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EPR相関とBellの不等式と。。。
※08/10/28 02:45 文中一部文字を赤に変えました。この部分、サラリと流していますが、実は本質的に矛盾した内容を含んでいます。part.5と比較すると、良く分かるはずです。
EPR相関とBellの不等式と。。。5。。。
============

EPR相関(旧パラドックス)とBellの不等式について、実験系を含めて専門的に詳しく記述しておられるところがあった。
東大物理学の齋藤氏のサイトになる。
専門分野の関係から、量子力学の入り口付近でうろうろしていたのだが、このサイトの下に記載されておられるC(Φ)=-cos(Φ)の図が非常に分かりやすい。
この図を見ていると、その昔、一度だけトレースしたことのあるベルの不等式あたりを自分なりにまとめてみようかと思うようになり、今回の投稿に至った。
説明については、英文の論文が参照できるが、入り口付近で足踏みしていたものにとっては、読み下すのが困難であるが、過去の知識とを総動員してなんとか概略だけは掴んだ(つもりである)。

※08/08/21 03:30 追加
本記事を投稿した当時のサイトおよびリンク先は、現在参照不可能になっています。(論文として、正式に投稿されたようです)
その代わり、日本語に翻訳・要約されたページができていましたので、リンクを埋め込んでおきます。
EPRパラドックスの検証
http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/sakai_g/epr/


説明文は、時間のあるときに入れていくつもりである。
今回のものは、メモ程度である。
実は、私自身の仮説の説明と、心と量子力学の関連性との説明に使うための下準備でもある。

宇宙全体が一つの孤立系としてシュレーディンガー方程式の重ね合わせ像として記述可能であるとする。
そのとき、相互作用している(孤立していない)物質は、ひとつの系として取り扱い可能である。
(下図の緑の系が相当)

一つの粒子が二つのスピンを持つ粒子に分裂したとする。
この粒子は緑の系に属していたので、分裂時点での挙動は緑の系の状態に依存している。
b0032038_450933.jpg

分裂した二つの粒子は状態が未確定(量子力学的な確率で表される状態)になっている。すなわち、スピンの向きは不明である。
しかし、二つの粒子は量子力学的に絡まった状態になっている。
b0032038_451557.jpg


もし、「スピンの向きが逆方向である」ということ(角運動量保存則)と、その「スピンの向きが分裂時点で既に定まっている」という仮定(「隠れた変数」があるという仮定)を行うと、検出器の相対的な角度(Φ)に応じて、下図の青色の範囲内に測定結果が収まるはずである。(ベルの不等式)
b0032038_452183.jpg

量子力学の相関:C(Φ)は検出器の相対角度がΦであるときのスピン同士の相関を表す。すなわち、二つの粒子のスピンの向きが検出器との相互作用にて特定方向へと確定したときに、離れたところにある、もう片方のスピンの向きがΦ度だけ回転している検出器にて検出される確率に相当する。

Φ=0、すなわち、スピンの向きが相反する状態(角運動量が保存された状態)を検出するときの図を下に示す。このときには、ベルの不等式での結果と量子力学的な相関とが一致する。(当たり前と言えば当たり前である)
b0032038_6263948.jpg

Φ=90°、すなわち、スピンの向きが90°である状態を検出しようとするときの図を下に示す。このときには、確率的に90°傾いていることはあり得ない(ベルの不等式、角運動量保存則)し、量子力学的な相関(確率)でも0になる。
b0032038_4521458.jpg

0<Φ<90°、ベルの不等式から計算された場合よりも、量子力学的な相関の方が強い。すなわち、分裂当初からスピンの向きが決まっていたという仮定(隠れた変数説)での理論値(ベルの不等式)よりも、高い相関を示している。このことは、隠れた変数説にて導き出される仮定(ベルの不等式)よりも、量子力学的に両方の粒子の結びつきが強いことを意味している。
b0032038_4522020.jpg

EPR相関(ベルの不等式)関連で、もっとも陥りやすい誤解の一つに、Φ=0での結果のみに言及した記事をみて、「角運動量が保存されているので当たり前」だということがあるようだが、上記0<Φ<90°での関係をじっくり眺めれば、角運動量保存則よりもさらに強力な「何か」が働いていることは、誰しも感じ取れることであろう。

=====06/07/02 04:40補足
※さらに強力な「何か」
これは、量子力学的な「もつれ」(エンタングルメント)と呼ばれるものである。
よく、「瞬時に情報(正確には状報)が伝達されること」と誤解される場合があるが、そうではない。
この実験系で片方の測定を遅延させたとき、片方が確定されれば、「状報が伝達された」かのような錯覚に陥るが、「伝達される状報」は「ない」。
これは、「計測する」という言葉には、主体者の意思決定が関わっているように取れる言葉であるから、誤解を生みやすいということでもある。
2粒子が量子力学的に一つの系として扱われるとき、両者に「因果関係」を当てはめることは出来ない。「状報伝達」という概念は、因果論的な考え方である。量子力学的な状態決定が離れた2箇所にて同時になされる場合には、「非因果的」という概念で扱われるものになる。
すなわち、
「こちらの粒子の意識的な測定が、あちらの粒子の状態を決定するということで、状報があちらに向かって伝達する」といった概念で捉えることが間違っているということである。
もし、間違いではなく、上述が成立するのであれば、
「あちらの粒子と何らかの物質との相互作用が、こちらの粒子の状態を決定するということで、状報がこちらに向かって伝達し、計測者の意識を決定する」
ということも、同時に成立しなければならない。
このことを含めて、part3にて詳しく考察をして行くこととする。
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by kisugi_jinen | 2006-06-29 04:54 | 思考。。。 | Trackback(6) | Comments(0)
ダブルスタンダードと境界。。。エレベータ問題と医療との関係。。。
昨今、ダブルスタンダードによる事故・事件の発生が目立っている。。。

エレベーターでの事故
JR西日本での脱線事故および雪印事件とその背後
。。。
そして、医療関連の事故。。。

エレベータでの事故は、安全性と入札価格のダブルスタンダードであり、
JR西日本での脱線事故は、安全性と速度(コスト)とのダブルスタンダードであり、
医療関連の事故は、安全性とコストダウンのダブルスタンダードである。

医療関連、単年度会計を主体とする高額医療機器の導入については、エレベータの事故に極めて近い状況にあると言わざるを得ない。

導入時にもそうであるが、保守点検を含めた維持管理費というのは、昨今の病院の統廃合を含めた医療費削減のあおりを食らって、なるべく安くという観点からしか扱われなくなる傾向がある。

それでも、医療機器として直結している機械系は、仕様書に明記しなくても、安全性を十分担保しているし、企業側も、人命に関与しているという認識から、十分な配慮をされておられるように感じられる。

しかしながら、直接的に人命に関与しない機器、特に、医事会計システムを含めた医療情報システムは、導入価格および維持管理費が削減されている場合、間接的な影響に対して非常に対応が鈍くなる傾向が見て取れる。

通常、システム側が担保しなければならないような事象に対しても、導入後、しばらく運用してみて明らかになってくることが多いが、単年度予算系での対応がなされている場合、別途費用が必要とのことで、現場での運用に任されることが多いのが実情である。

「運用で」

この言葉は、システムエンジニアおよび開発系での最後の逃げ口上として有名なようであるが、単一の「運用で」のみでは、死亡事故に繋がらないようなことでも、複数の「運用で」にて、間接的に死亡事故に繋がることがある。

病院のシステムとしては、そのような問題を未然に検出して、システムの改善に導かねばならないところであるが、先立つものが無い場合、実質現場の末端の医療関係者が「運用で」カバーしなければならない事態になっている。

トップダウン側が、コスト・入札価格を主として要請してくるならば、ボトムアップ側は安全性を主としてフィードバックしていくことになる。

両者の境界にて、通常は、中間管理職が整合性を整えていくべき所、直接的な問題が浮上して来にくい所では、末端へと境界がシフトしていく。

このことは、小さな政府が、実質責任を末端(現場)にシフトしていっていることとも、関連している。

ようするに、不景気→予算がない→自己責任の重視と民営化へのシフトという図式である。

安全性が第一義的に考えられる領域については、強制的に安全性のレベルを保つような政策を現場レベルとタイアップして打ち出していくべきなのであるが、今の政府に対して、そのようなことを求めることが可能なのであろうか?

「運用で」という言葉は、現場では、末端に対する過酷な労働条件の悪化へと繋がっていく。。。
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by kisugi_jinen | 2006-06-14 23:33 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
鬼の心の奥に潜むもの。。。秋田男児殺害事件の境界。。。
※06/06/13 00:35 一部追加(下線部)および内部リンク追加

我が子を失った母の心境。。。

猿は胸に抱きかかえる我が子が死んだ後も、長く抱きかかえ連れ回すという。。。

情の繋がりの深いものたちにとって、乗り越え難きに見える「生死」という境界は、

既に情が越えてしまっているために、境界のない情態へと重ね合わされているかもしれない。

リンク:http://www.excite.co.jp/News/society/20060609121400/20060609E40.058.htmlは掲載期限が切れたとのことで、下記文中に埋め込んでいたのを外しておきます。「死んだ(殺した)子供がどうしているか見てきて欲しいと子供の友達をも殺害した」という悲惨な事件でした(2013.10.6 05:27変更、8:30一部追記)

我が娘の友達に、娘の形見を授けようと招き入れ

生死の境界の曖昧さが交錯したところに

娘の形見を友達に授けるのと、友達を娘の所に送り届けるのと

どちらを選択するのかに

迷うことなど無かったのかもしれない。。。

いや。。。二つの事柄の間に、交換可能な物語を見いだしたのかもしれない。。。

娘の友達に、娘への思いを乗せて、母の心を伝えたかったのかもしれない。。。

「私の娘はどうしてるか見てきてちょうだい」と。。。

でも、次の瞬間、「生死」の境界が、まざまざと突きつけられる。。。

娘の友達に、娘の情態を聞き出すことすらできなくなってしまったことを。。。

さらに深い情の絡み合いがあるとは思うものの、「生死」の境界を越えてしまっている心は、境界を越えない人々にとって、鬼の心として見られる定めでしかない。。。

その奥に、柘榴の如く、赤く酸っぱい涙のいっぱい詰まった思いが、張り裂けんばかりに「生死」の境界を越えようとしていたとしても。。。

鬼子母神様
 彼女を救い給え。。。


※06/06/11 02:14追加、02:25変更
トラックバックにもあるし様々な事件背景が取りざたされているが、ひとつだけ確かなことがいえると思う。
それは、「生死」の境界を越えているのならば、母の心は自殺へと進むことが多いだろうということである。
通常、何らかの(宗教的)儀式を通じて「生死」の境界を境界として認識することが出来るようになるのであれば、そうして、情でその境界を越えることが出来るのであれば、母は生きる道を選択するであろう。

しかし、

「生死」の境界を境界として認識することが出来ずに、そうしてなお、生き続けて行くことが出来るのであれば、彼女にとっての「死」という概念と、多くの人々が持っている「死」の概念は共有・交換が不可能になっていることだろう。。。

そこには、母の心ではなく、鬼の心としか認識できないもの・概念が横たわることだろう。。。
そうして、そういった心は、虚無として「生」を食らい続ける運命になるだろう。。。

今回の事件の背後には、そういった虚無が巣食っているのかもしれない。。。


※虚無について(06/06/11 02:25追加、02:50変更、06/06/11 15:55変更)

知と情との関係が制約を受け続けているとき、すなわち、いわゆる「動物的」情動に対して(1段階目の)知が関わるだけで、知・情の連鎖が終わるとき、あるいは、数段階の連鎖にて終わるとき、あるいは、終わらされるとき、特に、知にて終わらざるを得ないとき、(知によって切断された情は繋がりあう相手・行き場を失って)虚無に陥るのだろうと思う。

そういった虚無を越える、もう一段階上の情。。。

いや、知と情が無限にも思われる編みこみとして営み続けられるのであれば。。。

鬼の心が人の心に戻るとき。。。

心の中の柘榴の実は、涙に変わる事だろう。。。


※09/01/21 06:00 追加
やはり、「生死の境界」概念の問題なのだろう。。。
「殺傷なぜ悪い」畠山被告、心理士に手紙
米山さんの気持ち「分からず悔しい」
(2009年1月21日 読売新聞)
にて、臨床心理士の長谷川博一・東海学院大教授のコメント
===
文面には「死にたい」とも「生きたい」とも記述があるなど整合性の欠如が見られ、普通の人の感覚では非常に理解しにくい。
===
長谷川氏は「発達障害」とされている。
疾病分類がどのようなものであれ、やはり、「生死の境界」概念の問題になるだろう。。。

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20090120-567-OYT1T00620.html
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20090120-OYT8T01213.htm

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by kisugi_jinen | 2006-06-10 07:41 | つれづれ。。。 | Trackback(2) | Comments(2)
ネットでの金の流れ。。。
合計1000万円の旅が当たるプレゼントキャンペーン開催中!

てのがあったので、とりあえずトラバってみる。。。

おそらく、最終的にはアフィリエイト収入の増額を計る目的なのだろう。。。

その昔、流通機構が制限された状況下では、行商人が町々を渡り歩いていた。
若干の流通機構の進展で、卸売り、小売りという流れができ、町の商店街は活気にあふれていた。
流通機構のさらなる進化で、量販店、郊外中心の大規模店舗、コンビニ型へと業界全体がシフトしていった。
さらに、状報通信網(情報通信網ではない)の促進で、無店舗型ないし、アフィリエイトを中心としたネット通販が主流を占めようとしている。

品物は別として、一見、ネット上でお金が動いているかのごとくに錯覚してしまいがちだが、現実には、現物を購入するかどうかにて、お金が動くものである。

個人の購入可能範囲が最初に決定されていて、その中で、ネットを通じての売買ないし、ネット広告を見ての売買がどの程度行われるかが、企業が投資しうる総額に影響を与えるべきものであろう。

逆説的に言えば、ネット販売への投資額が、個人消費の対ネット比を上回るような情況まで過剰になれば、いや、全業種がそのような方向へ向かってしまったならば、というより、そういうレベルまで消費側もシフトしてしまったならば、旧来型の小売店や商店街は更に破壊的なダメージをうけるであろう。

ネット通販と連動していない販売店も、地盤沈下は避けられないだろう。

そうなったとき、いまですら懐かしい思い出となってしまった商店街や小売店での店先の会話も、通学路での安全性も(そして寄り道も)、ありとあらゆる実体験の場が、ネット上へシフトしてしまうことになるかもしれない。。。

どこに、ターニングポイントが隠されているのだろうか。。。
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by kisugi_jinen | 2006-06-06 05:34 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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