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思い・出・逢う・旅。。。
思い・出・逢う・旅。。。

旅の思い出ではない。。。

思い出に逢うための旅。。。

そんなところであろうか。。。

あ、そうそう、思いでぽろぽろそのものだな。。。これは。。。

何年になるであろうか
あの日から。。。

学会場で久しぶりに会ったT国の友人と別れて
N駅からS行きの各駅停車に乗り込む
都心から離れるにつれ、風景が変わって行く

そう。。。
思い出の風景から、今の風景へと。。。

劇的に変わったのはWの駅周辺だった
googleマップ、google earth でおよそは知っていたのだが、あれほど変容しているとは思わなかった。

線路伝いにH駅とは反対方向のY駅方向へ歩く
線路の高架工事中の左側の風景と昔ながらの風景との間を切り裂いて走る広い道。。。

I神社に続く小道が、昔のままの小さな踏切とともに残っていたのを見て、
ほっと懐かしさが戻ってくる。。。

I神社にお賽銭を投げ入れて
何をお祈りするわけでもなく
皆の無事をふと願ったような
そんな感覚で歩き出す。。。

路地裏のような小道を抜けて歩いてW駅前の通りへとH駅に向かって回り込んで行く。。。

途中、中学3年の時にずーっとあこがれ続けていた女性の家の前を通り過ぎようとしたとき
玄関から自転車に乗った一人の女性が出てきた。

。。。お賽銭の効果か。。。一瞬のドギマギ!

心臓の鼓動は、その女性が誰かを確認するほんの一瞬ピークに達していた

。。。違った。。。

いや、良かったのかもしれない。。。

こんなところで出逢ったら
言い訳の言葉すら浮かばずに

「あ、いや、どうも、お久しぶりです」

といって、急ぎの用事があるかのごとくそそくさと通り過ぎることぐらいしか
手立ては思い浮かばない。

そんなことを考えることすら気恥ずかしい感覚に襲われる

中学時代の彼女を思い描いているのを見透かされたら
単なるオヤジストーカーとして軽蔑のマナコで見られるかもしれない

いや、そんなことを考えることすら息苦しさを助長する

少なくとも、その一角が昔のまま残っていることが
妙に不思議な感覚を作り出してくるのかもしれない。。。
逢わなかったことをI神社の神に感謝している。。。

途中、T中学の玄関に向かう
記憶との違いに戸惑いが隠しきれない
玄関からの空間は私を拒絶している

T中学を離れてH駅に向かって歩き出す。

もはや出会うことの無い原風景が
息苦しいまでにコンクリにて押し込められてしまっている
昔、ここに住んでいたのだ。。。

昔のまま解き放たれているように思える空間をみつけてすら、
懐かしさの片鱗が片鱗にしか過ぎないことを
痛々しいほどに滲ませてくる。。。

跡形もなく変容した町の風景に対して贖う事のできるのは

ただ単に

記憶の一段面という幻を、わがマナコから投影し

重ね合わせるその一瞬のみにしか過ぎない。

そこには確かに私が存在し

私の友人が闊歩し

路地裏をすり抜け

いまや分断されてしまっている空間を

自由に渡り歩いていた姿が

私の辿る一歩一歩のあゆみに連れて

まるでシシガミ様の足元に咲いて散る花々のようによみがえってはきえていく

すこしばかり開放された空間にたどり着いて
ほっと息を継ぐのと同時に
継いだ息を飲み込まざるを得ない情景に放り出される

。。。ないのだ。。。

鼻の奥がツーンとなる。。。

駅前側の半分がないのだ。。。

ばっさりと削り取られて残った商店街のアーケードが
もはや存在してはならないかのごとくの異物のような
そんな感覚を抱かせるほどに

やたら遠く

暗く残っている

削り取られた断面には
隣の店の壁との繋がりの跡が刻み込まれている壁のみが
駅前の瓦礫の野原に対して

異様なまでの存在感を示している

。。。そう
あたかも、砲弾を受けてもなおたたずみ続ける壁のように。。。

残された商店街に入って行くことはできた
しかし
何かが私のその衝動を押しとどめた
何だったのだろうか。。。
虚しさでも、悲しさという「情」でもない、何か。。。
変わってしまっているものをわざわざ見る必要も無いという「知」ではない、何か。。。

それは、「壊されたくない」という思いが作り出す(いや、そういった思いを守るために作り出された)「知的切断面・境界」そのものだったのだろう。。。

駅は変わっていなかった。
いや、あれほど変わらない駅も無いだろう。
向かいのホームに着いた電車から降りて行く人々を
ぼんやり眺めていたら

小学生、高校生、大学生だった私の姿がまざっていても
何ら違和感の無い風景。。。

そうしてふと改札の向こうを見やると

瓦礫の中の壁と
遺物のように取り残されたアーケードとが
思い出の心と今とを引き裂いて行く。。。

誰しもが思い出すのかもしれない室生犀星の詩が心をよぎる。。。

よしやうらぶれて
いどのかたゐになるとても
かえるところにあるまじや
。。。

かえるところにあるまじや
。。。

by kisugi_jinen | 2006-07-02 05:10 | 思い出。。。 | Trackback | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

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