AX
<   2006年 02月 ( 6 )   > この月の画像一覧
新潟の?。。。くるみ。。。
朝日新聞刊行の「新潟の?」という本がある。
新潟以外の地域から、新潟に来たときに驚くことの数々を綴ったトリビアである。

その、トリビアにも乗っていないトリビアに気づいていたが、ネットで検索しても、余り記述がなく、そもそもの事の起こりが不明なトリビアがある。

それは、太巻きの中に、胡桃(クルミ)が入っていることである。
関西出身の私たち家族にとって、それは衝撃的な出来事であった。
(関西発祥の)恵方巻きを食べたら、中から胡桃が出てきたのである。
去年やられたので、今年は妻が「胡桃なし」のをワザワザ選んできたぐらいである。

どうやら太巻きの中に、クルミを入れているのは、新潟だけのようで、コンビニでも新潟地域だけに限定して入れているようである。(いくつかのブログで記述されていた

上越あたりで胡桃がとれるようで、そちらの郷土料理に「胡桃ご飯」というのがあるそうだ。また、東北地方にかけて駅弁に「くるみ」の入ったものが見受けられる。(「くるみ寿司」など)。

ご当地名産の胡桃。。。ごはんと一緒にするという、その系統から太巻きに入れ始めたのではないだろうか?と、勝手な想像をしている。

※06/07/31 19:25 この投稿に対して不適切なリンクをもったコメントが連続して入るため、一時的にコメント不可に変えます。ご了承のほど、お願いします。
[PR]
by kisugi_jinen | 2006-02-24 07:15 | つれづれ。。。
巨大苺。。。
この間、息子の大好きな苺をパックから取り出していたら、巨大苺が出てきた。。。
二つぐらいがくっついたのは良く見るのだが、少なくとも3倍の大きさがあり、蝶(ないし蛾)が羽を広げたような感じであった。。。

b0032038_22283529.jpg

[PR]
by kisugi_jinen | 2006-02-22 22:29 | photo。。。 | Comments(0)
園児を持つ一人の親として。。。
悲惨な事件が、また一つ、記録されていく。。。

事件の背景は想像するしかないのだけれども。。。

彼女の持っていた境界。。。言葉。。。精神状態。。。

そういったものを認識しつつ越えることはできなかったのだろうか。。。

一つの投稿として立ち上げることすら、あまりにも惨すぎる事件。。。

境界を境界として認識しつつ、相互に「思い」という情が繋がっていたならば。。。

夫婦との間、家族との間、近所との間、園児との間。。。

悲惨な結末を迎える前に解決していれば。。。

いや、そういった事例は報道されることなく埋もれていくのかもしれない。。。

園児を持つ一人の親として

私にできることは何なのだろうか。。。

園児を持つ一人の親として。。。
[PR]
by kisugi_jinen | 2006-02-20 02:16 | つれづれ。。。 | Comments(0)
こころ。。。関連性の束縛を越えて。。。3。。。
生きているということ

そう感じることの大切さを。。。

。。。ただそれだけで十分

科学の視点から見た心は

一元論的であるか、二元論的であるかで、多義図形として反転する。。。

宗教の視点から見た心は

信じるか、信じないかで、多義図形として反転する。。。

他者から見た心は

良きものをもたらすか、悪しきものをもたらすかで、多義図形として反転する。。。

自身から見た心は

貴方が考える考え方で、多義図形として反転する。。。

すなわち

外から見た心は

見るものの視点の取り方で、多義図形として反転する。。。

関連性の束縛とは、そういうこと。。。

多義図形の一側面にのみこだわり続けることが、心のありようを決定してしまっているということ。。。

どうして、固定された視点にこだわる必要があるというのだろうか?

貴方の心は、貴方の心として、そのままにあり続けるというのに。。。

心が求めるものを、形あるものでさえぎってはいないだろうか?

形あるものも大切なもの

しかし

心が求めようとしていた方向性の途中に、形あるものが立ち現れただけではないのだろうか?

立ち現れたものとの偶然的、必然的、運命的、宿命的な出会いを大切にしつつ

その関連生を、更に越えようとしている心の本来のありようをも思いつつ

多義図形の一側面へのこだわりを知りつつ

旅を続けて行くのが人生なのかもしれない。。。
[PR]
by kisugi_jinen | 2006-02-19 04:31 | 思考。。。 | Comments(0)
こころ。。。関連性の束縛を越えて。。。2。。。
oniさんが、写真展について書いておられた。
3つの写真展が一つの場所(東京都写真美術館:http://www.syabi.com/)で行なわれたようである。会期中のみ案内を見ることが出来るだろうから、以下、出展者に関連するサイトのリンクを掲示しておく。
植田正治
http://www.japro.com/ueda/
岡本太郎
http://www.taromuseum.jp/
http://www.taromuseum.jp/exhibition/exhibition_archive2004.htm
Mai Nam
http://news.nationalgeographic.com/news/2002/01/0128_020129vietnambook.html
http://news.nationalgeographic.com/news/2002/01/0129_vietnam3.html
http://news.nationalgeographic.com/news/2002/01/0129_vietnam10.html

oniさんの解説は、おそらく、非常に的確な上、彼の感性という限定した窓を通しての記述であるとはいえ、まざまざと写真の持つイメージが瞬時に伝わってくるかのごとくであり、余すところ無く表現されておられるように感じ取られる。

oniさんは、
普通考えられる状況にそれを異化する要素が入っているからそのインパクトを強めるということであり、
と、締めの文章の中で語っておられたが、それはまさに、知と情の混合が写真という一つの時空の切断面にて交わるからだろうという感覚をもたらしてくれる。

「いのち」とか、「こころ」とか、「情」とかを強烈に意識し、考えるのは、そういった知と情の強いコントラストにばったり出会ったときなんだろう。。。そう思える。。。

そういった、どうしようもないコントラストの強さを受け入れようとするとき、どちらか一方を切り取ってしまう場合と、両方を受け入れようとする場合と、両方を拒絶しようとする場合とが、人によって異なってしまうのだろう。。。

これは、二重スリットの実験にて、「存在」の粒子性と「存在」の波動性とを同時に受け入れようとすることにも匹敵するように思われる。

一枚の写真が多義図形のごとくに複数の視線(多義)の交錯の微妙な中間帯に浮かんでいるとき、知が情を通り越して行く様と、情が知を通り越して行く様とを、自身の感覚の中にて織り成して行くことが出来る。

それは、不動点としての写真がもたらしてくれる永遠の振動であり、不思議な魅力でもありつづけるのだろう。。。
[PR]
by kisugi_jinen | 2006-02-05 03:42 | 思考。。。 | Comments(0)
こころ。。。関連性の束縛を越えて。。。1。。。
さて、何回かに分けて、物質側(現在主流の一元論側)の視点から見た場合の、「こころ」を記述してきた。

物質側からの束縛は、客観的な方向、すなわち、「わたし」からの視点ではなく、「あなたがた」からの視点にて、「わたし」への方向に相当する。

言い換えるならば、「わたし」と「あなたがた」の交換可能性という立脚点、ないし、「わたし」も「あなたがた」も存在しなくても可能な立脚点での話である。

この方向からは、「こころの能動的側面」の記述が不可能であることは当たり前なのだが、少なくとも、「こころの能動的側面」が、科学文明や歴史的事件に寄与してきたことは当然のことであり、科学的な記述が不可能だからと言って「ない」とは決していえないということである。

※06/02/04 10:05追加
歴史的事項に触れなくても、こころの能動的側面が体を動かしているというのは、至極当たり前だと思っておられる方々が多いであろう。しかしながら、現状の科学的認識可能範囲から、心の能動的側面を否定しておられる方もおられるということも、知っておくべきででしょう。ex.前野氏の受動意識仮説

さらに言えば、科学的・客観的な視点から「こころの能動的側面」を捕らえようとするならば、周囲の物質との関連性について調べる必要が出てくるであろう。

そういう意味においての、現存の科学理論との整合性を破らない範囲にて能動的側面を記述するならば、私の提示する仮説1、すなわち、量子力学的な確率(ないし、量子熱力学的なレベルにまで連続して拡大可能であるならば、そのレベルでの確率)との非因果的な関連性においてのみ、能動的側面は認められるであろうと言うことである。

で、上記理論展開をよーく見てほしいのだが、現存の科学理論では「物質との関連性」というレベルでしか「こころの能動的側面」を捕らえきれないという限界がある故、物質との関連性を持たない範囲においては、「こころの能動的側面」は、境界無く解放されていると捕らえることが可能である。

このことは、宗教の流布や、言葉・思想の流布が、音や光のエネルギーそのものの伝達ではなく、音の周波数パターンの伝達や、光のパターン(絵・文字のパターン)の伝達でのみ、伝わると言うことからも、あきらかである。

ただし、注意しておかねばならないのは、上記パターンの伝達は、あくまで「状報」の伝達であって「情報」の伝達ではない

情報・状報の関係を一時棚上げにして、先ずは「パターンとエネルギー」との関係についてを記述する。

まず、「パターンとエネルギー」とは交換不可能である。

このことは、厳密に量子力学的な確率(ないし熱力学第二法則、もしくは等重率の原理)をエネルギーでどうこうできないということからも、明らかである。

ちなみに、熱力学レベルでのパターンとは、「閉じた系における内部エネルギーの分布状態、ないし揺らぎ」に相当する。それ故、厳密には
「パターンと外部エネルギー」とは交換不可能である。
になる。

次に、状報・情報の関係から見ていく。

上記エネルギーとの交換不可能性を立脚点として、では、科学的客観的な確率論の立場から、「こころの能動的側面」を捕らえることができるのか?

これは、すなわち、ESPカードなどの実験系に頼らざるを得ないことを意味しており、それ以外の手法が全く無意味であることを暗に提示している。

このことは、「こころの能動的側面」とは、そういった概念、すなわち、非因果的連関レベル(ユングの共時性レベル)でしか、客観的には捕らえられないということを意味している。

逆説的に言えば、「こころの能動的側面」がESPカードレベルに影響するとすれば、全人類の「こころの能動的側面」が、無意識のうちにもESPカードレベルに影響していることを排除することが不可能であることを、意味している。

このことは、量子力学的な相互作用が、量子一つとスリット二つとスクリーンのみの関係にとどまらないこととと密接な関連性を持っている。

すなわち、スクリーンとの相互作用を生じたとたん、スクリーンと連続しているマクロ系すべてとの相互作用が生じる故に、確率論的な決定論への過程に宇宙全体のマクロ系を構成しているすべての量子との相互作用が生じていると考えざるを得ないことと密接な関連性を有していることは、明らかであろう。

上記は、そもそも、エネルギー変化を伴わない、確率論的記述としてのパターン、すなわち「状報」と、こころの能動的側面が関与する「情報」との違いが何であるのか?ということと、密接に関連していることになる。

科学的・客観的な側面から(すなわち、交換可能な側面から)、「情報」を記述しようとすれば、それは「状報」になり、情の知的切断面としてしか認識され得ない。

ざっくばらんに言えば、「ありがとう」という言葉を発するとき、その「ありがとう」は、その言葉を発した当人と、その言葉と、その言葉が対象にしている「人・もの」との総体でしか、語りえないというときに、初めて「情報」としてとらえうるのである。

逆に、言葉・(音ないし光の)パターンとしての「ありがとう」は、交換可能であるが故に、その言葉を発した人物および背景や、その言葉に込められた情や、対象およびその背景についてを切り捨てたところに「状報」としての「ありがとう」が成立する。

。。。と、疲れたので、続きは、また今度。。。
[PR]
by kisugi_jinen | 2006-02-04 09:19 | 思考。。。 | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28
検索
カテゴリ
最新の記事
お知らせとリンク。。。
お知らせ
●コメントスパム対策のため、承認制に変更しました(2010.09.29)
●トラックバックのリンクチェック機能を追加しました。excite以外からのトラックバックをされる場合、当該記事へのリンクを埋め込んでください。
リンク
ゲストブック
---全体的なコメント等は、こちらへどうぞ。。。
来生自然のホームページ
---私の知の思想史。。。
鉄鼠
---「考える」ということに向き合う。。。
Genxx.blog
移転後http://blog.genxx.com/
---「情」を含めて専門的な立場から「こころ」を模索し続けるGenさんのブログ。。。
研幾堂
---山下裕嗣氏による哲学のサイト。以前、形而上学についてやりとりさせていただいた。
記事ランキング
最新のコメント
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 01:29
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 03:51
kisugi_jinen..
by Kandomonmasa at 14:28
> SumioBabaさ..
by kisugi_jinen at 10:41
「神」を完全に解明しまし..
by SumioBaba at 05:06
最新のトラックバック
所詮ゲーム、背景を勘ぐる..
from 来生自然の。。。
シン・ゴジラと所信表明演..
from 来生自然の。。。
ポケモンGOのお台場騒動..
from 来生自然の。。。
シン・ゴジラ。。。
from 来生自然の。。。
[自我=自己の自己に対す..
from 来生自然の。。。
以前の記事
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
ライフログ
ファン
ブログジャンル
画像一覧