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カテゴリ:つれづれ。。。( 248 )
乳幼児注ないし禁の宮崎映画。。。
宮崎 駿の映画は好きだ(※)。。。だが。。。

もともと、大人向けの映画なのだが、一見子供向けに作られたように大人が錯覚しやすいのも事実。。。

あらかさまに「乳幼児注意ないし禁」とは書いていないものの、そういった映画も最近多い。。。

昨日テレビ放映された「もののけ姫」もそうだが、極めつけは「千と千尋の神隠し」。。。
「となりのトトロ」は、お化けというより動物っぽい要素が強く、「恐怖心」には結びつかないので今回は対象外。

宮崎氏は、日本人に伝わるであろうはずの精神世界を映像化しようと試みているのかもしれないけれど、

それは、子供たちにとっては「お化けのお話」

なわけで、それによって伝統的な日本人の精神世界を大人が懐古しようとするとき、

乳幼児は、いきなり「大人」によって「お化け」の世界に連れ込まれるわけである。

大人の方が「のめり込んで」見ていると、乳幼児は、いきなり泣き出すしか手が無い。。。

「千と千尋の神隠し」を映画館に見に行ったとき(、たしか、わが子はまだ生まれていなかった)、スタートしてまもなく、最初のお化けが徘徊する場面で、多くの子供たちが「こわいよー」といって泣き叫んだ。仕方なく連れ出す親が多かったことを思い出す。

元来、というか、日本の伝統文化的には、(というか、世界的にもそうかもしれないのだが)「お化けの話」をするとき、親と子との「情」をしっかりと結びとめておかなければならないと思う。

泣き叫ぶときの対応、興味を抱いているだけのときの対応、微妙に怖がっているときの対応、逃げ出そうとするときの対応。。。
それぞれの状態に応じて話の筋を変えたり、お化けごっこで一緒に遊んだりする必要があるため、常に子供と向き合っている必要がある。というか、親がいつでも守ってやれる体制にいる必要がある。

「テレビ」や「ビデオ」や「映画」の世界では、ストーリーが一辺倒であり、親がのめりこんでると、途中で切るというのもできにくかったりする。

「恐怖心」というものに対して、親から放置された場合、子供たちの「情」は痛く傷つくであろう。
いったん「恐怖心」を抱いた子供たちに対して、「怖くない。怖くない。」なんて一方的な親の独り言のような呪文は、子供たちにとってはなんの効力も発揮し得ない。

突然沸き起こる「恐怖心」(情的側面)は、説明を「知的側面」に求めようとする。そこに何も無いとき、子供たちは「泣き叫ぶ」しか手が無い。

一度でも、お化けごっこ(親が布団をかぶって「お化けだぞー」とか、鬼の面をかぶって「鬼だぞー」とか、あるいはナマハゲとか)を経験していれば、子供たちは、「何らかの説明」を自身の内に組み立てることができる。(恐怖心の程度に応じた、その子なりの解釈)

「霊的存在」を信じる、とか、信じない、とか言っている以前に、すくなくとも子供たちに見せる「お化け」ストーリーは、「親」「大人」の「知」というフィルターを介して「描写」されていることを、子供たちに見せるときに、常に考えていなければならない。

昔、子ども会か何かの合宿で、お化け関連の物語を、広い講堂みたいなところで聞かされたことがある。(たしか、小学校中学年程度のころ)多くの人間がいたにもかかわらず、非常な恐怖心が巣くったためか、その夜は怖くて寝付けなかったのを覚えている。
周囲に人が大勢いるかどうかではなく、「情」を通じ合える人がいるかどうかが、問題になるのだろうと思う。。。

。。。そうそう、「否定神学的な子供向け善悪」ってのも、意識する必要があるかもしれない。。。
次回は、それについて書いてみよう。。。

※特に「風の谷のナウシカ」の原作(アニメージュ版)は、中学生指定図書にしても良いくらいだと思っている。(06/12/22 07:15)
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by kisugi_jinen | 2004-11-20 03:33 | つれづれ。。。 | Trackback(2) | Comments(0)
反抗期から安定期へ。。。
最近、我が子の言葉数(独り言)が、むやみやたらと多くなってきた。

よく聞いていると、無意味なように聞こえるけれど、文章・物語風を呈した「お話」であり、内部から沸きあがってくる「情」に対応するがごとく、「自分自身への言い聞かせ」のようでもある。

そういった「お話」に、関わろうとすると、
「いや!」「あっちいって!」といって、撥ね付けてくる時と、受け入れてくれる時とが混在している。

勝手な想像が許されるのなら、反抗期においては、「こころ」の情が劇的に形成されて、その表現方法を「知的側面に」まさぐり、その後の爆発的な語りの増大は、「知的側面の劇的な形成」を物語っているのかもしれない。

「情」から「知」へという流れ。。。それは、能動的な心を持つ人間として当たり前の流れなのであろう。。。

人工知能から人工生命への流れ。。。それは、受動的な心を持つ機械をイメージさせる(※)。
やはり、もし、その流れの中で「真に能動的な心」が生まれるのなら、「反抗期」(暴走に似た情態)を経なければならないであろう。。。

で、そういう観点から見ると、「反抗期」のない子供たちは、「人工知能・機械」に限りなく近いのかもしれない。。。

※06.09.22 08:50補足説明
「人工」という言葉は、「人間の知が支配している」というニュアンスが非常に強い。もし、仮に、「人工生命体(ロボット、アンドロイドなど)」が「意思」を持ち始めたならば、「人間の支配が及ばない、気味の悪い」といった表現がなされるであろう。「アトム」や「2001年宇宙の旅」をはじめとする「人工○○」の反乱は、そういった「気持ちの悪さ」=唯悩論でいうところの悩化から切り離されようとする「いわゆる自然現象」(私のいうところの、知的切断面に直交するところの「情」を含んだ「総体」、ないし「じねん」)といったことがらが、背景に潜んでいる。
「人工」の名を冠している限り、「受動的」からは脱却できないし、もし、脱却したならば、それは「反逆」に繋がるわけである。

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by kisugi_jinen | 2004-11-09 06:30 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
子供の成長を感じるとき。。。
子の成長というものには、目を見張るものがある。
つい、この間までできなかった事ができるようになっている。

危険を伴わない限り、「できないだろう」という先入観を捨て去って、
じっと見ているか、「やってみる?」と、誘い水を投げかけるようにしている。

できそうにないことに対して、一度だけでさじを投げることもある、
そういう時は、
「もっかい、もっかい(も一回、も一回)、ゆっくり、ゆっくり」と、
トライさせ、どうしてもだめなとき、
「じゃあ、いっしょにやろうか」と、いって手伝っている。

最近、一人遊びをすることが多くなってきているが、
人形(ウサギ、ネコetc)を使うとき、私がいれば、必ず私を引っ張っていく、
そうして、人形の操作をせがむ。

で、よくよく考えたら、
本人はもっぱら「電車」や「車」といった「無機物」の操作にいそしんでおり、
それらとは違う対象としての「うさぎ」「ねこ」のようである。

おそらく、親が考えるほどには区別をしておらず、単に「自分が動かすことで面白いおもちゃ」と「他人が動かしてくれることで面白いおもちゃ」といった区別しかしていないのだろうけれど、一見すると、「生命体」と「非生命体」とを区別しているようにも見える。

そうそう。。。
「命を大切に」
「一寸の虫にも五分の魂」
というのがある。

で、公園で遊んでるときに、蟻に石をぶつけたりすることが多いので、
「蟻さん、いててでしょ!」
と、言っていたのだが、正直いって、「親の矛盾」を露呈する事件が勃発した。。。

この間、羽蟻(シロアリではなく、黒蟻)が季節柄、大量発生したためか、数匹家の中に入り込んでくることがあった。
子供は「虫さん」といって、つまんで持ってきてくれていたので、(すでに潰されて死んでいるのだが)教育上「虫さん、ばいばい」といって、外に放り出していた。

ところが、数日して、窓の隙間から数十匹が入り込んだため、そうも言っていられなくなり、殺虫剤&大量殺戮&掃除機吸引という強硬手段に出た。(ちなみに掃除機が最も効果的です
子供もけなげに手伝ってくれた。

と、いうことで、やっぱり子供の成長には目を見張るものがある。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-26 03:06 | つれづれ。。。 | Trackback(3) | Comments(0)
泣き叫びの変遷。。。
わが子も3歳を過ぎ、泣き叫びに加えて、いつの間にか、地団駄を踏み鳴らすようになっていた。
まえからそうだったのかもしれないけれど。。。いや、たしかに、いつからか、そうするようになっていたようだ。
泣くという動作に「叫び」、「わめき」、「怒り」、「主張」などなどが混ざり、さまざまな感情が織り交ぜられている。。。
理路整然と説き伏せようとしてもだめ、「だめなものはだめなの!」と頑として撥ね付けてもだめ、「抱っこしてほしいよぉ~~」と、泣き叫びの中に、抱擁を求めてきたときには、抱いてやる。。。甘えを自覚している割合が増えてきつつあるのだろう。。。

兄弟姉妹がいれば、それなりにたくましく育っていくのだろうが、いまだ一人っ子なので、そこいらあたりが難しい。

けれど、そうやって抱いてやってから、「○○したらだめでしょ?」とか「△△しないとだめでしょ?」と、耳元でやさしくささやいてやっても、頑なに首を横に振り続けて、再び泣き叫ぶことが多くなっている。

つい、数ヶ月前までは、「うん」とか「はい」とか、素直に聞いていてくれていたのに、最後の最後まで抵抗してくる。

近所迷惑だから泣かさない、という方針は取りたくないので、力いっぱい泣いている。
おそらく、近隣の方々は、子供を痛めつけているのではないだろうか?と訝るであろうが、親の方が鳴き声にて痛めつけられているようなものだ。

わが子は夜の9時30ごろが就寝で、朝6時30くらいに起きてくる。
私は、子供と一緒に寝て、夜中1時過ぎに起き出し、メールのチェックやら、職場に戻って仕事を片付けたりやらを終えた後、帰宅し、朝食を共にする。したがって、夕食と朝食はなるべく共にするようにしている。そのわずかな時間を一緒に遊びたいのだろうゆえに、いろんなところで葛藤・反発の嵐が吹き荒れるようだ。ノートパソコンを開いているようなものなら、「コンピュータ、ばいばい」といって、バタンとふたを閉めにくる。

母親とは、割と長く一緒にいるためか、そういった折り合いはうまくいっているようで、うらやましい限りである。
私も、土曜日は一日、子と一緒に過ごす事になっているが、1日と5日とでは、随分な差なんだろう。。。(残りの1日は、保育園)

こういった生活リズムも、子の成長とともに変えていかねばならないのだろうが、そろそろ潮時かもしれない。。。というのは、ここ数日、就寝時間が10時以降にずれ込んできているからだ。

今日は、台風が来る前に仕事を仕上げねばならないことを口実に、子供が寝る前に家を抜け出し、一仕事終えたところである。
あと、二つ三つ仕事が残っているが、寝静まった我が家にこっそりと持ち帰って、子供の寝顔でも眺めながら、仕上げることにしよう。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-20 23:18 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
自意識の芽生え。。。
我が子は、現在、反抗期の真っ最中。。。
親の理解を「超えている」。。。

コンピュータが意識をもったなら

作り手の理解を「超える」であろう。。。
すなわち、あらゆる問いかけに対して

「いや!」

と答えるであろう。。。

「矛盾した答えを出すなと命令しておいたはずなのに。。。」
なんて、甘っちょろい考えは、根底から覆される。。。

「意思」とは、「そうしたいから、そうする!」
そんなものなんだろう。。。
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by kisugi_jinen | 2004-10-16 01:56 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
「別れ」。。。
。。。
人が悲しみを覚えるとき、涙するとき
どうしようもない「心の切断」がある。

「別れ」とは、物質的な離別ではなく
「心の切断」。。。

越えがたい境界を突きつけられるとき
人は、とめどなくあふれくる涙を知る。。。

その思いは、越えがたき境界を越えようとする思いそのもの。。。

離別に際して「悲しくなんか無い」なんて言い張ることができるのは、
越えるべき境界が、そもそも「無い」ということなんだろう。。。

あなたがわたしに涙し
わたしがあなたに涙しないとき。。。

わたしがあなたに涙し
あなたがわたしに涙しないとき。。。

それは、一方通行の境界なんだろう。。。

人生の目的なんてものは知らないけれど
一つだけ知っていることがある

それは。。。越えがたき境界を越えようとする思いこそが
心と心を繋ぎ合わせる糸になるんだろうということ。。。

そして、それは「親子」の間にもあるんだろうということ。。。

。。。それがあるから、私は生きていけるのだと思っている。。。


中島みゆき 「糸」
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND10225/index.html
※歌詞の引用をリンクに変更しました(09/10/26 01:24)
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by kisugi_jinen | 2004-10-01 05:20 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
変わり行く面影。。。
子供、特に乳幼児期の子供は、知らず知らずのうちに変化していく
子供の変化に親がついていけないと感じるとき、
こころの重なりは、その前からずれていたのだろう。。。

こころは時空の中の仮想の点ではない
それは、広がりを持っていて
それを思う人々のありようで
無限大にまで広がったり
無限小にまで狭まったりする。

そして、目に見えない壁を「情」というもので超え・素通りしていく。。。
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by kisugi_jinen | 2004-09-28 05:40 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(2)
わが子が泣き叫ぶとき。。。
2001.09.11に生まれた我が子も、3歳を過ぎた。。。
半年前ぐらいから、寝る前に訳もなく泣き叫ぶことが多い。
言葉にすることのできない感情表現なのだろう。。。
そんなとき、「泣くな!」、なんていえない。
黙って抱いてやるか、
「どうした、どうした。。。なにがかなしぃんや?えっ?。。。泣いてもいいよ。。。泣いてもいいけど。ねんねしようよ。。。」って、言ってることが多い。。。
窓の外の景色を見せて、「ほーら。。。お日様バイバイしたから、まっくろけだよ。。。松の木さんもネンネ。。。お星様もネンネ。。。車さんもネンネ。。。」と、話してやると、自分から「新幹線もネンネ。。。マックスもネンネ。。。」(新幹線大好き小僧です^^;)と、言って泣き止むこともある。でも、ときどき、何かにむしゃくしゃすることがあるのだろうか。。。
叩いてきたり、蹴ってきたりする。。。
少しぐらいなら同じ調子で相手したり、あまりにひどいときは、たたいてきたときのみ「こら!」って、怒って、おててを"ぺしっ"とし、「痛いでしょう!。。。泣いてもいいけど、何でたたくの?」って。。。
あとはまた同じ調子に戻って相手をしている。

ここ数年、主に感情と理性との関係について考えている。。。でも、考えても考えても、結局のところ、親って何ができるんだろぅ。。。と、思ってしまう。。。

※写真は我が子のもの。。。右端は生後1ヶ月ぐらいです。

誕生日:2001.09.11。。。

b0032038_2113573.jpgb0032038_211449.jpgb0032038_2172474.jpgb0032038_2173318.jpg
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by kisugi_jinen | 2004-09-24 23:02 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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