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哲学は役に立つのか、役に立たないのか。。。
「哲学」とは、広義には知的活動全般を含むので、諸科学(科の学問=枝分かれした学問、狭義の哲学『科』も含む)を丸ごと含んでいると理解しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6

philosophy = 智を「愛する」
であり、智(文字・記号として、概念として、相互に交換可能な形態)を「愛でようとする行為・衝動・思い」が主であり、智はその副産物であると思っています。

人は生まれながらにして「智を愛する」という自発的な行動を行いますし、それがあるからこそ、親子の情・絆は更に深くなります。しかしながら、残念なことに、そういった行動に伴う幼児の未発達な反応に逆ギレして無惨な結果に陥る家族もあります。はっきりいって、そういった行動に陥る親は「智を愛する」を否定しているわけです。

↑単純に「逆ギレ」ではないことは知っています。専業主婦の孤独など、育児環境に相当の問題があります。

で、智を「愛する」という行為は、生まれながらにして人間に備わっているものであり、その自発的な「思い・情」を(何に)役立てるかどうかは、その人の人生そのものでしょう。また、「愛する」という概念自身が、人それぞれ異なるということもあるでしょうが、少なくとも「愛する」という方向は、肯定的な方向であり、対象が「智」ではなく「人」であれば、人と人とが相互に関わり合っていこうとする方向性です。対象が「自身の思考」や「他者の思考」であれば、さらに狭義の哲学に近い概念になるでしょう。

また智(知)と情との概念の差異からも、「愛する」ということが形にならない(智として共有可能なものにならない)ことがあるのは、当然のことといえます。

哲学が智を「愛する」といった動的な関係である限り、「何にとって」とか「誰にとって」とかいった対象(限定)が必要ですし、「誰が」といった主体(限定)が必要です。

そういった「限定」を取っ払って、「役立つか否か」を論じることが無意味だということは、形を変えて幾度も繰り返し述べられています。

逆に言えば「哲学が役に立つ・役に立たない」という論争は、一部の(狭義の)哲学「科」などの専門の方々に「限定」されてこそ成り立つ論争だと思われます。

「愛する」という概念を「智にて捉えきれる」と幻想するとき(すなわち、哲学に限界があるとする考えに等しい)にても、「役に立つ・立たない」という不毛な論争を引き起こすでしょう。(このことも、既に繰り返し述べられています。)

すなわち、「愛する」(情)を以て、更に深く考えていくことを人々が放棄しない限り、哲学は永遠に「何らかの形で」「何らかの為に」役立っていると思っています。

※以上、MIXIのコミュニティ「現代思想」の トピック「哲学は何故役に立たないのか 」内、241番目に投稿した内容から一部を改変。オリジナルの投稿日時:2007年01月06日 04:56)
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by kisugi_jinen | 2009-04-30 23:29 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
Perfume edge, いつかは死んでしまう = It took her what sing decimal。。。
ソフィアの深淵。。。perfume。。。edge。。。の最後にも追加しましたが、空耳関係の実験室を「きすぎじねん(来生自然)ホームページ」に作りました。

上記内からの新着情報リンクから入るか、空耳実験室から入ってください。

読ませた英文は
"It took her what sing decimal"
で、
「いつかは死んでしまう」
に聞こえるはずです。
(※以前にも書いていますが、「edge」での空耳モードでは、「say yeh!」にて「生 yes!」も同時に埋め込まれています

使ったソフト:ReadPlease 2003 (www.readplease.comからダウンロード可能・フリーソフト)

b0032038_7384126.jpg


※090427 07:10 補足・追加
空耳実験室にも書いたのですが、
"It took her what sing decimal"
は意味不明な英語なので注意願います。

強いて訳せば、
「10進数(ないし小数)を歌う何かが彼女を魅了した」となるかもしれませんが、近未来テクノポップユニットといったイメージに、少しばかり重ね合わせるようにしてみました。

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by kisugi_jinen | 2009-04-12 07:32 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
母の涙。。。1。。。
あれは、私が小学校低学年ぐらいだったろうか。。。

母がいきなり駆け上がってきて、二階と一階とを繋ぐ跳ね上げ式の蓋をバタン!と閉めて、その上に座り込むと、声も立てずに唇をかみしめて泣いていたのは。。。

当時、母は、私にとって怖い存在だった。 いや、「怖い」というイメージが先行するだけの理由があったというべきか。。。

忘れた頃に、繰り返しみた夢。。。

そう。。。あの起伏のある路。。。

。。。夢。。。そう。。。2、3歳ぐらいのとき。。。
私はよく、買い物籠を下げた母と一緒に駅前の商店街まで歩いていくことが多かった。

カーブを曲がって駅が見え始める頃、小さな川を渡る所だけ緩やかな起伏となっていた。

決まってその登りはじめまでは手を引かれているはずなのだが、

幼い私の足が遅いためか、「速く歩きなさい」と手を引っ張る母から、

なぜだか手を離されていて、母がずんずん先へと歩いていく。

本当に小さな起伏なのに、

私は緩やかな上り坂を渾身の力を振り絞って上ろうとするのだけれど、

頂上付近まで来ると膝をついてしまうくらいで、進むことができなくなってしまう。

視界の開けた坂の上に、ようやく辿り着いたとき、

駅までの道半ばに母の後ろ姿をみて、「おかぁ~さ~ん、おかぁ~さ~ん」と叫ぶけれど、

ずんずん、ずんずんと、母は振り返ることもなく、行ってしまう。。。
。。。そう、夢は突然にそこで終わる。

その母が、涙を流して唇をかみしめて泣く姿を見たとき、私は、部屋の反対側の隅にいて、声もかけることができないでいた。。。

おそらく、その時からだろう。。。

怖かった母が、やさしく感じられるようになり、
やさしかった父が、怖く感じられるようになったのは。。。

小川の上の緩やかな起伏を越えようとして越えられずに母を呼ぶ思いにて目覚める夢も、その時を境に、恐怖心から物悲しい思いへと変化していたような気がする。。。
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by kisugi_jinen | 2009-04-07 02:45 | 思い出。。。 | Trackback | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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