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心の広さ。。。心の深さ。。。
心の広さ。。。
あらゆる物事を受け入れるように思えるとき
「心が広い」という表現を使う。。。

心の深さ。。。
あらゆる物事の奥深きところを思うとき
「心が深い」という表現を使う。。。

心が対象物に染み込み、
私と対象物とが一体になったように感じるとき
そのような表現を使うことが多いであろう。。。

知的切断。。。

それは、自・他の繋がり(主として情)を切断する。。。

知的切断。。。

それは、概念形成と相同の関係にある。。。

知的切断。。。

それは、認識可能な、生み出された境界線そのもの。。。

情・繋がりは、知的切断にて、虚しくも切り離されようとする。。。

「己が信念の正しさ」にすがりつくとき
既に知的切断が「己」と「他」とを切り離す

「己が信念の正しさ」という知的に切断された概念を幻想的に共有可能なとき
切断面は互いに繋がりあおうとする。。。

そうやって形成された集団こそが「宗教団体」となる。。。

宗教団体を否定するものではない。。。

人は生きるときに、かならず概念を共有できるもの(切断面同士をつなぎ止めようとするもの)と結ばれようとする。
それは、夫婦であり、親子であり、隣近所であり、友達である。。。

宗教との境界。。。

それは、「正しさ」という「知的切断面」に基づいているかどうかであろう。。。

「正しさ」という知的切断面。。。

それを越えるものは、さらなる情。。。

境界を越えようとする情は
時に悲劇を生み出すだろう
そして
時に奇跡を生み出すだろう
。。。

北九州の連続殺人事件。。。

被害者と加害者との奇妙な同居生活。。。

彼らが共有していた知的切断面とは、いったいなんだったのだろうか。。。

彼らにとっての「生死」の概念(知的切断面)は、私が持っている「生死」の概念(知的切断面)と異なっているのかもしれない。。。

一方的な過酷な危害の連続を越えてもなお繋がりあおうとしている家族。。。
切断面は決定的であったにもかかわらず、逃げなかった家族たち。。。

境界を越えようとする情があったのかもしれない。。。

境界を越えようとする情は、一方通行の時、悲劇を生み出すようだ。。。

硬い殻に覆われたオームが金色の触手を伸ばすとき、風の谷のナウシカが心を解き放つとき、双方向の情が、マスク・瘴気・殻の壁を越えて繋がりあう。。。

知的に切断された情の、歪んだ繋がりがあったのか。。。
それとも
境界を越えようとする情が一方通行だったのか。。。

知的切断の生み出す悲劇。。。
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by kisugi_jinen | 2005-09-30 12:43 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
過去の記録。。。1。。。
思春期の日記を整理することにした。

あまりにも特殊な家庭環境における、一個人の赤裸々な綴りは、残しておくのに忍びない。
子供たちが育っていく環境は、明らかに異なっていく。。。

整理するといっても、大部分は「来生自然のホームページ」の「過去の悩み」を中心に集約してあり、かつ、このブログ内にて展開してきた言葉の中に息づいている。
私の中学時代から高校時代にかけての思い出の数々を、心を削り出す思いで言葉にしたものたち。。。
多くは、父との確執によって生まれた言葉たち。。。
その肉筆の言葉には、ワープロ文字にはない、深い情が埋め込まれている。

対局する二つの思いの間を揺れ動いていた心。。。

切断しようとすることと、繋がりあおうとすることと。。。


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by kisugi_jinen | 2005-09-29 05:02 | 思い出。。。 | Trackback(2) | Comments(0)
諸説ある歴史的事項について。。。
近年、国際的にも、また、国内的にも、過去の歴史的事実(とくに語源とか起源とか真実とかいった事項)について、諸説紛糾する事態が多く見受けられるように思います。

さて、「歴史的事実がどうであったか」は、関与する人々の立場にて異なることは十分に考えられることであり、そういった食い違いがあるからこそ歴史的事実なのではないでしょうか?

双方から同じ扉を開けようとして、片方からは赤く見え、もう片方からは青く見えた。
では、その扉の色は何色だったのか?

そんなことを議論しても、はじまらないし、おわらない。

議論をしたい人が議論のために酒の肴の引き合いに出す程度のお話にしかすぎなくなってしまう。

何が重要か?

おそらく、歴史的な悲劇であれば、そういったことを回避したいという思いがあるはず。
歴史的な快挙であれば、そういったことを再度起こしたいという思いがあるはず。

すなわち、歴史的事実を現代ないし将来の世界に投影しようとするときの扱いに問題が発生するといえる。

さらに言い換えれば、扉の色の問題ではなく、
なぜ、そこに扉があるのか?
どうして、その扉を双方が開けようとするのか?

と、

そういうことが問題になるべきはずではないのだろうか?

※bold部 05.09.27 01:21追加

そういった処理をする過程において、(真実ではない)その歴史的事実が、多面的(だまし絵的、多義図形的)に見えるということが大切であり、どういった側面で観ることが可能なのかということは、真理の追究というより、歴史的事実の追究という観点からも、可能性として突き詰めておく必要がある。このとき、歴史的事実は、「年代を経てからのの解釈」という事実をも含む。

そうして認識されてきた歴史的事実は、一つ一つの「物語」にしかなり得ない。。。特に、後付け解釈されたような場合には、なおさらであろう。。。

重要なことは、それらは、総体を知的に切断することで得られた物語であり、その知的切断面(解釈)につながろうとする人々が多く群がる物語が、(たとえ嘘であるにせよ)より「真実み」が強く思われてしまうことであろう。。。

真実ではない事実に突き当たろうとすれば、そういった知的に切断された個々の物語をも越える情が必要だと思う。

たとえば、「ねぶた祭り」

「ねぶた」の起源には、諸説様々有るという。

どのような説をとるにせよ、それぞれが「物語」を生み出すほどに奥深いものがあると思う。

そういった「相違」が何に起因するものなのかは別として、「ねぶた」への、現在の人々の思いが重要なのだろうと思う。

「ねぶた」を通じて、何を思うのか?

「ねぶた」を通じて、何を願うのか?

何百年も続いている行為にたいしての知的切断は、脈々と流れ続けている「思い・心・情」を切り裂くだけで終わらせるのならば、無意味であろう。

切断したならば、切断面から流れ落ちる血・汗をどのように受け止めるかを、真剣に考えなければ、その切断面に群がる無数の情に飢えたものたちに押しつぶされてしまうだろう。。。

※注 05.09.28 06:40 追加
「明らかな嘘」の混入は排除されるべきであるが、事実が物語化される過程というのは興味深いものがあるように思われる。
そうそう。。。
ここで言うところの「事実」であるが
1.いわゆる「真実」とは異なり、「ある特定の個人」の視点から記述可能な歴史。「○○にとっての」という限定が入る。すなわち
 「誰が見たって明らかな」とか、「私にとっての」とか、「日本人にとっての」とかいった限定がなされることが多い。
2.上記は、いわゆる「史実」に近いが、さらに、そういった「できごと」を「物語化」したものをも「事実」として扱う。ただし、限定条件としての「物語化した」、および「何時、誰が、物語化した」などがくっつく。
3.さらに、「明らかな嘘と証明されうる」という限定条件をつけたことがらも、そういった条件を付して「事実」として扱う。

という、「私個人的な」考えである。

真実と物語と嘘と。。。これらの間に明確な境界が引き得ない以上、様々な付箋をつけた「事柄」および「事柄に対する発言」を扱う必要がでてくるであろう。
そういった「事柄」すべてを「○○にとっての」という条件を付した「事実」として扱い、「なぜ、そういった事実が共有されたり提唱されようとするのか」という背後関係に目をやることで、上述したドア(知的切断面、境界)についての、深い洞察が可能になるのだろうと考える。

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by kisugi_jinen | 2005-09-26 22:11 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
存在の相対性。。。脳とこころと。。。4。。。
前回の認識の相対性では、自己と他者との関係に相当する太陽と地球、地球と月といった関係に関しての投稿記事との関連性を指摘した。

では、存在についてはどうだろうか?

(私は哲学者ではないので)哲学的な存在という扱いとは、おそらく少し(いや大分)外れる議論になってしまうかもしれないが、あえていうなら、「私」という身体(脳)に対する「わたし」という心(精神・たましい)とは、独立しては存在し得ないと考えている。
※二元論と一元論→「にこごり。。。」参照

幾度か書いてきたが、「磁石に対する磁場の関係」のような関係である。

物質と場との関係。。。

地球に対する地磁気の関係、あるいは、地球に対する地球の重力との関係である。

地球がなくなれば地球の重力はなくなるという考えが一般的である。

しかし、地球の重力がなくなれば地球がなくなるという考え方も正しい。

そうして、地球の重力は地球を中心として無限遠にまで影響力を有している。

人間は視覚の優位性があるゆえ、目に見える物質を主体として考える癖がある。

ゆえに、地球の重力が地球の附属的な性質だという概念(知的切断面)で両者の関係を捉えようとしてしまう。
しかし、そうではないはずだ。それぞれが相対的に存在しているというべきである。
このあたりまでの考察は、「認識の相対性」にて引用した「天動説と地動説と相対性と。。。 」を焼きなおした文章で説明可能であろう。。。

では、両者を関係付けているものとは、一体何なのだろうか?という疑問が沸いてくる。

少なくとも、「地球」と「重力」と「関係付けするもの」、あるいは、「私」と「わたし」と「関係付けするもの」の三者は、相互に関係しているということを切り離すことが不可能な以上、「総体」として捉える必要がある。

たとえば、一つの考え方としては、ホログラフィック宇宙()のような高次元宇宙の投影としての4次元時空への投影像という考え方がある。
※注:本来のホログラフィック理論では、部分が全体の情報をも持っているホログラフィックとの関係を使った宇宙論への展開であるが、ここで言うところのホログラフィックとは、「もし、ホログラフィック宇宙論が正しいとした場合に」部分への焼きこみ過程があったはずだという、その「焼きこみ過程」を意識している。したがって、通常、低次元から高次元への投影というホログラフィックの投影方向とは逆の製造過程である。

様々な説が提唱されうるであろうが、ここで絶対的に外せない論点は「総体(全体)と個と。。。」 で、記述した内容にあるように、これらを切り離して考えることができないということである。

要約すれば、切り離して考えようとすることは、一つの「客観的」アプローチであり、科学的近似解への収束をもたらし得るけれど、最後の最後に「わたし」を含める・含めないというエヴェレット解釈・コペンハーゲン解釈にぶち当たるということである。

視覚の聴覚(を含めた他の感覚)に対する優位性は、知の情(を含めた他のこころの側面)に治する優位性と相同の関係にあり、上記「客観的」アプローチの方向性をも決定付けている。

そのような思考癖(静的概念・知的切断面)に囚われることがなくなれば、存在の相対性を垣間見ることができるであろう。。。

科学的には、物質と場との関係について、数式を用い、科学的用語を用いて説明をすることができる。すなわち、簡単に言えば、物質の量が増えれば、重力場が強くなるとかいった概念である。
しかしながら、なぜ物質に重力場が並列して存在するのか?といった、根本的な存在論的考察については、科学的な攻めでは、不十分になってしまう。即ち、推測の域を出ないということになる。それでも、幻想的にでも共有可能な知的切断面(概念)は、論理的・理論的・無矛盾な説明を求め続ける。。。

存在の相対性を突き詰めると、「私(脳)」と「わたし(こころ)」との二元論や、「私(脳)」に付随する「わたし(こころ)」の狭義の一元論は無意味になると考える。

「私(脳)」と「わたし(こころ)」と「両者を関連つけているもの」との三者の切断不可能な総体としての存在(一元論的な存在)
ないし
「私(脳)」と「わたし(こころ)」と「両者を関連つけているもの」との三者の総体の投影像(切断面)としての認識(二元論的な認識)

といった幻想的にでも共有可能な知的切断面(概念)が、一つの論理的・理論的・無矛盾な説明として提唱可能だとしか(今の私には)言えない。。。

※2005.09.24 06:32 追加
※2005.09.24 10:40 リンク埋め込み、一部訂正
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by kisugi_jinen | 2005-09-24 01:20 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
認識の相対性。。。脳とこころと。。。3。。。
こんな記事を投稿していたのをすっかり忘れていました。

天動説と地動説と相対性と。。。

上記関係と、脳と心との関係とは、(存在論を無視したとしても、)認識論的に関連していると思われます。
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by kisugi_jinen | 2005-09-23 19:44 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
なんだか最近。。。
(自身の記事を含め)エキサイト内部へのトラックバックを行なおうとすると、うまくいかないことが多い。。。
今しがた、自身の記事に向けてトラックバックをしたにもかかわらず、反映されず、編集画面戻ってしまう。
4,5回繰り返すも同じ。
エキサイト内部のカテゴリーへのトラックバックは良好に行なわれるんだが、何故なんだろう?

→トラックバック欄に自身へのトラックバックが4,5個並んでいたとしたら、エキサイトのサーバの反応が鈍く、私自身が確認している時間外に反映されたものと理解してください。
とりあえず、仕事に出かけます。
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by kisugi_jinen | 2005-09-21 05:13 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
心と脳と。。。2。。。
「心を広く持とうよ。。。」

その一言に、心が脳に縛られない、さらに広い世界を持つことが表されていると思う。



「もったいない。。。」

逆輸入された一言の奥に、「思いやりの心」、「感謝の心」と、「わたしの脳」を越える広い世界が広がっていることを、深く認識すべきなんだろう。。。
そうして、その「認識」が、自己の脳でなされているにもかかわらず、「認識対象である心」が、脳を越えて広がっていることを、深く感じ取るべきなんだろう。。。

。。。認識論としての唯脳論。。。存在論としてのこころ。。。

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by kisugi_jinen | 2005-09-21 04:41 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
こころと脳と。。。
「脳に心がある」
と、思い込んでしまう人々が増えているような気がしてならない。。。

最近の脳科学の目覚しい発達が、そういった幻想を抱かせる。

果たしてそうであろうか?

なぜに、人々は「脳」のことを「学習」しなければ、「心が心臓にある」と、思ってしまうのであろうか?

全身を投影した脳内マップ上にて、情動と関連する心臓の動きを感じ取る領域こそが「心の中心」という考え方もできる。したがって、「心は脳内にある」ということも言える。

しかしながら、脳を全身から切り離した状態を保ち続けることが可能だったとして、「これこそが真の私」といえるだろうか?
さらにいえば、脳にこころがあるとして、そのこころが心臓に心があると思いたがっているということとのズレ(中心のズレ)こそが、「こころ」というものを表しているのではないだろうか?

すなわち、「こころ」は、「あると思うところ、あると思う範囲」にある。

ということになろうか。。。

論理的・理論的・無矛盾な知的思考は、本来自由で開放されている心を、狭い不自由な空間に押し込めようとしているように思えてならない。。。

※05.09.17 22:55 リンクを追加
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by kisugi_jinen | 2005-09-17 06:53 | 思考。。。 | Trackback(4) | Comments(11)
情報・状報・エントロピー・エネルギー。。。そして「こころ」。。。
部分が全体の一部であるかぎり、個がぞれぞれ独立しているかのごとく振舞ったとしても、完全なる独立はありえない。

しかしながら、人智は、ゼノンのパラドクスの境界、ゲーデルの完全性・不完全性への境界、否定神学への境界へと突き進み、自己という臨界点を決定しようとする。

知的・理論的・論理的・無矛盾の限界が上記臨界点であったとしても、なかったとしても、人々は、自己・非自己という知的(精神的)境界を生物学的(物質的)境界ちかくに作り出す。

その境界は、個を含み全体内部でダイナミックに変動しているというのに、「自己とは?」という問いを発した途端に、生物学的自己の内部に向かって退縮しようとする。

精神的境界の外方へのダイナミックな変動(境界の外部との相互作用)こそが、「生きている」ということの証の一つではないだろうか?

そう考えたとき、一つの疑問が発生する。精神的作用として物質から切り離されうる作用は存在しうるのであろうか?

結論から言えば、状報と情報とが混乱しているように、両者を切り分けることは本来的に不可能なのである。(量子力学的にもエヴェレットの多世界解釈を採択するならば不可能)

エントロピーの大小による状報(ゲネントロピー)の小大の取りうる範囲は、一定粒子量における最大限表現可能な状報「量」の定義から影響を受けるに過ぎず、系全体のエネルギーの大小とは、本来的には無関係である。(強いてエネルギーとの関係を言うならば、系内部のエネルギーの分布状態が異なるということだけである)

総体として一定のエネルギー量という音楽があったとして、内部での音符の入れ替え、高低の変更、音の長さの変更が自由であれば、表現されうる音楽は無限になる。

同じことは、話し言葉にも当てはまる。

もっと卑近なところで説明するとすれば、トランプのカードをランダムに並べるときと、意味ある順番に並べるとき、並べられたトランプのエネルギー状態を一定にしたまま、系のエントロピーを変化させることが可能である。

さらに熱力学的状態にモデルを近づけるなら、箱の中に一定量のボールをランダムに放り込んだときと、片隅に寄せるように詰めた場合とで、箱の中のエネルギー状態は同一であるにもかかわらず、エントロピーが異なるといった状態を再現できる。(ただし、ボールが熱振動して勝手に動くという状態ではないので、厳密には再現できていない)

自然現象に見るとすれば、全地球のエネルギーが同一状態であったとしても、台風が一つも発生しない状態と、たくさん発生した状態とでは、エネルギーの分布に差が生じており、エントロピーが異なるということになる。

ランダムであるか、「意味がある」かは、そこに現れた時間的・空間的「順番」と、それを「信号」として発信したり、受けとったりする側が、何がしかの反応、ないし一定の反応をするかしないかにて決定されうる。

エネルギー的・エントロピー的に同一であるにもかかわらず、「異なる順番が意味を持つ」場合に、そのものは、いわゆる「状報」という定義に当てはまる。

そうして、その影響を及ぼす対象が精神的な要因をもつ(すなわち「こころ」をもつ)場合には、それは「情報」になりうるであろう。

また、系全体のエネルギー変化を来たさない状態変化(エネルギーの変化を伴わないエントロピーの変化)の最も根本的なところは、素粒子のスピンの方向性といった量子力学的な状態が飛び飛びの量しか取りえないということと密接に関連している。

それゆえ、確率における従属・独立と共時性・シュレーディンガー方程式。。。における考察が意味を帯びてくると思っている。

※この投稿は、「不合理ゆえに我信ず」の「精神世界」と「気」にて、エネルギーの取り扱いに問題があると思われたことが「ひとつの」きっかけとして書いています。
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by kisugi_jinen | 2005-09-17 06:32 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
あっという間に。。。
息子の4回目の誕生日

テロから4回目の記念日

選挙の日

が過ぎてしまった。。。

私も、どんどん年を取って行く。。。

年月の積み重ねで築き上げられてきたもの。。。

多くの知識・技術・伝統は、ボトムアップを経て、積み上げられてきたもの。。。

歴史の中に生まれいずるということは、積み上げられてきた過程を、短期間の内にトップダウン的に「知」として吸収する必要性を求めてくる。。。

旧来の(私が経験してきた)教育課程では、いわゆる「詰め込み教育」ということが主体となっていたが、昨今、そういったことへの反省からか、「ゆとり教育」が主流となってしまった。最近、「ゆとり教育」の問題点が指摘されはじめ、ゆり戻しになりつつあるという。。。

子供たちには、選択の自由がない。。。

大人たちが「どうあるべきだ」という議論にて、次世代の子供たちのその後が決定される。。。

そうして、そういった教育の変遷の影響が真っ先に訪れるのが、彼らが実社会に出たときであろう。。。

トップダウンとボトムアップ。。。

二者択一は避けるべきであろうが、集団化という過程で二者択一へと落ち込んで行く限り、避けることのできない選択はいたるところに偏在する。。。

我が子たちの世代になったとき、どのような変遷が待っているのだろうか。。。
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by kisugi_jinen | 2005-09-16 08:58 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(3)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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