないと、今朝の仕事前に片付けておかねばならない仕事ができなくなる。。。
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by kisugi_jinen | 2014-05-01 06:15 | つれづれ。。。 | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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