知情意。。。多重知能。。。
「知情意」にて検索をかけていたら、(ガードナーの)多重知能(MI:Multiple Intelligences)や情動的知能(EI:Emotional Intelligence)という言葉が見つかった。さらにMixiでのやりとりにて、前頭前知能指数(PQ:Prefrontal quotient)なるものの存在を知り、「私の感覚で」、知情意との関係、さらには、これまでのこのブログでの知的切断面、情の扱いを含めて図にまとめてみた。
なお、EQやPQのQはquotientなので、評価可能な指数を意味するため、評価対象側としてのEI(Emotional Intelligence)など、Iを使うこととした。 ※07/08/04 07:11補足 この図にて、実質的に「脳」は、「(脳)科学的に扱いうる切断面」そのものである。 参考サイト http://www.emotionaleducation.net/special/01.html 「教育におけるEQの可能性を探る」 http://www.jil.go.jp/column/bn/colum017.html 独立行政法人 労働政策研究・研修機構/コラム 情動的知能と職業 http://www.school.hyogo-u.ac.jp/element/study/human.html 兵庫教育大学附属小学校 http://karin30.flib.fukui-u.ac.jp/kiyo/2004/onogi.pdf 情動知能指数(EQS)と自我態度スケール(EAS)および 短縮版ネオ人格目録改訂版(NEO-FFI)間の相関的関連性 大野木裕明 http://www.flib.fukui-u.ac.jp/kiyo/2005/kiyo-4.files/oonoki.pdf EQS(情動知能指数)とFFPQ(5因子性格検査)間の相関的研究 大野木裕明 http://elekitel.jp/elekitel/sci_talk/cont99/ai/ai01.htm 情動システムと人工知能の心 無意識の世界が感情をつくる Chap.1 http://elekitel.jp/elekitel/sci_talk/cont99/ai/ai02.htm 情動システムと人工知能の心 無意識の世界が感情をつくる Chap.2 Presented by 『ゑれきてる 1999 第75号』 PQ Prefrontal Quotientについて http://www.sony-ef.or.jp/preschool/jissen/2003/moiwa_koen.html ソニー幼児教育支援プログラム「科学する心を育てる」 もいわ幼稚園実践交流会開催レポート 記念講演 「子どもの脳をいかに育むか」 北海道大学大学院医学研究科脳科学専攻 神経機能学講座 高次脳機能学分野教授 澤口 俊之氏 ===== 06/11/30 19:16 追加 06/12/02 08:30 More形式から通常形式に変更 はっきり言ってしまえば、知的切断面・概念としての上記図は、見る人によって下記の如く複数の静的概念(多義図形の各々)になるであろう。 「わたしのこころ」とは、まさに、「個々の心」であるがゆえ、共有不可能であり、境界が「無数にある」ことになり、同一の人であっても時間経過によって「動く」ものなのである。 最も広い領域を「わたしのこころ」として捉えると言うことは、 1.交換可能であるという場合、科学的な客観性にて全て記述可能という概念になる。 2.交換不可能という場合、哲学的な狭義の独我論の概念に相当するであろう。 (狭義の)「情」(関連性)を含む・含まないという境界の揺れは、現代社会における、情報・状報の使い分けがなされないままの状態・情態に相当するであろう。 もっとも狭い範囲としての「意」の領域を選択した場合には、科学的客観性に対して「自由意思」を死守したいという思いがあるかもしれない。 どれが正しくて、どれが誤っているのだろうか? 無論、「私が提示した概念図」そのものが誤っている可能性もある。 しかしながら、「何らかの概念図」がある(もしくは、「ない」)ことを、知的・幻想的に共有することが可能であるならば、その「概念図」に対して、上記のように「多義図形」としての重ね合わせを考えざるを得ないわけである。 なぜならば、それぞれの人が、それぞれの思いで、自身の心を「わたしのこころ」として、認識しているわけであるから。。。 ※06/12/02 09:25 「こころ」を脳の機能として捉えたとき、すなわち、上述の図全体が脳内での思考から離れることができない(すなわち概念=知的切断の限界な)わけですが、逆説的に言えば、そうであるからこそ、認識論的唯脳論はありえても。。。存在論的はありえない。。。にて記述したように、「存在の全体性」が立ち現れてくると思います。
by kisugi_jinen
| 2006-11-30 04:54
| 思考。。。
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Comments(8)
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kisugi_jinen at 2012-11-05 01:00
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moto_koukousei > 「意識」だと認識されたり、「情」だと認識されうるものは、「脳」にて「知覚されるもの」であり、本来の「意識」や、本来の「情」ではない。 ※ 何を言っているのかがわかりません。この図に描かれている他者や社会、他者に対する情、自身に対する情、この描いた図を思い至ったものでさえも、脳で知覚したから描けたのでしょう。この図には描けなかった本来の情があるのでしょうか。狭義の情でも、広義の情でも、広義狭義不分明の情でも、それは、この図の中では本来の情ではないということでしょうか。図には描けない、脳に知覚されない本来の情があるのでしょうか。
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kisugi_jinen at 2012-11-05 01:01
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moto_koukousei > 多重「知能」という概念のすばらしいところは、そういった対象を「科学的に」処理可能なものとして「知能」というレイヤーを想定し(いや、限定し)ていることに尽きると思っている。 ※ Theory Multiple Intelligenceは、科学的に処理可能な概念を用意するのではなくて、子供を育てるときにスペクトラムアプローチをすることを提案したのではないでしょうか。それと、ガードナーは「知能」を問題にしているのではなくて、その人が所属することになるコミュニティや文化で高く評価される解決・達成能力です。英語のintelligenceをガードナーは自分流に定義して使っています。 下記のPDF(Theory Multiple Intelligence)のP7の中段にあります。 http://www.chaight.com/Wk%2011%20Gardner%20-%20Multiple%20Intelligences.pdf
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kisugi_jinen at 2012-11-05 01:02
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moto_koukousei MIでガードナーが定義するintelligenceを、日本語で知性とか知能と訳すのは誤解の元だと思います。論文の中でもintelligenceはそれぞれの分野でのabilityと説明されています。MIの理論では、社会で高く評価される能力とかスキルと理解する方が妥当だと思います。日本語で知能といえば、論理的に考える、計画を立てる、問題解決する、抽象的に考える、考えを把握する、言語機能、学習機能などさまざまな知的活動のことで、これを適当に意味拡張しては共通理解が困難になります。
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kisugi_jinen at 2012-11-05 01:05
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moto_koukousei ガードナーはintelligenceの内容や分野を限定せず、社会やコミュニティで高く評価される可能性のあるものであれば、その有用な機能を次々と認めるようです。子供が自分の特徴を活かし、自己の存在意義を高くし、生き生き活躍できるようにするという視点では大事なことと思います。 http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/affiliate/misawa/download/MISAWA_study1.pdf このMIは、元来は社会で高く評価されるために向上させた方が得な能力、高いと都合の良い能力やスキルという意味です。ある社会集団や文化で高い評価を得るために注目する視点です。個人の脳の内部の機能把握のツールでも、知情意に関する知的切断面でも、脳の中にあるいくつかのレイヤーを指しているのでもないと思います。
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kisugi_jinen at 2012-11-05 01:08
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moto_koukousei 前頭前知能(The Intelligence prefrontal)の具体的な内容が、ここでは不明です。少なくとも、図のベン図?に、対人的知能と離れた位置で前頭前知能と描いたのでは一般の理解が得られないです。内省的知能と一部重なり大部分が別に存在するように前頭前知能を描くのも同様に一般の理解が得られないです。
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kisugi_jinen at 2012-11-05 01:09
(上記からの続き)
[意:知:情]と分け、intelligence(知)を意と情の境に置いて切断面とこの図で表現したのでしょう。 > この図にて、実質的に[脳]は、[(脳)科学的に扱いうる切断面]そのものである。 > 「意」にしても「情」にしても、脳機能の一部機能である「知、特に、意思の疎通としての言語機能」を介在することで、共通の概念・構造として認識しうるわけである。 ※ 文意がわかりません。この図で切断面が脳ならば、意や情は脳の外にあり、脳が境になって意や情があるということを示すのでしょうか。 言語機能が介在しないと意や情は認識出来ないのであれば、動物か威嚇したり、甘えたり、服従・降参の意を示す、縄張りをマークする、恐怖の感情が群に広がる、集団で狩りをするなどの行為はどう理解するのでしょうか。 感情の大きさや種類を脳の外部から測定しようとする研究は、MIの知能や切断面を無視しているから不可能であるとお考えですか。
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kisugi_jinen at 2012-11-05 01:10
(上記からの続き)
また、意や自我は社会や文化から直接的に影響されることがこの図ではわかりません。 自己の身体状況や運動、言動が情意に影響することもこの図ではわかりません。 必ずしもMIを経由して影響するとは言えません。知情意は脳機能の結果であるとし、その内部の関係は不問にしたとして、薬剤やホルモンバランスの影響なども大きいのです。また脳細胞に関わる構造的遺伝的電気化学的問題も大きいのです。 認知のスタイルが情や意に強く影響するということも、MIを知的切断面として説明するとわからなくなってしまいます。 知情意と知的切断面、情の扱いを含めて図にまとめたとのことですが、知情意の説明や理解の役に立たせるには妥当性の低いものに、私には思えます。
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kisugi_jinen at 2012-11-05 01:14
上記コメントは
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7779631.html の回答番号6-8 http://jinen.exblog.jp/6119786/ を斜めに読み飛ばした感想の(1/3)ー(3/3) にてmoto_koukousei氏によって記述されたもの。
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