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花の切断。。。モニュメントの二重の知的切断と情と。。。
花を切断する事件が続発している。。。
Excite エキサイト : 社会ニュース
実の所、報道されていないが、近隣でも目にする。

そこには、「知的境界の消失」が見え隠れする。

「知的に形成された境界を情で越えようとする」
のではなく、あからさまに
「知で楽々越えて」
しまっているかのごとく錯覚しているようだ。

「花」といっても、雑草を刈り取ったり、踏んづけたりしても、ニュースにすらならないのに、
「育てている花」だったらニュースになるということが、犯罪を助長しているのかもしれない。

もし、そうであるならば、彼らは二重の意味で知的切断を行い、そうして、情をも切断している。。。

「人間の認識能(知的認識、唯脳論的認識の能力)に限界がない」という幻想的な知的概念。。。
すなわち、人工的に栽培された花であっても、雑草と認識されうる花であっても、「差異」はなく、人間のおこがましさにて「勝手に」判断されているのだといった、知的概念。。。

もっとはっきり言えば、あらゆる生命体、あらゆる人工生命に境界は存在しないという知的概念。。。

すなわち「境界は存在しない」という知的切断(概念形成)。。。これが一つめの知的切断。。。

これによって、「雑草を踏んづけて生きているくせに、プランターの花を切断することが悪いなんてことは言わせない」といった知的切断に結びつく可能性もある。。。
(雑草・プランターの花という概念を人に当てはめると、ある意味、世相を反映している事件だともいえる)

その一方で、プランターなどの「人工的に栽培されている」といった概念形成が可能な植物を集中して狙っている。

すなわち、どうすれば注目されるかを「知って」いる。。。

人工的に花を栽培するには、それなりに園芸農家の努力があるということ。。。そうして、(たとえ人工的に栽培されたとしても)、その花を見ることで癒される人々がいるということ。。。

別の言葉で言い換えれば、「モニュメントとしての花」である。

人々が求めているものは、「花」の向こう側である。「花」を越えた先に「情」を求めている。

求めようとする「情」の途中には、「花」が似つかわしいと感じるのである。

本来的にはそういった「モニュメント」である。

切断する人々にとって、その「モニュメント」は、明らかに、あらかじめ「モニュメント」があって、(後から、)それを人々が愛でるという図式(概念)で捉えているはずである。。。これが二つめの知的切断。。。

だからこそ、切断できる。

「モニュメント」を破壊し、否定し、切断し続けたとしても、初めからあったところの「思い」は消え去りはしない。。。おそらく、「そうは思わない」から切断できるのである。

切断する人々は、「花」を介した情の有り様を、同時に切断しているつもりでいるかもしれないが、彼ら(彼女ら)が切断しているものは、実のところ、彼ら(彼女ら)自身の「情」そのものである。
もしかしたら、そのことを、彼ら(彼女ら)は、気づいていないのかもしれない。

もし、「気づいているからこそ、切断し続ける」のであれば、それは、「自殺」の方向性をプランターの花々に投影している情態になるだろう。。。

千の風になって。。。モニュメントの真意。。。切断された情を結びつけるもの。。。
交換可能性と切断面(境界)の移動。。。
巷で流行る硫化水素自殺に思うこと。。。
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by kisugi_jinen | 2008-05-02 04:45 | つれづれ。。。 | Trackback(3) | Comments(0)
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Tracked from 来生自然の。。。 at 2008-05-04 06:15
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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