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光市母子殺害事件。。。思春期人(ししゅんきびと)への随想。。。
ようやく死刑が確定した。。。

おそらく彼は、彼であり、そうしてもはや彼ではない。。。

彼が彼であった時期に死刑にすべきだったのかもしれない。。。

死刑に値する罪を犯した思春期人を死刑にするのなら、思春期人の間に行わないと、なぜ死刑にされるのかすら、わからなくなるかもしれない。。。

遅れた理由は、情に対する知の絶対的な優位性が社会的な規範になっているからであり、そうして、そのことは、犯行を本質的に「理解不能なもの」へと変容させていることに、幾人の人々が気が付いているのだろうか。。。

知が情を凌駕し、知は情を支配し、知は情よりも優れていると信じて疑わないオトナ人(おとなびと)の視点からすれば、当然のことでしかない。

多くの人々が表明する「犯罪を犯した理由を知りたい」という思い。。。
遺族や裁判が望む「心からの反省」。。。

それらが真に求めているものが背景にある「心・情」であったとしても、知的言語活動にて表明されざるものは、客観的な対象とはなりえない。。。
彼自身の発言や手紙にそのことは如実に表れている。

彼自身が「何を行ったのか」は、彼自身が認識している(それゆえ、死刑判決を含む裁判の対象になり得ている)。しかしながら、理由は後付的にしかなされていない。彼自身が、彼自身の生まれてからの全人生を通じて、犯行に及んだ状況を受け止められない限り、彼を含めて、誰もが知的欲求不満に落ちいざるを得ない。

思春期には、知と情と意がバランスを崩し、知と意によってうまく再構成された人がオトナ人になるのだろう。。。
オトナ人の視点からは、思春期人の真の心を語ることはできない。

報道された背景から推察するに、おそらく、彼の心はバランスを崩したままだったゆえ、思春期人への視点からも、そうしてオトナ人の視点からも、事件を見据え、語ることができなくなってしまったのかもしれない。。。

だからこそ、彼は真摯に反省していないと見えてしまうのだろう。。。

※「思春期人」については、
思春期というモニュメント。。。思春期人と大人と。。。
http://jinen.exblog.jp/8643704/
を参照願います。
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by kisugi_jinen | 2012-02-21 08:03 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
小澤の不等式。。。長谷川氏の実験結果の意味するところ。。。
※2012/3/22 2:45 補足・追加と大幅訂正。
下記は、一種の仮想実験(ストーリー)になります。最初の記述段階で内容に混乱があったため、大幅に書き換えます。
注意:今回の式は小澤の不等式に似ていますが、小澤の不等式とは根本的に異なります。


小澤の不等式および長谷川氏の実験系での誤差・擾乱には、標準偏差:σは「別」として扱われていますが、ハイゼンベルグの思考実験での誤差と擾乱という概念には、系統誤差+偶然誤差という概念にて成立するものでしょうから、偶然誤差=標準偏差という概念が含まれていたはずです。

以下、小澤の不等式では「誤差・擾乱」の外部に放り出されている「標準偏差;σ」を「誤差・擾乱」の内部に含んだ形、すなわちハイゼンベルグの思考実験を、そのまま推し進めた場合の記述になります。この場合、誤差・擾乱≧標準偏差という概念が成立しますが、小澤の不等式では、「誤差・擾乱≦標準偏差」という状態を積極的に許すことで誤差ゼロかつ擾乱ゼロといった状態が可能だとしています。

以下、訂正箇所は青字で記述します。削除は取り消し線で表示します。

今回の仮想実験の前提条件は、下記の通りです。
>>>===
小澤の不等式を知らない状況で、ハイゼンベルグの思考実験が正しいとし、長谷川氏の実験結果から、ハイゼンベルグの式を修正することで、真の関係を導き出そうとした場合、小澤の不等式が導き出せるのかどうかの思考実験です。
===<<<
※前文追記ここまで

仕事の片手間に考えてるので、断続的にしか進まないが、日経サイエンスでも引用されている長谷川氏の実験結果の図には、深い意味が隠されていることに気が付いた。

図にプロットされた誤差と擾乱のカーブが上に凸の形状を成していることである。

これは、一連のブログ投稿の最初に書いたことでもあるが、非常に重要な事実である。
下に凸、いや、双曲線であったなら、ハイゼンベルグの不等式は本質的に正しく、下限値を修正すべきとなったかもしれない。を否定できないという事態に陥る危険性すらはらんでいるが、それだけではない
「双曲線でない」ということは、「ハイゼンベルグの不等式では不十分」⇒「ハイゼンベルグの誤差・擾乱に、誤差と擾乱の値と連動して変化する【何か】が加算されれば、不等式が成立しうる」「小澤の不等式が成立する」⇒「誤差と擾乱の値によって標準偏差の値が変動する」ということを意味しているからである。

以前、はっしー氏の記事から
{ε(Q)+σ(Q)}{η(P)+σ(P)} ≧ ħ
なる式を引用したが、非常にわかりやすい形をしている。
不確定性原理。。。小澤の不等式。。。別側面から。。。
http://jinen.exblog.jp/11230071/
はっしー氏の記事
http://green.ap.teacup.com/hasea-teikoku/238.html
展開すると小澤の不等式+ケナードの不等式となっているし、小澤の不等式の本質を理解するのには、「はっしーの不等式」の方が、イメージしやすいからである。
(2012/3/22 2:45、段落下げ位置修正)
以下、「はっしーの不等式」からイメージを得て、ストーリーを展開していく。



ハイゼンベルグの式
ε(Q)η(P) ≧ ħ
では、誤差と擾乱が双曲線の関係にならざるを得ないので、直線ないし上に凸のグラフになるためには、
観測される誤差:ε(Q) = 系統誤差:Ε(Q)+標準偏差:σ(Q)
観測される擾乱:η(P) = 系統擾乱:Η(P)+標準偏差:σ(P)
とした場合、系統誤差・系統擾乱か標準偏差のどちらかが、測定値(測定条件)に連動して変化しなければならない。
※系統誤差・系統擾乱は、測定装置固有の誤差とそれによる固有の擾乱を意味します。

したがって
ε(Q)η(P) = {Ε(Q)+σ(Q)}{Η(P)+σ(P)} ≧ ħ
なので、
Ε(Q)Η(P)+Ε(Q)σ(P)+Η(P)σ(Q)+σ(Q)σ(P) ≧ ħ

ケナードの不等式
σ(Q)σ(P) ≧ ħ/2
から
Ε(Q)Η(P)+Ε(Q)σ(P)+Η(P)σ(Q) ≧ ħ/2


上記式にて、σ(Q)およびσ(P)が一定値に固定されるとし、かつ、不等号ではなく等号が常に成立するとした場合、誤差:ε(Q)および擾乱:η(P)の少なくともどちらか一方は下に凸のグラフとなるはずだからである。

逆説的に言えば、誤差と擾乱の両方共が上に凸のグラフを形成するということは、小澤の不等式(というよりはっしーの不等式)のように誤差と擾乱に「何か別のパラメータ」が加算されていて、かつ、それらパラメータが変動する場合に成立するからである。

たとえば、σを一定とし、等号のみ成立する場合、かつ、誤差が直線的に変化する場合、「はっしーの不等式」で系統誤差+標準偏差=f(x)=ax+b、系統擾乱+標準偏差=g(x)とおけるので、
f(x)・g(x)= ħ
g(x)= ħ/(ax+b)
となり、g(x)は双曲線になる。
もし、誤差が上に凸の曲線で、直線:ax+bに対してd(x)≧0だけ加算される形だったなら、加算されるd(x)分だけ、g(x)が下に凸にならざるを得ない。

等号ではなくて不等号だから、両方とも上に凸で何ら問題ないともいえるのだが、そこに「加算されていて、上に凸の形状を形成せしめている何か」が存在すると考えるのは、自然な成り行きでもある。

もし仮に下に凸のプロットであったなら、かつ、誤差と擾乱の値が正確に「ゼロ」にはならずに下限値が存在したなら、ハイゼンベルグの不等式が成立しているとしても矛盾しない結果であっただろう。

誤差と擾乱の値が「無限大」にならないということは、他方が正確に「ゼロ」にならずに下限値が存在する可能性も意味しており、ハイゼンベルグの不等式が破れていることの査証にはなりえない。


しかしながら、上に凸のプロットになったということは、ハイゼンベルグの不等式のそれぞれの項に、何か別のパラメータが加算された「はっしーの不等式」(すなわち小澤の不等式)のような形を成していると考えるべきであろう。

そうして、その加算される項は、誤差と擾乱の値によって変動しなければならない。


もし、加算される項が、「はっしーの不等式」ないし「小澤の不等式」のように、それぞれの標準偏差であったなら、標準偏差(ゆらぎ)の意味するところを深く考えるべきである。すなわち、

量子力学的な標準偏差(ゆらぎ)は、測定行為と独立しては存在しえない

いや、

存在そのものは個々独立しては存在しえない

積極的に言い換えるなら(いや、言い過ぎかもしれないが ^^;)

存在するものは、皆関連しあって存在するのであって、関連しあっていないものは存在しえない
ということをも意味しているといえるのではないのか?

このあたり、時空連続体という概念、ないし、ネーターの定理のような数学的な制約が時空概念の連続性とともにあるということ、あるいは、エンタングルメント(非局所的な量子相関)と相同の概念として捉えるべきものなのかもしれない。
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by kisugi_jinen | 2012-02-15 02:41 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
小澤の不等式における「誤差=0」の意味するところ。。。
前回、前々回と、小澤の不等式について、長谷川氏の中性子スピンの計測実験に関する記事を基に少しばかり投稿したが、本質的な問題の意味するところに気が付いたので、別に投稿することとした。
前々回:小澤の不等式とスピン。。。
http://jinen.exblog.jp/17654143/
前回:小澤の不等式とスピン-その2-標準偏差:σは無限大にならずに済むのか?。。。
http://jinen.exblog.jp/17684183/
問題点と今までのまとめ
【1】.標準偏差の無限大への発散
小澤の不等式上では、誤差と擾乱の片方ないし両方を「ゼロ」へと収束させることが可能。両方を「ゼロ」へと収束させようとすると、自ずから標準偏差(最近、マスコミでは「ゆらぎ」と表記されることが多い)は無限大へと発散させざるを得ない。小澤氏の論文中にも、そのことは明確に記載されている。
【2】.ハイゼンベルクの不等式での無限大の意味とケナードの不等式(不確定性関係)での無限大の意味
小澤氏は、ハイゼンベルクの不等式にて、たとえば「位置の誤差・擾乱」と「運動量の誤差・擾乱」の片方がゼロになったとき、「他方は無限大になる」ことを避けることを一つの目的とし、不等式を組みなおしておられる。しかしながら、組みなおされた不等式では、【1】に記述しているように、ケナードの不等式での「位置の標準偏差」と「運動量の標準偏差」が無限大へと発散することを許している。
 このことについては、以前から指摘してきている事項であるが、「標準偏差」ないし「ゆらぎ」という概念を「実在しない、計測できない数学上の概念」として切り捨てるなら、いわゆるコペンハーゲン解釈を行っているのと同等になり、「標準偏差」ないし「ゆらぎ」という概念を「実在し、(すでに)計測されている」として取り込む場合にには、いわゆる多世界解釈を行っているのと同等になってしまう。
【3】.長谷川氏の実験系では、「1/2の中性子のスピン」を扱っておられた。1/2のスピンは磁場方向(たとえばx軸)に対し+1ないし-1(※1)のどちらかに分離する内部状態で、複素数を含む内部の空間にて磁場方向に対し傾いている。すなわち、磁場方向(たとえばx軸)に対するyz平面内の「どこか」にスピンの軸が向いている。この「どこか」が「ゆらぎ」に相当する。
※1:h/(2π)の1/2を単位としたときの大きさ
 この「ゆらぎ」は、x軸に対するyz平面内での(位相)角度なので、0から+2π(あるいは±πとしてもいい)の範囲として記述されるが、実際には+Nπ(N:自然数、無限大を含む)が加算されていても問題ない角度である。というよりも、x軸方向のスピンの向きを決定した直後、直行するyz平面内でのスピンの向きは、(ハイゼンベルグの不確定性原理とは異なる)ケナードの不確定性関係のため不定となる。長谷川氏の実験結果にても、x軸方向の誤差がゼロの場合には「yz平面内に均等に分布している」状態が現れている。内部空間でx軸に対するスピンの「向き」が「誤差ゼロ」というのは、yz平面での位置(角度)が「ゼロから無限大」すなわちθ+Nπ(-π≦θ≦π、N:自然数)の「どこか」に位置しているのと同等であろう。ただし、スピンの「向き」としては最大±π、すなわちy軸方向に+1か-1という値であるとして扱いうるということである。
 さて、スピンというものを粒子の自転の概念でとらえることは本質的に誤っているが、スピンは角運動量という概念であり、ハイゼンベルグの不確定性原理でいうところの「位置と運動量」に対し「角度(スピンの向き)と角運動量(スピンの大きさ)」という関係として捉えるべきものである。
 また、x軸に対するスピンの向きは、磁場にて決定されると書いたが、その大きさ(角運動量の大きさ)は磁場強度に比例する(※2)。そうして、(「実際には回転していない」にも関わらず)yz平面内を角速度:ωで回転しているとするなら、ωはスピンの大きさに比例している。x軸方向でのスピンの「向き」(角度)を正確に(誤差をゼロに)近づけようとするなら、磁場強度を上げざるを得ないだろうから、yz平面内での回転速度(角運動量)は増加していくだろう。磁場強度はどこまで上げれば「正確な」値が得られるのだろうか?
※2:「スピン角運動量の大きさ」は、通常「h/(2π)の1/2」であり、磁場強度の概念は入っていない。しかしながら、磁場強度をBとしたとき、ω∝Bという磁場に比例する角速度:ωがラーモアの歳差運動という概念にて定義される。この場合、E=hν=h/(2π)×ν×(2π)=h/(2π)×ωという式にて表されるエネルギー:Eの放出・吸収によって、スピンの向きが+1と-1との間で入れ替わることになる。運動量の概念はエネルギーの概念を速度で割ったものである。ωで割ると「スピン角運動量の大きさはh/(2π)の1/2」と元に戻ってしまうが、ド・ブロイ波では光速:cで割っている。おなじように光速:cで割ると、「角速度:ωの大きさに比例するスピン角運動量」という概念が成り立つだろう。←専門家の方、ご指摘いただけましたら幸いです。


【まとめ】
 いずれにしても、片方を「ゼロ」にしようとすると、他方に「無限大」という概念が現れる。たとえハイゼンベルクの不等式を否定できても、ケナードの不等式には残り続けているし、小澤の不等式は積極的に「無限大」の概念を利用した式でもある。

【さらなる思考】
はたして、誤差ゼロとか擾乱ゼロといった概念は、成り立つのであろうか?
このことは、まさしくゼノンのパラドックスに該当し、「飛んでいる矢」に対する考察と同等であり、可能無限と実無限に該当している。
ゼノンのパラドックスと可能無限と実無限の概念については、下記を参照ください。
知には限界が無いゆえ限界がある。。。
http://jinen.exblog.jp/593874
数学屋のメガネ・2006年03月03日・実無限と可能無限
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50464188.html

すなわち、時空間を無限分割可能だとする前提条件があるからこそ「誤差ゼロ」とか「擾乱ゼロ」へと収束させることが可能だという議論である。したがって、本質的に「標準偏差:無限大」という概念を消し去ることができないばかりか、積極的に導入することで、小澤の不等式は成立しうることになる。
ところで、時空間が無限分割可能ではないという概念も、実のところ思索されている。たとえば「ループ量子重力理論」である。時空間に最小単位があるという考え方なので、最小単位分の「誤差」と「擾乱」が担保されていると考えるなら、ハイゼンベルクの不等式でも「無限大への発散」は生じないのではないだろうか?
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by kisugi_jinen | 2012-02-07 04:48 | 思考。。。 | Trackback(3) | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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