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出雲の国から。。。
所用があって出雲の国に来ています。。。

天気が悪かったので?(笑) 出雲大社を訪れました。。。
何年かぶりです。。。

確か、独身時代に縁結びをお願いしに来て以来ですから、かれこれ10年にはなるでしょうか?
いわば、そのお礼参りみたいなものです。

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b0032038_19311663.jpg本殿参拝には、正面からと正面から向かって左側面からの2方向が本当なのだそうです。


そうそう。。。
境内の杉の球果と、松の木に生えた茸類や、毛のようなもの?に興味を惹かれました。
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独身の同僚にお守りを買って帰ろうとおもったら、夕方の祝詞の時間なのか、写真を撮っている間に販売窓口社務所が閉まってしまいました。(4時半に閉まるようです)


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う~~~んんん。。。微妙な時間に訪れてしまったものだ。。。「買って帰ろう」と思ったことすら、内緒にしておかねばならないかも。。。


===2005/07/30 07:21追加

私が被写体を選択するという過程にて、抜け落ちたものがあります。
参詣路の両側に並ぶ松。。。
倒れそうになるのを、人が作った支えに結わえられているものたち。。。
「うろ」が形成されて、折れそうになるのを、コンクリートを詰め込まれて支えられているものたち。。。

本来ならば、このブログの境界問題にぴったりの題材だったのですが、神社の境内という境界ではなく、そのときに私の心が求めていた(動的な)境界の外側に位置したため、カメラを向けることすらなかったと言うところです。

当時、人智(人為)の介入するもの(「いわゆる」人と自然の境界)から極力離れたかったという方向性がそういった知的切断面を形成したのだろうと思います。

「いわゆる」人と自然の境界。。。

境内の木々には、別側面でのそういった境界上の木々がありました。
そう。。。おみくじを結び付けられた木々。。。

当時、これら木々も私の求める動的な境界の外にありました。

当時、同じ人の作ったものであるのに、お社は境界の中にあると感じました。そうして、周りの森も境界の中だと感じました。

これらは皆、苔や菌類(茸など)が境界なく覆っているものだったからかもしれません。。。

風の谷のナウシカ。。。
巨神兵ですら菌類に覆われて行く。。。

人が、環境問題を口にするときの知的切断面(境界)には、プラスチックなどの変化を受けにくいものたちと、変化を受けやすいものたちと、周囲に悪影響を与えやすいものたちといった(幻想的・知的共有可能な)概念が横たわっています。

なぜ、そういった境界の概念形成を共有可能なのだろうか?

たとえば、境内のおみくじを結び付けられた木々。。。
カメラを向けることを躊躇した理由は、人々の思いが重く垂れ下がっているように感じ取られたから。。。

その木々たちは、環境問題という切り口のまさに境界線上にあるといっていいのかもしれません。。。
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by kisugi_jinen | 2005-07-29 19:44 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
興味ある個展のコンセプトから。。。
鬼塚武志。。。「爆心地から遠くはなれて」。。。
ホームページ

コンセプトからの抜粋
人はもっと弱くて流されやすい。
人はもっとおぞましくてずる賢い。
人類の論理に人の感情が押し流されていく。


知的・論理的・理論的・無矛盾性という「論理」の強力性は「知の絶対優位性」という知的・幻想的に共有可能な知的切断面として、圧倒的に「情」に対して優位にあるように捉えられる。。。

しかし、その背後に隠れている「情」もまた、その圧倒的な知の優位性を利用している。。。

そうして形成される2重の境界。。。

2重の境界が形成されてしまうと、本来、だまし絵・多義図形的であった別側面の切断面が2重にかき消されてしまうのだろう。。。

なぜに人々は、戦争を暴力を肯定できるのであろうか?
なぜに人々は、戦争を暴力を否定できるのであろうか?

2重の壁(境界線)。。。
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by kisugi_jinen | 2005-07-28 06:08 | photo。。。 | Trackback | Comments(3)
境界。。。「わたし」の範囲。。。
「わたし」というものの「境界」を考えて行く上で、
全てが、切り離されることなく関連しあっているということが、知的切断・概念形成以前にあるということ。

私の私に対する絶対優位性が、知の絶対優位性の有無に関わらず存続可能ということ。
この2点に立脚した思考にて、今までこのブログで記載してきた。。。

逆に言えば、この2点が覆される時、私のブログでの全発言は、別の側面からの知的切断を受けることになるかもしれない。。。

※2005.07.28 05:05リンク埋め込み
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by kisugi_jinen | 2005-07-27 08:31 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
境界と密度と素通り。。。
「わたし」が「わたし」と感じる境界。。。
およそ3mであるということをどこかで読んだような。。。

そうそう電車の中で、隣り合わせに座ったりするとき、空いているときには、他人同士密着しては座らない。そういったときに感じる、テリトリーという意味での距離だったと思う。。。

※参考になるサイトを検索しました。:05.07.28 05:20
すまう  住行動の心理学 編集:中島義明・大野隆造
あるエンジニアのバークレー(アメリカ・カリフォルニア州)留学体験記


もし、そういうことに対して、無頓着、すなわち、空いている時にでも、他人同士密着して座ることに何ら違和感を感じ得ない時には、もしかしたら、「わたし」と「あなた」との境界がブレンディング(混合)されつつある状況かもしれない。。。すなわち、高密度に圧縮され続けた「わたし」が解放を求めて「あなた」を素通りしている状態。。。

電車の中での化粧問題に代表される行為全般が「わたしの素通り」(境界の重なり、ないし境界の消失、境界の混合)ということと関連しているのではないだろうか。。。

※05.07.28,05:21:追加---通常、テリトリーの圧縮、「わたし」の圧縮だという概念が正しいように思われますが、こういった状況で平気でいられるのは、「知的・幻想的」に既に遠くを見ている。すなわち、心の境界は他者を素通りして自身のテリトリーを保っている状態と等価なのではないかと思うわけです。

境界を様々なレベルへと伸縮自在に操る「知」の動きは、「信頼と裏切り」という行為に直結するであろうし、同時に、自己の帰属意識と、境界内部での交換可能性を無意識の内にでも前提条件としている。

すなわち、科学的客観性(というより論理的交換可能性)という知の切断面は、無意識の内に形成される境界とダイナミックに連動しているとも言えるように思われる。。。
※2005.07.26 03:20追加: 境界内部での交換可能性は、「境界」が幻想的・知的共有可能であるということと同義。

「他人の迷惑を顧みない」とか「思いやりの欠如」といったことは、圧縮を受け続ける「わたし」という境界の、知らず知らずの拡大・開放によって形成される、「境界内部の交換可能なわたしとあなたたち」という感覚と同値なのかもしれない。。。

===05.07.26 03:12追加
もし、詰め込み・圧縮に対して、頑強な境界を有し続けている場合、上記諸問題は「境界の外」での問題であると同時に、上記のような「境界を境界と感じない」人々から受ける波状攻撃に対して、さらなる「境界」の明瞭化が行なわれ、時として、「外部」に対する攻撃性も発揮されうるかもしれない。。。

本来ならば、棲み分けという状況になるべきところ、知の発達しすぎた人類は、多種多様な境界概念・知的切断面を状況に応じて知的に切り替えながら暮らしていかざるを得ないのだろう。。。
そうして、そういった概念・知的切断面が様々である人々の交錯する(インターネットといったような)超高密度の世界では、情報ではなく状報を扱う故に、境界の知的破壊(完全なる知的切断)が生み出されやすく、本来境界を越えて結び合うべき「情」は、行き場を失っているのであろう。。。

※05.07.28, 05:30 注:集団化にて、知的切断に優位性を求めざるを得ない場合、知的切断面としての「情」ではない、総体としての「情」が行き場を失う。。。

「知」でもって境界を設定・認識しつつ、「情」でもって境界を越えて行くという本来の情態に近い世界は、構築可能なのであろうか。。。
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by kisugi_jinen | 2005-07-26 02:53 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
3歳10ヶ月の自意識表現。。。
妻の実家にて元気に暮らす息子。。。0911のあの日に生まれて、はや3年と10ヶ月が過ぎた。。。第2子も8月半ばには生まれてくるだろう。。。再会が待ち遠しい。。。

2ヶ月ぐらい前から、幼稚園で覚えてきたのか、以下のような会話が繰り返された。。。

息子:「俺(オレ)は俺!」。(私に向かって)「お前はお前!」
私:「俺は俺、俺たちだよ」
息子:「ちがうよ!、俺は俺だ!」、「おとうさんは、お前!、お前たち!」
私:「お父さんは俺」、「○○君はお前」
息子:「ちがう、ちがう!、俺は俺、お父さんはお前!」
私:「そ・な・た が わ・た・し で、わ・た・し が そ・な・た、ややこしやぁ、ややこしやぁ。。。」
息子:「ちがうよ!俺は俺なんだ!」
(。。。半べそ状態なので、打ち切る)

その後、いつの間にか、「俺たち」といっても、怒らなくなっていたので、とりあえずの概念が形成されたのだろうか。。。

。。。テロ。。。

あの日を境に、地面に滴り落ちた血がどんどん染み込んで広がって行くかのように、境界の境界たるを越えて行く血・知。。。

本来ならば「知」が越えうるべきものではなく「情」のみが越え得る境界も、無残に破壊されていく。。。

「わたし」と「あなた」との境界。。。

息子の知的切断面・概念形成が、確固たるものではなく、ともし火の炎と影のごとくに揺れ動くのを見るのは、いつのことになるのだろうか。。。
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by kisugi_jinen | 2005-07-24 21:30 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
境界と境界の交錯。。。
hazuma(東 浩紀)教授の渦状言論「地下鉄で手荷物検査」からトラックバックしています。

テロと言う境界を超えた行為。。。

それは、意識しなかった境界を、厳然とした境界として立ち現れせる現わせる。。。

生と死とに境界を見出さないものたちと。。。
生と死とに境界を見出すものたちと。。。


個と総体とに境界を見出さないものたちと。。。
個と総体とに境界を見出すものたちと。。。


「わたし」と「あなたたち」との間に境界を見出さないものたちと。。。
「わたし」と「あなたたち」との間に境界を見出すものたちと。。。

これら両者の間に夢・現のごとくに立ち現れる境界・知的切断面・概念は、「境界を境界とみなさない側」から「境界を境界とみなす側」への、繰り返される悪夢によって呼び覚まされる。。。

時間・空間といった人智の及ばない自然の境界が失われて久しい。。。

森の境界が越えられたあと(知的切断面が森を横切っていったあと)、全人類の個の境界が越えられる(知的切断面が横切って行く)という現状。。。

これから、人々は、どのような境界を求めて彷徨って行くのであろうか。。。

※05.07.24 21:32修正
投稿日時に対して一つのリンクは、未来へのリンクになっています。
誤字があったので、取り消し線にて訂正しました
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by kisugi_jinen | 2005-07-24 11:11 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
二皿のスパゲティ。。。
今、独身生活に戻っている。。。

といっても、離婚したわけではない。
二人目が生まれる予定で、妻と息子が里帰りし、私だけが残っている状態である。

で、自然と外食が多くなる。

今日、とある外食産業のチェーン店Sにて、スパゲティを注文し、食べ始めた。

と、突然、新しいスパゲティの皿を突き出され、

「申し訳ございません」

。。。続きを読む
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by kisugi_jinen | 2005-07-23 21:38 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(3)
交換可能性と切断面(境界)の移動。。。
ゲーム機のカートリッジや、壊れたり不要になったおもちゃは捨てられたり、売りに出されたりしていく。。。
中古として市場を渡り歩いて行く分にはまだしも、捨て去るという行為が行われるとき、「修理」ということは、ほとんど行われなくなっている。

日本から発祥した「もったいない」も、逆輸入されているぐらいだ。。。

それほどまでに、明確化されている「切断面・境界」は、オモチャの精巧さ、複雑さ(知的切断に切り口の「深さ」という尺度を導入するとすれば、まさに「知的切断の深さ」)という状態とあいまって、処分「される・されない」という二者択一のみを選択せざるを得なくなってくる。。。
真空管→トランジスタ→集積回路→。。。という流れは、どこで切り離されるかを明確化して行く過程だともいえるし、「複雑さ」という基準で持って、切り離されるべき単位が決定されていく過程だともいえる。

ただし、一面的な「知的切断面」だけではなく、(だまし絵・多義図形的に)多面的な「知的切断面」があるゆえ、壊れて捨て去らねばならないおもちゃも、別用途に使用可能な場合もある。。。

二者択一を強いるこれら知的切断の深さは、「知」の絶対優位性と結びつくときに、身体への自傷行為の深さに関連することもあるだろう。。。

「知」が「身体」を切り離そうとする。。。

「自殺」の原因の一側面を形成し、背後に「情」の介在をも許す「知」の絶対優位性という幻想的に共有可能な「知的切断面・概念」。。。
「情」の関与の程度が全くなされえないとき、それは、「個人主義的」ないし「左翼主義的」な自殺に相当するであろう。
「情」の関与が深くなされえるとき、それは、「全体主義的」ないし「右翼主義的」な自殺に相当するであろう。

知的切断面・境界をどこに設定するかを、「身体」の外側へと広げたとき、幻想的に共有可能な切断面・境界を共有可能な共同体が「民族・国家」を作り上げていくのであろう。。。

===以下、050720 05:55追加

タイトルに「交換可能性」を入れていたのだが、触れずにいてしまった(^^ゞ

上記内容においての「交換可能性」とは、すなわち、「知」が切断可能だと判断してしまった対象についての「交換可能性」である。

「知」が切断可能だと判断し、「情」などによる(総体としての)連続性すら「知的」に切断されるならば、それはすなわち、「客観的対象」という概念にも相当し、切断の深さが深いほど、交換可能性も高くなるであろう。

切って捨ててしまえるものは、交換可能なわけである。

そうではなく、切って捨てようとしても、捨てきれない思いが残るものだったりするならば、それは交換不可能なものである。

と、当たり前のことを書いている気がしないでもない。。。

ただ、普段、知的思考(切断面)から逃れることができない状況では、そういったことすら、ふと、気づかずに過ごしてしまうような気がしてならない。。。

そうして、交換不可能なものであっても、「そんなもの、捨ててしまいなさい!」と、一刀両断の言葉で持って、子供の心を切り刻むのが親なのかもしれない。。。

===05.07.24 02:00 追加
個人主義的・能動的な方向性の自殺願望が知的切断面として幻想的に共有可能であるならば、それは左翼方向の暴力的・破壊的な行動にも結びつくであろう。。。

全体主義的・受動的な方向性の自殺願望が知的切断面として幻想的に共有可能であるならば、それは右翼方向の暴力的・破壊的な行動にも結びつくであろう。。。

たとえ自殺を選択しようとも、もし、死後の世界があったとしても、なかったとしても、個と総体という関係からは決して逃れられないということ。。。

それは、生まれる前からそうであり、意識しようとしないとに関わらずそうであり、死後もそうであるということ。。。

そういった、「個と総体」との関連性において、自己をじっと見据えるならば、自殺とか宗教とか戦争とか嘘とか争いとか、そういったことに対しても、「ともし火」のごとくに対峙してみることができるのだろうと思う。。。
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by kisugi_jinen | 2005-07-19 05:29 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(1)
上から見た木草花。。。幾何学模様という知的切断面。。。
植物の形作る幾何学模様には、美しさを感じる。。。

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だからといって、「美しさ」という知的切断面が、「幾何学模様」という知的説明(概念・切断面)にて留まるものではない。。。
また、「幾何学模様」としての「美しさ」(知的切断面)が、木草花を越えたところに木草花を求めようとするかのごとくの、「抽象概念」という、更に奥まった知的切断面(イデアに相当するであろうか?)にても留まるものではない。。。
まさに、「この」美しさとは、そういった「抽象概念」をも成り立たせてしまいうる「この」私と「これらの」木草花を含めた切り離されない「この」相互関連性を貫いていくものであろう。。。
※全ての画像は、クリックすると2倍に表示されます。
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by kisugi_jinen | 2005-07-17 07:59 | photo。。。 | Trackback | Comments(0)
団子虫と朝露と。。。
夜明けの時間帯。。。「かはたれどき」から少し時を重ね、だいぶ明るくなってくる時間帯。。。
ふと、開く前のカタバミの花に団子虫がぶら下がっているのに気づいた。。。
一匹ではない、何匹も。。。わらじむしさんもお散歩していた。。。

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お話の続きを見る。。。
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by kisugi_jinen | 2005-07-12 06:28 | photo。。。 | Trackback | Comments(2)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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