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鬼の心の奥に潜むもの。。。秋田男児殺害事件の境界。。。
※06/06/13 00:35 一部追加(下線部)および内部リンク追加

我が子を失った母の心境。。。

猿は胸に抱きかかえる我が子が死んだ後も、長く抱きかかえ連れ回すという。。。

情の繋がりの深いものたちにとって、乗り越え難きに見える「生死」という境界は、

既に情が越えてしまっているために、境界のない情態へと重ね合わされているかもしれない。

リンク:http://www.excite.co.jp/News/society/20060609121400/20060609E40.058.htmlは掲載期限が切れたとのことで、下記文中に埋め込んでいたのを外しておきます。「死んだ(殺した)子供がどうしているか見てきて欲しいと子供の友達をも殺害した」という悲惨な事件でした(2013.10.6 05:27変更、8:30一部追記)

我が娘の友達に、娘の形見を授けようと招き入れ

生死の境界の曖昧さが交錯したところに

娘の形見を友達に授けるのと、友達を娘の所に送り届けるのと

どちらを選択するのかに

迷うことなど無かったのかもしれない。。。

いや。。。二つの事柄の間に、交換可能な物語を見いだしたのかもしれない。。。

娘の友達に、娘への思いを乗せて、母の心を伝えたかったのかもしれない。。。

「私の娘はどうしてるか見てきてちょうだい」と。。。

でも、次の瞬間、「生死」の境界が、まざまざと突きつけられる。。。

娘の友達に、娘の情態を聞き出すことすらできなくなってしまったことを。。。

さらに深い情の絡み合いがあるとは思うものの、「生死」の境界を越えてしまっている心は、境界を越えない人々にとって、鬼の心として見られる定めでしかない。。。

その奥に、柘榴の如く、赤く酸っぱい涙のいっぱい詰まった思いが、張り裂けんばかりに「生死」の境界を越えようとしていたとしても。。。

鬼子母神様
 彼女を救い給え。。。


※06/06/11 02:14追加、02:25変更
トラックバックにもあるし様々な事件背景が取りざたされているが、ひとつだけ確かなことがいえると思う。
それは、「生死」の境界を越えているのならば、母の心は自殺へと進むことが多いだろうということである。
通常、何らかの(宗教的)儀式を通じて「生死」の境界を境界として認識することが出来るようになるのであれば、そうして、情でその境界を越えることが出来るのであれば、母は生きる道を選択するであろう。

しかし、

「生死」の境界を境界として認識することが出来ずに、そうしてなお、生き続けて行くことが出来るのであれば、彼女にとっての「死」という概念と、多くの人々が持っている「死」の概念は共有・交換が不可能になっていることだろう。。。

そこには、母の心ではなく、鬼の心としか認識できないもの・概念が横たわることだろう。。。
そうして、そういった心は、虚無として「生」を食らい続ける運命になるだろう。。。

今回の事件の背後には、そういった虚無が巣食っているのかもしれない。。。


※虚無について(06/06/11 02:25追加、02:50変更、06/06/11 15:55変更)

知と情との関係が制約を受け続けているとき、すなわち、いわゆる「動物的」情動に対して(1段階目の)知が関わるだけで、知・情の連鎖が終わるとき、あるいは、数段階の連鎖にて終わるとき、あるいは、終わらされるとき、特に、知にて終わらざるを得ないとき、(知によって切断された情は繋がりあう相手・行き場を失って)虚無に陥るのだろうと思う。

そういった虚無を越える、もう一段階上の情。。。

いや、知と情が無限にも思われる編みこみとして営み続けられるのであれば。。。

鬼の心が人の心に戻るとき。。。

心の中の柘榴の実は、涙に変わる事だろう。。。


※09/01/21 06:00 追加
やはり、「生死の境界」概念の問題なのだろう。。。
「殺傷なぜ悪い」畠山被告、心理士に手紙
米山さんの気持ち「分からず悔しい」
(2009年1月21日 読売新聞)
にて、臨床心理士の長谷川博一・東海学院大教授のコメント
===
文面には「死にたい」とも「生きたい」とも記述があるなど整合性の欠如が見られ、普通の人の感覚では非常に理解しにくい。
===
長谷川氏は「発達障害」とされている。
疾病分類がどのようなものであれ、やはり、「生死の境界」概念の問題になるだろう。。。

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20090120-567-OYT1T00620.html
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20090120-OYT8T01213.htm

by kisugi_jinen | 2006-06-10 07:41 | つれづれ。。。 | Trackback(2) | Comments(2)
Tracked from かきなぐりプレス at 2006-06-10 23:12
タイトル : 殺害理由は犯罪被害給付目的か?
川合俊一が読売テレビの「あさパラ」で発言していたが、畠山容疑者が事件から4日目にテレビ朝日の公開捜査番組「TVのチカラ」に応募していたそうだ。これは事件の謎を解く重大な鍵だ。事件から4日目はいかにも早い。 畠山容疑者はパチンコの借金などから自己破産。生活保護を受けるぐらい生活に困っていた。6年前からプロパンガスも止めていた。それで売春もしていたようだが、それが快楽と実益のためだったかは定かではない。 風説だが、ここにきて娘を殺害した有力な情報が出てきた。 保険金目的といわれているが、...... more
Tracked from 来生自然の。。。 at 2013-10-09 21:05
タイトル : 死の境界の向こう側。。。文月メイ、「ママ」。。。
文月メイのデビュー・シングル「ママ」がネット上で賛否両論の論争になっているというニュース。。。 特に「有線で放送見送り」というニュースから端を発しているようである。。。 ねとらばニュース 「虐待を受けた子ども視点の歌詞が賛否両論 有線で放送見送りにもなった楽曲「ママ」が物議」 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1310/04/news123.html スポーツ報知>芸能ニュース 「文月メイ、歌詞が過激すぎて有線配信見送り」 http://...... more
Commented by 虚無僧 at 2006-06-11 15:17 x
多くの大人が廻りに居ながら、誰も助けてやれなかっただらしなさ。ただただ、亡き幼い命に詫びるのみです。
Commented by kisugi_jinen at 2006-06-11 16:01
虚無僧様
コメントありがとうございます。
人の命が、「個人のもの」とか「自己責任」とかいった概念のみ優先されて扱われ続けるのであれば、「だらしなさ」は虚無の一面として残り続けるような気がしています。
かといって、「全体のもの」とか「全体責任」とかいった概念が優位に立つというのも問題になるといったところがあるゆえ、どちらが優位になるべきとは扱えない難しさがあるんですよね。。。
なにか、よき解決方法があればいいのですが。。。
<< ダブルスタンダードと境界。。。... ネットでの金の流れ。。。 >>



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

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