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ポリリズム。。。perfume。。。
ふとしたことから、pefrumeのDVDを購入することになってしまった。
「なってしまった」というより、「オジサン、買っちゃったよ」というところか。。。

今回のライブDVD「Perfume First Tour 『GAME』」を発売当日に購入してしまった。自身でDVDやCDといった類を購入するのは、10年ぶりぐらいか?
Perfume First Tour 『GAME』
/ 徳間ジャパンコミュニケーションズ
スコア選択: ★★★★★

40代のオジサンは是非とも買うべきである。

※08/10/31 00:10 どうやら、オリコン関係でも記録的らしい。。。
【Perfumeが'08年女性歌手最高初動で圧勝】08/10/27付 週間音楽DVDチャートチェック [2008年10月22日(水) ]
http://blog.oricon.co.jp/ukki-monkey/archive/4220/0
何人かに「パヒュームって知ってる?」と聞いてみたところ、「あぁ、聞いたことある。確か、テクノポップ系の若い女の子の3人組だろ?」といった答えが返ってくる。(おそらく2年程度、遅れているのだろう。。。 ^^;)
まちがっても「ヒューム?、哲学者の?」なんて答えは返ってこない。。。
当たり前か。。。 (ーー#)。

YouTubeをexciteに貼り付けられるようになっていたので、perfumeのビデオ関係のリンクリスト代わりに使っている(非公開)。
PVを含めて多量のビデオがYouTubeに流れている(2年前ぐらいから流れていた)ようで、広島時代の10代から20歳になるまでの過程が見て取れる。彼女らのダンス・パフォーマンスを一度見てしまうと、音楽だけが流れていても、映像が脳裏に浮かんできて仕方がない。

背面から前面全面サポート状態の中田ヤスタカ氏のcapsuleも気になるが、最近音楽から離れていて錆び付いた耳には、ちょうど良いのかもしれない。YouTubeやwiki等で情報を漁ってみると、3人の個性と中田氏との関係が伝わってきて、面白い。

最初に知ったのが「Love the world」だが、個人的な理由で、歌詞にそれなりの意味(ある種の師弟関係)を見いだして、学生相手に利用していたのだが、その歌詞の背景に中田氏のperfumeに対する思い入れが含まれているらしく、「なるほど」といったところ。

その幾つかの歌詞は、知的な機械・コンピュータ系に対する情的なものの対置であり、本ブログの主旨とも合致するものだが、歌詞だけ見ていると余りにあからさますぎる(というより、二分法的な扱いを過ぎる)嫌いがある。 --- もっとも、受け狙いとか、インパクトの強さを考えるなら、致し方ないかもしれないのだけれど。。。

彼女たちの年齢と、性格と、歴史と、ダンスパフォーマンス、そうして中田氏の微妙な音楽が、そういった「あぶなかっしさ」をからみ止めているのかもしれない。。。

※下記についてYouTubeへのリンクを埋め込んでいましたが、著作権侵害とのことで参照先が消えていました。そのため、リンク自体を消去しておきます(09/10/26)
computer city
electro world

しかしながら、何曲かは、歌詞だけでもじっくりと鑑賞しうるものがある。
ひとつは、代表的な「ポリリズム」である。

1.歌い方が上手いのか、わざとやっているのか、それとも、私の空耳なのか、二重の意味に聞こえる部分が数カ所ある。()内が、空耳のごとく聞こえる歌詞
(前略)
くり返す このポリリズム
あの衝動(少女,症状)は まるで恋だね
くり返す いつかみたいな
あの光景が 蘇るの
くり返す このポリリズム
あの反動(反応)が うそみたいだね
(中略)
くり返す このポリリズム
あの行動(鼓動)は まるで恋だね
くり返す いつかみたいな
あの感動が 甦るの
くり返す このポリリズム
(後略)

2.ついでにメモ程度だが、「衝動・反動・行動・感動」は、(日本語的な)韻を踏んでいる。

3.「あの反動(反応)が うそみたいだね」は、リサイクルに対する反感や反動(さらには、そういった感情・意識に対する反感や反動といったループ)を意識しているのだろうけれど、恋・人生という大きな「くり返し」と重ねることで、(賛成するにしても、反対するにしても)その無意味さをさらりと流してしまっているようで、小気味良い。

4.「ああプラスチック みたいな恋だ」は、この部分だけ取り出すと、他の表面的な「知的・情的」な歌詞とも一部重なるのだが、曲(歌詞)全体を通して聞いて(見て)いると、プラスチックというものの意味(意義)の深さから連想される状況・情況が重なり合うため、軽さと深さが妙に同居していて、表面的な恋であるとともに、奥深い恋を連想させうる。。。

5.「とても大事なキミの想い・ほんの少しの僕の気持ち」。。。リサイクルという現象の背後にあって、見落とされがちなのは、まさに「情」であろう。
「知的に・機械的に」リサイクルという現象を分析・解析し、推進派と反対派といった図式を打ち立て、そのコストと意義とを論じ合っていたこともあったようだが、それぞれの背後に「情」の影が見え隠れしていたのを思い出す。
知的な論争の本質は時間枠の捉え方であり、いわゆる「リサイクル」するにしても、消却するにしても、埋め立てるにしても、投棄するにしても、人類や太陽系といった時間枠を遙かに超える時間枠の元では、あらゆるものは本質的にリサイクルの渦に巻き込まれている。
本質的な論争の主体は「背後に隠されている情」だろう。。。
「自分一人」を情として捉えるのか、「家族」を情として捉えるのか、「地球」を情として捉えるのか。。。あらゆる単位、あらゆる構成が脳裏を横切る。。。あたかも2拍と3拍とが不調和かのごとくにあっても、どちらか(or)ではなく、重ね合わせ(and)で考えなければならないかのごとくに。。。

。。。と、そういった、「知的な、どうでもいい深読み」をサラリとかわしつつ、純粋な意味での個が個と繋がる(そうして全体として繋がっている)最初の「想い・気持ち」という概念が織り込まれている。。。たとえ2拍と3拍とは不調和だろうと決めてかかる人々(どちらか一方を選択しろと迫る人々)がいたとしても、両者が重なり合うことで(両方とも認め合うことで)生み出されるものがあるだろ?といったときの、まさに、その取っ掛かり部分に相当するだろう。。。

ポリリズム


あ、そうそう。。。「マカロニ」もいいねぇ。。。(何度聞いても、パパパ、パカロニとしか聞こえないんだが。。。)

※08/10/29 04:20  一部文を追加しました。
※08/10/31 00:10  一部文を追加しました。
※08/10/31 02:50 私以外に、哲学関係へと結びつけている記事を見つけた。
2008/09/16
プチおやじたちは何故Perfumeのフィルター・ヴォーカルに萌えるのか?
レコード・コレクターズ 編集長 寺田 正典氏
http://mediasabor.jp/2008/09/perfume_1.htmlという記事である。
かなり突っ込んだ分析をしておられるので、音楽音痴な私にとってはありがたい。
リンク先の記事にもあるように、perfumeの音楽を分析して本質を垣間見たいという欲望よりも、どちらかといえば、「逆説的なリアリティ」を求めているのかもしれない。東氏の「動物化するポストモダン」的としておられるが、私的には「モニュメント」的なんだろうと思う。。。
参考:情の2方向。。。共有可能性・交換可能性・共感可能性の高さ。。。
千の風になって。。。モニュメントの真意。。。切断された情を結びつけるもの。。。
彼女たちの過去と、「モニュメントとしての(perfumeとしての)今」、そうして未来への望み。。。
音楽業界の過去と、「モニュメントとしての(中田氏の実験的な)クラブ・ハウス系?ミュージック」、そうして未来への方向性。。。
消費者としての過去と、今まさに見聞きしうる「モニュメントとしてのperfumeの作品」、そうして、消費者として求めていく方向性。。。
3者の求めようとする方向性が異なっているにもかかわらず、perfumeという異質な音楽の世界が、まさに求めようとする途中に立ち現れたかのような、そんなモニュメント的存在(そういう意味で逆説的リアリティとしての存在)なのかもしれない。。。ライブDVD「Perfume First Tour 『GAME』」は、まさにその時点での作品(モニュメント)の様な気がする。
Dream Figterを昨日聞いたが、微妙な方向性へとずれつつあるかもしれない。全体に対するperfumeの位置がずれようとしているのかもしれないし、単に、私の求めようとする方向性が、動的なモニュメントであるperfumeの位置から、少しずれている(ようするに、いつものごとく遅れている^^;)だけなのかもしれない。。。しかしながら、ずれたように思っていても、perfumeというモニュメント自体のカバー範囲が広くて、気づかないままになるのかもしれない。。。

※08/11/12 22:10
今日、Perfume 「Dream Fighter」のPVをネット上で見た。私にとってのperfumeのズレが何かがようやく分かった(気がする)。。。
彼女たちが「音楽を楽しみながら歌う」のではなく、「音楽内に取り込まれようとしている」と感じたからだろう。。。
「歌おうとする」と「歌に引き込まれようとする」の両方は必要だろうけれど、どちらか一方が強く感じられるときに、違和感が生まれるのかもしれない。。。
いや、音楽素人の個人的な駄文にしか過ぎないのだろう。。。
何にしても彼女たちの若さが、そのような囚われを打破しつくすのかもしれない。

※後述するが、駄文だったことがはっきりしたので、取消線で消しておく。。。(08/11/27 00:10)

あ、そうそう。。。
レコード・コレクターズ 編集長 寺田 正典氏が「MediaSabor」にて別記事で、まさに「ポリリズム」について記載しておられた。(だって、「Perfume(パフューム)について、もう少しだけ考察を続けたい。」と、冒頭書いておられるので、前回書いていたのは当たり前だろうに。。。)
アイドル・ソングを超えたPerfume「ポリリズム」の「作り込み度」
http://mediasabor.jp/2008/08/perfume.html




※08/11/26 22:50 追加
Dream Fighterの評価を間違えていた。。。

最初のオンエアのときも、ネット上に流れていたものも、中田氏のぎりぎりの音使いの微妙さゆえ、音の解像度の劣化に伴って滲んで(にじんで)かき消されていたことに気がつかなかった。

初回限定盤を最後のぎりぎりの一枚で手に入れたのだが、CD(ないしDVD)プレーヤーでヘッドフォンにて聞いてみて、はっきりとそのことが分かった。

よくある誤解に、そうして、私も誤解していたのだが、彼女たちの声が聞き取りにくく、何を言っているのか分かりにくいというのがある。CDを直接再生してみて、彼女たちの声がはっきりと聞き取れていることに衝撃を受けた。複数の低音の音声が左方に、そうして高音の音声が右方に位置付けられているのだが、おそらく劣化した音への変換時にそれらがノイズとして乗っかるのかもしれない。

中田氏の音作りによる機械音との境界のブレンディングが、暗黙裏に「そろそろ、コピーなんて止めようよ」といったメッセージを込めつつ、そのような結果を生み出しているのだろうか。。。いや、コピーとの差異が埋め込まれるのを承知で、YouTubeを利用しているのかもしれない。。。

今まで、「原版」というものの概念が「アナログ」か「デジタル」かといった二者択一概念と結びついていたが、認識を新たにした。

原盤が最新鋭のMRI撮像装置の極小コイルにて最高分解能で撮影した組織だとすると、YouTubeのhigh qualityですら、旧式のMRIで分厚いスライスで、粗いマトリクスサイズにてどうにか確認できるような画像に匹敵するような気分になってしまう。

そうそう。。。カップリング曲「願い」は、ゆったりとした曲調で心地よい。

限定版の「願い」をかなえる企画とマッチングを企てたのだろうか?
http://www.tkma.co.jp/tjc/j_pop/perfume/sp_dream/index.html
いずれにしても、紅白出場おめでとう。。。
Excite エキサイト : 芸能ニュース


※08/12/3 05:15 追加
どうやら、レコード大賞の「優秀アルバム賞」に、Perfumeの「GAME」が選ばれたそうである。
いゃー! めでたい話である♪

オリコンニュース
http://www.oricon.co.jp/news/music/60687/


※08/12/19 22:00
紅白の曲目の発表が行われたようである。
Excite エキサイト : 社会ニュース
「ポリリズム」。。。
やっぱり、そうきたか♪
。。。といった感じ。。。(フフフ)。。。

そうそう。。。
森進一のおふくろさん騒動を、初めて知った。
まさに、「ポリリズム」みたいな流れを感じた。。。

。。。あの反動(反応)が うそみたいだね。。。
。。。とても大事なキミの想い・ほんの少しの僕の気持ち。。。

「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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by kisugi_jinen | 2008-10-27 00:41 | つれづれ。。。 | Comments(3)
羽蟻の大量発生は二年に一度?。。。
2週間ほど前(10月最初の週)に羽蟻が数匹飛び込んできた。
今回は、密閉度が高い状況にあったので、室内に入り込んできたのは少なく、大騒ぎをすることもなかったが、どうやら2年に1度、大量に発生する様だ。
羽蟻の大量発生。。。再び。。。
2006-10-09 05:54
子供の成長を感じるとき。。。
2004-10-26 03:06
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by kisugi_jinen | 2008-10-22 07:18 | つれづれ。。。 | Comments(0)
ソフィアの深淵。。。perfume。。。edge。。。
ソフィアの深淵から
フィロが生まれたとしても
ソフィアの深淵は
フィロにて満たされることはない

フィロでの言葉遊びが
ソフィアの深淵を
想起させたとしても

深淵の底へ
辿り着くことはできない

深淵に底がないということが、いや、深淵そのものが
ソフィアそのものなのだろう。。。

深淵に底をはめ込もうとしたとたん
ソフィアが消え去るといったフィロの幻想

see new world... 死・ヌ・ワ・
say yeh!... 生・イェ(ス)!

フィロの死んで生まれ変わりたいという叫びは

ソフィアの深淵の中で

コダマすら残すことなく消え去るのかもしれない。。。

いや

ソフィアの深淵そのものへと帰っていくだけなのかもしれない。。。

見ざる see no evil, see no world...死・ノ・輪
言わざる speak no evil, say no world...生・ノ・輪
聞かざる hear no evil, hear no world...here Noah...ノアの...

※2008/10/16 04:30 一部変更
※2008/10/26 23:00 一部変更
※2010/01/07 05:50 補足
フィロはphilos(愛)、ソフィアはsophia(知・智)で、「智を愛する」(=哲学)の語源とのことです。
実を言えば、上記文を作った当初、ソフィアが「愛」で、フィロが「知」だと逆に思い込んでいました。(ソフィア・ローレンが女性だったためです)
しかしながら、逆に読んでみたら、更に意味合いが深まることを知りました。
愛は情の一部ですが、知と情とは相補的であり、知の背景には情が、情の背景には知が複雑に入り組んでいるとともに、単純に二分法で分断できるものではありません。
知・智の深淵とは、すなわち、情への方向性を意味しているということになるでしょう。。。

===

Perfume Edge


※09/03/16 05:20 補足
「edge」には、「死」というフレーズが出てくるということのみに触れて、「生」という方向性を向いていることに触れていないサイトが多すぎる。

“see new world”
が、空耳的に「死・ヌ・ワ」に聞こえ、「(その後の)新たな世界へ」といった一方的な読み込みが為されるのなら、
“say yeh!”
は、まさに「生・yes」だろ!

「誰だって...see new world」を素直に読み下した場合、「死ぬまでに、一度でも良いから(相手に)思いの丈を思いっきりぶつけてみる。そうすれば、もしかしたら、新たな世界が開けるかもしれない」になるだろうし、
直後の “say yeh!” は、単純にとれば、賛同の意を表していると捉えるべきだろう。

ひきつづく
 「そうなんだね それはそんなかんじで」
から始まる4行は、素直に聞いていると「誰だって...」から始まる前のフレーズ全体を受け、「真剣に思いを伝えようとしているにもかかわらず、相手があしらっている状態を知っていてもなお愛している!と言う」だろうが、上記空耳の部分を直接受けているようにも聞こえる。

たとえば
“you say! oh yeh! I loving you yeh!”
は、空耳モードのままで聞くと、say が 「生」となって、
(たとえ「そんなかんじ」だとしか受け止めてくれなくても、)「君は生きてるんだね! そうだよね! 愛してるよ!」
となるだろうし、
(「ああそっかで 話きいて」なくても、)「知ってる。 そう! 生そのものがあなたを愛している!」 ( “I know. oh yeh! say loving you yeh!” )
になるだろう。。。

「深読み(空耳)する必要はない」という向きもあるだろう。
たとえば、CD表紙に「見ざる・言わざる・聞かざる」のポーズを配置したのも、edgeのフレーズ内部に
“see”, “say”, 「きいてない」
という言葉がでてくることだけから、単純に考えられただけだという理解も可能だろう。
しかしながら、
「だんだん 好きになる 気になる 好きになる」につづく英語の部分を並び替えずに直訳すると、
(ビデオ等の)クリップの速度を落として、貴方の周りで、ポタポタと落ち、罠を仕掛ける(仕掛けている)
(ビデオ等の)クリップの速度を落として、貴方の周りで、こつを覚える(馴れてくる)
の部分での「仕掛けられた罠」が「恋愛の罠」という正当な解釈ができる一方で、「空耳の罠」という裏の解釈も可能になっていることから、深読みは想定内なのかもしれない。。。

さらに(無理を承知で?)空耳モードで突っ込んで考えるならば、
“see”(死), “say”(生)は英語なのに、 「聞く」のみ日本語である。
空耳モードでは「資生堂」のCMソングにぴったりだったろうに、(発表当時)「コーセー」がCMに起用していたとは。。。(※1
でも、「後生、後世、甦生...」へと繋がっていくようで、面白いことは面白い。。。


※1
 この記事に加筆していて、コーセー化粧品の該当CMを覗きに行ったら、別の歌にすり替わっていた。
もしかしたら、“edge”が「死」(see)という概念と(少なくともネット上の記事では)絡みすぎているために、イメージダウンを危惧して変更したのかもしれない。。。
中途半端な「空耳」をするくらいなら、明示的に用いられている「生」(say)をも直視していただきたいものである。(09/03/17 22:24追加)


※2009/04/12 06:25 追加
空耳関係の実験室を「きすぎじねん(来生自然)ホームページ」に作りました。
上記内からの新着情報リンクから入るか、空耳実験室から入ってください。
読ませた英文は
"It took her what sing decimal"
で、
「いつかは死んでしまう」
に聞こえるはずです。

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by kisugi_jinen | 2008-10-11 04:08 | ひとりごと。。。 | Comments(0)
不確定性原理。。。小澤の不等式と解釈問題。。。
=== 2012/1/22 02:48 追記 
以下、σ(標準偏差)と誤差・擾乱との大小関係に関するプレプリント論文内での記述、数式では(18)から(25)の部分は、ハイゼンベルグの仮説を説明した部分に相当するようであり、小澤氏の主張する内容に反する部分に相当していたようです。下記、資料を入手できたため、勘違いしていたことがわかりました。
日本数学会の秋季総合講演http://mathsoc.jp/office/meeting/sogo-index.htmlのabstractである。
http://mathsoc.jp/meeting/sougou/2008aki/2008_aki_ozawa.pdf
ただし、小澤の不等式では、誤差・擾乱の両方をゼロにするためには、「σ(標準偏差)が無限大になる」必要があることには変わりありません。一方で、誤差・擾乱が大きいときには、σ(標準偏差)が無限大にならずに、比較的小さくてもいいことになります。
そもそも、σ(標準偏差)が無限大なのに、誤差・擾乱をゼロにできるということは、短時間のうちに繰り返し測定を行うとしても、測定していない間に(多世界解釈を行うなら、測定している最中にも)波束のσ(標準偏差)が無限大に拡散することを意味しています。小澤の不等式が繰り返し計測を前提にしているのなら、σ(標準偏差)と誤差・擾乱の両方がゼロに近づくのであれば理解しやすいのですが、残念ながら、小澤の不等式では、そうはならないということです。
σ(標準偏差)という概念が何を表しているのか? そのことについては、深く考える必要があるでしょう。
===

★08/11/14 00:05
後述していますが、「不確定性原理。。。小澤の不等式と解釈問題。。。2。。。」にて、再度まとめ直しています。本質は、

 ε(Q) ≧ σ(Q)
 η(P) ≧ σ(P)
 --- 波束の収縮後のみ考慮
    すなわち、事前確率の総和=1
   →相互作用した世界のみに限定
      (相互作用・測定の度に、確率の母体をリセット)
   →事後確率=1

なのか、それとも

 ε(Q) ≦ σ(Q)
 η(P) ≦ σ(P)
 --- 波束の収縮前・後を同等に扱う(いわゆる多世界解釈)
    すなわち、事前確率の総和=1
   →相互作用も時間発展の一部
      (そういう意味で、「波束は収縮していない」と等価)
   →事後確率≦1

なのか、といったところになります。
=============================
不確定性原理の本質。。。小澤の不等式。。。
は、「ハイゼンベルクの顕微鏡-不確定性原理は超えられるのか」(以下、石井氏の本)を読んだ後、「これはすごい!」と思って記述したのだが、その後、やはり解釈問題と切り離せないことに気がついた。

石井氏の本のp.241からp.250と、前回引用したプレプリントの論文(以下、プレプリント論文)、
http://arxiv.org/abs/quant-ph/0210044
http://arxiv.org/PS_cache/quant-ph/pdf/0210/0210044v2.pdf
とを付き合わせて読むと良く分かる。
※上記プレプリント論文の式(30)には誤植があるようだが、本質的な問題ではない。
下記に、石井氏の本およびプレプリント論文での式に準じた記述を再掲する。

プレプリント論文の式(18)から(20)と、式(29)から(31)では、
 ε(Q) ≧ σ(Q) --- (a)
 η(P) ≧ σ(P) --- (b)
が使われている。
※2012/1/22 23:57 追記
上述の式はハイゼンベルグの仮定をトレースした部分に相当していたようです。
以降、順に修正を入れていきます。


小澤氏の不等式での表現では
ε(Q)η(P)+ε(Q)σ(P)+σ(Q)η(P) ≧ h/(4π) --- (1)

であり、
たとえば無擾乱測定では、

η(P)=0 --- (c) にて
ε(Q)σ(P) ≧ h/(4π)
ここで、石井氏の本での「ハイゼンベルクの不等式を破る」といった記述、およびプレプリント論文での記述は、
ε(Q) → 0 のとき
σ(P) → ∞ --- (d) であり、標準偏差:σに「無限大」を逃がすことで操作している

しかしながら、この操作(c)&(d)は、上記(b)と矛盾する。
したがって、小澤氏の不等式では、ケナードやハイゼンベルクの不等式を超えることはない 小澤氏の不等式では、ハイゼンベルグの不等式が成立しない場合がありうるが、ケナードの不等式を越えることはない。
※2012/1/22 取り消し線で修正(理由は冒頭に記述)
無雑音測定:ε(Q)=0 でも同様である。

ε、ηおよびσの値が「いつのものであるか、どんなものであるか」の重要性は、上記矛盾から明らかである。

ところで、石井氏の本による解説、およびプレプリント論文での記述をみると、「測定時間中」すなわち「相互作用中のΔt秒間での変化量に対する値」となっている。

前回の投稿では、石井氏の本にて引用されている「ケナードの不等式」を、誤認して「ロバートソンの不等式」としていたために誤解していた。、「時刻tにおけるそれぞれの値の分布の偏差」としていた。(特に、標準偏差:σをそのように扱っていた)
そのため、前回は、測定時(相互作用開始から終了までの間:0)とt秒後(測定終了から任意の時刻:1)での値を用いて、
ε(Q)0η(P)1+ε(Q)0σ(P)0+σ(Q)1η(P)1 ≧ h/(4π) --- (2)
勝手に解釈していたが、小澤氏も石井氏も、そのような値を用いていない。(しかしながら、上記式にて考えると、ハイゼンベルクの不等式を破るような条件を想定した場合、前回投稿の最後に示したように矛盾はなくなる。)

※08/10/08 05:30(続き)、08/10/11 05:00 一部加筆修正。

前回の投稿内の図中の「確率密度関数」は、二重スリットの実験系で推論するときに用いられる「様々な瞬間(ないし微少時間内平均)」でのもの(空間方向のばらつき)を意識していた。
たとえば、多世界解釈を採択する場合、計測用の粒子(光子)との相互作用中の確率密度関数が想定され、相互作用中ないし相互作用後の計測用粒子(光子)がどういった状態をとろうとも、想定されうる確率密度関数のうちのある状態をとっているという解釈になる。したがって、「ある値となって計測される」とか「計測すらされない」といったあらゆる事象を記述する確率密度関数を想定したときの「ある値」が計測値として表記されるにすぎないだろう。。。

しかしながら、小澤氏の想定しているのは、そういった類のものではなく、あくまで、計測用のレーザーなどとの「相互作用している時間(Δt)」内の「真の標準偏差」と「誤差」との間の話のようである。ようするに、「時間軸方向のばらつき」を主体としているようだ。この場合、たとえば「位置と運動量」の両方とも、「固定された値」があるかのごとく扱っているようだが、「Δt秒の間」という相互作用時間内での標準偏差と誤差とを用いているため、多世界解釈にて意識されるような確率密度関数とは異なる概念に限定していることになるだろう。

※08/10/18 01:00
上記表現は少しわかりにくいと思われるので、もう少し、説明を加えておきます。

1.位置ないし運動量の「ある値」とは、時間軸方向にて(その分布状態が)変動している確率密度関数の中心(ないし平均値、もしくは中央値、すなわち「正確な値」)ではなく、「どこか」(ないし「なにか」)である。場合によっては確率が10%程度のところかもしれない「どこか」(「なにか」)になる。
2.上記「どこか」という位置にある(ないし「なにか」という運動量をもつ)ことが何らかの測定にて確定したとき、あるいは、現に「いま・ここ」で我々が意識し、共有し合っているまさに「いま・ここ」を中心とした世界を、確率密度関数の中心として常に描き続けうるのか、それとも、多世界解釈のように、「いま・ここ」は孤在系として記述されうるであろう「全体」の「どこか辺境でありつつ、中心でもある」として記述され続けるのか。
3.多世界解釈が成り立つならば、「いま・ここ」が、確率密度関数にて「辺境である可能性」であっても、「いま・ここ」を中心とした確率密度関数を記述すると、常に「そこを中心とした分布」になる。
4.そのことは、ネーターの定理の言うところの「並進・回転・時間」対称性を保ちつづけているということ(すなわち保存則が成り立つと言うこと)と等価であろうし、「宇宙に境界があったとしても、全てのあらゆる場所が宇宙の中心とみなしうる」という対称性と等価になるだろう。(仮説)
5.多世界解釈が成り立つとして、確率密度関数の対称性(ないし確率的事象の均質性)が、周囲との関係の均質性(ないし保存則を成り立たせる対称性)によるとすれば(仮説)、「正確な値」という概念を、あらかじめ予見的に設定することはできない。
6.「正確な値」という概念を予見的に設定し、その中心を常に「いま・ここ」が通過しているとすることが、小澤氏の不等式の成立に必要な条件なのではないだろうか?

プレプリント論文にて記述されている、ε(A)≧σ(A)は、「いま・ここ」を中心として測定しうる誤差範囲の中心が、「いま・ここ」を中心として想定しうる標準偏差の中心とが「まさに一致」しているときに成立する概念なのではないだろうか?

多世界解釈では、その中心がずれている可能性を考慮しているのではないだろうか?

※08/10/19 06:00
上記問題(私の素人的な疑問)に対して、一冊の専門系の雑誌が発刊されていた。

数理科学 2005年10月号 No.508

特集:「不確定性原理の新展開」
- 量子測定・量子情報をめぐって -
http://www.saiensu.co.jp/?page=book_details&ISBN=4910054691054&YEAR=2005

素人が理解するには難解な用語(というより理論)が含まれているけれど、小澤氏自身の記述や、他の専門家による不確定性原理に関連する記述を読むことができる。
石井氏の本にて区別されている不等式についても、詳しく記述されている。かなり端折って要約すると、
ハイゼンベルクの不等式は認識論的な定式化である。また、ハイゼンベルクが不等式を一般化(存在論的に定式化)する段階で、(証明されていない)仮説としてガウス型波動関数を導入したが、その波動関数は標準偏差に相当するとして、ケナードがフーリエ解析に基づき存在論的な定式化を導き出した。ロバートソンの不等式(存在論的)は、これらと直接関係のないシュワルツの不等式から導き出されている。1980年代から認識論的な再定式化が必要だということが明らかになり、成熟してきた観測理論を用いて、新たな定式化を試みた。
ということである。
また、小澤氏の不等式についても要約すると、
複数回の計測時に、時間発展によって波束が収縮する状態(収縮状態)が想定される。そういった場合にハイゼンベルクの認識論的定式化や、その定式化を一般化したケナードの不等式では扱いきれない。収縮状態に関する測定理論を組み込んで普遍的な不等式として小澤氏の不等式が定式化された
ということである。
どうやら、前回の投稿の後半、および、今回の投稿の半ばに再掲した、測定時(相互作用開始から終了までの間:0)とt秒後(測定終了から任意の時刻:1)での値を用いた式(2)

ε(Q)0η(P)1+ε(Q)0σ(P)0+σ(Q)1η(P)1 ≧ h/(4π)
が、(収縮状態での計測に限定すれば、)本質的な理解として良さそうである。(ただし、素人見解なので、誤っている可能性もある。物理の専門の方が見ておられましたら、間違いなど、ご指摘ください) --- (注1)

実を言えば、この本を購入していたのを忘れていた。上記問題に関連して発刊されていたことを知り、この手の本のバックナンバーを扱っているジュンク堂に立ち寄ったついでに探したが見つからなかった。
で、結局の所、家にあった。そういえばジュンク堂にて面白そうな本を漁って大量に購入したことがあり、その時に買ったことを思い出した。
なんだか、認識論的に見つけ出せなかったものが、存在論的に飛び込んできて、認識論的に再確認したような気分。。。(笑)


※08/10/22 07:00 補足説明
解釈の問題についての図解を交えた説明

b0032038_225129.jpg

別に全く相互作用していない状況でもいいのだが、たとえば、2重スリットとの相互作用後を想定してみる。

b0032038_2252429.jpg

二重スリット直前での確率密度関数の分布は図8のように緑なのか橙なのか青なのか不明だが、平均的には図7のようになっているだろう。
そうして、最も重要なことだが、「どちらのスリットを通過してきたか(という確率)」を判明するような相互作用を設定する(たとえば、計測操作を加える)とする。このとき、測定しようとする直前のスリットAおよびスリットZの両方を通過した状態を考えるならば、「スリットAを通過した粒子を測定する」まさにその直前まで、σ(Q)およびσ(P)はスリットAおよびスリットZの両方にまたがって分布している。

b0032038_2253778.jpg

スリットAを通過してきた(光子等の)粒子について測定を行うことを考える。測定直前では、AとZの両方を通過してきた状態+通過しなかった状態の確率密度関数の積分値が1となるので、それぞれのスリットのみを通過した確率は1以下となる。
たとえば、図8の青の状態で通過してきた場合を想定するならば、スリットZのみを通過してきた場合の確率密度関数よりもスリットAのみを通過してきた場合の確率密度関数は小さいだろう。

b0032038_2255110.jpg

 でも、たとえば「スリットAを通過してきた粒子の計測を行った」というとき、事後確率=1として、スリットAを通過してきた確率が1であり、その他の場合(過去の状態)については、不問に付さざるを得なくなる。小澤氏の想定しているσ(A) (たとえばAの位置の標準偏差)は、まさにスリットAを通過してきた粒子の確率密度関数の(-∞から∞までの)積分値が1であることを前提条件として計算することになるだろう。
多世界解釈の場合、計測という相互作用がなされている状況の確率を1以下とみなし、図9の状態のまま(すなわち波束の収縮が無い状態のまま)を考えることになる。ただし、青の状態も多世界の一つの状態とされるので、より正確には図8の状態(いや図7の状態)での確率密度関数を想定することになるだろう。
 しかしながら、多世界解釈であっても「宇宙全体が観測主体を含めて計測をおこなっている状態」のみを考えるというならば、図10と同様に事後確率=1とみなすことと等価になるだろう。

※08/10/22 21:40 追加
本投稿の冒頭(前回記事後半)にて記述している
 ε(Q) ≧ σ(Q) --- (a)
 η(P) ≧ σ(P) --- (b)
であるが、図7から10にて記述している場面に当てはめるなら、
小澤氏等、測定段階を主体として事後確率=1という概念にて、それ以前の確率密度関数を不問に付すような取り扱いを行うならば(すなわち、波束の収縮という解釈をとるならば)、上記(a),(b)は成立しうる概念である。
しかしながら、多世界解釈にて、事後確率≦1という概念にて、「計測している宇宙」を一部に含むという概念で扱うならば、(a),(b)は必ずしも成り立たなくていい。
たとえば、測定しようとする直前のスリットAおよびスリットZの両方を通過した状態を考えるならば、「スリットAを通過した粒子を測定する」まさにその直前まで、σ(Q)およびσ(P)はスリットAおよびスリットZの両方にまたがって分布しているからである。小澤氏の想定している「測定している状態」以降でのσ(Q)ないしσ(P)はスリットZを通過したような状況は「無視」しているのと同じであろう。だからといって、小澤氏の不等式が誤っているというわけではない。
あくまで、結論の出せない解釈問題になるからである。
このあたりは、量子力学の深淵に相当するだろう。。。

※上記補足に併せて、図7から10を差し替えました。(08/10/23 02:30)
※「計測」という作業に限定した状況での「認識論的定式化」としての不確定性原理を扱っておられるため、小澤氏の用いておられるσ(標準偏差)は、「波束の収縮後(すなわち計測という相互作用後)」のものだという再認識が必要である。計測という相互作用前後での、解釈問題に起因するσの分布の差異を明確にするため、二重スリットを用いたが、本質的には、二重スリットを取っ払ってしまっても、同様の推論が可能である。
一見、多世界解釈を適応するならば、ベースとなる確率解釈(この場合、σの取り扱い)が異なるため、実験によって、解釈問題に決着がつくかの如く錯覚を生じるかも知れないが、どちらの解釈を採択するにしても、「計測した」という相互作用を含む時間発展のみが、確率的な評価対象となり得るし、「計測されなかった」という相互作用を含む時間発展については計算対象外であるため、「事後確率が1」だと定義することは可能になる。あくまで、観測不可能な時間発展部分を含めて(仮想的な)σを想定するかどうか?というところの問題である。(2008/10/25 01:55)


※08/10/29 03:40 補足
(2)であるが、小澤氏の定義とは異なっている。(小澤正直:「不確定性原理の新展開」、数理科学 2005年10月号 No.508、pp.5-17)
σは「測定の初期状態での標準偏差」とされている。

測定→擾乱を時間軸t0→t1として見た場合を想定した式(2)は
ε(Q)0η(P)1+ε(Q)0σ(P)0+σ(Q)1η(P)1 ≧ h/(4π) --- (2)

ではなく、
ε(Q)0η(P)1+ε(Q)0σ(P)0+σ(Q)0η(P)1 ≧ h/(4π) --- (3)

と考えるべきだろう。


注:上述の式は最終的なものではありません。不確定性原理。。。小澤の不等式と解釈問題。。。2。。。にて、さらなる修正が加えられることになります。
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by kisugi_jinen | 2008-10-06 06:14 | 思考。。。 | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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