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カテゴリ:つれづれ。。。( 248 )
2方向を有する写真。。。絵。。。
12月27日から1月1日までの間のごく短期間だけタイトルに使っていた写真です。
b0032038_1315599.jpg
この写真は、偶然に(というか、勘違いで)撮影できたものです。
フラッシュをたかずに舞台の明かりだけで撮影できると思っていたところ、舞台の下にいる人物に対しては逆光になっていることに気付かなかったというお粗末な次第で撮影したものです。
でも、逆に、そういった状況ゆえ、雰囲気がかもし出され、いっそう想像力をかきたてられる写真になっていると思います。
アップロードして気付いたのですが、水平線がやや右下がりになっており、全体的な不安定感(不安感)に寄与しているように思えます。
右上にわずかに映っているハロウィーンの幕とぶら下がっている蜘蛛も、画像の暗さゆえ、不安感を生み出しているように思えます。
決定的な不安感の元は、この写真の被写体である息子です。更なる説明は省きますが、これ対して、安定感を与える存在は、右手の女性と思しき人物です(性別と容姿は、別の写真から明瞭に判明しているのですが、あえて、伏せさせていただきます)。
トップの画像を変えたため、12月27日のコメントが宙に浮いていますので、改めて此処に記しておきます。
ハロウィーンの出し物に息子がでたときのスナップです。
出るのを躊躇して親に励まされているようにも見えますが、
本当は、始まる前に舞台を走り回っていたところを、係の人にたしなめられているところです。
一枚の写真でも、見方によって二通りの方向性があるということです。。。

別の意味での2方向の見え方もあります。
これから舞台に立つまえに励まされている状況なのか、舞台が終わって声をかけられている状況なのか、それとも。。。

よくある状況を作り出すものに、いわゆる錯視のなかでも多義図形と呼ばれるものにあたります。
錯視以外にも空耳も扱ったイリュージョンの世界には、見飽きないカラフルな画像がたくさんあります。また、錯視の広場にも、面白い図形がたくさん載っています。
で、特に多義図形は先入観に左右される因子が大きいとのことです。これをもって、「先入観にとらわれない生き方」を示唆するサイトもあるようですが、先入観を取っ払おうにも、「婦人と老婆」など、二者択一のどちらかに収束せざるを得ないという状況は、(人との関連において)厳然として存在しつづけます。両方を見ようとすることは不可能だと思われます。
なぜなのでしょうか?
次回、そのあたりで思考の海に入る予定です。
そうそう。。。moriさん、もしみておられたら、錯視の広場にある哲学者からの手紙を読んでください。これは、きっとmoriさん好みだと思います。。。
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by kisugi_jinen | 2005-01-05 03:10 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(5)
あけまして。。。
おめでとーございまぁーす。。。

タイトルの画像も入れ替えました。
(2005.01.03 16:15、タイトル画像交換の可能性あるため、下記に貼り付けました)
b0032038_1615035.jpg

「初日の出」って事で見ていただければうれしいんですが。。。

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by kisugi_jinen | 2005-01-01 15:31 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(1)
魚の争い。。。津波を越えた思い。。。そうして魚たちへ。。。
川の流れの淀み。。。
多数の淀みに魚たちが棲み分けるという。。。

たとえば右脳と左脳のように右という方向性が情優位であり、左という方向性が知優位であるとすれば

魚たちは右往左往すれども、ただまっしぐらに死をも含めた生を貫き通そうとする。。。

そういった「生きる・死ぬ」ということを共有するがために、

巣をつくり、
群れ、
争い、
朽ち果てて、
海に流れ行くごとく見える。。。

海が凪ぐとき
朽ち果てたものたちは、静かに眠るのであろうか。。。
海が騒ぐとき
朽ち果てたものたちの魂の叫びが木霊(こだま)するのであろうか。。。

津波。。。

その海水の巨大な塊をも貫き通さんとする肉親たちの情と思い。。。
日本の川の一つの淀みに住まう一匹の小魚のごとき「この私」。。。

もはや、救われることのない命の数々は、
無数の海の波の揺らぎとして。。。
淀みの中の稚魚たちをも  揺らす

大きくなって
淀みを出て川を下り、
大海に住まわんとするとき、
その大海の中にて群れ・集うのだろうか。。。

共感を生むと同時に対立を生む情。。。

世界という海を泳ぎ回る稚魚たちが、
情という津波に押し流されることなく、
情の本質を共有できる日々が来るのであろうか。。。


細波
うねり
津波
。。。

情を切り捨てたものたちが、
情に気付く時には
すでに津波の中なのかもしれない。。。

。。。と。。。荘子の「魚の楽しみ」から抜け出していないかもしれない。。。
荘子抄
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by kisugi_jinen | 2004-12-30 10:07 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(1)
京都。。。
大阪に住んでいた頃。。。
京都は近くて遠いところであった。。。
なぜだか、文化的な敷居の差を感じた。。。
どちらが高いとか、低いとかいうわけでもなく。。。
関西と関東との違いではなく、別の差異。。。
新潟の地に住まうようになって、写真を眺めていると、
b0032038_1133931.jpg
写真の隅々にまで、大阪と京都の違いが歴然としている様に思えてきた。。。
なぜなんだろう。。。
なになんだろう。。。
そう。。。
b0032038_114415.jpg
大阪の風景は、あらゆるものの境界が、ぼんやりとぼやけていた。。。
京都の風景は、例えぼやけていても、なぜだかきりっとした境界の、
張りつめた様が写っている様な気がする。。。
単に、空気の汚れ方が違うだけなんだろうか。。。
それとも、人々の気持ちの違いが反映されているんだろうか。。。
あるいは、歴史・文化の違いが反映されているんだろうか。。。
いや、たんなる思い過ごしなのかも知れない。。。
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by kisugi_jinen | 2004-12-27 00:39 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(2)
クリスマス。。。再々。。。
結局。。。

うちのカミさんの圧倒的な力もあって、「サンタさんからのプレゼント」という設定が、既に息子の中に確立された後でもあり、混乱させるのもどーかということもあり、「情」をあつかいながら「知的」に切って捨てようとしているのは私のほうかもしれないし。。。と、言い訳(感情に対する知的な理由付け)をつらつらかきつらねつつ、受け入れてしまわざるを得ない今日この頃。。。

でも、プレゼントたるもの、本来的には何らかの「思い」がこもったものであるべきはず。。。なのに。。。

(良くないと知りつつ、)
「そんなことをしてると、サンタさんからプレゼントがもらえないよ」
とか、
「良い子にしていれば、サンタさんからご褒美がもらえるよ」
とか、
そういった「取り引き材料」に使われてしまいがちなのも、事実。。。

うがった見方をすれば、不自然にそういったことを避けるのではなく、「どうして親ってそんなにバカなんだ」ということで十分かもしれない。。。

要するに、本人が経験し得ないことには、そういったこと、さらには「いる・いない、ある・ない」を越える力すらもてないのではないだろうか。。。

○○が得られるから□□をする
という受動的な経験があってこそ、
○○が得られようと、得られまいとにかかわらず、□□をする。
□□をするということそのものに、意味を見出す。
という能動的なものへの転換が深い意味を持つのかもしれない。。。
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by kisugi_jinen | 2004-12-21 02:06 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
あくび。。。
あくびは何故うつるか。。。
今日、といっても、昨日夜になるが、200X特命リサーチで、「親切な人ほど、共感しやすく、うつり易い」という報告であった。
3~4歳の園児にはあくびをしている状態のビデオを3分間流しても誰もあくびをしなかったのに、小学生高学年以上の年齢層や、チンパンジーでは、見事にあくびを引き起こしたという。
あくびのうつり易さと共感しやすさが関係しているとは、驚きであった。
で、元ねた関連が転がってるであろうとネットで調べてみた。。。

あった、あった。。。
http://plaza.rakuten.co.jp/aftermidnight/diary/200407290000/
http://amor1029.exblog.jp/530553/
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/hope/pub/img/asahi20041106.html
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/hope/pub/hope2004-4j.html
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/hope/pub/img/yomiuri20040724.html
他、同日の他新聞画像複数

う~~~んんん。。。見落としていた。。。

ただ、「共感しやすさ」を「知性の発達」としているのには「?」である。「情の発達」とすべきだろうと思うのは、私ぐらいか。。。?
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by kisugi_jinen | 2004-12-20 03:48 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
親の情の一つの表れ。。。
この間、ちょっと、興味深い光景に出くわした。。。
私も、少しばかり関与しているのだが、そのことは後回しにして。。。

休日、私の仕事は、息子をショッピングセンターの子供の遊び場に連れて行くこと。
おとなしい我が子は、おもちゃで遊ぶか、友達をつくっては「ごっこ遊び」をしている。
遊び場で、3人の子供たちが走り回っていた。我が子も、あそこまでハチャメチャに暴れまわる日が来るのだろうと思って、ほほえましく見ていた。
で、3人の内の一人が、見覚えのあるのに気付いた。母親も一緒に来ていたのだが、その母親にも見覚えがある。
そう。。。あれは数ヶ月前。。。
その男の子は、やっためたらに○○マンや○○レンジャーなどの正義の味方もの系のノリで、「とぉー」とか「とりゃぁー」とか「ぷしゅー」とか叫びながら、パンチ・キックを繰り出して一人遊びをしていた。そうして時々、母親にも相手をして欲しいのか技を繰り出していた。母親の方は、適当にあしらっているという感じで、きつく蹴られたりした時に「痛い」と顔をしかめる程度で、やられっぱなしだった。
その男の子が、兄弟と思しき二人と遊んでいる。以後、男の子をA君、兄弟の兄をB1君、弟をB2君とする。
B1君は、あきらかにA君よりも年上である。3人が遊んでいるのを途中から見ているので、それ以前の状態がどうであったのかは、不明であるけれど、私が見始めたときは、仲良くふざけあいながら一緒に走り回っている状態であった。
そのうち、A君が一方的にやっつけられ始めた。B1君がA君の技をくりだす手をつかんで、いとも簡単にひねり転がす。転んだところにけりを入れまくる。固めのスポンジのブロックを投げてぶつける。子供のことなので、とんでもない怪我をするほどではないにしても、2対1であることには変わりがない。A君よりも確実に弱そうなB2君も、悪魔的なへらへら笑いをしながらやっつけにかかっている。
時々、A君は母親のところに行って「痛いよ~」といったり、少しばかり涙をながすこともしばしば。。。母親は、「痛いの?、そう。。。」といって、悲しそうな顔をしてさすってやる程度で、どれだけやられていても、A君が母親の元に駆け込まない限り、割ってはいるなんてことは決してしない。。。
そのうち、また3人が仲良くいっしょに遊び始めた。
A君が帰る少し前、また、A君が一方的にやっつけられ始めた。固めのスポンジのブロックが顔面を直撃する。A君はほっぺたをさすりながら、今にも泣き出しそうにして、母親の元に駆け込む。繰り返し「痛いよぉ~」というA君に、母親は、「痛いからやめてって、言っておいで」と、A君に伝えた。A君は、走っていって、「痛いからやめて!」、「痛いからやめて!」。。。「痛いからやめて!」と、3回繰り返した。
母親の元に返ってきたA君は「痛いからやめてって、言ってきた」と報告したあと、母親に連れられて帰っていった。
「痛いからやめて!」と言われ続けていたB1君は、ブロックを抱えながら、柱にもたれかかり、少しばかりの笑みが、多少こわばりを保つ程度に戸惑っていた。
A君が帰った後、B1君は私の横においてあったジャンパーを引っ掛けながら、既に立ち去ってしまった遊び相手の方角に、さびしげな目を向けていた。私は悲しげな視線を送るだけで、言葉をかけることができなかった。

私は考え込んでいた。。。
もし、私がくだんの母親だったら、どうしただろうか。。。
「痛いからやめてって、言っておいで」と言えたであろうか。。。

B1君とB2君の母親が迎えにきた。
どうやら、買い物が終わったようだ。
二人の顔からは、A君と遊びまわっていた時の楽しげな表情は消えていた。
こんど、3人に合うとき、どんな関係を見せてくれるのだろう。。。

。。。そうそう。。。私が関与したこと。。。
「何もしないで見ていた」というレベルで関与していた。。。
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by kisugi_jinen | 2004-12-19 03:19 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
クリスマス。。。再び。。。
前回、クリスマス。。。
で、我が子に対する「クリスマス」の扱いを考えあぐねていた情況を書いた。。。

最初に断っておくが、私はクリスチャンではない。

で、キリスト教の信者であろうとなかろうと、3歳の子供に、親が買ったものを「サンタさんがプレゼント」といって、「嘘」をつくことが許されるであろうか?

そういえば、先輩は、「お父さんがサンタさんだよ」と、堂々といってのけたということである。

で、考えた。。。

「サンタさんは一晩の内に世界中の子供たちにプレゼントを配らなければならないんだけれど、たった一人では大変なんだ。だから、世の中の大人たちに手伝ってくれるようにお願いすることもあるんだよ。お父さんがサンタさんにお願いしてあげるから、欲しいものを言ってごらん。サンタさんが持ってきてくれるかもしれないけれど、もしかしたら、お父さんがサンタさんの代わりにプレゼントを運ばなければならなくなるかもしれないんだよ」

というのはどうだろうか?
うーーんんんん。。。3歳の子供に理解させるのは困難か?

それと昨今、クリスマスの飾り付けや、クリスマスパーティの類や、プレゼントの受け渡しや、サンタさんが町中に溢れ返っている。。。

やっぱり、「お父さん(お母さん)がサンタさんだよ」は、つぼを押さえている。嘘ではないし、本来的な気がする。。。
「純真な心」で物事を捉える時期に「嘘」はつけない。
それに、「父・母親像」を通して、その方向性の先に「サンタさん像」を見ようとすることの方が、よっぽど重要なのではないだろうか?


世の中の親御さん方は、どうしておられるのやら。。。
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by kisugi_jinen | 2004-12-14 06:05 | つれづれ。。。 | Trackback(2) | Comments(0)
クリスマス。。。
最近、サンタさんのことを、みんなはどんな風に我が子に教えているんだろうか?

親が
「いるんだよ」
というとき
直接的に自身にポジティブになる
目に見えないものを
具体的な存在を通して
存在として信じるという
最初の過程であるような気がする。。。

でも、まてよ。。。
そう
「直接的に」
ではなく
「間接的に」
というのがある。「テレビ」。。。
○○レンジャーとか、○○マンとか、○○ライダーとか。。。

さらに、
「自身にポジティブ」
ではなく
「自身にネガティブ」
というのがある。。。
「お化け」、「鬼」。。。

いったい、いつから、そして、なにから「信じ」はじめ「疑い」はじめるのだろう。。。

本人にとって、ネガティブかポジティブか
というところでもって、おそらく、本人の中ではバランスを取ろうとするのだろうけれど。。。

間接的か直接的か
親にとっては、ここのところが最も問題になる。。。

って、そんな心構えができてないときに、女房が
「サンタさんに貰おうね」
って、3歳の子供と勝手に約束なんかしていたりする。。。

(物質的・精神的という)2重の意味で、どう責任を取るつもりなんだ!

と、ぼやいてみても、ちゃっかり私に全責任を押し付けてきている。。。
。。。やられた。。。
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by kisugi_jinen | 2004-12-07 02:07 | つれづれ。。。 | Trackback(2) | Comments(0)
情と犯罪と。。。そしてヨン様。。。
なんだか、最近、情に絡んだ犯罪が、やたら多いような気がする。

と、言ったところで、「情」そのものが犯行動機ではなく、「情」と「状」の誤認を利用した犯罪ということ、すなわち、「情」に絡んだ「だまし」。。。

「おれおれ詐欺」など、「偽情報(=状報)」を「情報」と誤認させる手口を使うし、児童の誘拐にも、自ら車に乗り込ませるために、おそらく「偽情報(=状報)」を使ったであろう。。。

状を情としてだます人々は、すでに「人」ではなく「コンピュータ化」してしまっているといっていいだろう。。。それは「知的側面」だけが発達し、「情」を自ら切断してしまった「半死」の状態だといっても過言ではないような気がする。。。

「総体」から「情」が切り離され「状」のみ語られるとき、すなわち「境界」があるのに「ない」と錯覚するとき・させられるとき、人は「ニセの共感」を抱くのであろう。

さらに、「情報」を「客観的に」扱おうとすればするほど、「情報」から「情」が抜け落ちていき「状報」に変化してしまうであろうゆえ、メディアを介して得られた「状報」は、「情報」として認識してはならない、すなわち、原則的に「共感してはならない」ということになってしまう。

ただし、方向性が重要である。

一方的で受動的な「状報」から生まれる「共感」は、ほとんどの場合ニセであろう。が、能動的に、双方向的に「状報」に接しようとするとき、いや、「境界」の存在を知りつつ「状報」を越えようとするとき、「共感」が生まれるかもしれない。

それゆえ現代社会においては、常に「知的に疑いながら情で越える」という姿勢が要求されつづけている。

そういったことに疲弊した人々が、「ヨン様」ブームを引っ張っているのかもしれない。

最も身近で頻繁に「境界」と「共感」を求め続けられているのは、夫婦であろうから。。。
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by kisugi_jinen | 2004-11-22 02:48 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(1)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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