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出会い。。。2。。。20年以上前の私の視点。。。
いや、久しぶりに出会ったね。。。
想像通り、いや、予測の範囲内で「おじさん」になっているんだね。。。

ていうか、20年以上前の私の思考を超えることがないなんて、生きている価値があるかどうかすら微妙だね。。。

まぁ、その当時から、「死ぬまで、生き続ける私を最後まで見届ける」と言い続けていたわけなんだけれど。。。

ん?、何?。。。

「予測範囲内って言ったって、予測不可能だったこともあるんじゃないのか?」
だって?

そりゃ、そうだね。。。

だって、結婚するって思っても見なかったし、子供を作るなんて信じられなかったし、両親の遺伝子を、ここで切断してやるんだ!と、思っていたし。。。

で、
なぜ結婚したんだい?
なぜ子孫を残そうと思ったんだい?
理論的に考えて、そりゃないはずだけれど、答えられる?
所詮、感情の動物だったわけだね(笑)

え?、何?、「その答えがこのブログ内に書いてある」って?
ふーん。。。
そうなんだ。。。

わかったような、わからないような。。。

え?、「考えても考えなくても結果的には同じになることもある」って?

それが、結婚や子孫を残すことと、どういう風につながるのか、よーわからんけれど、目が生き生きしてるから、まー、いいとするかな?

いずれにしても、予測可能範囲ですので(笑)

って、「最後に、そう来ると思っていた(笑)」ですか、ハハハ。。。
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by kisugi_jinen | 2006-07-28 00:19 | つれづれ。。。 | Comments(0)
出会い。。。
人が
人と出会うとき。。。

思いが深ければ深いほど
傷つくことを恐れるかもしれない。。。

何の先入観もなければ
恐れを抱くこともないというのに。。。

でも、出会いは
その人自身について「何も知らない」わけには成立しない。。。

知りたいことと、知りたくないことを
えり好みすること自体が
傷を深くしてしまう。。。

出会ったときにできた傷は
一人で消し去ることのできるものではない

出会った相手と二人で癒すことができるのならば
それは、最高のパートーナーだろう。。。

そんな。。。

当たり前のようなことを考えながら
私の歩んできた人生を振り返ってみる。。。

思春期に 孤独を愛した私が
今の私に出会うことができたなら

思春期の私は、おじさんと化した私に出会うことで
どれだけの傷を負うことになるだろうか。。。

その心にできる傷は
今の私と共に癒すことができるであろうか。。。

自身の息子・娘に対して
そういった思いが重なっていく。。。
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by kisugi_jinen | 2006-07-26 04:07 | つれづれ。。。 | Comments(0)
EPR相関とBellの不等式と。。。5。。。
EPR相関とBellの不等式と。。。
にて記述した図を少し変えて示します。
b0032038_352593.jpg


この図で、背景が水色の水玉に変わっています。

分裂した粒子はエンタングルメント状態にあり、黄色の世界として緑色の世界から分離されているように見えますが、果たして、完全に分離されているのでしょうか?

外部と隔離するためには、「真空」を利用しなければならないでしょう。
でも、「完全な真空」はありえません。カシミール効果でも明らかなように、零点振動にて無数の粒子との相互作用を想定しなければならないからです。
b0032038_3542262.jpg


エンタングルメント状態にある2粒子(2個以上の複数の粒子でも可)は、その始点と終点とで時空が対称であるならば、ネーターの定理から総和としての保存則を満たさねばならないでしょう。

1粒子の場合、保存則を満たすことに関しては、問題なく受け入れることができます。

しかしながら、2粒子以上がエンタングルしている場合、スピンの向きを含め、保存されうる状態量のうち、一方の粒子の状態の変動は、他方の粒子の変動に直結しているかのごとくに扱われる(というより、そのような一つの状態量として扱わざるを得ない)ということです。
すなわち、背景(水色の世界)との相互作用(経路積分の内の一つの可能性を選択することに相当)は、一つの粒子にのみ適応されるわけではなく、2粒子(ないし複数の粒子)の状態の「選択」に直結すると思われるわけです。

にもかかわらず、水色の世界は、黄色の世界のエンタングルメントに関する(緑色の世界にて観測される)実験結果に「何の影響も与えていない」かのごとくに振舞っているように見えます。



どうしてでしょうか?

もう一度、実験系を見直してみると、緑色の世界は、黄色の世界の粒子の一つと相互作用し、「エンタングルメント」を破るように設定されています。(それゆえ、観測可能)

もし、水色の世界で「エンタングルメント」が破られたならば、緑色の世界にて待ち受けている観測機器では、「エンタングルメント」に関する実験結果として引っかかってこないだけになるでしょう。

ようするに、
「黄色の世界は、エンタングルメント状態を(できる限り)保つように設定されている」
「緑色の世界は、エンタングルメント状態を破るように設定されている」
「水色の世界は、エンタングルメント状態に(できる限り)影響を与えないように設定されている」
と、なろうかと思います。

ようするに、「水色の世界」は、「黄色の世界」と「緑色の世界」とを「時空」レベルで結び付けていると同時に、「あらゆる可能性」を含んだ世界である故に、そうしてネーターの定理が成立しうる「対称性」を含んだ世界である故に、量子力学的な確率に対して、均質な影響を及ぼすと考えるべきなのではないでしょうか?

逆説的にいえば、ネーターの定理が成立しうる「対称性」を有する時空が存在するということは、量子力学的な確率が均質に生じる時空を意味することでしょう。

このことは、経路積分やファインマンのダイアグラムが、ネーターの定理と密接に関連していることからも明らかだと思われます。

緑の世界は、水色の世界と比較して、(黄色の世界における)ある一定の状態が選択されうるような不均質な時空を構成しているわけです。

※07.02.02 03:35 補足
上記、「時空の均質性」≠「ネーターの定理での対称性」です。イコールではありませんので十分ご注意願います。強いて関係を書くなら、「時空の均質性」⊂「ネーターの定理での対称性」です。
もう少し言えば、「ネーターの定理が成り立つ対称性を有する時空」 があるから 「真空状態は均質に保たれている」 といえるでしょうが、「均質に保たれていない空間」 があるから 「ネーターの定理は成り立たない」 ことにはなりません。ネーターの定理が成り立つということは、現行の物理学的記述が成り立つということと、ほぼ等価とみなしていいと思われます。
「いいと思われます」というのは、ネーターの定理が成り立たない場合でも、一定の法則性・規則性が適応可能な時空であれば、その時空にあわせた物理学的記述(現行の物理学的記述とは異なる)が可能になると思われるからです。
===
一連の投稿
EPR相関とBellの不等式と。。。4。。。
EPR相関とBellの不等式と。。。3。。。
EPR相関とBellの不等式と。。。2。。。
EPR相関とBellの不等式と。。。
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by kisugi_jinen | 2006-07-19 04:30 | 思考。。。 | Comments(0)
EPR相関とBellの不等式と。。。4。。。
EPR相関とBellの不等式と。。。3。。。

前回の記述には、細かいところで誤りがあります。
後日、修正しておきます。(06.07.16:part 3は修正版に変更しておきました
ただし、大筋では、解釈として成り立ちうる話だと思っています。

EPRとベルの不等式については、ずいぶん以前に理解していたのですが、時間がたつにつれ、忘れているところがあり、保存則との絡みを考える段にて、すこし間違えてしまいました。
06.07.16:part 3の該当する部分を修正しておきましたので、ほぼ正確な記述になっているはずです

下記が、正確な理解に相当するはずです。

===

二方向に分裂している2粒子孤在系を、量子エンタングルメントとして一つの式にて扱わざるを得ない状態は、外部と相互作用する直前まで、(経路積分の場合、終点が決定されるまで)まさに、スピンの向きが、相互に入れ替わっていても可であるということを意味しています。

ようするに、一つ一つの粒子として捉えてしまうならば、あたかも保存則が破綻しているかのような振る舞いを想像せざるを得ない状態になっています。 (08/08/17 03:30太字部修正、修正前「一つの粒子」)

すなわち、

2粒子孤在系(量子エンタングルメント)として記述される系では、系が属する時空に対称性がある限り、系全体の保存則は保たれている。

十分に離れた空間にあると思われる1粒子のみに着目し、かつその変動を「しいて想像するならば」、エンタングル状態にある「離れた場所にあると思われるもうひとつの粒子の状態」は、光速を超える通信を行っているかのごとくに相関して変動している状態「を想像しなければならない」。


本来ならば、2粒子孤在系(量子エンタングルメント)を一つ一つの粒子に分けて考えて、それぞれについて「保存則」を述べること自身間違っています。

しいて喩えるならば、
目に見えないチューブで繋がり合っている水の入った風船のように、片方がふくらめば片方がしぼむといった状態を無理矢理イメージしなければならないということ。
という表現をとらざるを得ないといえます。

06.07.16 10:10追加
上記のような状況をEPR相関とBellの不等式と。。。1。。。での「緑と黄色の二つの系」にて考えたときを、次回以降に記述していきます。特に、二つの系が交換可能かどうか?ということと、交換可能な場合に起こりうる問題点などが中心になります。
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by kisugi_jinen | 2006-07-16 09:36 | 思考。。。 | Comments(0)
EPR相関とBellの不等式と。。。3。。。
※2006.07.16 10:00
本文を書き改めました、消去線で消去し、ボールド部分で追記を示します。


※注:私は物理学者ではありませんので、下記記述の中には、誤った記述があるかもしれませんので、ご注意願います。特に今回のものは、半ばメモ程度に走り書きしたようなものですので、仮説段階のものでも語尾に断定的な言い回しがあったりするかもしれません。順次、正確な表現に書き改めます。(2006/07/05 01:15)
*06/07/05 08:30 補足
量子力学の保存則については
http://www.phys.u-ryukyu.ac.jp/~maeno/qm/qm.pdf
http://rarfaxp.riken.go.jp/~seminar/Lecture/matsuyanagi_060306/LectureNote_rev.pdf
http://www-cms.phys.s.u-tokyo.ac.jp/pdf/conserve.pdf
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/jps/butsuri/50th/noframe/50(5)/50th-p316.html
などに詳しく書かれていました。ざっと目を通した限りでは、量子力学でも(孤在系の開始点と終了点の両端にて)保存則は成り立つということですが、孤在系の開始点と終了点とを結ぶ経路積分の両端にて保存則を成り立たせようとすることから、量子異常(アノマリー)がでてくることがあり、これらをあぶり出して、新たな粒子や力、相転移といった概念を構成していく過程が見て取れました。
私が想定していたのは終了点に達しない(終了点のない)孤在系での状態でした。このあたり面白そうなので、もう少し勉強してみたいところです。

したがって、下記記述は、上記内容を踏まえて、書き改めるつもりです。

===
EPR相関とBellの不等式と。。。
EPR相関とBellの不等式と。。。2。。。
の続きです。

まずは、保存則について。

保存則と対称性との関係はネーターの定理に基づいています。

分裂時および計測時のスピンの角運動量は相互に反対を向いている(角運動量が保存されている)ということでいいのですが、分裂後から計測(外部との相互作用)までの間におけるスピンの向き・角運動量については、保存されていないと考えるべきではないかと思います。一つの粒子に着目した場合、あたかも保存されていないかのような状態を呈しています。

理由は下記に記述します。

まず、EPR相関で、「隠れた変数」を仮定するとは、2粒子に分裂してから、外部と相互作用するまでの間の角運動量が有る一定の法則に則って決まった値を取っているという仮定をすることに相当します。

EPR相関の実験系で「隠れた変数」が否定される範囲とは、
http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/saito/epr/epr1.html
での -cosΦが、三角形の領域の下にくる範囲であり、言い換えれば、
0<Φ<π/2の範囲になります。

この範囲において、「隠れた変数説」が否定されるとは、(以下、何カ所かは回りくどくなっています)
1.「あらかじめ、スピンの向きが決まっていた」という概念が破棄されるということ。

2.不確定性原理でのΔxΔp≧h/(4π)という関係式でのΔxとΔpとの値を決定する「隠れた変数」が存在することが否定されるということ。

3.分裂直後からどちらかの粒子が外部と相互作用するまでにおける任意の時刻において、ΔxとΔpとの関係を決定する「隠れた変数」が存在することが否定されるということ。

4.時刻tにおける粒子1と2のΔpとΔxとを、それぞれΔx1,Δp1およびΔx2,Δp2と置けば、ΔxΔp≧h/(4π)以外の関数をfとし、Δp1=f(Δx1,t)、Δp2=f(Δx2,t)となるような分離可能な共通の関数fの存在が否定されるということ。
正確には、二つの純粋状態として分離不可能な関数:|φ〉=y(粒子1の状態、粒子2の状態)としてしか表すことができない状態であるということです。
5.たとえ、Δp1=f(Δx1,t)、Δp2=g(Δx2,t)という関数が存在するとしても、関数fと関数gとの間には、「隠れた変数」としての力、すなわち決定論的な関連性は見いだせないという事を意味する。すなわち、f=gではなく、f=y(g)でもないということ。
4と5をいいかえれば、

6.分裂から相互作用までの間の任意の時間において、粒子1と2とを入れ替えるような空間の回転操作をした場合、すなわち、5に示した関数fと関数gとが入れ替わる様な操作をした場合、常に角運動量が保存しつづけているというためには、ネーターの定理から対称性が保たれる必要があり、f=gになる必要があるのでは?ということです。すなわち、「隠れた変数」が存在する必要があるということです。

このことは、二つの純粋状態として分離不可能な関数:|φ〉=y(粒子1の状態、粒子2の状態)としてしか表すことができない状態であり、かつΔx1,Δx2,Δp1,Δp2とがΔxΔp≧h/(4π)以外「隠れた変数」にて縛られないとき、すなわち、Δp1とΔp2とが、一つ一つの粒子を分離して扱いうる状態を想定したならば、個々の粒子にとっての角運動量の保存則を破る程度の独自の変動(そうしてそれは、2粒子間で相関した変動)を来していると考えるべきだと言うことです。
これはすなわち、一つ一つの粒子を分離して扱いうる状態を想定して個々の粒子にとっての途中の状態が、経路積分やラグランジアンでの終点が無い状態に相当し、重ね合わせによって経路が一つに定まらない状態を意味しています。両者を関連付けているのは、二つの純粋状態として分離不可能な関数:|φ〉=y(粒子1の状態、粒子2の状態)です。

7.分裂してから相互作用するまでの間、ΔxΔp≧h/(4π)の関係内において、一つの粒子に着目した場合運動量は保存則を破って不規則に変動していても何ら問題はない。(そういう経路を通ることは確率的にあり得る)

8.(しつこく)逆に、Δp1=f(Δx1,t)、Δp2=f(Δx2,t)という共通の関数f(「隠れた変数」)などに基づいて運動量が協調して変動しているならば、すなわち、個々の粒子が独立して保存則を保ち続けるような状態であるならば、分裂してから相互作用するまでの間でも運動量は保存されうるが、そのような「隠れた変数」があると矛盾するというのがEPR相関とベルの不等式から導き出された結果であるといえるのではないでしょうか?

と言うことになろうかと思います。


分裂直前までと相互作用後は、(また分裂中も二つの粒子を一つの計として取り扱った場合の系全体の)運動量(角運動量)は保存されています。このことは、分裂装置および相互作用装置とが属する空間(緑色の世界)がネーターの定理でいうところの、空間の回転に対して対象だということを意味しています。この場合、スピンの向きは正反対を示していることになります。
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by kisugi_jinen | 2006-07-04 19:40 | 思考。。。 | Comments(0)
思い・出・逢う・旅。。。
思い・出・逢う・旅。。。

旅の思い出ではない。。。

思い出に逢うための旅。。。

そんなところであろうか。。。

あ、そうそう、思いでぽろぽろそのものだな。。。これは。。。

何年になるであろうか
あの日から。。。

学会場で久しぶりに会ったT国の友人と別れて
N駅からS行きの各駅停車に乗り込む
都心から離れるにつれ、風景が変わって行く

そう。。。
思い出の風景から、今の風景へと。。。

劇的に変わったのはWの駅周辺だった
googleマップ、google earth でおよそは知っていたのだが、あれほど変容しているとは思わなかった。

線路伝いにH駅とは反対方向のY駅方向へ歩く
線路の高架工事中の左側の風景と昔ながらの風景との間を切り裂いて走る広い道。。。

I神社に続く小道が、昔のままの小さな踏切とともに残っていたのを見て、
ほっと懐かしさが戻ってくる。。。

I神社にお賽銭を投げ入れて
何をお祈りするわけでもなく
皆の無事をふと願ったような
そんな感覚で歩き出す。。。

路地裏のような小道を抜けて歩いてW駅前の通りへとH駅に向かって回り込んで行く。。。

途中、中学3年の時にずーっとあこがれ続けていた女性の家の前を通り過ぎようとしたとき
玄関から自転車に乗った一人の女性が出てきた。

。。。お賽銭の効果か。。。一瞬のドギマギ!

心臓の鼓動は、その女性が誰かを確認するほんの一瞬ピークに達していた

。。。違った。。。

いや、良かったのかもしれない。。。

こんなところで出逢ったら
言い訳の言葉すら浮かばずに

「あ、いや、どうも、お久しぶりです」

といって、急ぎの用事があるかのごとくそそくさと通り過ぎることぐらいしか
手立ては思い浮かばない。

そんなことを考えることすら気恥ずかしい感覚に襲われる

中学時代の彼女を思い描いているのを見透かされたら
単なるオヤジストーカーとして軽蔑のマナコで見られるかもしれない

いや、そんなことを考えることすら息苦しさを助長する

少なくとも、その一角が昔のまま残っていることが
妙に不思議な感覚を作り出してくるのかもしれない。。。
逢わなかったことをI神社の神に感謝している。。。

途中、T中学の玄関に向かう
記憶との違いに戸惑いが隠しきれない
玄関からの空間は私を拒絶している

T中学を離れてH駅に向かって歩き出す。

もはや出会うことの無い原風景が
息苦しいまでにコンクリにて押し込められてしまっている
昔、ここに住んでいたのだ。。。

昔のまま解き放たれているように思える空間をみつけてすら、
懐かしさの片鱗が片鱗にしか過ぎないことを
痛々しいほどに滲ませてくる。。。

跡形もなく変容した町の風景に対して贖う事のできるのは

ただ単に

記憶の一段面という幻を、わがマナコから投影し

重ね合わせるその一瞬のみにしか過ぎない。

そこには確かに私が存在し

私の友人が闊歩し

路地裏をすり抜け

いまや分断されてしまっている空間を

自由に渡り歩いていた姿が

私の辿る一歩一歩のあゆみに連れて

まるでシシガミ様の足元に咲いて散る花々のようによみがえってはきえていく

すこしばかり開放された空間にたどり着いて
ほっと息を継ぐのと同時に
継いだ息を飲み込まざるを得ない情景に放り出される

。。。ないのだ。。。

鼻の奥がツーンとなる。。。

駅前側の半分がないのだ。。。

ばっさりと削り取られて残った商店街のアーケードが
もはや存在してはならないかのごとくの異物のような
そんな感覚を抱かせるほどに

やたら遠く

暗く残っている

削り取られた断面には
隣の店の壁との繋がりの跡が刻み込まれている壁のみが
駅前の瓦礫の野原に対して

異様なまでの存在感を示している

。。。そう
あたかも、砲弾を受けてもなおたたずみ続ける壁のように。。。

残された商店街に入って行くことはできた
しかし
何かが私のその衝動を押しとどめた
何だったのだろうか。。。
虚しさでも、悲しさという「情」でもない、何か。。。
変わってしまっているものをわざわざ見る必要も無いという「知」ではない、何か。。。

それは、「壊されたくない」という思いが作り出す(いや、そういった思いを守るために作り出された)「知的切断面・境界」そのものだったのだろう。。。

駅は変わっていなかった。
いや、あれほど変わらない駅も無いだろう。
向かいのホームに着いた電車から降りて行く人々を
ぼんやり眺めていたら

小学生、高校生、大学生だった私の姿がまざっていても
何ら違和感の無い風景。。。

そうしてふと改札の向こうを見やると

瓦礫の中の壁と
遺物のように取り残されたアーケードとが
思い出の心と今とを引き裂いて行く。。。

誰しもが思い出すのかもしれない室生犀星の詩が心をよぎる。。。

よしやうらぶれて
いどのかたゐになるとても
かえるところにあるまじや
。。。

かえるところにあるまじや
。。。

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by kisugi_jinen | 2006-07-02 05:10 | 思い出。。。 | Comments(0)
EPR相関とBellの不等式と。。。2。。。
さて、
EPR相関とBellの不等式と。。。
では、分裂(射出)系と、両方のスリットを「緑の世界」として1つながりの系として扱ったが、これらが「量子力学的に」1つながりの系として扱えない場合を考えてみることも、重要である。
(そうすることで、シュレーディンガーの猫問題や、多世界解釈の概念が良く分かる)
また、どちらかの側でスリットによる測定を行なわない場合も考えてみる必要がある。
(この場合は、上記、量子力学的に1つながりの系として捉えられない場合と等価に扱うことも出来る)

実は、この問題における「系」のつながりを考えたうえで、心・意識も「系」のつながりに含めて考えること(すなわち、つながり合う系として一元論的に考えるか、切り離された系として二元論的に考えるか、ということ)で、「多世界解釈を仮定して考えるか・仮定しないで考えるか」と同等になるわけである。

次回以降、心・意識を絡めて上記系を動かしていく。。。

この問題を考える上での参考URL
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/bell.html
http://ccweb1.kek.jp/people/morita/phys-faq/4-4J.html#item30
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by kisugi_jinen | 2006-07-02 04:21 | 思考。。。 | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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