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花々。。。
近くの駐輪場に咲いていた花々。。。
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春の枯れ葉の合間を貫いて咲きぬ
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紫立ちて黄は熟す

===以下2005.02.22追加===
枯れた草原に咲く花。。。
視点は、その鮮やかな花に向けられる。。。
。。。と、
いや、実は、枯れ草が主体なのかもしれない。。。
というより、全体でひとつの風景を作り出している。。。
いや、風景だけではない。
「この」枯れ草があるからこそ、「この」花は咲くことができたのだ。。。

-----

紫のほうは、写真撮影後、息子が大きな石の塊で、いきなし「ぐしゃ」っとつぶしてくれた。
あっという間の出来事だった。。。

思わず「だめでしょ!」と、叫んでしまった。
私:「お花さん、痛い、痛いでしょ」
私:「ごめんなさいは?」
。。。
息子:「ごめんなさい!!」
。。。
私:「ごめんなさいしても、もどらないんだよ」
私:「お花さん、死んじゃったんだよ」
。。。
息子:「。。。」(神妙な顔)
。。。
私:「父さんは、悲しいんだよ」(と、悲しげな顔をする)
。。。
息子:「ごめんなさい」(泣き出しそうな顔)
。。。
私:「もうしたらだめだよ」
。。。
その後、しばらくの間、「紫のお花さんは?」と、繰り返し聞いてくる。
。。。
今度、プリントして一緒に見るときに、じっくりと話をするか。。。

-----

黄色い花を写真に撮るとき、実は、枯れ草が邪魔で、何本か抜いて撮影した。
息子を叱った後なのに、同じことをしている。。。

。。。息子が思春期ぐらいになったら、枯れ草のことまで、話ができるだろうか?
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by kisugi_jinen | 2005-03-20 20:52 | photo。。。 | Comments(4)
言葉という知的切断面と情。。。
昨今、対人関係で用いる言葉(=概念、知的切断面)に関する変遷が著しい。

特に、それを用いられる側の情を汲むことによって、とりわけ、最も悲惨だと思われうる感情を抱きかねない情態を意識することによって、そういった情が沸かないような言葉に置き換えようとする動きが主体になっている。

生者に対して発せられる「この種の言葉」は、受け手(生者)の感情発露や反応から、使う側にも意識が芽生えやすく、定着しやすいと思われる。
現に、そうやって変遷しつつある言葉が多くある。(ただし、問題が解決するわけではなく、問題を先送りしているだけにしか過ぎないのだが。。。後述)

「この種の言葉」の、最も典型的な言葉であり、比較的古くから用いられるようになりながらも現在までの長きにわたって問題を継続しているのが、浄土真宗における「冥福を祈る」であろう。。。
問題点を概説すると、
「冥福」とは、冥土(暗く、じめじめした死後の世界・輪廻転生を前提条件としたあの世の世界観)での幸福を祈るということであって、死後、仏様になられ、そういった世界に赴かない方に対して、そういった言葉を投げかけるということは、迷いを呼び覚ますことになりかねない、また、「祈る」という言葉にも、仏様になられた方よりも、投げかける側の生者の己の偉さが表れるので使うべきではない。
といったことらしい。。。(2つのサイトの注釈をまとめたものです)

死者に対して発せられる「この種の言葉」は、受け手(死者)の感情発露や反応は期待できない、というより、浄土真宗の立場としては、してはいけないことになっているようである。なぜなら、輪廻転生を含んだ世界とは離れた仏の世界へと入られたからである。(このような死後観は、原始仏教の本筋にも近いのだけれど。。。後述)
さらに、やはりといっては何なのだけれど、ここでの問題は「生者」との関係において発生する。すなわち、死者の気持ちをおもんばかって、「冥福を祈る」という言葉を用いることの不適切性を論理的に説明されたものである。

さて、ここで奇妙なことに気づく。

輪廻転生(およびそこから生じる仏様という概念)を信ずるにせよ、信じないにせよ、「冥福を祈る」という言葉を発した本人の心の思いは、死者に向けての言葉である。残された生者に対して用いるような言葉では、物足りないのである。
冥福という言葉の字面から来る意味を知らないで使うこともあるだろう、でもそこに「思い上がり」や「不遜」の心など微塵も無いはずである。そこには「生死」に境界を見るときに、「死後」の相手に対する「思い」をこめた言葉なはずである。
もし、そういった一対一の関係のみにて考えるのであれば、とりわけ死者が仏様になられるのであれば、「言葉の字面」のみで「迷い」が生じるわけはないであろうし、「おこがましさ」も、手のひらの中での孫悟空の落書き程度に思われるであろうし、仏様になられても情が繋がるのであれば、そういった字面に迷わされることなく、真意を汲み取られるであろう。

では、なぜに「冥福を祈る」という言葉を切って捨て去ろうとしているのであろうか?

そこには、境界が見え隠れしている。

「冥福を祈る」という言葉を発する側と死者との間の境界ではなく、死者の家族・親戚・信者といった集団との間の境界である。

浄土真宗側も、おそらく、そういった点は顧慮しているものと思われる。いや、しているからこそ、逆に「問題視」するのであろう。「問題視」することによって、本来的な「生・死」の境界は薄れ、「信・不信」の境界にすり替わるからである。

そうして、「生・死」という境界に対して投げかけられた死者に対しての「思い」(情)は、「信・不信」といった境界にて知的に切断され、死者に届かずに、家族・親戚・信者へと「誤配」されてしまう。。。

信者にならない人々は、心の中で思いを抱きつつ、別の言葉を捜しながら戸惑うばかりであり、信者になるであろう人々は、「なるほど」と思いつつ、死後の世界観(概念、知的切断面)を共有しようとするであろう。。。
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by kisugi_jinen | 2005-03-19 03:17 | 思考。。。 | Comments(3)
「冥福を祈る」という言葉。。。
「ご冥福をお祈り申し上げます」という言葉をメールで送る段になって、ネットでチェックをかけてみると、浄土真宗では用いないらしい。。。

以下、参考URL
浄土真宗 本願寺派 西正寺
住職に尋ねにくいこと & わかりづらい仏教語(その2)

浄土真宗本願寺派覺榮寺
冥福・永眠・逝去・往生

どうやら、
「故人」は既に「仏」となっているので、「冥土(輪廻世界)」での「幸福」を祈るとは、おこがましいにも程がある。
ということらしい。

この概念の裏(?)には、境界と知と情という、わたしのブログのテーマに密接に関連していることがあるので、次回以降、書いていくことにする。
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by kisugi_jinen | 2005-03-17 05:05 | 思考。。。 | Comments(0)
新潟・中島みゆきのコンサート。。。
いゃあ。。。
行ってまいりました。。。
一応、とりあえず。。。なんだかんだいいながら。。。最近の曲を聞いていないんだが。。。ファンということで。。。でも、はじめてのコンサート参加だということで。。。
。。。と、
言い訳はおいといてと。。。

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う~~~んんんんん。。。

発散方向。。。とでもいうべきか。。。

元来、みゆきの声は、弾き語りでもって、なんぼのものという感覚が強かった(と、個人的見解です、あくまで。。。)
バックのベースやドラム系のノリにあわせていくとき、特にコンサート系の場合には、みゆきの声は、その質感よりも、リズム感(いわゆる「みゆき節」)のみが利用される傾向にはまり込んでいく。。。
「夜を往け」あたり以来、そっち系統の音楽が増えたと思っていたのだが、コンサートでは、もっとしんみり系のをじっくりと聞かせて欲しいところ。。。

まぁ、世の中が暗い分、「ノリのいい曲だけでコンサートの時間を埋め尽くせるのだから」ということがバックにあるのかもしれない。。。

「生きていてもいいですか」を歌って欲しいとまでは言わないまでも、ドラムもベースもバックコーラスも全て無にして、ギター一本、ないし、アカペラでしみじみと聞かせる曲を一曲入れて欲しかった。。。

やっぱり、年を取ったのだろうか。。。
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by kisugi_jinen | 2005-03-14 22:44 | つれづれ。。。 | Comments(0)
桃の花。。。
昔住んでいたところに、桃の花が咲いていた。。。
桃の節句ということで、ふと、思い出したのもあるけれど、
当時は、それが桃の花であることを知らなかった。。。
春といえば桜で、ソメイヨシノは、いたるところで見かけるけれど、
桃の花は、見かけた記憶がほとんどない。。。
大きな桃の実でもなれば、それと分かるのだろうけれど、そんな実もつけないのだから、それと気づかなかったのかもしれない。。。
だからといってソメイヨシノも、見事なサクランボをつけるわけではなく、申し訳程度の実をつけているわけだから、人の感覚って、当てにならないものだと思ったことを、写真を見ながら思い出した。。。
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by kisugi_jinen | 2005-03-08 00:05 | 思い出。。。 | Comments(0)
川の流れ。。。
過去の思い出のいっぱい詰まったものは、もし、壊れてなくなってしまっていたとしても、それはもはや「わたし」の一部であり、この「わたし」を成り立たせている。。。
そうして、そういったものを「無」として切り離してしまうと、「わたし」は存在し得ない。。。

いきている。。。

そういったものを一切合切引っさげて、時という川の流れの中にいる。。。

以下、ジンプリチシムスさんの
昔のアルバムを見る」と、「相合傘の哲学」を読んで。。。

川の流れを遡ることはできないけれど
上流の景色には、思い出がいっぱい詰まっている

流れの中にぽつねんと
突っ立っているのもいい
流されるがままで
いるのもいい

でも、横切ってみたくなれば
流されながらも
歩いていけばいい

ふと、目をやると、団体さん
手を繋ぎながら歩いていく人たち。。。

静かに歩く団体さんもいれば
ドンちゃん騒ぎで歩く人たちも
彼らが楽しげに踊るたびに
下流を歩いている人たちは
うねりに翻弄されている。。。

川の流れを遡ることはできないけれど
「わたし」が突っ立っているだけで
下流の流れが微妙に揺らぐ。。。

「わたし」が歩くだけで
川底の泥が舞い、
だれかが落として行った「おもいで」が浮き上がる。。。

ただ、それだけ。。。
でも、それだから歩いていける。。。

団体さんの姿はもう見えない。。。
上流の景色も遠くかすんでしまった。。。

向こう岸から歩いてくる人を見ないので
向こう岸が在るのか無いのか知らないけれど。。。

「わたし」の歩みは
  確実に川の流れにさざ波を起こし、
「わたし」のおもいでは
  静かに川底に沈んでいく。。。

いったい、この流れを
何億、何千億、何百億の人々
いや無数の生きとし生けるものが
通り過ぎたことだろう。。。

上流から、ぼろぼろの傘が流れてきた。。。
その傘には
  たといわれ
  しのかげのたにを
  わたるとも
と、書かれていた。。。
別の傘には、
  おもいを じゅくちして ながれをわたれ
  せ■じ■は ぼ■の■の■をぬき つとめはげんでおこない
  このよをも かのよをも のぞまない
と、読めない字もあったが、書かれていた。。。

なるほど。。。
  「わたし」自身が
  時の本流を揺さぶり横切ろうとする
  「時の流れ」としてある限り
  川岸があろうと、なかろうと
  「わたし」が「わたし」である限り
  歩き続ける
といった意味の言葉であろうか。。。

。。。それにしても、さびしい。。。

やはり、一人で歩み続けることは
これほどまでに寂しいものなのか。。。

手に入れた2本の傘を
流れにたてかけてみる。。。
流れは左右に分かれ、少しの淀みができた
傘の脇からは、その分、激しい流れが渦巻いて
下流へと流れ続けていく。。。
傘をたてかけた泥底ごと、
じわりじわりと流されては行く。。。

上流から、「あきらめ人」が流れてきた
寂しさに耐え切れず
泥底に留まることも
歩むこともやめ
川底から足を外した人。。。
「あきらめ人」は、
ゆっくりと、ゆっくりと
流れの中に融けていく。。。

他にも
団体さんの作る波に翻弄された
「ながされ人」

流れの中に融けない「ながされ人」もいるようだ
「しんじる人」だろう。。。

ずーっと、ずーっと下流には、
「海」というところがあるそうだが、
海の方から歩いてくる人を見ないので
海が在るのか無いのか知らないけれど。。。
川とどれだけ違うのだろうか?

傘のおかげで、巻き添えを食らうことはないけれど
おかげで傘にほつれが増えた。。。
ほつれを直していると、
「手伝いましょうか?」
と、いつのまにか一人の女性が淀みに入ってきていた。
彼女の持っていた傘を
更に流れにたてかけて
束の間の静寂を楽しもうか。。。

一人歩いても
留まっても
あきらめ人になっても
傘をたてかけても

川の流れの一部として
流れの外に出ることができないのなら
思う存分
流れを楽しもうじゃないか

じわり、じわりと流されてはいるものの。。。
そんな気分になれる
淀みの世界。。。

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by kisugi_jinen | 2005-03-05 15:44 | ひとりごと。。。 | Comments(1)
「私」と「境界」と「宗教」について。。。 (補遺)。。。
以前
「私」と「境界」と「宗教」について。。。
を記述したが、分かりにくい概念なので、図をつけておきます。
私のホームページも、近々図を添付したものに変更しておきます。
(クリックすると、拡大図になります)
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by kisugi_jinen | 2005-03-02 03:55 | 思考。。。 | Comments(4)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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