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<   2005年 08月 ( 10 )   > この月の画像一覧
知と情の戦の中で。。。ひとつの命の旅立ちの日。。。
生きとし生けるもの。。。
多くの犠牲の上に生きるもの。。。

情は敵味方を作り出し、知は両者を説得しようとする。
 民よ、民族よ、争いを超える手立てはないのだろうか?
知は敵味方を作り出し、情は両者を融合させようとする。
 論よ、理知よ、争いを超える手立てはないのだろうか?

。。。

b0032038_7234384.jpg
生まれ来たりし我が娘よ

月日の内に その命
その命を 育みたる

母なる大地、母なる大河、母なる大海
過去からの 多くの命に繋がりて

未来に生きようとする その命
かすかな希望が ある限り

いや、たとえ絶望が支配するかのごとくの
知的切断面に閉じ込められようとも

心のともし火は 御前のもの
その光は 御前の希望

いかなる壁が立ちはだかろうとも
希望の光は貫き通すだろう

その光が揺れるとき
私の心も揺れるだろう

その光が輝くとき
私の心も躍るだろう

月満ちるこの日に生まれし娘よ
たとえ何が起ころうとも
私の心はここにある

越えて行くも良し
見届けるも良し
離れて行くもまた良し

生れ落ちたこの瞬間から
母なる母胎を離れて

御前の人生が 今 始まったのだ。。。

※注:8月20日は満月でした。。。
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by kisugi_jinen | 2005-08-20 18:47 | つれづれ。。。 | Comments(0)
蟻たちの戦い。。。
二日ほど前の夜、外食をしているとき、ふと、白い玉砂利を敷き詰めた窓の外の庭に、羽蟻(といっても、シロアリではなく、巣作りのために飛び出した雄雌の蟻)が数匹集まってきていた。夜の闇の中に輝く座敷の明かりと白い玉砂利に引かれてやってきたのだろう。。。

じっと見ていると、飛び方、彷徨い方が盲目的であり、一所をあっちに行ったり、こっちに行ったりしている。

おそらく、明かりに連れられてやって来たはいいけれど、巣作りに適した土の地面が見当たらずに、探し回っているといった感じである。

と、お仲間の蟻たちが数十匹程度、歩き回っているのに気づいた。

彼らの両親も、同じようにしてたどり着き、幸運にも、巣穴に適した隙間を見つけ出したのかもしれない。。。

と、思っていると、羽蟻が徘徊している時、蟻にぶつかった。それまでヨタヨタしていた羽蟻が、急にビクッとして動きが早くなった。

続きを読む。。。
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by kisugi_jinen | 2005-08-20 04:43 | つれづれ。。。 | Comments(0)
手紙。。。
9月11日で満4歳になる息子。。。
あれからもうすぐ4年の歳月が流れようとしている。。。

息子が身重の母親と暮らす田舎は、携帯の届かない圏外(といっても、PHSだからなのだが)。
Faxすら置いていないので、通信手段は電話か手紙になってしまう。
息子も、最近は電話口で、ある程度話せる様になっては来たものの、「じゃあね、バイバイ」といって、すぐに別の興味あるものの方に走って行くようだ。

そういうこともあってか、手紙を書くことが多くなった。

手紙だと、本人の気に入ったときに読み返すことができる。
どうやら、義理の両親(息子にとってのおじいちゃん、おばあちゃん)に読んで聞かせているようだ。

ただ、着くのに2,3日はかかってしまう。

でも、到着までの余韻というのが、なんとも言いがたい思いの深さを与えてくれるような気がする。

そうそう。。。ひらがなは、拗音や濁音をふくめて読みこなすまでになっているので、これから毎日、物語を書き送ろうかと思っている。

免疫がついていない状況でのインターネットでの状報(情報ではない)収集は、偏った方向へ暴走しかねないので、息子には、なるべく本をじっくりと読ませる体質に育て上げたいと思っているのだが、テレビやビデオの洪水ですら食い止められなかったので、どうなることやら。。。

このブログの更新が滞っているときには、仕事で忙しいか、手紙を書いている時と思ってください。。。
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by kisugi_jinen | 2005-08-16 22:25 | つれづれ。。。 | Comments(2)
個と総体と。。。その2。。。
以下moriさんのところにコメントしたものの一部改変です。


「全体・総体と個と」は、切り離せない

しかしながら、仮想的・幻想的にでも暦然とした境界を保ち続けようとするがゆえに、「個」は「個」でありうる。

総体と個とのどちらを主体に見るか?
といったとき、両者には包含関係しか存在し得ない

個が先か?全体が先か?といったことも、
個が優先されるか?全体が優先されるか?といったことも、一般論的には無意味な問いでしかありえないはずだと思う。

全体を一つの生命体とみなすという考え方も、あながち間違ってはいないのだけれど、粘菌のように均質な個が集まっていると考えるのか。蟻のように女王蟻のような母体的存在があると考えるのか。人間のように中枢があると考えるのか。といった「概念の差」で、随分と行動が規制されてくる。

すなわち、母体・中枢という概念に対して、再生可能・交換可能だと思われやすい子葉末節方向のものは切断されやすい傾向を担ってしまいうる(右翼的傾向)。とくに全体が縮小・低下する方向にあるときに顕著になる(現在の日本そのもの)

これに対して、母体・中枢にかかわらず個体こそが主であるという概念では、全体を支えるだけの基盤があるうちは非常にいいのだが、全体の地盤沈下が発生している状況では、母体・中枢が先に滅んでしまう(左翼的傾向)。(過去になりつつある日本そのもの)。

そうして、これら「どちらか一方のみ」を普遍的な真理として扱うならば、前者は「優生思想」への方向性を有し、後者は「平等思想」への方向性を有している。

知的切断面では二者択一へと落ち込んでしまう危険性が常に存在している。なにかが欠けているというとき、そこには「文」に相当するであろう「情」が欠けているように思うわけである。

もし、二者択一のどちらかの方向性を選択せざるをえない状況になったとしても、まちがっても「知的切断」の優位性、すなわち「知の絶対優位性」を前面に押し出してはならないと考える。
「個と個」および「個と総体」との間には、越えがたき境界が横たわっており、その境界をしっかりと認識したうえで、なおかつ、越えうるのは「情」以外の何ものでもないであろうからである。。。
(現在の、日本・韓国・中国などのアジアとの諸関係にそれを感じます)

「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」
(光厳院)

参考までに優生思想について書かれた森岡正博氏の一文へリンクしておきます。
http://www.lifestudies.org/jp/yusei01.htm
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by kisugi_jinen | 2005-08-16 07:48 | 思考。。。 | Comments(0)
「爆心地から遠くはなれて」を見終わって。。。
ダイ・イン。。。

原爆の瞬間を追体験しようとする人々の行動。。。
越ええぬ境界を越えようとしたいが為の行動。。。
その時を決して現実には体験し得ないにも関わらず、繰り返される行動。。。

原爆による影響は時空を越えて繋がっている。。。
「爆心地から遠くはなれて」(2005.8.8-8.13)の一つのテーマにそれを見て取った。

被爆国日本という境界。。。
被爆した県という境界。。。
被爆した民族という境界。。。
被爆は全人類の共通の問題であるという境界。。。
はたして、そのような境界設定に何の意味があるのであろうか?

被爆体験は個の問題であると同時に全体の問題でもある。
その時点で既に境界は消えうせている。。。


すなわち、境界設定が不可能。。。

それ故に、爆心地としてのモニュメントを残さざるを得なくなる。
モニュメントの設定は、一つの記号化・概念化・知的切断面化に相当するであろう。。。

記念日。。。

参拝者の方々は、死者の魂を信じる方々は、おそらくモニュメントを通じてその向こうに自らの肉親の魂を感じ取るに違いない。。。

ダイ・イン。。。

境界内部にいると思っている人々は、生死の境界をもやすやすと越えて、横たわることで共感を得ようとする。

自然に爆心地から放射状に頭が外側を向き、足が爆心地を向く。。。
(本当ならば、爆風には吹き戻しがあり、中心部へ向かって引き込まれる方向への爆風が直後に続くのだが。。。)

今は外見上狭められた境界内部に立つモニュメント。。。
そのモニュメントに向かって足を向けて横たわるという図式。
生死の境界を越ええぬものたち、その光景を第三者的に見る人たち、その人々の中で魂の存在を信じている人々がいたとすれば、その光景のみを目の当たりにしたとき、異様な感覚を覚えるかもしれない。

魂の集まるモニュメントに向かって、足を投げ出して横たわっている。。。


平和運動の根底には、越えてはならないはずの犠牲者との境界を越えなければならないという前提が付きまとう。。。

とくに、個人的な行動ではなく、集団化したときに取る行動には、内部の「あたりまえ」という交換可能な感覚が、外部に対して異様な感覚として映ることがありうる。。。

******************************

さて、画廊にはダイ・インの対極に置かれたもう一枚の拡大写真があった。

私が感じるところでは、この両者は不思議なまでに鏡像的であり、守りたいもの・拠り所となるものに対する境界の感じ方すら鏡像的であった。

それは、平和運動のデモ行進をする人々を取り締まる側の写真であった。

彼らの側では、デモというもの自体が守るべきものの境界内部での反体制運動に見て取れるのであろう。

国家という境界。。。
首都という境界
日本人という境界。。。
防衛は全人類共通の問題だという境界。。。
はたして、そのような境界設定に何の意味があるのであろうか?

防衛は個の問題であると同時に全体の問題でもある。
その時点で既に境界は消えうせている。。。


すなわち、境界設定が不可能。。。

それ故に、国民の拠り所としてのモニュメントを残さざるを得なくなる。
モニュメントの設定は、一つの記号化・概念化・知的切断面化に相当するであろう。。。

デモはそのモニュメントに向かっての一つの行動である。境界内部にいると思っていいる人々が境界内部のモニュメントに対して行動する。
。。。まさにダイ・インと重なる。

デモを取り締まる側は、彼らの行動が境界外部からの行動だという先入観で動かざるを得ない。
なぜなら、あきらかにモニュメントに向かっての抗議行動に見て取れるからである。
それ故に、彼らの行動を規定しているものも、また、ダイ・インと重なる。。。

※防御という行動体系は、「何から・何を守るか」という行為であり、攻撃する側とされる側という想定(戦闘状態の想定)を持ってすれば、過去、同様の行為をしていった人々へのダイ・インを通じて自身の魂を重ね合わせるかのごとくの行動に近いと思われる。(05.08.15 7:00追加)

デモは境界内部にて境界外部だと認識されうる一つの動きであり、それが、境界内部にて、境界の中枢に近いところで行なわれるときに、より効果があるだろう。

テロは境界内部にて境界外部だと認識されうる一つの動きであり、それが、境界内部にて、境界の中枢から遠いところで行なわれるときに、より効果があるだろう。

※即ち、中枢からの距離に応じて、防御という濃淡は変化しうるであろうし、テロなどは、その隙間を付いてくることが多いであろうということである。対して、デモは中枢に向かっての行動でない限り、負け犬の遠吠え的なイメージが付きまとうであろうということである。(05.08.15 6:55追加)
←このことは、当人の意思とは関係なく、「周りの視点」(集団化)に強く影響されていることを意味している。
テロではない本来の「戦闘行為」は中枢へ向かって一直線に立ち向かうべきものであろう。
デモではない本来の「平和への呼びかけ」は、中枢ではなく、広く皆へ向かって拡散して行くべきものであろう。(05.08.15 21:23追加)


デモを行なう側からの視点で、取り締まる側が異様な行動を取っていると思うとき、それこそが、ダイ・インでのパフォーマンスを見た外部の人々が感じるかもしれない異様さと重なりうるであろう。。。

***************************

上記、一見対立するように見える2枚の写真。。。
それは、私を通して更に反転してくる。。。

境界内部に境界外部が入り込むときに境界内部は問題視されうる。

たとえば、

(核兵器を使う使わないという問題以前に、)何らかの危害が自身ではない自身の近隣の人々に行なわれたとき、何を為すべきか・為さざるべきか。

そういった危険性があるという認識を共有した場合、おそらく、人々は、何らかの予防策を講じるだろう。。。

戦国時代、なにが百姓たちを守り、なにが百姓たちを襲ったのか。
それを回避する手立てがあったのか。

戦国時代とそれ以外とを区分されるように、多くの人々がそういった方向性を向いている時代というのが確かに存在する。

テロがなぜ功を奏するのか。

それは、戦時体制下にない状況(すなわち性善説が主体の状況)への境界を超えた戦時体制(すなわち対立する外部に性悪説を見る状況)の侵入以外の何ものでもないはず。
テロは、そういった「信じあう」という状況を徐々に変えて行く「信じあえない」へと。。。

そうして、「信じあえるもの」という境界が一つの集団を作り、それ以外を排除する。

被爆直後には、人種差別問題も見られたという。。。災害時の人種差別問題は、関東大震災のときにも存在した。。。

人種差別の始まりは、外見上の差異。これらは、知的切断面的に、交換不可能に感じられる。
動物と人間の差別の始まりも、交換不可能に感じられる外見上の差異から始まる。
しかしながら、遺伝子レベルでは、非常に似た部分や、生命・生物科学的には、非常に似た部分、共通する部分が存在する。
すなわち、共通項を探り出すという知的切断面的には、境界の設定自身、無意味だという結論にすら達する。

そういった共有可能性・交換可能性にすら境界線を持ち込みうる「信じあう」の破壊。。。
テロという行為は、2重の境界線を知的・情的に確立していく。。。

***************************

平和を求めて兵器の廃絶を訴え続ける人々。。。
  全体の平和を先に考え、それを個々の人々の行為にて実践していこうとする人々。。。
仮想敵国を想定して兵器の増強を訴え続ける人々。。。
  個の平和を先に考え、それを実現可能な範囲・集団にて実践していこうとする人々。。。

両者共に、モニュメントという中心が存在する。その中心に投影されるのは、それを信じている「己の魂」以外の何ものでもないであろう。。。

一人の人間に二つの方向性を感じ取れる以上、善・悪といった概念が共有されうる以上、二つの方向性は互いに境界を生み出して、永遠に交錯して行くのかもしれない。

そうして、その両者へと境界を越えて投げ込まれるテロ行為。。。

それは、境界をも破壊しつくす原子爆弾にも投影されうる。。。

※05.08.15 21:27 一部追加、一部リンク埋め込み追加

**********以下、05.08.16 22:55追加
上記、記述において、私は総体の水平方向での知的切断面を主体に記述した。
しかしながら、時代の変遷という垂直方向での知的切断面も色濃く影を落としている。
体験と体験談との差異
体験と疑似体験との差異
疑似体験とパフォーマンスとの差異

年老いて行く人々との知的切断面の共有・交換可能性は、共感・交換不可能性へと変遷しつつある。。。
経験者たちは全ての人々が雄弁であるはずは無く、多くの方々が忘却を望んでおられると思う。辛い過去を言葉という切断面で語ろうとする意思の強さには、時空を越えて情を貫き通そうという思いがにじみ出ているであろう。。。
業火に焼かれていった物言えぬ死者を思う人々。。。
長期の闘病生活の看護を通じて生き残った人々の苦悩を思う人々。。。
生き残ったが故に看護してくれる人々の苦悩を思う人々。。。
もっとドロドロとした人間模様に悲しみを覚える人々。。。

体験談の言葉の字面のみ追ってみても、それら思いは伝わってこない可能性が高い。
実際に会ってみて言葉を交わすときに、ひとかけらでも「ともし火」の光を受けとったならば、その光は心の中の自身の「ともし火」に混ざり合って、受け継がれていくのかもしれない。。。

「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院)

※タイトルおよび本文中、「爆心地から遠く離れて」としておりましたが、正確には「爆心地から遠くはなれて」でした。お詫びさせていただき、つつしんで訂正させていただきます。(08/05/05 23:40)

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by kisugi_jinen | 2005-08-14 10:52 | 思考。。。 | Comments(0)
脳内チップの先に思うこと。。。
脳内チップによる行動制御の技術は確実に進展しているようだ。
悪用された場合の影響の計り知れなさは、誰しも危惧するところではあるが、治療目的で使われた場合の患者の喜びもまた、計り知れないものがある。
こういった記事を読むに付け、脳を制御すれば全てを制御可能かのごとく錯覚に陥ることへの危惧と、脳から切り離されつつある身体という概念に対する危惧が脳裏をかすめる。

体制感覚・運動野の中枢と快楽中枢のみにて制御され続けた場合のラットに訪れる悲劇。。。

誰でもわかるであろうが、もし、万一、足に怪我をし、外部操作者がそのことに気づかなかったなら。。。切り離された身体として、ボロボロになるまで、動かし続けられるだろう。。。

まさに、麻薬と覚せい剤とダイレクトマインドコントロールとが同時に施されている状態である。

多くの人々から、悪用を恐れて抗議の手紙・メールが送られてくると言う。

しかしながら、上記状態は、自殺と並んで現代社会から逃げる手段として選択されうる選択肢でもある。

「逃げるったて、どこへ逃げりゃあいいんだ?」

脳が身体を切り離しにかかっている。。。

その脳は、チップに自分自身を埋め込みたいと思っている。。。

でも、埋め込まれずに取り残されるものが、真の自分自身を形作る上で欠くことのできないものであることを、どれほどの人々が感じ取っているのだろうか。。。

知的側面に逃げることで、失ってしまうもの。。。

科学、宗教、哲学、文学、医学、ありとあらゆる知的切断面・思想概念を越えて、あまねく人々
の心に遍在するもの。。。

独り言(2001年からの記述)

人は矛盾する故に自らを滅ぼし,
人は矛盾する故に生きてゆける。
人はゲーデルの不完全性定理によって,
自らの思考を越えることが出来ないということを,
深く考えるべきであり,
自らの思考を越えた存在によって生きていけるということを,
深く知るべきである。
それは,貴方の回りに生きている人々であり,
動植物であり,
空気であり,
水であり,
貴方が忌み嫌うものであり,
貴方が愛するものであり,
貴方が何ら関心を示さないものである。
ある人は、その存在を「神」と呼び、
ある人は、その存在を「自然」と呼び、
ある人は、その存在を「大宇宙」と呼び、
ある人は、その存在を「悪魔」と呼び、
ある人は、その存在を「同胞」と呼び、
ある人は、その存在を「敵」と呼ぶ。

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by kisugi_jinen | 2005-08-12 06:25 | 思考。。。 | Comments(0)
二つの絶対優位性。。。無知の知と哲学との差異。。。
「無知の知」

もし哲学、および全ての学問が
そこからスタートしうるものであるならば
そこに「私の根源」が求められる
という仮説を疑うべきである。

たとえ、
「知に対する知の絶対優位性」

「私に対する私の絶対優位性」
とが
非常によく似ているため、同等の関係と錯覚してしまうとしてもである。

「無知の知」とは、
「知に対する知の絶対優位性」であり、
「論理的・理論的・無矛盾性」であり、
「ゲーデルの不完全性定理」を越えることができないものである。

「知」によって捉えることのできないものを
「私の根源」は持っている。

何故に人は「知・情・意」といった心の分別(概念・知的切断面)を為し得るのか?
「情・意」は「知」(論理・理論、コンピュータ的)によって構築可能なのであろうか?

哲学=知(智)を愛する

すなわち、知(智)を「愛する」ことができるというところに「私」が存在する

「無知の知」であれば
知(智)を知る
以外の何ものでもない。

「知を愛する」。。。
その「愛する」という「心・情」にこそ「私の根源」が求められるべきものであろう。

しかしながら、それでもって、「愛する」のみに主眼をもって行くことによって、「知・智」を破棄するという問題ではない。

なぜなら「愛する」といった「心・情」を「認識・理解・判断」するという作業は、「知」の領域が担っているからである。そうして、その作業自体が「総体の知的切断」に相当する。
さらに、「知」と「情」は、互いに並列しあう(表裏の)関係を担い合っている。

脳や遺伝子を研究するだけでは、「心・情」は見えてこない。「見えた、分かった、客観的に共有可能(知的交換可能)だ」と、言ったとたんに、それは「知的切断面」としての「言葉・記号」に置き換わってしまう。

総体としての「心・情」が、頑なに「総体全体に対する知的切断」を拒み続けるのは、
それが「交換不可能」であること
即ち、量子の二重スリット問題にてエヴェレット解釈を持ち込まざるを得ないということ
と等価でもある。

05.08.11 07:55追加
「総体」⊇「知的切断面」(総体は知的切断面を含む)であるが、
「総体」≠∑(知的切断面)、即ち、「知的切断面の全集合体は総体ではない」であろう。
なぜなら、少なくとも知的切断面を貫くもの(情的なもの)が欠落しているからである。

05.08.11 21:05 文中、一部加筆訂正しました。
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by kisugi_jinen | 2005-08-11 05:46 | 思考。。。 | Comments(0)
ヒロシマ。。。
父も、母も、多くを語らない。。。

父は、直後のヒロシマに入ったはずだ。。。
母は、ピカドンの閃光を見たという。。。

幼心に刻まれた思い出は
幼心に聞かされた御伽噺のように

また、月日が巡って、思い出される。。。

父、13歳の夏。。。
 グラマン戦闘機に機銃掃射され追いかけられてお寺の床下に走りこんだこともあるという。。。
 操縦士の顔は、目に焼きつくぐらいはっきりと見たという。。。
母、7歳の夏。。。
 ピカドンの閃光は遠く離れた山の上から見たという。
 尋常小学校の国語の授業中、「。。。そのとき、ピカッと光りました」と、友達が本を読んだ、まさにそのときにヒロシマ中心部が光ったと言う。。。

父は、直後のヒロシマに入ったはずだ。。。なのに被爆手帳をもらっていない。。。
生きながらえている人々よりも、死んでいった大勢の人々の苦しみ・悲しみの方が、どれだけ大きいことか!
手帳をもらおうにももらえない。もの言おうとしても言えないんじゃから!
と。。。繰り返し、繰り返し語る言葉は、幼心の魂に刻み込まれた。。。

いつの間にか、ぷっつりと戦時中の話を聞かなくなった。。。
子供たちが実家を離れて暮らし始めたからだ。。。

多くを語らない。。。のではない。。。多くを語りたくない。。。のだろう。。。
 語れない境界の向こう側。。。

聞かなくなった。。。のではない。。。もう聞きたくない。。。と言うのが正直なところだった。。。
 聞きたくない境界のこちら側。。。

60年。。。

子供たちにとっては15年位か。。。

足枷が外れて、凍りついた時から開放されてきた。。。

そう。。。開放されてきた時間。。。

その空白の時間は
 私の心情を揺さぶり。。。
  見たことのない凄惨な廃墟へと知を誘う。。。
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by kisugi_jinen | 2005-08-06 19:44 | 思い出。。。 | Comments(0)
結婚と自由。。。
mimiさんがトラバって下さったので、私の経験談をぶってみます。

私自身、結婚するまでは、「一人で暮らしていけるのに、相手に合わせたり、縛られたり、互いに妥協しあうなんて、ほんとうに【人生の墓場】だ」なんて思っていました。

そのくせ、中島みゆきの
ひとりでも私は生きられるけど
でもだれかとならば人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど
些細な寂しさでつまずくものよ
(中略)
ふりかえるひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるの

なんて歌を口ずさんでいたものです。

結婚して分かったのが、一人暮らしにて無駄にしていた時間(効率の悪さ)です。人によって違うでしょうが、私の場合、結婚することによって、時間というものが非常に効率よく、有意義に使われ始めました。何事をするにしても、2/3から半分の時間でできてしまう。「二人で分担し合っているからだろ」というのではない。一人ですることも効率よくできてしまう。
「モモ」の灰色の時間泥棒に時間を奪われたと言うのではなく、時間を共有しあうという、ただそれだけで、そうなったというところです。
その分、他に仕事が増えたという見方も可能ですが、そうではない、時間の使い方がうまくなった分、他の仕事もできるようになった。しかも「楽に」できるようになった。というところです。
「うまく、つかわれているんじゃないの?」という見方が可能かもしれませんが、そうではない。
相互的なんですよね。

相手にもよるとは思いますが、結婚する前までは知的な枠組みが強すぎるため、思い込みを打破できないのだろうと思います。

と、二人目が生まれるまでは、一人暮らしに戻って寂しい男の呟きでした。。。
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by kisugi_jinen | 2005-08-05 07:32 | つれづれ。。。 | Comments(1)
野・うさぎ?。。。
今年の2月頃からか、ときどき近くにウサギが姿を見せます。
最初は、近づくと逃げていたのですが、最近は、カタバミの葉を差し出すと、食べてくれるぐらいになっています。といっても、出会ったのは3回ぐらいです。(全て早朝)
近くで、狸とか雉を見かけることもあるのですが、まさか野ウサギということはないでしょうし、どこからか逃げ出してきたのかもしれません。
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by kisugi_jinen | 2005-08-02 05:22 | つれづれ。。。 | Comments(3)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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