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医療コンフリクトマネジメントにおける協調的問題解決の「協調的」とは。。。
医療事故、メディエーション(Mediation)、医療ADR。。。境界を越える情。。。
実は、上記にて、一点のみ記述していない事柄がありました。

それは、豊田さん自身の医療事故に絡む、一人の医療人に関する事柄です。

件(くだん)の医療事故では、一人の医療人のみが最後まで真相を語ってくれなかったそうです。そうして、事故がメディアに晒されるきっかけとなったのも、その医療人とのことです。
(詳しいことは、トラックバック元である上記リンク先内の本を参照してください。)

豊田さん自身の医療事故に関する吐露を聞く限りにおいて、その医療人は、事故を一つの中心とした「救おう・救われよう」とする情の繋がりそのものから、完全に切り離される方向を選択したと解釈可能でしょう。

しかしながら、当該事件自身が、医療メディエーション・医療ADRとして扱われずに、(知的に情を切断しようとする、二者択一性の強い)医療訴訟問題として扱われたことも、そういった「完全に切り離される方向を選択」させた原因かもしれないと思われます。

二者択一問題。。。

古くて新しいこの問題は、医療の現場では、常に「境界を有しながら、繋がり合い、越えうる情で繋がり合っている」問題として捉えられ続けています。

患者側においては、
悪性の腫瘍であることを「知る」ことから逃れたいかの如く、検査・処置・受診を拒む人。。。
症状の原因が分からず、検査をしても「無意味」であることを「知りつつ」、精密な検査を受け続けようとする人。。。
として、時として見受けられられ、「する・しない」といった二者択一問題に対し、(家族・本人・医療人といったそれぞれの立場にて)「救い・救われようとする情」が絡んできます。

また、医療側においては、たとえば、医療政策にて科せられる事務処理的な「同意書」、あるいは、医療事故を未然に防ぐ目的の「同意書」、もしくは、医療訴訟を想定しての「同意書」の背面に見受けられます。
というのは、これら「同意書」は、医療政策者や医者、看護士、医療事務、患者、一般大衆、メディアといった立場の違いによって、事務的て煩雑な手続きか、必要不可欠なものか、保身のためか、といった捉え方自体が異なってくるからです。

しかしながら、医療の現場では、「事務的、保身のため」といった受け止め方があることを「知りつつ」、「いくら署名捺印を得たとしても、何の免罪符にもならない」ということも「知っている」訳です。

立場、状況など、さまざまに異なる人々の間で、「取り返しの付かない事故・事件(交換不可能な事態)」が発生したとき、「救い・救われたい」という情で繋がっていた「総体・全体」は、「過失の有無」、「責任の所在」、「保証の内容」といった必要不可欠な知的問題にて引き裂かれる訳ですが、上記、「事故・事件」以前のスルーされがちなギャップ・壁・境界においても、「救い・救われたいという情」を分かちうる二者択一問題としての潜在的な因子になっていることでしょう。

認識・診断・判断・同意における二者択一問題。。。立場や状況によって異なるが故に発生しうる問題の切り口を求め続けようとすることも大切であり、そうして、その切り口(知的切断面)を越える「救い・救われようとする情」=医療の本質(といっていい)を常に念頭に置きつつ対処する。。。

医療コンフリクトマネジメントにおける協調的問題解決の「協調的」といった言葉には、そういったニュアンスが染みこんでいるように思われます。

おそらく、医療ADRや医療メディエーションの求めようとしていることは、そういったことにあるのでしょう。。。

※07/07/14 02:40 追加・補足
「救い・救われようとする情」。。。
双方向的であり、2重化された意味を持つ。。。
1.「苦しみ」という概念(構造)を通じて生み出される「救われたい」という情(方向性)に対し、「救ってあげたい」という情(方向性)が繋がり合う。
2.手持ちの知識や技能のみでは対処が困難だと「知った」段階で生み出される、「救われたい」という情(方向性)、もしくは医療事故やインシデント(事故に至る前のヒヤリ・ハット)を経験することで生み出される、「救われたい」という情(方向性)。そのような「救われたい」という情に対して、「救ってあげたい」という情(方向性)が繋がり合う。

「情」および「情という概念」。。。ないし、「○○の情」といった概念(構造)は、そういった「情」を考えるとき(ないし、関心を抱くとき)に、知的認識対象として捉えることが可能。しかしながら、知的に捉えられた時点で、「わたし・あなた・関係」といった総体的な「もの」から、切り離された(知的切断された)「ことば」としての「情」となってしまう。
この「ことば(構造、概念)」の形成は、相関的に生み出されるものであり、因果関係といった形式では説明不可能だと考える。

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by kisugi_jinen | 2007-07-12 04:22 | 思考。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
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Tracked from 来生自然の。。。 at 2007-07-16 04:22
タイトル : 医療。。。概念・構造・知的切断面。。。知と情と。。。
医療コンフリクトマネージメントにおける協調的問題解決の「協調的」とは。。。 医療事故、メディエーション(Mediation)、医療ADR。。。境界を越える情。。。 上記リンク先にて記述している医療・知・情といった概念・構造の関係を、下記に図示します。 対処方法(治療方法)という概念が「ひとつ」だという「概念・構造」を両者(医療側・患者側)が抱くとき、情的繋がりがあったとしても、潜在的に両者の間に溝がある。 たとえば、 といった、構造を考えることができるであろう。 また、 ...... more
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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