AX
<   2014年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧
データの大切さ。。。眠れない夜の大切さ。。。小保方さんへの随想-2。。。
(2014.03.22 02:20 修正・追記しました)
小保方さんの事件や、業者が介入した事件等を見るにつけ、自然というものに対する人智の浅はかさを感じざるを得ない。。。

そもそも、「ある一定の条件下」での予測される再現性と実際のデータとの「ずれ」が、科学的な新発見につながっている場合が多い。

「ある一定の条件下」=実験主体を交換可能にする条件、「実験主体に依存しない」ということ、いわゆる「客観的な状況」の担保となっている。
無論、実験系によっては再現性を担保できない場合があるが、統計的に一定の傾向を見出しうる場合には、「統計学的に説明可能な変動範囲を含めた条件下」が、「ある一定の条件下」となりうる。

で、「同じ条件下」にも関わらず、結果が予測した値にならなかったとき、

凡人は、実験を失敗したと思うであろうし

悪魔的な誘惑を断ち切れない人は、予測した結果にならなかったデータを改ざんするであろうし、

真摯にデータを扱おうとする人は、「同じ条件下」ではなかったと考え、人智を凌駕しているかもしれない、未知の因子を見つけ出そうとするであろう。そうして、天才的な才能を有する人がいたとき、誰しもが考えもつかないような新たな科学的記述(説明可能性)を見出すのだろう

誰がやっても予測した通りの同じ結果が生み出されるとき、それは真の意味での実験ではなく、追試レベルないし実習レベルになり、コピペ可能な世界になる。

個人的な話、ここ数日、睡眠不足になりながら、実験データの解析を行っていた。
この年になっても、「思い込み」の罠に引っかかりそうになる。

結果をプロットしてみたときに、予測した状態ではなかったとき、データを見るのも嫌になるかもしれない。
しかし、「どうして?」「なぜ?」という疑問をデータに投げかけ続ける必要がある。また、風呂に入るとか休憩するとか、少しリフレッシュしてデータを見返しつつ、しばらく無心になる時間を作るべきである。
そのうち、データが静かに語りだすことがある。
一つの取っ掛かりから、思ってもみなかった条件を変化させてみることを思いつくこともある。
そうして追加実験を繰り返し、当初思ってもみなかった法則性・規則性が見出されたとき、思わず「やった!」と叫ぶことであろう。
※今回は、少しばかり、そういった所が見出されたので、救われるのだが。。。

科学的記述とは、最終的には人智の範疇での説明可能性に集約されざるを得ないのだが、その背景となるデータは、人智によって「ある特定の断面」としてそぎ取られた全体の一部であり、実験を行った行為者と全体との間の相互作用が結実したものである。すなわち人智による解釈は許されても、人智によって作為的に改ざんされるべきものでは決してない。
データの大切さは、ある意味、一人の科学者の生命よりも尊いものである。
そのデータが改ざんされた場合、たとえば新薬に関するデータであれば、どれだけの人々の命が失われうるのかを考えれば、明らかであろう。
(無論、実験系そのものが持つ倫理的な意味も重要である。)


眠れない夜を過ごす時、打っちゃってしまいたくなるデータの影に隠されたダイヤモンドを見出すことがあるのかもしれない。。。
[PR]
by kisugi_jinen | 2014-03-20 03:34 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
科学者の岐路。。。成果主義の軋轢。。。小保方さんへの随想。。。
少子高齢化にて大学・研究機関へのベースとなる財源がどんどん削減され、成果主義を取り入れていく過程で、科学者は複数の方向へと分岐していく。。。

1.ノーベル賞をとる程度の実力を有する優秀な人々(夢をかなえた人々)
2.学会で主流の平凡な話題に乗っかって、大した研究とは言えないけれど、そこそこ研究費をとる人々(でも夢は捨てきれない人々)
3.非凡な才能を有しているが故、平凡な研究ができずに研究費を取ることができず辞めていく人々(夢を捨ててしまう人々)
4.非凡な才能を有していると思い込み、事実としての実験データ・結果が思い通りでない場合に、理想の方が正しく、データの方が誤っていると考え、作為的に扱ってしまう人々(かなわない夢を力ずくで現実に変えようとする人々)
5.etc...etc...

「無知の知」を常に抱き続け、「無知」を「未知」として外へと広がり続けようとする者は、1と3であろう。
ここでは、「真の科学者」と定義する。
「無知の知」を恐れたり、憎んだり、あるいは忌み嫌い、「無知」を「既知」として塗り替えてしまう者は、4であろう。
ここでは、「悪の科学者」と定義する。
「無知の知」を理解してはいるが、人々との繋がりの内部にとどまり続けざるを得ない者は、2であろう。
ここでは、「平凡な科学者」と定義する。

無論、このような境界・概念による切り分けは、私の脳内での知的幻想として組み上げられているものでしかないのだが。。。

小保方さんが今後、どの道を選択するのかは、彼女自身の思いの中にある。

日本よりも成果主義の徹底している米国では、論文取り下げは死活問題に通じることだろう。。。
単なる予測にしか過ぎないが、論文取り下げに応じる場合、米共著者は損害賠償を請求してくるかもしれない。。。

既知と未知。。。
両者の境界は、「無知の知」を知的に超えたと錯覚した途端に歪みだすのかもしれない。。。

思うような結果が出ないで、眠れない夜を幾度過ごしたかは、成果主義は冷たく突き放す。。。
目標を変えて「既知」のものごとについて、検討方向を少し変えるだけで、第三者にも理解しやすく、研究費も取りやすくなる。成果主義の大部分は2を助長し、研究者を「未知」の世界から「既知」の世界へと引っ張る力を有している。

「既知」を別の「既知」へと変換する世界では元の「既知」からのコピペが有効であるが、「未知」を新たな「既知」へと変換する世界では「未知」からのコピペは不可能であり、「既知」からのコピペは「悪の科学者」への道を突き進むことになる。
しかし、不可能を可能にすり替えてしまっているので、いつかはバレる。。。
まっとうに追試実験をすれば、常に「不可能」となってしまうのだから。。。

眠れない夜は何のためにあるのか?

眠って見る夢の世界を、眠らずに見る現実の世界へと変換するためであろう。。。

そうして、その「思い」の強さは、成果主義という足枷から逃れようとするあまり、変えてはならない現実を変えてしまう人々を生み出しうる。。。

また、その「思い」の強さは、足枷から自由になれれば、現実の世界を変えることなく、もしかしたら夢を現実に変える力を有しているかもしれない。。。ほんの少しの運が味方になってくれれば。。。
[PR]
by kisugi_jinen | 2014-03-15 07:10 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
境界概念。。。幅の変動。。。その2.。。。
前回記述したように、知的対応とは異なるレベル・方向性での「情的、思いの方向性」がある。そもそも、本来ぶつかり合うべきではない「情的、思いの方向性」が知的対応の背景として影響を及ぼしており、両者を切り分けることは不可能である。

しかしながら、そういった「知・情の境界の無さ」を意識しつつ「知的に、冷静に、理性的に対応すべき」という方向性は、常に語られ続けているし、そうあるべきである。

それと同時に、そもそも境界(国境、県境、民族という概念、貴方と私という概念)が発生しうる以上、切り分けられる方向性を有しているのも事実であることを常に念頭に置くべきである。

また、同時に、切り分けられようとしている双方は、そもそも不可分な運命・時空共有体として、「全体・総体の一部」であることを、常に意識し続けるべきである。


先ほど、Yahooのニュース(というよりコラム)にて、

どこが反日? 上海の大型書店には日本の本が平積みされていた
中島恵 | ジャーナリスト
2014年3月10日 18時25分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakajimakei/20140310-00033411/
およびコメントの一部を垣間見た。

ある国での状報統制、状報操作の方向性
ある国での発言力に基づく状報の拡散、数という力による状報の封じ込めへの方向性
※あえて情報ではなく状報を用いています。

トップダウン的であろうと、ボトムアップ的であろうと、結果的には同じことを生み出しうる。

少数による多数の支配と多数による少数の支配以外の何ものでもない。

個と全体と。。。もっと深く考えるべきであろうに。。。
[PR]
by kisugi_jinen | 2014-03-11 04:54 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
境界概念。。。幅の変動。。。その1.。。。
境界概念について記述するのは、久しぶりかもしれない。。。

一昔前と比較すると、ずいぶんとネット環境が変化したためか、個人的にも境界概念に関連する問題を常に考え続けざるを得ず、問題点として論じる以前の問題に変化してしまったような気がしている。。。

日本人が境界概念として真っ先に思い浮かべるのは、他でもない国境概念であろう。
このことについては、稚拙ブログの
愛国心・教育の方向性としてのすれ違い。。。
http://jinen.exblog.jp/6228967

にて既に記述しているので、論を繰り返すことはしない。

久しぶりに記述したくなったのは、もっと根源的な部分について、心の内部で反芻せざるをえないと思ったからである。いや、単に年を取っただけなのかもしれないのだが。。。(笑)。。。

昨今発生している様々な事件と呼ばれる物事を反芻していると、干渉帯としての「何がしか」が関与しえたなら、もっとうまくに事件までにならずに済んだのではないのか? と思われることが多い。。。

国境概念であれば、たとえば非武装中立地帯になるであろうか?
いや、逆にもっと積極的に境界を境界として認識すべきであろう。。。
たとえば、すべての国境は一定の幅(たとえば1キロ以上の幅)を有することとし、その幅の領域は南極同様にどの国にも属さないとする。特に紛争が懸念される領域があれば、その幅は懸念される紛争状態に応じて広がることとする。
そうして、国境から国の中心までの距離の比率に相応して、資源の開発負担と利益を隣接する国同士で分担しあう。無論、資源開発と利用に際して発生した環境汚染や災害についても相互の国の中心からの距離の比率で、負担しあい、問題解決に相互に協力し合う。
。。。と、思いつくまま書き連ねたが、何のことはない。 単に夫婦生活や近所付き合いで、普段何気なく行っている無意識の行為・判断を明文化しただけのことである。

ここで大切なことは、個人単位や過程単位には上位概念があって、上位からの監視ないし法的な力という背景概念が常に働いているということである。非武装中立地帯とも目されうる「どこにも属さない領域」は無意識の内に上位概念に含まれることになるだろう。
夫婦や兄弟姉妹の間での非武装中立地帯は家族という上位概念が埋めるであろうし、隣近所の非武装中立地帯は自治体や市区町村ないし地元の警察という概念が埋めることであろう。

市区町村、都道府県、国と上位に向かう行政単位の最終的なレベルである国同士という境界では、その上位概念は何であろうか?

そこに国家間の歴史概念を抱く民族もいるだろうし、未来の理想郷概念を抱く民衆もいるだろう。また、国の成立に関連する宗教概念を抱く人々もいることだろう。

どれが正しくて、どれが誤っているのか? といった考えはバッサリと切り捨てられることだろう。
個々の思想・思索を抱く人々の内部では、それぞれが正しいということ以外、言えないのではないのだろうか?

そこに見え隠れするのは、平面的な国同士の国境概念(知的切断面)に直行するであろう、垂直な方向性である。国土に垂直に建てるものとしてのシンボル・モニュメントとして真っ先に思いつくのは国旗であろう。そうして、知と情を含めた全方位性を有するモニュメント・歌としての国歌であろう。
どこぞのバカが替え歌で遊んでいる国歌であるが、知的側面での替え歌レベル(水平面内)にとどまらない、情的レベルの方向性(垂直方向)を意識すべきである。

国という境界概念の向こう側は、まさにそういったモニュメントを通じた向こう側(本来的には垂直方向の向こう側)が投影される世界でもある。そうして、その投影が、水平面内に方向を変え具体的に隣国になされるとき、紛争が発生しやすくなるのではないのだろうか?

では、「モニュメントの(垂直方向の)向こう側」を具体的に(水平面内に)「ある」と思うのは間違いなのだろうか? それとも(垂直方向と水平方向のどこにも)「ない」というのが正解だと叫ぶべきなのだろうか?

問題の根底として、職場からの帰路、心の中で反芻していたのは、まさにこの点についてである。

心の中で反芻していた別の、よく似た問題を列挙する。

1.科学の発達にて遺伝子や脳についての知識が増え、「こころ」につて近い将来に完全に解き明かすことが可能になったと考える人々がいる。はたして「こころ」は知的に理解しうる対象(有限)なのだろうか?

2.子供に対する(愛)情を切って捨て去ろうとする人々がいる。一方で(愛)情の厚さを薄氷の如く表現せざるを得ない人々がいる。情という概念を知的に操作可能な薄っぺらな境界概念として、作為的に知的に弄ぶ音楽家・映画監督と呼ばれる人々がいる。情は知的に扱われ、薄っぺらになって消え失せる運命なのだろうか?

。。。と、年を取ったのか少し休憩。。。続きは、またいつの日か。。。

※2014.03.06 23:54
夕食後の一時に続きを記述する時間が生まれたので、続ける。。。

上記の1,2は、主題となっている事項とどこが関連するのか?といぶかる向きもあるだろう。
その前に、前回記述分の「水平」と「垂直」と「全方位」について、少し追記すべきかもしれない。。。

詳しいリンクは後ほど貼り付けるが、本ブログでの思索過程で、「水平」とか「垂直」といった用語は、3次元的な空間認識しかできない人間に対し、2次元平面しか認識できない生命体を想定した言葉になっている。すなわち、それぞれ一次元ずつ引き上げるなら、「水平」とは3次元空間(さらにいえば、時空連続体としての4次元時空、あるいは、コンパクト化された6次元を含む10次元時空体)に住まう人間が認知しうる世界を指している。それに対し「垂直」とは、知的に認識可能なあらゆる方向性のいずれとも独立した方向性に該当する。

それは、もはや「言葉」とか「賛成・反対」とかいったレベルとは別の方向性を有しているという意味である。

上記の1、2に該当する言葉で言い表すなら、知的な認識が「こころ」というものを捉えようとするときに「知的以外の何か」として、たとえば「情」とか「意」とかいったラベルを張り付けたくなるようなものである。

。。。続きは後日。。。

さて、夕食を食べながら、録画していたニュースとともに、「明日、ママがいない」の録画を見た。
ずいぶんと騒がれた番組ではあるが、4回目ぐらいから見ている。
※無論、マスコミをにぎわせた反対理由については知っているし、それゆえ、当初、見るつもりはなかったのだが、子供たちが録画していたので、見る羽目になったというべきか。。。

最終回間近は変更が入ったと聞くが、変更前の原作について、どういったストーリー展開になる予定だったのか知りたいところ。全てのケースをハッピーエンドに収めるように修正したのであれば、残念。含みを持たせつつ、考えさせ続けるような構成にして欲しいところ。。。

前半の3回程度は見ていないので良くは知らないが、後半では出演者の言葉、動作、真実の涙に上記の「垂直な方向性の思い、想い」が強く投影されていて、感動させられる。

それぞれの立場の周囲に強烈に張り巡らされた目に見えない境界概念があるからこそ、それを越えていこうとする思いの強さがドラマ全体の救いとなっている。

後日、別投稿としてまとめてみる予定。。。
[PR]
by kisugi_jinen | 2014-03-05 23:29 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
検索
カテゴリ
最新の記事
お知らせとリンク。。。
お知らせ
●コメントスパム対策のため、承認制に変更しました(2010.09.29)
●トラックバックのリンクチェック機能を追加しました。excite以外からのトラックバックをされる場合、当該記事へのリンクを埋め込んでください。
リンク
ゲストブック
---全体的なコメント等は、こちらへどうぞ。。。
来生自然のホームページ
---私の知の思想史。。。
鉄鼠
---「考える」ということに向き合う。。。
Genxx.blog
移転後http://blog.genxx.com/
---「情」を含めて専門的な立場から「こころ」を模索し続けるGenさんのブログ。。。
研幾堂
---山下裕嗣氏による哲学のサイト。以前、形而上学についてやりとりさせていただいた。
記事ランキング
最新のコメント
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 01:29
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 03:51
kisugi_jinen..
by Kandomonmasa at 14:28
> SumioBabaさ..
by kisugi_jinen at 10:41
「神」を完全に解明しまし..
by SumioBaba at 05:06
最新のトラックバック
究極の人工知能。。。ショ..
from 来生自然の。。。
所詮ゲーム、背景を勘ぐる..
from 来生自然の。。。
シン・ゴジラと所信表明演..
from 来生自然の。。。
ポケモンGOのお台場騒動..
from 来生自然の。。。
シン・ゴジラ。。。
from 来生自然の。。。
以前の記事
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
ライフログ
ファン
ブログジャンル
画像一覧