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母の願いは境界を越えるというのに。。。
境界の何たるかを知らずに境界を越える
それは、不幸以外の何ものでもないのかも知れない。。。
生死に境界を見出さない人々と
生死に境界を見出す人々と
両者の間に横たわる境界。。。

とおりゃんせ とおりゃんせ
ここは どこの ほそみちじゃぁ
てんじんさまの ほそみちじゃぁ
ちーっと とおして くだしゃんせ
ごようのないもの とおしゃせぬ
このこのななつの おいわいに
おふだをおさめに まいります
いきはよいよい かえりはこわい
こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ。。。


爆弾を抱えて「生死に境界を見出さない世界」から「生死に境界を見出す世界」にやってくる少年。。。自爆テロ。。。
何も持たずに「生死に境界を見出す世界」から「生死に境界を見出さない世界」にやってくる青年。。。断首されてしまった青年。。。


境界を越える前は「無邪気」であったにもかかわらず、「境界」を越えたとたん「邪気」に変化してしまうというべきか。。。(2004/10/31 23:13 行追加)

同じ過ちを、何度繰り返せばいいのだろう。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-31 01:01 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
幻想の共感と幻想の断絶(情の知による共通認識)を越える情。。。
数十匹の羽蟻
何の罪もない羽蟻たち
明かりに誘われて
誘われて隙間を見つけ
隙間から入り込んだだけの羽蟻たち。。。
何万人というユダヤの民
何の罪もないユダヤの民
夢と希望に誘われて
誘われて土地を見つけ
土地を見つけて入り込んだだけのユダヤの民たち。。。


羽蟻が私たちに何をしたというのだろう。。。
ただ、飛び交って、捕まる場所を探して、
私たちの体に止まって歩き回るだけなのに。。。
ユダヤの民たちがヒトラーに何をしたというのだろう。。。
ただ、ヒトラーが幼い時にバカにされたというだけなのに。。。
(注:この部分は、とある伝記を読んだときに記憶に残っている内容を元にしていました。最近、本屋で立ち読みしたところ、アトヅケされた理由・根拠が結構あるとのことですので、不正確な内容に過ぎない可能性が非常に高いです。05.01.10,07:20)


少しぐらいむずがゆくても、一寸我慢すればいいだけなのに。。。
ただ、寝ている間中、虫たちが顔の上を這いまわるのではという、恐怖感が
そう。。。たんにそういった恐怖感という方向性だけが共有された。。。

。。。そう。。。情の知による共通認識・幻想の共感と幻想の断絶。。。

私の行為が、そういったことの上において為された事を、「私は重々知っているんだ」。。。

許しておくれ、羽蟻たち。。。

そうして、他の何万匹という羽蟻たちと共に羽ばたいて、共に夢を実現しておくれ。。。

今はもう、外の街灯にも羽蟻たちの姿はないけれど。。。
それは、次の世代の蟻たちの巣作りの始まりを物語っているんだね。。。

来年。。。羽ばたいてくるものたちのために、窓の隙間を埋めておくね。。。
そうして、私は、わが子に、蟻たちの物語を聞かせよう。。。
越え得ぬ境界を越える思いの物語を。。。

知的共有(コミュニケーション)という側面にて
越え得ない境界を持つ私たちと羽蟻たち
越え得る境界を持つ私たちと私たち

それでも作り出される越え得ぬ境界。。。

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by kisugi_jinen | 2004-10-28 07:01 | 思考。。。 | Trackback | Comments(2)
個の共感。。。集団化による幻想の共感。。。
情は「個々の心」からの「方向性を持ったほとばしり」であって、「知」(すなわち、言葉)によって共有可能なのは「その方向性」のみであり、「対象(物)ではない」。

「情」の「知」による分断(知的側面による記号化・共有)は、ややもすれば、その対象(物)を共有可能であるかのごとく錯覚に落ちいらさせる。

ということを以前書いた。

さて。。。

陪審員制は、元来、その対象(物)が共有可能であるということが前提条件になっている。すなわち、「情」の「知」による完全な支配が可能であるという前提条件を、暗黙の内に求めている。。。
なぜなら、共通の「答え」が導き出されるとき、個々の人々の「情」は、共通項しか抜き出されないからである。
そういう意味で、「情状酌量」という「情」は、総体としての本来の「情」、すなわち「個と個」を結ぶものから、「集団と個」を結ぶもの、すなわち「知」によって共有化可能だという幻想の「情」へとすり替わってしまい得るのではないだろうか。。。

すなわち、「情の境界」があるにもかかわらず、「情の境界」を「知」によって越えたと思い込んだ瞬間、「知」によって認識されている「共通化可能という幻想の情」は、「情の境界」を越えうる「幻想の共感」として、認識されうるのではないのだろうか?

情の知による克服は、さらに情によって越えられなければ、非常に危険な状態へと雪崩落ちていくような気がする。。。

ヒトラーによるユダヤ人の大量虐殺などなど。。。

「情の知による克服は、さらに情によって越える」。。。というより、「情の境界」を「知的側面」で認識しつつ「情」で超えるというべきか。。。

おっと!

きすぎじねんによる羽蟻の大量虐殺。。。

この事件についての考察は、次回ということで。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-27 00:53 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
子供の成長を感じるとき。。。
子の成長というものには、目を見張るものがある。
つい、この間までできなかった事ができるようになっている。

危険を伴わない限り、「できないだろう」という先入観を捨て去って、
じっと見ているか、「やってみる?」と、誘い水を投げかけるようにしている。

できそうにないことに対して、一度だけでさじを投げることもある、
そういう時は、
「もっかい、もっかい(も一回、も一回)、ゆっくり、ゆっくり」と、
トライさせ、どうしてもだめなとき、
「じゃあ、いっしょにやろうか」と、いって手伝っている。

最近、一人遊びをすることが多くなってきているが、
人形(ウサギ、ネコetc)を使うとき、私がいれば、必ず私を引っ張っていく、
そうして、人形の操作をせがむ。

で、よくよく考えたら、
本人はもっぱら「電車」や「車」といった「無機物」の操作にいそしんでおり、
それらとは違う対象としての「うさぎ」「ねこ」のようである。

おそらく、親が考えるほどには区別をしておらず、単に「自分が動かすことで面白いおもちゃ」と「他人が動かしてくれることで面白いおもちゃ」といった区別しかしていないのだろうけれど、一見すると、「生命体」と「非生命体」とを区別しているようにも見える。

そうそう。。。
「命を大切に」
「一寸の虫にも五分の魂」
というのがある。

で、公園で遊んでるときに、蟻に石をぶつけたりすることが多いので、
「蟻さん、いててでしょ!」
と、言っていたのだが、正直いって、「親の矛盾」を露呈する事件が勃発した。。。

この間、羽蟻(シロアリではなく、黒蟻)が季節柄、大量発生したためか、数匹家の中に入り込んでくることがあった。
子供は「虫さん」といって、つまんで持ってきてくれていたので、(すでに潰されて死んでいるのだが)教育上「虫さん、ばいばい」といって、外に放り出していた。

ところが、数日して、窓の隙間から数十匹が入り込んだため、そうも言っていられなくなり、殺虫剤&大量殺戮&掃除機吸引という強硬手段に出た。(ちなみに掃除機が最も効果的です
子供もけなげに手伝ってくれた。

と、いうことで、やっぱり子供の成長には目を見張るものがある。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-26 03:06 | つれづれ。。。 | Trackback(3) | Comments(0)
言葉遊び・ふたたび。。。
哲学。。。philosophy,philosophia。。。
智を愛する。。。

「愛する」は「情」であり、「智」は「知」であり、「主体」は「私」である。
これは、前回の「情と知。。。」でも、書いたが、「知」を越える「情」になろうか。。。(04/10/25 02:33行追加)

「愛を愛する」
とか、
「智を知る」
とかは何だか変だ。。。
(「無知の知」というのはありえるが。。。)

「愛を知る」
というのは、ありうる。。。

すなわち、「知」を越える「情」、「情」を越える「知」というものが自然と表されているのではないだろうか?
「知」で「知」を越えようとするとき「無知の知」といった、否定神学的な方向とかににしか逃げようがないのだろう。。。(04/10/25 02:40修正)

。。。そうそう「愛を知る」という言葉で思い出した。。。

中島みゆき「誕生」より

ひとりでも私は 生きられるけど
でもだれかとならば 人生ははるかに違う
強気で強気で 生きてる人ほど
些細な寂しさで つまづくものよ
呼んでも呼んでも とどかぬ恋でも
むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ
待っても待っても 戻らぬ恋でも
無駄な月日なんて ないと言ってよ

めぐり来る季節を かぞえながら
めぐり逢う命を かぞえながら
畏れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく
泣きながら生まれる 子供のように
もいちど生きるため 泣いて来たのね


この歌を注意深く聞いていると、「知」と「情」との相補的な拠り合わせ、相互的な超越。。。螺旋階段を感じる。。。

歌を分析的に見るのは非常に野暮なのだが、とりあえず。。。
ひとりでも私は 生きられるけど --- (知的)
でもだれかとならば 人生ははるかに違う ---(情的)
強気で強気で 生きてる人ほど --- (知的)
些細な寂しさで つまづくものよ ---(情的)
呼んでも呼んでも とどかぬ恋でも ---(情的)
むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ --- (知的)
待っても待っても 戻らぬ恋でも ---(情的)
無駄な月日なんて ないと言ってよ --- (知的)

めぐり来る季節を かぞえながら --- (知的)
めぐり逢う命を かぞえながら --- (知的)
畏れながら憎みながら ---(情的)
いつか愛を知ってゆく --- (知的)

泣きながら生まれる 子供のように
もいちど生きるため ---(知的)
泣いて来たのね ---(情的)


おそらく、中島みゆきの歌全般に言えることだろうと思うのだろうけれど、「知」と「情」の絶妙なバランスが、私の心に響くのかもしれない。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-22 03:29 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
情の作る壁。。。
「情」は、「知」の壁をやすやすと通り過ぎるにもかかわらず、時として非常に強固な「壁(境界線)」を作ってしまう。。。

わが子が、あらゆるものを撥ね付けて泣き叫ぶとき、まさにそういった片鱗が現れているともいえる。。。

その壁は「知」の論理・理論攻撃なんぞ、「屁」みたいに跳ね返してしまう。。。

さらに、もともと「情」自身に、「主体と対象とを結びつける」ということがある。。。

したがって、これら二つの状態から、閉じたグループを構成しやすくなってしまう。。。

そういった「壁」内部で、良くも悪くも「知」は共有され、「壁」を守るという方向に「知」が働けば、相乗効果で、内部の結びつきはさらに強化される一方、外部を容易に「敵」と認識しやすくなってしまいうる。

「知」は、直接的には「情」で形作られた壁を越えることが出来ないにもかかわらず、「想像の世界」にてやすやすと越えたかのような感覚に陥ることが出来る。。。ゼノンのパラドックスの逆バージョンになろうか。。。

で、そういったことが行われるようであれば、「知」は「情」に作用して、間接的に「壁」を崩壊させることも可能であろう。。。

「知」の作る壁は、「情」が越えやすく、「情」の作る壁は、「知」が越えやすい。。。
なぜだかそんな風に思えて仕方がない。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-22 00:32 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
泣き叫びの変遷。。。
わが子も3歳を過ぎ、泣き叫びに加えて、いつの間にか、地団駄を踏み鳴らすようになっていた。
まえからそうだったのかもしれないけれど。。。いや、たしかに、いつからか、そうするようになっていたようだ。
泣くという動作に「叫び」、「わめき」、「怒り」、「主張」などなどが混ざり、さまざまな感情が織り交ぜられている。。。
理路整然と説き伏せようとしてもだめ、「だめなものはだめなの!」と頑として撥ね付けてもだめ、「抱っこしてほしいよぉ~~」と、泣き叫びの中に、抱擁を求めてきたときには、抱いてやる。。。甘えを自覚している割合が増えてきつつあるのだろう。。。

兄弟姉妹がいれば、それなりにたくましく育っていくのだろうが、いまだ一人っ子なので、そこいらあたりが難しい。

けれど、そうやって抱いてやってから、「○○したらだめでしょ?」とか「△△しないとだめでしょ?」と、耳元でやさしくささやいてやっても、頑なに首を横に振り続けて、再び泣き叫ぶことが多くなっている。

つい、数ヶ月前までは、「うん」とか「はい」とか、素直に聞いていてくれていたのに、最後の最後まで抵抗してくる。

近所迷惑だから泣かさない、という方針は取りたくないので、力いっぱい泣いている。
おそらく、近隣の方々は、子供を痛めつけているのではないだろうか?と訝るであろうが、親の方が鳴き声にて痛めつけられているようなものだ。

わが子は夜の9時30ごろが就寝で、朝6時30くらいに起きてくる。
私は、子供と一緒に寝て、夜中1時過ぎに起き出し、メールのチェックやら、職場に戻って仕事を片付けたりやらを終えた後、帰宅し、朝食を共にする。したがって、夕食と朝食はなるべく共にするようにしている。そのわずかな時間を一緒に遊びたいのだろうゆえに、いろんなところで葛藤・反発の嵐が吹き荒れるようだ。ノートパソコンを開いているようなものなら、「コンピュータ、ばいばい」といって、バタンとふたを閉めにくる。

母親とは、割と長く一緒にいるためか、そういった折り合いはうまくいっているようで、うらやましい限りである。
私も、土曜日は一日、子と一緒に過ごす事になっているが、1日と5日とでは、随分な差なんだろう。。。(残りの1日は、保育園)

こういった生活リズムも、子の成長とともに変えていかねばならないのだろうが、そろそろ潮時かもしれない。。。というのは、ここ数日、就寝時間が10時以降にずれ込んできているからだ。

今日は、台風が来る前に仕事を仕上げねばならないことを口実に、子供が寝る前に家を抜け出し、一仕事終えたところである。
あと、二つ三つ仕事が残っているが、寝静まった我が家にこっそりと持ち帰って、子供の寝顔でも眺めながら、仕上げることにしよう。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-20 23:18 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
「知」にて捉えることが困難な総体としての「情」。。。
さて、前回、私は「知的側面」から「情」を見ようとした。この場合、「記号化可能であり、共有可能なもの」として「その方向性のみ」だとした。

===前回投稿文===
しかしながら、「情そのもの」を抱くのは「私の心」であり、「情そのもの」は、「私の心から対象物への方向性をもったホトバシリ」以外の何ものでもない。
===ここまで===

実は、このラベリング可能(記号化可能)な「方向性のみ」というのは、「知的側面」にて「情」を無理やり捉えようとした場合に、現れてくる「切断面」でもある。

この「切断面」にて留め置かれることのできる「情」は、私たちが経験するところの「情」の「記号化可能な側面」(知的認識可能な側面)でしかない。

「情」は、「主体」および「対象(物)」と切り離せない「絆・糸」であるので、「(知的側面で取り扱い可能な)記号化した情」(=方向性のみ)では、総体としての「情」を扱うことは出来ない。

ここにおいて、「知的側面」での「境界設定」に関するゼノンのパラドックスが立ち現れているといえる。すなわち、「記号化可能・共有可能」という「境界設定」が、その「境界を越えて両側にまたがっている対象」を、片側からのみ境界に追い詰めていくことしか出来ないときに生じるパラドックス。。。

誤解を恐れずに、とりあえずまとめてみると。。。

「情」の「知的側面」で捉えうるのは、「記号化可能かつ共有可能」な「方向性のみ」。

総体としての「情」は、「主体」と「対象(物)」を結び付けており、それら全てを含まなければ捉えることができないもの。

といえるのではないだろうか?

。。。と、これもやはり、知的側面からの記述になってしまっているので、抜け出せていないだけなのかもしれない。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-20 17:58 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
「情」の知による表現とその限界。。。
以下、
デリダの死。。。「存在論的、郵便的」(東 浩紀)を読み返して。。。 [2004-10-13 05:28:02.000 by kisugi_jinen]
を、少し掘り下げた内容になっています。。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

およそ、「情」という言葉でくくられる領域の言葉は、すべて「方向性」のみを有する言葉であり、「対象物」を含まない。「知的側面で扱う場合には」以下のような言葉(ラベル)を用いている。。。

「愛」
「哀」
「怒」
「憂」
「悲」
「喜」
「楽」
「悩」
「快」
「鬱」
「憎」
「望」
「願」
「苦」
「思」
「爽」
「想」
「恋」
。。。
「対象物は含まない」といいながら(「情」の多くは)「具体的な対象物に対して」そういった「情」を抱くわけであるので、本当?ということになるかもしれない。
しかしながら、「情そのもの」を抱くのは「私の心」であり、「情そのもの」は、「私の心から対象物への方向性をもったホトバシリ」以外の何ものでもない。
すなわち、「知でラベリングした情」(上記羅列した言葉・概念・ラベル)として共有可能なものは、「具体的な対象物を有さない方向性」となる。
そして、その程度・深さは、人によりさまざまであるにもかかわらず、「わかるよね?」という程度は共有可能なわけである。ここにおいて「共感」という概念が生まれうる。すなわち、「共感できる」とは、「情の方向性を共有できる」ということに他ならない。

。。。さて、では「こころ」にとっての「情」とは一体どういうものになるのであろうか?
知的側面は、コンピュータ用語(情報処理用語)での「記号化」された「記号」そのものに相当するであろう。これらは、記憶装置に「記憶できる形をとることが出来る」という意味で、静的な存在になる。
「記号化された(コード化された)記号(コード)」とは、現在存在する実行可能なコードも含まれる。

情的側面は、基本的に方向性のみであり、具体的に発動された段階で、静的な「記憶されたもの・記号化されたもの・(哲学的用語としての)固有名」同士を繋ぎ合わせる「ベクトル」的な(仮想の)存在となる。
この場合の「存在」は、「知的側面にて記述した場合」をあらわす。

。。。

以下、知的側面での記述であることに注意
以前までの考察では、「主観的・客観的」という方向性から「こころ」を考えると、「こころ」は2重性(存在論的・認識論的)を露呈した。(ん?逆だったかな。。。)

今回の考察では、「知的・情的」という方向性から「こころ」を考えると、「こころ」は2重性(静的・ベクトル的)を露呈した。(私の発想の段階では、これも、逆かもしれない。。。)

で、「こころ」は、これら「4つ」に分断されうるのであろうか?



「方向性」を有しているだけだろう。。。

要するに、「この私のこのこころ」は一つであるが、見方を変えると、その見方にあわせて2重性を呈することになるのであろう。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-20 01:47 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
知には限界が無いゆえ限界がある。。。
ゼノンが「アキレスと亀」、「飛んでいる矢」にて示そうとしたであろうパラドックス。。。
それは、知には限界が無いゆえ限界があるであろう。。。

知は対象物を離れて「自由」に想像の世界を彷徨うことが出来る(と思っている)。
「無限」という対象(対象であって対象ではない)について考えることが出来る(と思っている)。

ゼノンのパラドックスは、まさにそこをつこうとしているのであろう。

知は、対象物の表相を超えて先を見ようとする傾向を有している。その先が「無い」にもかかわらず、「超えて越えて」しまいうるが故、矛盾が生じることがある。(2004/10/29 02:40修正)

すなわち、対象物を越えて、その先を「想像」し過ぎるが故、矛盾が生じる。

で、逆に言えば、その立ち現れる「矛盾」に着目し、矛盾を矛盾のまま放置することなく、「なぜ?」ということを追求することで、さまざまな学問が成立しているともいえる。

たとえば、時空間の無限分割が可能。。。この方向性の先には、「数学」があるが、すでに「物理学的対象物」を素通りしてしまうが故に矛盾が生じ、逆に、その矛盾を見据えることで「量子力学」が生まれたといえる。
そして、「知」のみであらゆるものを作り出すことが可能。。。たとえば「数学や(量子力学を含む)物理学であらゆる物事の記述が可能」という方向性は、「私の心」を素通りしていく。。。

知は、ありとあらゆる対象を捉えて記述できるという「想像」、すなわち「知には限界が無い」という想像が出来る、という段階で「限界がある」ということを、ゼノンのパラドックスは示しているのだろうと思う。
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by kisugi_jinen | 2004-10-18 03:05 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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