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カテゴリ:思考。。。( 191 )
境界概念。。。幅の変動。。。その2.。。。
前回記述したように、知的対応とは異なるレベル・方向性での「情的、思いの方向性」がある。そもそも、本来ぶつかり合うべきではない「情的、思いの方向性」が知的対応の背景として影響を及ぼしており、両者を切り分けることは不可能である。

しかしながら、そういった「知・情の境界の無さ」を意識しつつ「知的に、冷静に、理性的に対応すべき」という方向性は、常に語られ続けているし、そうあるべきである。

それと同時に、そもそも境界(国境、県境、民族という概念、貴方と私という概念)が発生しうる以上、切り分けられる方向性を有しているのも事実であることを常に念頭に置くべきである。

また、同時に、切り分けられようとしている双方は、そもそも不可分な運命・時空共有体として、「全体・総体の一部」であることを、常に意識し続けるべきである。


先ほど、Yahooのニュース(というよりコラム)にて、

どこが反日? 上海の大型書店には日本の本が平積みされていた
中島恵 | ジャーナリスト
2014年3月10日 18時25分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakajimakei/20140310-00033411/
およびコメントの一部を垣間見た。

ある国での状報統制、状報操作の方向性
ある国での発言力に基づく状報の拡散、数という力による状報の封じ込めへの方向性
※あえて情報ではなく状報を用いています。

トップダウン的であろうと、ボトムアップ的であろうと、結果的には同じことを生み出しうる。

少数による多数の支配と多数による少数の支配以外の何ものでもない。

個と全体と。。。もっと深く考えるべきであろうに。。。
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by kisugi_jinen | 2014-03-11 04:54 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
境界概念。。。幅の変動。。。その1.。。。
境界概念について記述するのは、久しぶりかもしれない。。。

一昔前と比較すると、ずいぶんとネット環境が変化したためか、個人的にも境界概念に関連する問題を常に考え続けざるを得ず、問題点として論じる以前の問題に変化してしまったような気がしている。。。

日本人が境界概念として真っ先に思い浮かべるのは、他でもない国境概念であろう。
このことについては、稚拙ブログの
愛国心・教育の方向性としてのすれ違い。。。
http://jinen.exblog.jp/6228967

にて既に記述しているので、論を繰り返すことはしない。

久しぶりに記述したくなったのは、もっと根源的な部分について、心の内部で反芻せざるをえないと思ったからである。いや、単に年を取っただけなのかもしれないのだが。。。(笑)。。。

昨今発生している様々な事件と呼ばれる物事を反芻していると、干渉帯としての「何がしか」が関与しえたなら、もっとうまくに事件までにならずに済んだのではないのか? と思われることが多い。。。

国境概念であれば、たとえば非武装中立地帯になるであろうか?
いや、逆にもっと積極的に境界を境界として認識すべきであろう。。。
たとえば、すべての国境は一定の幅(たとえば1キロ以上の幅)を有することとし、その幅の領域は南極同様にどの国にも属さないとする。特に紛争が懸念される領域があれば、その幅は懸念される紛争状態に応じて広がることとする。
そうして、国境から国の中心までの距離の比率に相応して、資源の開発負担と利益を隣接する国同士で分担しあう。無論、資源開発と利用に際して発生した環境汚染や災害についても相互の国の中心からの距離の比率で、負担しあい、問題解決に相互に協力し合う。
。。。と、思いつくまま書き連ねたが、何のことはない。 単に夫婦生活や近所付き合いで、普段何気なく行っている無意識の行為・判断を明文化しただけのことである。

ここで大切なことは、個人単位や過程単位には上位概念があって、上位からの監視ないし法的な力という背景概念が常に働いているということである。非武装中立地帯とも目されうる「どこにも属さない領域」は無意識の内に上位概念に含まれることになるだろう。
夫婦や兄弟姉妹の間での非武装中立地帯は家族という上位概念が埋めるであろうし、隣近所の非武装中立地帯は自治体や市区町村ないし地元の警察という概念が埋めることであろう。

市区町村、都道府県、国と上位に向かう行政単位の最終的なレベルである国同士という境界では、その上位概念は何であろうか?

そこに国家間の歴史概念を抱く民族もいるだろうし、未来の理想郷概念を抱く民衆もいるだろう。また、国の成立に関連する宗教概念を抱く人々もいることだろう。

どれが正しくて、どれが誤っているのか? といった考えはバッサリと切り捨てられることだろう。
個々の思想・思索を抱く人々の内部では、それぞれが正しいということ以外、言えないのではないのだろうか?

そこに見え隠れするのは、平面的な国同士の国境概念(知的切断面)に直行するであろう、垂直な方向性である。国土に垂直に建てるものとしてのシンボル・モニュメントとして真っ先に思いつくのは国旗であろう。そうして、知と情を含めた全方位性を有するモニュメント・歌としての国歌であろう。
どこぞのバカが替え歌で遊んでいる国歌であるが、知的側面での替え歌レベル(水平面内)にとどまらない、情的レベルの方向性(垂直方向)を意識すべきである。

国という境界概念の向こう側は、まさにそういったモニュメントを通じた向こう側(本来的には垂直方向の向こう側)が投影される世界でもある。そうして、その投影が、水平面内に方向を変え具体的に隣国になされるとき、紛争が発生しやすくなるのではないのだろうか?

では、「モニュメントの(垂直方向の)向こう側」を具体的に(水平面内に)「ある」と思うのは間違いなのだろうか? それとも(垂直方向と水平方向のどこにも)「ない」というのが正解だと叫ぶべきなのだろうか?

問題の根底として、職場からの帰路、心の中で反芻していたのは、まさにこの点についてである。

心の中で反芻していた別の、よく似た問題を列挙する。

1.科学の発達にて遺伝子や脳についての知識が増え、「こころ」につて近い将来に完全に解き明かすことが可能になったと考える人々がいる。はたして「こころ」は知的に理解しうる対象(有限)なのだろうか?

2.子供に対する(愛)情を切って捨て去ろうとする人々がいる。一方で(愛)情の厚さを薄氷の如く表現せざるを得ない人々がいる。情という概念を知的に操作可能な薄っぺらな境界概念として、作為的に知的に弄ぶ音楽家・映画監督と呼ばれる人々がいる。情は知的に扱われ、薄っぺらになって消え失せる運命なのだろうか?

。。。と、年を取ったのか少し休憩。。。続きは、またいつの日か。。。

※2014.03.06 23:54
夕食後の一時に続きを記述する時間が生まれたので、続ける。。。

上記の1,2は、主題となっている事項とどこが関連するのか?といぶかる向きもあるだろう。
その前に、前回記述分の「水平」と「垂直」と「全方位」について、少し追記すべきかもしれない。。。

詳しいリンクは後ほど貼り付けるが、本ブログでの思索過程で、「水平」とか「垂直」といった用語は、3次元的な空間認識しかできない人間に対し、2次元平面しか認識できない生命体を想定した言葉になっている。すなわち、それぞれ一次元ずつ引き上げるなら、「水平」とは3次元空間(さらにいえば、時空連続体としての4次元時空、あるいは、コンパクト化された6次元を含む10次元時空体)に住まう人間が認知しうる世界を指している。それに対し「垂直」とは、知的に認識可能なあらゆる方向性のいずれとも独立した方向性に該当する。

それは、もはや「言葉」とか「賛成・反対」とかいったレベルとは別の方向性を有しているという意味である。

上記の1、2に該当する言葉で言い表すなら、知的な認識が「こころ」というものを捉えようとするときに「知的以外の何か」として、たとえば「情」とか「意」とかいったラベルを張り付けたくなるようなものである。

。。。続きは後日。。。

さて、夕食を食べながら、録画していたニュースとともに、「明日、ママがいない」の録画を見た。
ずいぶんと騒がれた番組ではあるが、4回目ぐらいから見ている。
※無論、マスコミをにぎわせた反対理由については知っているし、それゆえ、当初、見るつもりはなかったのだが、子供たちが録画していたので、見る羽目になったというべきか。。。

最終回間近は変更が入ったと聞くが、変更前の原作について、どういったストーリー展開になる予定だったのか知りたいところ。全てのケースをハッピーエンドに収めるように修正したのであれば、残念。含みを持たせつつ、考えさせ続けるような構成にして欲しいところ。。。

前半の3回程度は見ていないので良くは知らないが、後半では出演者の言葉、動作、真実の涙に上記の「垂直な方向性の思い、想い」が強く投影されていて、感動させられる。

それぞれの立場の周囲に強烈に張り巡らされた目に見えない境界概念があるからこそ、それを越えていこうとする思いの強さがドラマ全体の救いとなっている。

後日、別投稿としてまとめてみる予定。。。
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by kisugi_jinen | 2014-03-05 23:29 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
長谷川氏の中性子実験の論文。。。小澤の不等式。。。
小澤の不等式関連のリンクは谷村氏のサイトにまとめられている。
http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/uncertainty/Heisenberg-Ozawa.html
そこでも有料版へのリンクしかなかったのだが、
小澤氏ご本人のサイト
http://www.math.cm.is.nagoya-u.ac.jp/~ozawa/
からの「分野別主要論文」へのリンク
http://www.math.cm.is.nagoya-u.ac.jp/~ozawa/bunnyabetsushuyouronnbunn.html
の「理論物理学」の18番目のリストにダウンロードが有料だったNature physicsに並べて、無料でダウンロード可能なサイトのリンクが埋め込まれていた。
小澤先生、ありがとうございます。^^V)

Cornell University Library
lanl.arXiv.org > quant-ph > arXiv:1201.1833
http://xxx.lanl.gov/abs/1201.1833

上記からPDF、PostScript版をダウンロード可能である。
よく考えたら、以前お世話になった査読前のプレプリントを保存しているサーバである。なぜに検索をかけなかったのかと我ながら情けない。。。
PDF版への直リンクは
http://xxx.lanl.gov/pdf/1201.1833v1.pdf
になる。

これで日経サイエンスの記事で疑問だった「σ(標準偏差、ゆらぎ)」についての疑問が解決するかも知れない。。。

少なくとも、εとηの最大値が√2であることは明確に述べられていた。また、それぞれの理論式も記載されていた。
ε(A) = 2 sin(φ/2), η(B) = √2 cos φ
The values at φ = 0 are ε(A) = 0 and η(B) = √2
whereas the values at φ = π/2 are ε(A) = √2 and η(B) = 0


懸案のσが組み込まれた図はfig.5であるが、fig.4と比較すると、すでにσ(A)=σ(B)=1(定数)として処理されていることが一目瞭然である。
一体全体、なぜにそうなるのか?
これから、読み進めていくところである。(分かったら本投稿に追記していきます)


===2012/04/23 04:00 追記
図5では、
The two additional product-terms σ(A)η(B) (green) and ε(A)σ(B) (blue) in the new relation are plotted together with the theoretical predicted curves: ε(A)σ(B) = 2 sin(φ/2) and σ(A)η(B) = √2 cos φ.
とあり、
Appendix Bでの式(9)と式(10)から
ε(A)σ(B) = ε(A) = 2 sin(φ/2)
σ(A)η(B) = η(B) = √2 cos φ
で、あきらかにσ(A)=σ(B)=1(定数)になっている。

どうやら理論式の説明、Appendix Bと式(2):σ(A)とσ(B)についてのケナード(ロバートソン)の不等式の直下に記述のある
σ(A)2 = 〈ψ|A2|ψ〉-〈ψ|A|ψ〉2
から計算するようだ。
Appendix Bでは、
A=σx、B=σy
とあり、パウリ行列をそのまま代入するようである。
であれば、「定数」になるわけである。
観測時の状態にかかわらず、「ゆらぎ」が一定値になるというのは興味深い。
小澤氏がハイゼンベルグの暗黙裏の仮定とした
σ(A)≦ε(A)
にて、σ(A)が一定値の場合、ε(A)がゼロに近づくと
σ(A)>ε(A)
になりうるからである。

ただし、σ(A)はh/(4π)=ħ/2、すなわちプランク定数レベル(※後述)であろうから、ループ量子重力理論などの、「時空に最小単位がある」という理論からすれば、ハイゼンベルグの暗黙裏の仮定は破られることがないという結論にもなりかねないのだが。。。真相はいかに???

本来ならば「スピン(正確にはスピン角運動量)」だろうから、パウリ行列×ħ/2になると思うのだけれど。。。ざっくりと見ただけなので、時間があればトレースしてみたいところ。

というのは、図中にて「1」という値は、h/(4π)(=ħ/2)を単位として扱っているのだが、式の中で、とりわけ二つの組の掛け算の中で使用すると、1×1=1といった単純なミスを犯しそうで気持ちが悪い。
h/(4π)=ħ/2≠1であり、
ħ/2×ħ/2 = (ħ/2)2 ≠ ħ/2である。
h/(4π)=ħ/2<1であり、
ħ/2×ħ/2 = (ħ/2)2 < ħ/2である。

【1】σ(A)=σ(B)=1(定数)なのか?
【2】σ(A)=σ(B)=h/(4π)=ħ/2(定数)なのか?
【3】σ(A)=σ(B)=(ħ/2)1/2(定数)なのか?
掛け合わした値は
【1】σ(A)×σ(B)=1 > ħ/2
【2】σ(A)×σ(B)=(ħ/2)2 < ħ/2
【3】σ(A)×σ(B)=ħ/2 ≧ ħ/2
であり、
ケナード(ロバートソン)の不等式がなりたつのは【1】と【3】の場合のみである。

※このあたり、KEKでの説明
http://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Highlights/20120223180000/
KEKトップ>ニュースルーム>ハイライト
「量子力学の基礎概念を見直す −ハイゼンベルクの不確定性原理の'破れ'と小澤の不等式− 2012年2月23日」
===>
実験で用いたスピンの場合には下限の値が(h/4π)2となる
<===
は「???」である。あきらかに【2】を想定している。
下限の値はh/(4π)(=ħ/2)の間違いではないのか?と思うからである。
小澤の不等式の下限はh/(4π)(=ħ/2)であって、その二乗値ではないからである。
===

※2012/5/4 11:00 追記
私の本記事についてのTwitterに谷村先生が答えてくださいました。(感謝!!)
時間の関係でとりあえずリンクと内容を貼り付けておきます。
後でじっくりと考えてみますが、今一番気になるのは「1」という値が「1」なのか「h/(4π)(=ħ/2)」なのかですね。。。
https://twitter.com/#!/tani6s/status/194748048159686657
http://jinen.exblog.jp/18174501/ の中で《観測時の状態にかかわらず、「ゆらぎ」が一定値になるというのは興味深い。》と来生さんは書かれていますが、小澤・長谷川実験では、初期状態を σ_z = +1 の固有状態に固定して A=σ_x と B=σ_y のゆらぎを測っています。
https://twitter.com/#!/tani6s/status/194748178552209410
観測時(観測直前)の状態は毎回一定です。
https://twitter.com/#!/tani6s/status/194748251709255680
この測定に関しては標準偏差 σ(A), σ(B) はつねに 1 になります。同じ記号 σ が、パウリ行列や標準偏差の意味に使われていますが、混同することはないでしょう。
https://twitter.com/#!/tani6s/status/194748337713446912
この実験に関して標準偏差 σ(A), σ(B) が 1 になることは、理論的には簡単な計算でわかることですが、彼らはちゃんと実験測定もやって、標準偏差が1 になることを確認しています。
https://twitter.com/#!/tani6s/status/194748402238619648
実際には A の平均値と B の平均値を別々の実験セットアップで測っています。
https://twitter.com/#!/tani6s/status/194748491912847361
A^2 の平均値は、測らなくても定義より自動的に 1 ですので、さすがにこれは測る必要がありません。
https://twitter.com/#!/tani6s/status/194748545520238592
もしも他の初期状態や、他の A, B の向きの設定でゆらぎを測っていたら、ゆらぎの大きさは別の値になっていたでしょう。
https://twitter.com/#!/tani6s/status/194748652164624385
長谷川さんたちはそういう場合の実験もやっていました。3月のQMKEK研究会ではその測定結果も見せてくれていました。ただ、その結果は不確定性関係の検証には劇的に重要というわけではないので、論文には書かれていません。
https://twitter.com/#!/tani6s/status/194748703540645889
長谷川実験におけるスピンのゆらぎ(標準偏差)の測定について、私が言えることは以上です。

※2012/5/6 5:25 追記
連休中に少しばかり関連書を読んでみたので、自身の理解度と合わせてまとめてみる。
●1.小澤の不等式とロバートソン=ケナードの不等式は数学的に成り立つ不等式(ただし、前提条件が付与され、かつ、標準偏差・誤差・擾乱の定義にて状態が設定されるので注意)とのこと。1988年に標準量子限界を打ち破る測定モデルを提示された段階から、2004年に公理的に証明された段階までの変遷があるようだ。
ケナード=ロバートソンの不等式のトレースおよび理解は比較的簡単であるが、小澤の不等式はトレースおよび理解が困難(単に私の理解力不足によるものだろうけれど。。。)。
☆理由1.標準偏差の定義の問題
「測定直前の標準偏差」とされている。小澤の不等式を証明する段階でケナード=ロバートソンの不等式が用いられていることからも、「測定中の標準偏差」は扱うことが困難な概念なのかもしれない。事後確率=1という定義の世界(波束が収縮する世界)では、「測定中の標準偏差」はまさにダイナミックに「収縮」するのだろう。
☆理由2.記述時期によって微妙に異なる条件設定
小澤氏の記述では、重力波の検出を想定する場合等で、誤差と擾乱の両方をゼロに近づける操作を想定することがあるが、不等式が成立するために標準偏差は無限大になる必要がある。この無限大という概念が「測定直前」ではなく、測定装置+対象全体の標準偏差という、まさに「測定中の標準偏差」に相当する概念が述べられているものがあり、理解しにくい。ただし、これは歴史的に「過去の仮設」の範疇である可能性がある。でもその場合の標準偏差は「測定対象そのものの標準偏差」になるので、一層理解しにくい。なぜなら、誤差と擾乱の両方をゼロに近づける操作は、「繰り返し計測時」という条件が付されることが多く、短時間に繰り返し計測されると、標準偏差が無限大に発散する一方で誤差と擾乱が収縮していくというのが理解しにくい。
谷村氏の記述では、ケナード=ロバートソンの不等式と小澤の不等式は、物理的な意味が異なるとしている。ケナード=ロバートソンの不等式では、非可換な測定対象それぞれを、別の対象(を多く含むグループ)で独自に測定したときに成立するものとし、測定過程を扱う小澤の不等式とは異なるものであるとしている。(文献1)
しかしながら、小澤の不等式の証明にケナード=ロバートソンの不等式を用いているので、測定過程ではケナード=ロバートソンの不等式と小澤の不等式の両方が成立する必要があると考えるべきなのだろう。
ただしこれは、標準偏差を「測定前」とする場合にのみ成立する概念であり、「事後確率=1の世界」=「波束が収縮する世界」(いわゆるコペンハーゲン解釈)を想定し、かつ、標準偏差を「測定中」の値として捉えようとする場合には不等式は成立しえない。「事後確率≠1の世界」=「波束が収縮しない世界」(いわゆる多世界解釈)を想定するなら、両者の不等式は標準偏差を「測定中から測定後までを含めて」考えても成立するであろうが、まさに解釈問題の範疇になる。
●2.長谷川氏の実験結果の「標準偏差」について
長谷川氏の実験に関する原論では「標準偏差」の値というものが分かりにくい。量子力学の記述でよくおこなわれる「h/(4π)(=ħ/2)」を「1」という値に置き換える(厳密に言えば、縮尺を変換する)方法で扱われているからである。
「もし仮に標準偏差がh/(4π)(=ħ/2)」であるなら、図4のε(A)‐η(B)のプロットと図5のε(A)σ(B)‐σ(A)η(B)のプロットが同一になるのが不思議な感覚に捕らわれる。図4での縦軸の「1」はħ/2であり、図5での縦軸の「1」は(ħ/2)2であるということである。この場合、kekの解説は正しいことになるが、4月23日の追記での【2】に相当し、ケナード=ロバートソンの不等式が成立しなくなる。
また、長谷川氏の論文中の式から「スピンの標準偏差」というものを計算することができるが、どうしてそのような式になるのか?は、現時点で分からなかった。
無論、教科書レベルで各軸方向のパウリ行列の関係式からスピンに関するケナード=ロバートソンの不等式を導出する過程は比較的簡単にトレースできるのだが。。。
★各軸方向のパウリ行列の関係式とスピン
ij]=
σiσjjσi=
2iεijkσk
(εijkは、ijkが偶置換のとき1、奇置換のとき-1、添え字2つ以上が一致するとき0、ただしi,j,kはx,y,zの値を取る)
上記関係を成すパウリ行列を用いてスピン:Sは
S={Sx,Sy,Sz}
={(ħ/2)σx,(ħ/2)σy,(ħ/2)σz}
と記述される。

あと、日経サイエンスの6月号に小澤の不等式をめぐる誤差関連についての記事があるとのことで購入したのだが、長谷川氏の実験におけるスピンの標準偏差についての記述はなかった(残念。。。)
購入した図書
文献1:「理系への数学」、現代数学社、2011年12月号 --- 谷村氏による小澤の不等式に関する記述がある。

文献2:「量子力学の数学的技法」、サイエンス社、2012年4月号 --- 小澤氏の最新の記述である「量子力学の未解決問題と数学」、谷村氏の「量子古典対応」など、興味深い記事が多数あり。

文献3:「日経サイエンス」2012年6月号 --- 誤差の定義関係の記事よりも、遺伝子関連の記事が面白かった。ちなみに、誤差についての記事内容は、「誤差」って何?〜日経サイエンス2012年6月号より
http://www.nikkei-science.com/?p=23015
に解説がある。


※2012/5/7 03:30 追記
上述について、谷村先生からご指摘を受けました(深謝)
後日、修正します。
とりあえず、核となる事項のツイッターを貼り付けておきます。
下記で不等号の向きが左右ありますが、とりあえず等号成立時のみを扱えば(すなわちパウリ行列の絶対値相当=1)上述の問題はすっきりと解決すると思います。




===
以下、長谷川氏の実験に関連してσを考えていた一連の投稿

小澤の不等式が成立しえない場合。。。日経サイエンスの記事での落とし穴。。。
小澤の不等式における「誤差=0」の意味するところ。。。
小澤の不等式とスピン-その2-標準偏差:σは無限大にならずに済むのか?。。。
小澤の不等式とスピン。。。
小澤の不等式。。。長谷川氏の実験結果の意味するところ。。。
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by kisugi_jinen | 2012-04-22 06:37 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
量子力学での測定関係。。。物理と哲学と。。。
小澤の不等式関連を調べたり、関連ツイッターを辿ったりしているうちに、下記資料置き場にたどり着いた。
清水 明:「量子測定理論入門」
http://as2.c.u-tokyo.ac.jp/~shmz/zakkifiles/07-06-05.html
ざっくりと目を通す程度でしか見ていないが、私の知りたかったことや疑問点に関することがまとまっているようだ。

小澤の不等式での誤差の概念は、さまざまにある誤差の概念のひとつにしか過ぎない(定義の違い)とかは、非常に参考になる。

関連して谷村省吾氏のツイッターでのコメントも参考になる。
ツイッターは数か月単位で放置していたのだが、谷村氏のツイッターには小澤の不等式で検索をかけて間接的にたどり着いた。

もっとも、小澤の不等式を扱っていた「数理科学」にて量子力学関係の記事を多く記述しておられ、お名前は存じ上げていたので、ついつい書き込んでしまった。

直近のツイッターでは、「哲学と物理学」に関するつぶやきをしておられるが、哲学の専門家でも物理の専門家でもない私の立場から見るなら、「物理学」が「物」に立脚した論理的思考で、「哲学」は(記述された、記述されうる)「知」を含むような論理的思考であろうということになる。
「物理学」を専門にしておられる側からは、「哲学」は立脚点がないために、好き勝手な言説を述べ立てるだけのように捉えられるだろうということ。

広義の(歴史的な意味としての)哲学は、「論理的思索:知」および「知を愛する」(=philosophia)ということなので、本質的には物理学も哲学に含有されるのだが、「物」から離れた論理(ことば)にて、物理学的な本質を否定するような言説が飛び出す場合には、対立といった概念でとらえられることになるのだろう。

※2012/04/13 03:10 追加:その後の展開。。。
哲学vs物理学:哲学ってただの「考え事」じゃないの?物理学者からみた哲学
http://togetter.com/li/284397
科学哲学は物理学について何か「指導的なこと」を言えるか?
http://togetter.com/li/285820
科学哲学者と科学者の間にある悲劇の原因
http://togetter.com/li/286345
『科学哲学は物理学をどうしたいのか?』に対しての返答
http://togetter.com/li/286243


そうそう、量子力学での「局所的」と「非局所的」の概念(定義)について、物理学者と一般的な認識との間にギャップがあるようだ。

量子力学の特徴とは?谷村省吾教授(@tani6s)による解説
http://togetter.com/li/283103

一般的に言われている「非局所的相関」は、量子力学的には「局所的」な現象として捉えるべきもので、非局所的に見えるのは「状態の大域性」と呼ぶべきものだとしておられる。

このあたりの「定義(言葉)」の取り扱いは、まさに(物理学的な立脚点を離れない、広義の)「哲学的」な概念というべきものだろう。

さて、このブログでは、「物理学」や「哲学」の専門家でない個人が「物理学的」「哲学的」な思索を「言葉・記号・図」にしてまとめようとし、その過程で自身の思索(および対象としている思索)に問題点・不足等々ないのだろうか?ということを間接的に確かめようとしている。

たとえば、一連の「EPR相関」関係などである。
EPR相関とBellの不等式と。。。


本来的には、非公開で地道に進めるべきものなのだろうが、公開することで、いろんな意見を得ることができると考えている。(その割にはコメントが少ないのだが。。。)

一方で、公開しているために、言葉のみがブログから分離されて漂ってしまう危険性が常にあり、本ブログの趣旨であるところの「知と情」(本来の哲学・思索)から「知」(狭義の哲学・状報)のみが遊離してしまうような状況もありうるのだろうと、ふと思う時がある。。。
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by kisugi_jinen | 2012-04-05 04:23 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
小澤の不等式が成立しえない場合。。。日経サイエンスの記事での落とし穴。。。
※2012/03/23 03:40、後半に補足・追記を入れました。
※2012/3/27 05:15 さらにσ=1として固定されうる可能性についての補足・追記を入れました。

日経サイエンス4月号を2週間前だったか、入手した。
しばらく仕事が忙しくて鞄に放り込んだまま、ほとんど読むことがなく過ごしていたが、少しばかり時間を作ることができたので、懸案の標準偏差:σの扱いについて考えてみることにした。

長谷川氏の実験結果に関する図が掲載されていたが、小澤の不等式において標準偏差:σ(紙面では「ゆらぎ」)がどのように扱われているかに関する記述がなく、非常に残念だった。(日経サイエンスに「金返せ!!」と叫びたくなる、笑)。

唯一、長谷川氏の実験結果にて、(σを含めた)小澤の不等式のプロットが引用されていたのが救いだった。そこから、σをどのように扱ったのかが類推可能だからだ。同一の図の簡略版はkekのサイトで見ることができる(※1)が、原著論文は有料でのダウンロードになっていたからである。(σの解釈を確かめるためだけに原著論文を購入するのは割に合わないというだけの理由で入手しなかったが、日経サイエンスを購入するよりも良かったかもしれない。←といっても、「小澤の不等式」以外の記事に面白いものがあったので、まぁまぁかな?)

プロットされたデータから数値を読み取って計算したところ、σpとσqの値は両方とも1(すなわち、両方ともh/(4π))と固定した値を用いていることが検証された。
いいのだろうか?
プロットされた図から定規をあてて読み取った値を基に再プロットし、さらに、σを変えてプロットしたものを示す。小澤の不等式といえども、σの値が変わると、成立しえない場合がありうるのは、一目瞭然である。ちなみにσpとσqの値を入れ替えると、小澤の不等式(図の小澤2)は下に凸のグラフとなって、無事成立する。
※2012/3/22 03:30 補足追記
下記「小澤2」のプロットは10組みの測定値に対し、Φの小さい方から順にσqを0.5,0.6,0.7,...,1.4と0.1ずつ大きくしたものです。σpは、h/(4π)を単位:1とした場合のケナードの不等式にて等号成立時の値、すなわち、1/σpです。

b0032038_3213691.png

※↑図を2012/3/20 05:48差し替えました。3/22 3:22再度差し替えました。

誤差ないし擾乱が最大値を取る場合に、該当する標準偏差:σがh/(2π)の1/√2以下の値になれば、今回の実験系にて小澤の不等式は成立しえない。(図中、赤矢印)

この条件については、既に
小澤の不等式とスピン-その2-標準偏差:σは無限大にならずに済むのか?。。。
http://jinen.exblog.jp/17684183/
にて検証済みである。

注意すべきことは、特定角度におけるεqとηpの値と、ケナードの不等式(数学的に規定される不確定性関係)としてのσq×σp≧h/(4π)という関係式のみ、既知だということである。

小澤の不等式にて誤差と擾乱の両方ともをゼロに近づけることができるのは、σを無限大として扱えるときのみであると(小澤氏は記述)している。さらに、今回の「小澤の不等式が成立する」とした場合のσの暗黙裡の扱い方である。

これでは、「最初に小澤の不等式ありき」で、小澤の不等式を成立させるように、σの方が自在に変化してくれる(から大丈夫)と言っているのと同等である。

このあたり、日経サイエンスの記事では全く突っ込んでいなかったし、kekですら小澤の不等式が成立することを前提条件とした通り一遍の解説のみである。

はたして量子力学的なゆらぎ(標準偏差)は、いつから人間の手で制御可能になったのだろうか?
※σ:ゆらぎ(標準偏差)については、以下の補足・追記にて、さらなる考察を加えています。



※2012/03/23 03:40 補足・追記
よく考えると、標準偏差:σの最大値も、誤差・擾乱の最大値である√2にならざるを得ないだろう。
したがって
1/√2 ≦ σq、σp ≦ √2
の範囲で、ケナードの不等式を満たす範囲を変動しうる。

σq、σpがそれぞれ√2の値を取った場合のプロットは下記のようになる。

b0032038_330537.png


であれば、小澤の不等式は無事成立していることになるのだが、日経サイエンスの記事で、そこまで読み解くことが正しいのかどうか、不安に駆られてしまう。

物理・数学の専門家の方に上記解釈で正しいのかどうか、どこかでコメントをしていただきたいものである。
<=== 2012/03/23 03:40 補足・追記ここまで


※2012/3/27 05:15 補足・追記 「σ=1になる場合について」
小澤の不等式におけるσ(標準偏差・ゆらぎ)の取り扱いについては、たとえば
日本数学会の秋季総合講演http://mathsoc.jp/office/meeting/sogo-index.htmlのabstractである。http://mathsoc.jp/meeting/sougou/2008aki/2008_aki_ozawa.pdf
に詳しい。
ハイゼンベルグの暗黙裡の仮定(P)
測定精度ΔQで位置を測定した直後の状態は、標準偏差がσ(Q)≦ΔQを満たす。
小澤氏は上記仮定(P)が正しくないとし(すなわちσ(Q)≧ΔQもありうるとし)、さまざまな条件でのσを考察しておられる。上記abstructでは、小澤の不等式は「普遍的不確定性原理」として
定理:任意のインストルメントに対して
ε(A)η(B)+ε(A)σ(B)+σ(A)η(B)
  ≧1/2|〈[A,B]〉|
の形で提示されている。
1.平均誤差・平均擾乱が対象の状態によらない場合
  ハイゼンベルグの不等式ε(A)η(B)≧1/2|〈[A,B]〉|
が成立する。
2.η(B)=0の場合、無擾乱測定として
  ε(A)σ(B)≧1/2|〈[A,B]〉|
が成立する。
3.ε(A)=0の場合、無雑音測定として
  σ(A)η(B)≧1/2|〈[A,B]〉|
が成立する。
無擾乱測定にて、一定の条件のもとでWAYの定理が成立する
  ε(A)2≧|〈[A,L1]〉|2/(4σ(L1)2+4σ(L2)2) --- (1)
  L1:測定対象の物理量、L2:測定装置の物理量
★1:装置系が巨視的として非常に大きければ、大きな保存量を蓄えていて分散:σ(L2)が大きく、ε(A)を小さくできるとしている。
さらに、そのあとに
★2:「一方、量子計算素子による集積回路の構成にて、要素的計算素子が巨視的でない単体として高い精度で機能するかどうかは興味ある問題」として、スピンを扱う場合のσに関し「13 量子計算実現に関する量子限界」として考察が入っている。(この章では、σx、σzといった記号が出てくるが、これは、上述の標準偏差:σとは異なり、パウリ行列になるので注意)
上記章では、たとえば、アダマール・ゲートとスワップ・ゲートを組み合わせた場合の誤り確率にて、σの値については、
  σ(L1)=σ(σx)≦1 --- (2)
  制御光を円偏光をもつ平均光子数〈N〉のコヒーレント光とすると、
  σ(L2)=ħ(〈N〉)1/2 --- (3)
といった式が記述されている。

上記にて引用した小澤氏の2008年のabstructでもσ:標準偏差がどのような値になるかが非常に重要であることがわかるのだが、日経サイエンスの記事では、プロットから読み取ったσが1であること以上のことは不明であった。
小澤氏の2008年のabstructから、今回の実験系は少なくとも★1の状態を想定しなくてもよい系になっていることが推察される。ではないことは分かった。
また、計測系が異なるであろうが、たとえば★2のような実験系で光子数が1であれば、(1),(2),(3)の等号成立時に(ħを単位とする等の操作が入るだろうが)σ(B)=1になる場合があることがわかる。同様にして、σ(A)=1になっているのかもしれない。
いずれにしてもσが1/√2を下回る可能性を否定することはできないが、測定系の状態によって、何らかの制限を加えることができるのだろう。
2012/3/27 05:15 補足・追記 ここまで
2012/3/29 06:10 アンダーライン部を修正・追記



あと、残念だったのは、スピンの最大値が±1だということの明記はされていたが、誤差・擾乱としての値が√2(ないし近い値)になっていることの説明(ないし解釈)が抜けている。計測値が+1と-1の二つの場合の標準偏差(※2)に相当するはずである。

※1:kekの解説
http://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Highlights/20120223180000/
※2:厳密には得られた二つの値を標本として推定した母集団の標準偏差:sqrt(Σ((Xi-Xm)^2)/(n-1))で計算して得られた値。n=2、X0=+1、X1=-1で、Xm=0(平均)なので、sqrt((1+1)/1)=sqrt(2)になるはず。ただし、記事では「複数のスピン(数については記述なし)を統計処理した」とあるので、nは2以上になるはずで、上述の式では、√2から1へと近づくことになるが、プロットされた値の最大値は、どう見ても√2(ないし近い値)である。

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by kisugi_jinen | 2012-03-20 05:23 | 思考。。。 | Trackback(2) | Comments(0)
小澤の不等式。。。長谷川氏の実験結果の意味するところ。。。
※2012/3/22 2:45 補足・追加と大幅訂正。
下記は、一種の仮想実験(ストーリー)になります。最初の記述段階で内容に混乱があったため、大幅に書き換えます。
注意:今回の式は小澤の不等式に似ていますが、小澤の不等式とは根本的に異なります。


小澤の不等式および長谷川氏の実験系での誤差・擾乱には、標準偏差:σは「別」として扱われていますが、ハイゼンベルグの思考実験での誤差と擾乱という概念には、系統誤差+偶然誤差という概念にて成立するものでしょうから、偶然誤差=標準偏差という概念が含まれていたはずです。

以下、小澤の不等式では「誤差・擾乱」の外部に放り出されている「標準偏差;σ」を「誤差・擾乱」の内部に含んだ形、すなわちハイゼンベルグの思考実験を、そのまま推し進めた場合の記述になります。この場合、誤差・擾乱≧標準偏差という概念が成立しますが、小澤の不等式では、「誤差・擾乱≦標準偏差」という状態を積極的に許すことで誤差ゼロかつ擾乱ゼロといった状態が可能だとしています。

以下、訂正箇所は青字で記述します。削除は取り消し線で表示します。

今回の仮想実験の前提条件は、下記の通りです。
>>>===
小澤の不等式を知らない状況で、ハイゼンベルグの思考実験が正しいとし、長谷川氏の実験結果から、ハイゼンベルグの式を修正することで、真の関係を導き出そうとした場合、小澤の不等式が導き出せるのかどうかの思考実験です。
===<<<
※前文追記ここまで

仕事の片手間に考えてるので、断続的にしか進まないが、日経サイエンスでも引用されている長谷川氏の実験結果の図には、深い意味が隠されていることに気が付いた。

図にプロットされた誤差と擾乱のカーブが上に凸の形状を成していることである。

これは、一連のブログ投稿の最初に書いたことでもあるが、非常に重要な事実である。
下に凸、いや、双曲線であったなら、ハイゼンベルグの不等式は本質的に正しく、下限値を修正すべきとなったかもしれない。を否定できないという事態に陥る危険性すらはらんでいるが、それだけではない
「双曲線でない」ということは、「ハイゼンベルグの不等式では不十分」⇒「ハイゼンベルグの誤差・擾乱に、誤差と擾乱の値と連動して変化する【何か】が加算されれば、不等式が成立しうる」「小澤の不等式が成立する」⇒「誤差と擾乱の値によって標準偏差の値が変動する」ということを意味しているからである。

以前、はっしー氏の記事から
{ε(Q)+σ(Q)}{η(P)+σ(P)} ≧ ħ
なる式を引用したが、非常にわかりやすい形をしている。
不確定性原理。。。小澤の不等式。。。別側面から。。。
http://jinen.exblog.jp/11230071/
はっしー氏の記事
http://green.ap.teacup.com/hasea-teikoku/238.html
展開すると小澤の不等式+ケナードの不等式となっているし、小澤の不等式の本質を理解するのには、「はっしーの不等式」の方が、イメージしやすいからである。
(2012/3/22 2:45、段落下げ位置修正)
以下、「はっしーの不等式」からイメージを得て、ストーリーを展開していく。



ハイゼンベルグの式
ε(Q)η(P) ≧ ħ
では、誤差と擾乱が双曲線の関係にならざるを得ないので、直線ないし上に凸のグラフになるためには、
観測される誤差:ε(Q) = 系統誤差:Ε(Q)+標準偏差:σ(Q)
観測される擾乱:η(P) = 系統擾乱:Η(P)+標準偏差:σ(P)
とした場合、系統誤差・系統擾乱か標準偏差のどちらかが、測定値(測定条件)に連動して変化しなければならない。
※系統誤差・系統擾乱は、測定装置固有の誤差とそれによる固有の擾乱を意味します。

したがって
ε(Q)η(P) = {Ε(Q)+σ(Q)}{Η(P)+σ(P)} ≧ ħ
なので、
Ε(Q)Η(P)+Ε(Q)σ(P)+Η(P)σ(Q)+σ(Q)σ(P) ≧ ħ

ケナードの不等式
σ(Q)σ(P) ≧ ħ/2
から
Ε(Q)Η(P)+Ε(Q)σ(P)+Η(P)σ(Q) ≧ ħ/2


上記式にて、σ(Q)およびσ(P)が一定値に固定されるとし、かつ、不等号ではなく等号が常に成立するとした場合、誤差:ε(Q)および擾乱:η(P)の少なくともどちらか一方は下に凸のグラフとなるはずだからである。

逆説的に言えば、誤差と擾乱の両方共が上に凸のグラフを形成するということは、小澤の不等式(というよりはっしーの不等式)のように誤差と擾乱に「何か別のパラメータ」が加算されていて、かつ、それらパラメータが変動する場合に成立するからである。

たとえば、σを一定とし、等号のみ成立する場合、かつ、誤差が直線的に変化する場合、「はっしーの不等式」で系統誤差+標準偏差=f(x)=ax+b、系統擾乱+標準偏差=g(x)とおけるので、
f(x)・g(x)= ħ
g(x)= ħ/(ax+b)
となり、g(x)は双曲線になる。
もし、誤差が上に凸の曲線で、直線:ax+bに対してd(x)≧0だけ加算される形だったなら、加算されるd(x)分だけ、g(x)が下に凸にならざるを得ない。

等号ではなくて不等号だから、両方とも上に凸で何ら問題ないともいえるのだが、そこに「加算されていて、上に凸の形状を形成せしめている何か」が存在すると考えるのは、自然な成り行きでもある。

もし仮に下に凸のプロットであったなら、かつ、誤差と擾乱の値が正確に「ゼロ」にはならずに下限値が存在したなら、ハイゼンベルグの不等式が成立しているとしても矛盾しない結果であっただろう。

誤差と擾乱の値が「無限大」にならないということは、他方が正確に「ゼロ」にならずに下限値が存在する可能性も意味しており、ハイゼンベルグの不等式が破れていることの査証にはなりえない。


しかしながら、上に凸のプロットになったということは、ハイゼンベルグの不等式のそれぞれの項に、何か別のパラメータが加算された「はっしーの不等式」(すなわち小澤の不等式)のような形を成していると考えるべきであろう。

そうして、その加算される項は、誤差と擾乱の値によって変動しなければならない。


もし、加算される項が、「はっしーの不等式」ないし「小澤の不等式」のように、それぞれの標準偏差であったなら、標準偏差(ゆらぎ)の意味するところを深く考えるべきである。すなわち、

量子力学的な標準偏差(ゆらぎ)は、測定行為と独立しては存在しえない

いや、

存在そのものは個々独立しては存在しえない

積極的に言い換えるなら(いや、言い過ぎかもしれないが ^^;)

存在するものは、皆関連しあって存在するのであって、関連しあっていないものは存在しえない
ということをも意味しているといえるのではないのか?

このあたり、時空連続体という概念、ないし、ネーターの定理のような数学的な制約が時空概念の連続性とともにあるということ、あるいは、エンタングルメント(非局所的な量子相関)と相同の概念として捉えるべきものなのかもしれない。
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by kisugi_jinen | 2012-02-15 02:41 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
小澤の不等式における「誤差=0」の意味するところ。。。
前回、前々回と、小澤の不等式について、長谷川氏の中性子スピンの計測実験に関する記事を基に少しばかり投稿したが、本質的な問題の意味するところに気が付いたので、別に投稿することとした。
前々回:小澤の不等式とスピン。。。
http://jinen.exblog.jp/17654143/
前回:小澤の不等式とスピン-その2-標準偏差:σは無限大にならずに済むのか?。。。
http://jinen.exblog.jp/17684183/
問題点と今までのまとめ
【1】.標準偏差の無限大への発散
小澤の不等式上では、誤差と擾乱の片方ないし両方を「ゼロ」へと収束させることが可能。両方を「ゼロ」へと収束させようとすると、自ずから標準偏差(最近、マスコミでは「ゆらぎ」と表記されることが多い)は無限大へと発散させざるを得ない。小澤氏の論文中にも、そのことは明確に記載されている。
【2】.ハイゼンベルクの不等式での無限大の意味とケナードの不等式(不確定性関係)での無限大の意味
小澤氏は、ハイゼンベルクの不等式にて、たとえば「位置の誤差・擾乱」と「運動量の誤差・擾乱」の片方がゼロになったとき、「他方は無限大になる」ことを避けることを一つの目的とし、不等式を組みなおしておられる。しかしながら、組みなおされた不等式では、【1】に記述しているように、ケナードの不等式での「位置の標準偏差」と「運動量の標準偏差」が無限大へと発散することを許している。
 このことについては、以前から指摘してきている事項であるが、「標準偏差」ないし「ゆらぎ」という概念を「実在しない、計測できない数学上の概念」として切り捨てるなら、いわゆるコペンハーゲン解釈を行っているのと同等になり、「標準偏差」ないし「ゆらぎ」という概念を「実在し、(すでに)計測されている」として取り込む場合にには、いわゆる多世界解釈を行っているのと同等になってしまう。
【3】.長谷川氏の実験系では、「1/2の中性子のスピン」を扱っておられた。1/2のスピンは磁場方向(たとえばx軸)に対し+1ないし-1(※1)のどちらかに分離する内部状態で、複素数を含む内部の空間にて磁場方向に対し傾いている。すなわち、磁場方向(たとえばx軸)に対するyz平面内の「どこか」にスピンの軸が向いている。この「どこか」が「ゆらぎ」に相当する。
※1:h/(2π)の1/2を単位としたときの大きさ
 この「ゆらぎ」は、x軸に対するyz平面内での(位相)角度なので、0から+2π(あるいは±πとしてもいい)の範囲として記述されるが、実際には+Nπ(N:自然数、無限大を含む)が加算されていても問題ない角度である。というよりも、x軸方向のスピンの向きを決定した直後、直行するyz平面内でのスピンの向きは、(ハイゼンベルグの不確定性原理とは異なる)ケナードの不確定性関係のため不定となる。長谷川氏の実験結果にても、x軸方向の誤差がゼロの場合には「yz平面内に均等に分布している」状態が現れている。内部空間でx軸に対するスピンの「向き」が「誤差ゼロ」というのは、yz平面での位置(角度)が「ゼロから無限大」すなわちθ+Nπ(-π≦θ≦π、N:自然数)の「どこか」に位置しているのと同等であろう。ただし、スピンの「向き」としては最大±π、すなわちy軸方向に+1か-1という値であるとして扱いうるということである。
 さて、スピンというものを粒子の自転の概念でとらえることは本質的に誤っているが、スピンは角運動量という概念であり、ハイゼンベルグの不確定性原理でいうところの「位置と運動量」に対し「角度(スピンの向き)と角運動量(スピンの大きさ)」という関係として捉えるべきものである。
 また、x軸に対するスピンの向きは、磁場にて決定されると書いたが、その大きさ(角運動量の大きさ)は磁場強度に比例する(※2)。そうして、(「実際には回転していない」にも関わらず)yz平面内を角速度:ωで回転しているとするなら、ωはスピンの大きさに比例している。x軸方向でのスピンの「向き」(角度)を正確に(誤差をゼロに)近づけようとするなら、磁場強度を上げざるを得ないだろうから、yz平面内での回転速度(角運動量)は増加していくだろう。磁場強度はどこまで上げれば「正確な」値が得られるのだろうか?
※2:「スピン角運動量の大きさ」は、通常「h/(2π)の1/2」であり、磁場強度の概念は入っていない。しかしながら、磁場強度をBとしたとき、ω∝Bという磁場に比例する角速度:ωがラーモアの歳差運動という概念にて定義される。この場合、E=hν=h/(2π)×ν×(2π)=h/(2π)×ωという式にて表されるエネルギー:Eの放出・吸収によって、スピンの向きが+1と-1との間で入れ替わることになる。運動量の概念はエネルギーの概念を速度で割ったものである。ωで割ると「スピン角運動量の大きさはh/(2π)の1/2」と元に戻ってしまうが、ド・ブロイ波では光速:cで割っている。おなじように光速:cで割ると、「角速度:ωの大きさに比例するスピン角運動量」という概念が成り立つだろう。←専門家の方、ご指摘いただけましたら幸いです。


【まとめ】
 いずれにしても、片方を「ゼロ」にしようとすると、他方に「無限大」という概念が現れる。たとえハイゼンベルクの不等式を否定できても、ケナードの不等式には残り続けているし、小澤の不等式は積極的に「無限大」の概念を利用した式でもある。

【さらなる思考】
はたして、誤差ゼロとか擾乱ゼロといった概念は、成り立つのであろうか?
このことは、まさしくゼノンのパラドックスに該当し、「飛んでいる矢」に対する考察と同等であり、可能無限と実無限に該当している。
ゼノンのパラドックスと可能無限と実無限の概念については、下記を参照ください。
知には限界が無いゆえ限界がある。。。
http://jinen.exblog.jp/593874
数学屋のメガネ・2006年03月03日・実無限と可能無限
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50464188.html

すなわち、時空間を無限分割可能だとする前提条件があるからこそ「誤差ゼロ」とか「擾乱ゼロ」へと収束させることが可能だという議論である。したがって、本質的に「標準偏差:無限大」という概念を消し去ることができないばかりか、積極的に導入することで、小澤の不等式は成立しうることになる。
ところで、時空間が無限分割可能ではないという概念も、実のところ思索されている。たとえば「ループ量子重力理論」である。時空間に最小単位があるという考え方なので、最小単位分の「誤差」と「擾乱」が担保されていると考えるなら、ハイゼンベルクの不等式でも「無限大への発散」は生じないのではないだろうか?
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by kisugi_jinen | 2012-02-07 04:48 | 思考。。。 | Trackback(3) | Comments(0)
小澤の不等式とスピン-その2-標準偏差:σは無限大にならずに済むのか?。。。
小澤の不等式とスピン。。。
にて長々と訂正を重ねながら書いてしまったが、私が最も興味を抱いているのが、
実験系にて「誤差」と「擾乱」のトレードオフの具体的な関係が明らかになったときの、小澤の不等式での「標準偏差:σ」(記事では「ゆらぎ」)についてである。
この部分はロバートソンの不確定性関係とも関連するが、はたして標準偏差:σは、「誤差・擾乱」の変動関係によらずに一定の値を保ちうるのか?

小澤氏によれば、誤差と擾乱の両方をゼロに近づけることが可能とのことであるが、残念なことに(※1)今回の実験系では、片方をゼロに近づけることができたようだが、その場合に他方は取りうる最大の値:√2(すなわち、スピンの状態としては、+1と-1の両極端の重ね合わせ状態)を取ったようで、真の意味での量子力学的な限界(ロバートソンの不確定性関係)は決して破ることができないことを実証したともいえる。
(※1:私にとってはσが無限大になるといった事態が避けられたので「幸いなことに」である)
問題は、標準偏差:σが誤差・擾乱の関係によらずに、一定の値を取りうるのか?ということである。


もっというなら、
標準偏差:σは測定の影響を受けるのか・受けないのか?ということになる。
個人的には「受けない」のではないのか?と考えている。
いや、正確には、もし仮に小澤の不等式が成立するとしても「受けないでもいいような値が許されている」のでは?と思うのである。

理由はたいしたことではない。小澤の不等式が成立する場合、小澤氏が指摘しているように「誤差・擾乱」をゼロに近づけることが可能な場合には、「標準偏差:σ」が無限大になる(無限大へと操作される)というのが、どう考えても気持ち悪いということにしか過ぎないのである。

そもそも、標準偏差という概念と計測結果という概念の関係からすれば、計測結果のばらつきは標準偏差(ないし分散)と一致しなければならないはずである。それなのに、計測結果の誤差と擾乱がゼロへ収束する場合に、その「散らばり方」であるところの標準偏差:σが無限大へと発散する(させられる)のは、おかしいのではないのか?ということである。

さて、論文は有料とのことで、手に入れていないが、幸いなことに日経サイエンスが明瞭な結果の図を引用してくださっている。

図から読み取れる値をもとに、仕事の合間に計算をしているところである。

現時点で分かったことは、誤差・擾乱が直線的に変化した場合でも、少しばかり複雑な式になるということである。
式は職場に置いてきてしまったので手元にないが、記憶しているところを係数をA,B,Cで表すなら
A(σ21-√2)2 ≧ Bσ1+C
といったような不等式が条件としてでてくるということである。(←後日差し替え予定)

※以下、2012/1/27 00:10追加
計算式を持ち帰った。±が少し違っていた。上記の曖昧だった式は判別式Dに相当している。

誤差と擾乱の変化は直線関係ではなく、やや上に凸の形状で変化しているので、式の通りにならないであろうが、おおよその関係を把握することはできると思っている。

念のために繰り返し断っておくが、以下は角度パラメータをxとしたときの誤差と擾乱が直線的に変化した場合を想定した式になっている。

実験結果の該当図は若干上に凸のプロットになっているため、できれば後日、プロットから読み取った値にて近似式をだし、仮想的な直線の代わりに代入してみる予定である。

今回、直線として想定した誤差と擾乱
誤差:(2√2/π)・x --- [1]
擾乱:(2√2/π)・(π/2-x) --- [2]
とすると

パラメータ:xが0からπ/2までの範囲で成立すべき小澤の不等式:yは、
y(x)=-8/π2・x2
+ (2√2/π)・(σ21+√2)・x
+ √2・σ1-h/(4π)≧0 --- [3]

上に凸の二次関数なので、x=0およびx=π/2の2点にてy≧0が成立すればいい。
したがって、
y(0)=√2・σ1-h/(4π)≧0 --- [4]
y(π/2)=√2・σ2-h/(4π)≧0 --- [5]

念のためy(x)の判別式をDとすると
D×π2/2=(σ21+√2)2 +4√2× σ1-h/π≧0
であり、[4]が成立する範囲でD≧0となる。
[4]は
σ1≧h/(4√2・π)
であり、成立しない範囲は下記のプロットではほぼ原点付近でプランク定数程度であるため、倍率を1034ぐらいにしないと、見ることも、表現することもできない。(←表現を変えました。2012/1/28 01:10)

ということで参考にならないかもしれないが、横軸にσ1縦軸にσ2を、それぞれ(0,√2)の範囲にて設定した時のD×π2/2のプロットを示す。
b0032038_2314329.png


少なくとも、今回の実験系で誤差と擾乱が直線的に変化したとするならば、σは無限大にならなくとも、(それぞれ誤差と擾乱の最大値以下の範囲で)ある一定の値(式[4],[5]を成立させる範囲)を保っていれば、小澤の不等式を成立させうることが分かった。

繰り返すが、誤差と擾乱の実際の値は直線よりも上に凸であるが、おおよその予測として、それほど外れていないと思っている。

※2012/01/27 05:30 追記
。。。というより、「誤差・擾乱の変動に影響されずに、一定の値でありつづけている」ことを否定されなかったというべきだろうか?。。。
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by kisugi_jinen | 2012-01-26 02:37 | 思考。。。 | Trackback(4) | Comments(0)
小澤の不等式とスピン。。。
今週初頭の月曜日(1月16日)に、センセーショナルなニュースが飛び込んできた。

普段、新聞などあまり見ないのに、センター試験でのニュースが気になっていたので、月曜の朝から新聞を広げようとしていたからである。

「小澤の不等式が証明される!」
おぉ。。。とうとうやったのか?

と、新聞に記載されている内容ではよくわからないのでネット検索をかけてみたら、具体的な論文の概略と図の一部を添付した記事を見つけた。
日経サイエンスの記事である。
2012年1月16日・「ハイゼンベルクの不確定性原理を破った! 小澤の不等式を実験実証」
しかしながら、読み進めていくにつれ、「あれ?」と思うところがあった。

元の記事を引用し、続いて私的ではあるが、考察を加えてみようと思う。
1.方法についての記載部分
中性子のスピン(自転に相当します)の異なる2方向の成分(x成分とy成分)とは,粒子の位置と運動量と同じく,「片方を測定するともう片方の乱れが大きくなる」というトレードオフの関係にあります。量子力学的に見て,両者の関係は同じ不確定性で表されるのです。長谷川准教授らは,まずある中性子のx成分を測定し,続いて同じ中性子のy成分を測定しました。

2.結果についての記載部分
測定条件を変えていくと,x成分の測定誤差が大きくなるにつれて(測定1),y成分の乱れ(擾乱)が小さくなり(測定2),確かにトレードオフの関係になっています。

3.考察についての記載部分(ここがおかしな記述になっている、後述)
注目すべきは実験パラメータが0の点です。x成分の誤差は限りなくゼロに近いので,ハイゼンベルクの式が正しければ,y成分の乱れは無限大に発散するはず。でも実際は1.5弱に収まっています(縦軸は測定値がh/4πの何倍かを表しています)。両者を掛け合わせるとh/4πより小さくなり,ハイゼンベルクの不確定性原理を破っています! 実際,上の測定ではどの実験条件でもxの誤差とyの乱れの積はh/4πより小さく,ハイゼンベルクの式はまったく成立しません。


1の方法を読むと、1つの中性子のスピンの向きについて、ひとつの方向(x軸)を測定し、つづいて、直行する軸(y軸)を測定したとある。通常、スピンをそろえるためには、磁場をかけなければならないので、前段階でz軸方向に磁場をかけていたのだろうと推察される(後ほど、原論文を参照する予定であるが、日経サイエンスにて特集を組んでくださるそうだから、それまで待つことになるかもしれない)。

さて、z軸に磁場をかけた時に、正確にz軸方向にスピンが向くわけではない。中性子のスピンの値は1/2なので、xy平面のいずれかの方向にも向いていることになっている。スピンの長さは(√3)/2で、z軸方向の長さは±1/2で、xy平面内では(√2)/2の長さを持つことになる。

このあたり詳しく記述しているのは、EMAN氏の量子力学の記述である。
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/spin.html
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/spin2.html
http://homepage2.nifty.com/eman/quantum/spinor.html
EMANの記事では、x軸方向に磁場をかけているが、スピンの性質上、同じことになる。

要約するならば、(a)z軸にスピンをそろえた後、(b)x軸方向に計測し、(c)引き続いてy軸方向に計測すると、
(a)では、xy平面内でのスピンの向きは不確定(古典物理学的な角速度は磁場によって確定されるため、位相としての角度が、不確定性原理のために不定となる)
(b)では、x軸方向での向きが決定されるため、yz平面内でのスピンの向きが不確定になる。
(c)では、y軸方向が決定されるため、xz平面内での向きが不確定になる。直前の(b)でx軸の向きが決定されたにもかかわらず、x軸の方向を含めて、スピンのxz平面内での方向は不確定になるということである。(←ハイゼンベルグではないケナードの不確定性原理による。正確には[Sx,Sy]=iSzの関係から導き出される関係)(※←赤字追加、2012/1/22 05:12)

さて、日経サイエンスにて引用された結果と図を見ると、(b)の時点で、y軸方向のスピンのとりうる値の測定誤差が角度0のとき0で、角度π/2のとき1.5より少し小さい値になっている。図を拡大して値を読み取ると、1.414に近いことがわかる。すなわち√2である。それぞれの軸方向に検出された場合を±1とするならば、(最大の)標準偏差は√2であり結果の図と一致している。
となると、スピンの向きを最大で±1という値に決めたとしても、それ以上の値をとるはずが無く、「無限大」になりえないのは当然のことである。
さらに、擾乱についての図の曲線は、EMAN氏が記述しているようにcos2になっているはずであるが、まさに放物線のような最初のカーブは、cos2でのカーブに似ている。
↑※2012/1/22 05:07 取り消し修正・補足
EMAN氏の記述は、スピンの方向が決定された後、θ回転している面内にスピンが存在する確率の話なので、誤差と擾乱には直接的には関係しない話でした。
ただし、存在確率がcos2にて決定されるのであれば、誤差と擾乱の値も関連した傾向を示すであろうことが想定されます。


スピンの向きの不確定性は、1つの軸方向について決定されたとき、直行する平面内での向きが不確定になる(すなわち、位相角度がゼロから無限大になる=回転角度なのでゼロから±πの間、すなわち向きとしては±1の範囲)ということを意味しているので、日経サイエンスに記述されている「考察」部分はおかしいのではないだろうか?(←「回転」しているかどうかは別問題なので取り消し線で修正:2012/01/22 03:40)

※2012/01/22 04:57 追記

したがって、「ハイゼンベルグの式が正しければ,y成分の乱れは無限大に発散するはず。」という表現は正確ではない(★)ので、3の考察部分を的確に書き表すのであれば、

各軸方向の中性子のスピンの長さはh/(4π)として定義されますが、その大きさを1としたものが図になります。実験パラメータ(誤差)が0の点ではx成分の誤差は限りなくゼロに近いので,ほぼ100%の確率でスピンがx軸方向を向いていることがわかります。この場合、y軸に対しては、±90°、すなわち±π/2の角度の位置にほぼ100%の確率にて存在することになるため、+1か-1の値のどちらかが計測されることになります。理論的には両者の確率が50%になるはずなので、その擾乱は最大値である√2、すなわち1.414...になるはずです。このことは結果の図にも表れています。注目すべきは両者を掛け合わせるとh/(4π)より小さくなることであり、ハイゼンベルクの不確定性原理を破っています。 実際,上の測定ではどの実験条件でもxの誤差とyの乱れの積はh/(4π)より小さく,ハイゼンベルクの式はまったく成立しません。

とすべきでしょう。
★さらに詳しくは、本記事の後半にまとめました。



小澤氏や長谷川氏の発言や原論文を読んでいないのでわからないが、彼らがそのような発言をしているとは到底思えないのである。(少なくとも、cos2のカーブの部分が重要だとしているはずである。)(←推論でしかなく、誤解を生むといけないので取り消させていただきます。2012/1/22 04:57)


ところで、小澤の不等式には、もっと本質的な意味が隠されている。

実は、最近、私が記述した記事不確定性原理の本質。。。小澤の不等式。。。にて疑問に思っていた点について、小澤氏自らが記述している文献を見つけた。

日本数学会の秋季総合講演http://mathsoc.jp/office/meeting/sogo-index.htmlのabstractである。
http://mathsoc.jp/meeting/sougou/2008aki/2008_aki_ozawa.pdf

上記でもっとも重要な記述は
Heisenberg は,暗黙のうちに次の仮定をおいている.
(P)測定精度ΔQ で位置を測定した直後の状態は,
   標準偏差がσ(Q) ≤ ΔQ
を満たす.
この仮定のもとで,不等式(4.9) から,σ(P) ≥ ¯h/(2ΔQ) が得られ,精度のよい測定をすれば,測定後の運動量の標準偏差がそれに反比例して大きくなるのは,測定による運動量の擾乱の大きさΔP が(4.8) を満たすためであると結論している.
この証明で用いられた仮定(P)は正しくない.このことは,1980 年代になって,重力波の検出に不確定性原理から導かれる検出限界が存在するかという問題を巡る論争の中で明らかになった.

である。引用文中 ¯hは、エイチ・バー、すなわちh/(2π)。

すなわち、「標準偏差」という概念についてどのように考えるか?が本質的な問題だったということである。

以下、悩んで記述した小澤の不等式に関する稚拙記事を並べておく。
不確定性原理の本質。。。小澤の不等式。。。
不確定性原理。。。小澤の不等式と解釈問題。。。
不確定性原理。。。小澤の不等式と解釈問題。。。2。。。
不確定性原理。。。小澤の不等式。。。別側面から。。。

上述の内容で、ずっとこだわってきたのが
http://mathsoc.jp/meeting/sougou/2008aki/2008_aki_ozawa.pdf
での「ハイゼンベルグの仮定」
測定精度ΔQ で位置を測定した直後の状態は,標準偏差がσ(Q) ≤ ΔQ
を満たす.

に相当することである。

この内容は、私が最初に読んだ小澤氏の別の論文(プレプリント)
http://arxiv.org/abs/quant-ph/0210044
http://arxiv.org/PS_cache/quant-ph/pdf/0210/0210044v2.pdf
内での記述
 η(P) ≧ σx(P) --- 小澤氏(プレプリント)論文の式(18)
 ε(Q) ≧ σx(Q) --- 小澤氏(プレプリント)論文の式(19)
に相当する。
上述の式は小澤氏がプレプリント論文中で、ハイゼンベルグの仮定部分の証明をトレースした部分に相当しており、式(17)から式(25)の間にて詳しく論じられているようである。

すなわち、小澤の不等式の本質は
標準偏差≧誤差(ないし擾乱)
が成立する。
ということに尽きるはずである。

これは、非常に深遠な意味を含んでいる。すなわち、多世界解釈が成り立つということを意味しているのと同等である。
このことの意味については、上記に列挙した稚拙の記事を参照してください。

最近になって上記日本語の論文を見つけて分かったのだが、上記プレプリント中の式(18),(19)から式(25)までの部分は、ハイゼンベルグが仮定した部分に相当するということであり、小澤氏はそれを「否定しようと」していたということで、私の英語力の無さと物理という専門外の分野という障壁(?)が災いして、重大な勘違いをしていたということになる。この場を借りてお詫びいたします。m(_;_)m(各記事には、後ほど追加の文章を記入していくことにします)

※2012/1/22 02:54 追記
先ほど、全ての記事の冒頭に下記を追記しました。
=== 2012/1/22 02:48 追記 
以下、σ(標準偏差)と誤差・擾乱との大小関係に関するプレプリント論文内での記述、数式では(18)から(25)の部分は、ハイゼンベルグの仮説を説明した部分に相当するようであり、小澤氏の主張する内容に反する部分に相当していたようです。下記、資料を入手できたため、勘違いしていたことがわかりました。
日本数学会の秋季総合講演http://mathsoc.jp/office/meeting/sogo-index.htmlのabstractである。
http://mathsoc.jp/meeting/sougou/2008aki/2008_aki_ozawa.pdf
ただし、小澤の不等式では、誤差・擾乱の両方をゼロにするためには、「σ(標準偏差)が無限大になる」必要があることには変わりありません。一方で、誤差・擾乱が大きいときには、σ(標準偏差)が無限大にならずに、比較的小さくてもいいことになります。
そもそも、σ(標準偏差)が無限大なのに、誤差・擾乱をゼロにできるということは、短時間のうちに繰り返し測定を行うとしても、測定していない間に(多世界解釈を行うなら、測定している最中にも)波束のσ(標準偏差)が無限大に拡散することを意味しています。小澤の不等式が繰り返し計測を前提にしているのなら、σ(標準偏差)と誤差・擾乱の両方がゼロに近づくのであれば理解しやすいのですが、残念ながら、小澤の不等式では、そうはならないということです。
σ(標準偏差)という概念が何を表しているのか? そのことについては、深く考える必要があるでしょう。
===
日経サイエンスの記事で「無限大にならない」としているスピンの計測値(+1から-1の限定された範囲を取る)にしても、σ(標準偏差)が無限大にならなければ、誤差と擾乱の両方をゼロにはできないというのが小澤の不等式になっています。

最後に、気恥ずかしながら。。。

ガンバレ、小澤先生!!
勘違いしていてごめんなさい、小澤先生!!


※2012/1/23 2:40補足・追加
スピンでの不確定性は、ハイゼンベルグの思考実験とは少し背景が異なっている。ハイゼンベルグの思考実験は、「同時計測の可能性」であって、今回の実験のように「スピンを同時ではなく、連続して測定する」場合とは異なっている。
そもそも、スピンの定義自体が「直交する2成分の同時計測を許さない」構成であり、だからこそ、可換でない[Sx,Sy]=iSz(ケナードの不確定性関係)が成立しているのである。小澤の不等式もケナードの不確定性関係を破ることができないために、σを無限大へと発散させることで、同時計測が可能な場合にも対応できるように工夫されている。したがって、厳密な意味では、ハイゼンベルグの不確定性を否定することは不可能ともいえるが、一般的に広まっている誤解を解消するには十分なのだろう。ただし、一部の専門家が指摘しているように、誤解に基づく報道や行き過ぎた報道が散見されたことも事実で、慎重な記述がなされることを切に望むところである。


さて、長谷川氏の実験の図は、日経サイエンスの記事からリンクしているPDFファイルに鮮明な形で引用されているので、おおよその値を読み取ることができる。
(2012/1/23 02:00の時点でPDF記事に誤植あり、「測定1への擾乱」は「測定1の誤差」の間違い。←twitterで指摘していたが、5時の時点で確認したところ気付いてくれたようで、差し替えされる模様です。2012/1/23 05:11)
「同時計測可能」であれば、誤差と擾乱の両方ともがゼロに近づかなければならないが、そうはなっていない。このことは、まさに量子力学的な不確定性のなせる業でもある。(2012/1/26 01:35 赤部追加)

両者をほぼ直線とみなせるなら、誤差は(0,0)-(π/2,√2)を結ぶ直線で、擾乱は(0,√2)-(π/2,0)を結ぶ直線になるので、誤差と擾乱の積は
-(8/π2){x(x-π/2)} --- [1]
である。図では直線ではなく、上に凸なので上記式[1]よりも大きな値になる。式[1]ではx=π/4の時最大値1/2を取るので、誤差×擾乱≧h/(8π)となるが、図から読み取った計測値を掛け合わせて見ると、0.78程度の値で、1/2よりも大きかったが1を越えることはなかった。したがって
h/(4π)>誤差×擾乱≧h/(8π)
となっており、確かにハイゼンベルグの式を破る結果となっている。
また、誤差と擾乱の積が最小になるのは0ないしπ/2の時であり、それぞれでの誤差と擾乱を(0,√2)、(√2,0)とした場合、小澤氏の不等式によると
0×√2+0×σ21×√2≧h/(4π) --- [2]
√2×0+√2×σ21×0≧h/(4π) --- [3]
となる。
[2],[3]より、σ1、σ2ともに、h/(4π×√2)よりも大きくなるはずである。

すなわち、
σ1×σ2≧h/(8π) --- [4]
。。。あれれ???
h/(4π)よりも小さい場合がありうる???
図をよーくみると、(近似曲線は原点付近を通っているが)誤差はパラメータが0のとき0にはなっていないので、厳密には[4]の右辺はh/(4π)になるのだろう。。。
でなければ、小澤の不等式でも不十分な事態に陥ってしまうかもしれない。。。

論文を購入するか、日経サイエンスの特集号を購入すれば、そのあたりの詳しい情報が入手できるかもしれない。。。

※2014/1/26 04:40 上記取り消し線にて削除後、以下に訂正・追記。

式[2],[3]をそのまま掛け合わせると
σ1×σ2≧h2/(32π2) --- [4]
となる。
式[4]は、長谷川氏の結果の図から読み取られたところからの一つの条件である。さらに、ロバートソンの不等式
σ1×σ2≧h/(4π) --- [5]
が成立しなければならない。

特に問題なさそうであるが、はたしてσの値は誤差・擾乱に応じて変動するものなのであろうか?
それとも、誤差・擾乱に関係なく、一定の値になっているものなのだろうか?

。。。つづきは
小澤の不等式とスピン-その2-標準偏差:σは無限大にならずに済むのか?。。。
http://jinen.exblog.jp/17684183/
へ。。。

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by kisugi_jinen | 2012-01-21 05:36 | 思考。。。 | Trackback(5) | Comments(0)
EPR相関とBellの不等式と。。。6。。。
※注:個人的な思索のメモです。専門家ではありませんので、記述内容についての真偽の保証はありません。
※専門家の皆様、コメント等いただけましたら幸いです。

EPR相関とBellの不等式と。。。5。。。までは、「宇宙全体を一つの孤在系として扱いうる」という前提条件にて記述していた。この概念は多世界解釈に直結する。

また、この概念は、時空連続体として、宇宙をどこまで細かく分割しても同一の時空として記述可能という前提条件が暗黙裏にあるともいえる。

しかしながら、現在主流の概念は、M理論にしてもストリング系にしても、4次元以上の余剰次元を閉じた空間に押し込めている。

2011/07/14  04:25 取消線にて修正
すなわち、プランク長さよりも短い空間は、その外の4次元時空とは時空不連続帯にて区分されていると考えてもいいのかもしれない。そうすれば、ネーターの定理が不連続帯にて分断されるため、プランク時間以下での仮想粒子の存在が、エネルギー保存則に抵触せずに存在可能になるのだろう。
↑時空不連続ではなく、連続として矛盾無く説明されるようです。3次元なら逆自乗の法則で力が減衰するところ、n次元なら、(n-1)乗の逆数に比例して減衰するとのことです。

「余剰次元」と逆二乗則の破れ (ブルーバックス)

村田 次郎 / 講談社



そういった考えを推し進めるのなら、たとえば、EPR相関にて取り扱われる「一つの孤在系として扱われる離れた粒子」は、4次元時空中にありながら、余剰次元を引きずって繋がり合っていると考えた方が良いのかも知れない。餅を二つに分けようとして、ビローンと伸びるように。。。
2011/07/14 04:25 追加
繋がり合っている(エンタングルしている)状態とは、両者が、逆(次元数-1)乗での減衰というものに従わない場にて繋がっているのに等しいことになると思います。

2011/07/14  04:25 取消線にて修正、加筆
プランク長さ以下(余剰次元を含めて)全てが時空連続体として記述可能な場合
余剰次元がプランク長さ以下に押し込められていて、エンタングルメントに寄与しない場合
b0032038_5284042.jpg


2011/07/14  04:25 取消線にて修正,および加筆
プランク長さ以下(余剰次元を含めて)、および特定の条件(たとえばEPR相関している粒子間など)での時空が不連続(すなわちネーターの定理が分断される)での余剰次元の一部(例えば複素空間)がプランク長さを越えてエンタングルメントに寄与しうるとして記述可能な場合
b0032038_528578.jpg

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by kisugi_jinen | 2011-05-03 05:39 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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