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カテゴリ:用語・概念。。。( 3 )
シンクロニシティについて。。。
Wikipediaでの定義
http://ja.wikipedia.org/wiki/シンクロニシティ

CIO関連でのとらえ方
日経BPnet
連載コラム「宮永博史の”戦略的CIO思考”のススメ」
「シンクロニシティ -同期から共鳴へ-」、宮永博史
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/miyanaga/12/index.shtml

私の定義を保留するにしても、因果関係」として捉えることの不可能な(あるいは困難な)事象間において関連性が見いだされた場合の説明手段(方法)といった意味合いの強い言葉である。。。
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by kisugi_jinen | 2008-01-03 00:36 | 用語・概念。。。 | Comments(0)
主観・客観と交換可能性。。。
社会学玄論というブログを構造構成主義関連でググッたときに見つけ、コメントをしたら下記のような投稿が為された。

主観/客観、交換可能性/交換不可能性

うーんんん。。。

「客観」って、認識様式に限定されるのだろうか?

このことに関連して、社会学玄論の他へのコメントにも記述したが、補足しつつ要約しておきます。(ほとんど、このブログで既に触れた事柄です)

主観・客観について
1.自然科学での対象は、客観的存在である。
2.自然科学での客観的存在は、「客観的」の極値に相当する。
3.「客観的」の極値とは、「主観的・恣意的」といった概念(「わたし」の側)を無限に交換可能とした場合の極値である。
4.ようするに「主観的・恣意的」影響が均質化した状態と同等(区別が不可能)になる。
※07/09/12 02:15追加
5.たとえば、「水」という対象を考えるとき、「水分子1個」なのか、「○○mlの水分子」なのか、気圧およびその時間変化、温度・湿度およびその時間変化、周囲の電場・磁場およびその時間変化など、周囲の状態の記述が必要になる。
6.これら環境要因の交換可能性を担保することが、客観性の高い状態とされる。
7.温度・湿度とその時間変化だけを例にとって見ても、「さっき走ってきて蒸し暑く感じるから、冷房を少し強くしよう。温度計と湿度計は当てにならない」というのでは、ダメなわけである。
8.更に言えば、もし温度・湿度の微妙な変化が対象に影響を与えうる場合、かつ、実験者と対象との間に温度・湿度の移動に対する完全な遮断が無い場合、実験室に入る前に走ってきたとか、歩いてきたとかが、影響するのは、当然のことになるだろう。

※07/09/14 03:15 補足追加
上記記述に関連して、社会学玄論のmerca氏は
観察の観察(区別という観察形式)
という投稿をなされました。
この問題は、いわゆる観測問題の核心に相当するメタ性です。
この追加の文章と、merca氏への上記リンクは、まさに自己言及系と相同の相互参照系(相互にメタを構成する)に相当することでしょう。
さらに相互メタを複雑にするため(笑)、過去の投稿へのリンクを下記に貼り付け、merca氏の文章に下記からトラックバックを送ることにします。
「こころ」。。。科学的に扱うことが可能か。。。3。。。
これら諸問題の背景にはゲーデルの不完全性定理も関与しています。
ゲーデルと20世紀の 論理学 ( ロジック ) [全4巻]
ゲーデルと20世紀の論理学(ロジック)〈1〉ゲーデルの20世紀
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ゲーデルと20世紀の論理学(ロジック)〈2〉完全性定理とモデル理論
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ゲーデルと20世紀の論理学 3 不完全性定理と算術の体系
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ゲーデルと20世紀の論理学 4
田中 一之 / / 東京大学出版会
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注意していただきたいのは、これら諸問題が「知的・論理的」という枠組み(知的切断面・概念)内にて取り扱われたときに、生み出されるということです。
はからずも、6年と3日前、我が子・長男が誕生した数時間後に0911のテロが勃発しました。
一見、抑制されえない感情の暴走のようにも捕らえうる上記テロは、「あらゆる物事は知的に解決可能である」とした場合には、解決不可能でしょう。
なぜなら、人々の「こころ」に「つながり・関係」をもたらしているもの・そのもの(情)は、「感情といった概念」として「知的に」捕らえられ、「知的に」扱いうるものではないからです。
テロを含めた自殺という行為は、自身のこころに対し、自身の知的な優位性がこころを完全に掌握したと思った途端に発生しうる行為でしょうから。。。
繋がりあおうとする「こころ」(情)を切断する知。。。
「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院)
厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。


交換可能性について
1.知的対象(認識・概念)等の記号化可能なものに対して「交換可能性」が高い状態を選択することが可能。
2.恣意性・主観的・情的といった概念は、記号化可能であるので交換可能性が高い
3.恣意性・主観的・情的といった概念にて表される(知的に切断されうる)元の「総体・全体」は、「交換不可能性」が高い。
4.これは「わたし」と「あなた」の交換不可能性そのものでもある。

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by kisugi_jinen | 2007-09-11 22:49 | 用語・概念。。。 | Comments(0)
狭義の情、広義の情、知的切断面、境界について。。。
本ブログ内にて、私的に使用している用語を、少しばかり整理しておきます。
(既に、ブログ内にて記述していることを、まとめたものです)

1.狭義の情的。。。
知的にしか「概念」を取り扱えないとしたとき、情的なものは、知的概念を貫いていく方向性をもつものになるであろう。
もし仮に、情的を「感情」として「感じうるもの、共感しうるもの」として取り扱いうるとするならば、それは、狭義の「情的」になるであろう。
「狭義の情的」なものの代表としては、情および情動を表すさまざまな単語・言葉をはじめ、知的所与を交錯させて完成された(あるいは未完の)芸術作品と呼ばれる一連のものが相当しうる。ようするに、記号化されることで、他者と共感可能(感情の交換が可能)なものとして、扱いうるものになる。このように、記号化可能だとされたとたん、当該「情的」なるものが、「知的概念」と相同なものとして扱いうることになりうる。すなわち、この段階にて、「情的なもの」は、「狭義の情的」として捕らえうるわけである。
このことは、科学的と呼ばれるもの、あるいは客観的と呼ばれるものが、自然科学の分野にとどまらず、社会科学などの分野に応用されえた経歴に重ね合わせれば、理解しやすいかもしれない。
2.広義の情的。。。
そのような「狭義の情的」に対して「広義の情的」なるものは、「知覚されえないもの、感じられえないもの」をも含んでいる。すなわち、知覚・感覚といった認識以前の「すべて」を含んでおり、切り離しえない「このわたし」と「そのあなた・そこにあるもの」と「その関係」といった繋がりを含んだ「総体」に相当しうる。

そもそも「情的」な言葉・記号(歌・詩・絵)には、「○○にとっての」とか、「△△に対しての」といった相対する二つ以上のものの存在を前提として、その間の関係を表現しようとしたものであり、○○とか△△といった要素が抜け落ちてしまっている。

たとえば、「愛」といった言葉が、さまざまに解釈可能でありながら、(ある人にとって)一定の関係を概念化していると感じ、さらに、その概念化された「もの」を他者に伝えうる、ないし、共感しうると感じるときこそ、まさに、「広義の情的」な「愛」が「狭義の情的」な「愛」として認識された瞬間であるといえる。しかしながら、他者に話しても、うまく伝わらない、あるいは、共感不可能な「愛」だと知ったとき、「狭義の愛」から「広義の愛」という存在に思いを馳せることが可能になった瞬間ともいえる。

3.境界。。。
「広義の情」は、言い換えれば、素のままの「わたし」(他との境界設定すら困難な「わたし」)と、その設定困難な「境界」を貫いて、設定困難な「境界」の外側のものへと繋がる「もの」である。

設定困難な「境界」とは、先に述べた「愛」と記号化されうる「情」の場合にて記述したように、「共感不可能性」から「共感可能性」へと変遷し、さらに「共感不可能性」へと変化しうる行程にて、知らぬうちに移動していた「愛という概念」(知的概念)の位置そのものを指している。

4.知的切断面。。。
このように、知覚・感覚によって認識される(知的概念化される)ときに確立されうる「境界概念」を、私は私の造語としての「知的切断面」として表現することにしている。
おそらく、構造構成主義における、「関心相関的に立ち現れる構造」といった概念は、私的な「知的切断面」と相同のものを述べているものと考えている。というのは、mixi内にて西條氏とやりとりしたときに、私的な「知的切断面」解釈を、ほとんどそのまま記述することにて、西條氏の構造構成主義における「関心相関的に立ち現れる構造」を、ほとんどそのまま言い当てていたからである。


※07/08/07 04:20補足説明
たとえば、「わたし」、「私と家族」、「私と職場」、「家族と近隣」、「家族と親戚」、「地域と県」、「県と国」、「国と国」、「地球と宇宙」といったように、「わたし」を中心とした境界は様々に設定しうるし、その想定された境界を越える繋がり(物理的なやり取り:状報交換ではなく、情的なやり取り:情報交換)があるからこそ、境界(知的切断面)の移動が可能になっているといえる。
このことは、物理的なやり取りが全く想定不可能な世界の間、すなわち、たとえば「この世とあの世」といった仮想的な世界観に設定されうる境界(知的切断面)を越えて、「情」的なもの(思い)があるといった情態にも適応可能である。
たとえそれが「情報交換不可能な一方的な思い」であったとしても、である。
ここで注意しなければならないのは、「知的切断面が、認識・解釈による」ということであり、「情」に対しては二次的な派生として捉えるべきものだということである。
すなわち、たとえば、「この世・あの世」といった世界が最初にあるのではなく、「死者に対する思い」が最初にあって、次に感覚的にでも認識可能な記号化された境界設定(知的切断面の設定)をなし得るとき、はじめて「思いの方向」に「あの世」というものを想定しうるのである。
このことは、「千の風になって」にて、「お墓の中にいる・いない」とか「風の中にいる・いない」とかいった想定=モニュメントの設定とも、密接に関連してくる。。。

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by kisugi_jinen | 2007-08-06 06:41 | 用語・概念。。。 | Comments(4)



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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