人気ブログランキング | 話題のタグを見る
15年前のつぶやき。。。
人は,人たる故に,人を越えることは決してできないにも関わらず。
人は,人たる故に,自らが他より勝れていると思わざるを得ない。

人が思考力を得た瞬間から,論理的な防御思考の拡大は,他にとって論理的な攻撃思考となり,
神の創造とともに,絶対的な真理の争奪戦を引き起こすに至る。

論理的になろうとすればするほど,人の人たるゆえんである矛盾からの乖離を引き起こし,
ゲーデルの不完全性定理にはまり込んでいくことを,
あえて望むかのごとく,突き進む正義の名の元の「大衆」。

人と,いわゆる「自然」と,人が作った物と,それらすべてに区別すべき指標など無く,
すべてが同一の時空を共有し,同一の運命を担っていくというのに。

自らの正義と自らの裁定に酔いしれている間に,
そこから排除された物は,決して滅び去ることなく,
時空の中から再びよみがえってくるというのに。

「風の谷のナウシカ」原作版・第7巻(宮崎 駿)を読み終えて。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/4597/ より

以上は、15年程前、ジオシティーズにホームページを立ち上げ、トップページに記述したつぶやきである。
しかし、手書きの日記に書いたのはもっと前、おそらく20年程前になると思う。

日本は今、危険な方向へと舵を切りつつある。

右とか左とかではなく、知か情かという岐路にて知へと大きく舵を切ろうとしている。

「知」といっても、「情」と切り離された「知」ではない。

さらに言えば、「情」は原始的レベル(脳幹レベル)と知的レベル(大脳皮質レベル)に分けて考えれば分かり易いかもしれない。

舵を切りつつある方向は、脳幹レベルに近い「原始的なレベルの情」、いや動物的なレベルの本能といっていい情、言い換えるなら「個人レベルの情」を正当化するためだけの「知」である。

「知的レベル」の情は、そういったことを「知ったうえで」、あふれ出てくる「慈愛の心情」(知を越える情)とでもいうべきものであり、「他者を慮るレベルの情」であり、西洋での「博愛」に通じるものである。

その兆候は見え隠れしつつ、近年あからさまになりつつあるように思える。
思い当たる理由は複数ある。

1.少子高齢化
人々が、過去の人々の技術力・思考力を越ええない程、(ある意味、相対的に)劣化したこと。
一部の人々は越えていくのだが、全体から見れば相対的に越ええない人々が増えていると言わざるを得ない。人口比率に対する若者の数が低いということは、量的に先人を越えようとする人々が減っていることを意味する。
知的に先人を越ええない時、それを凌駕する「情」が沸き上がることもない。

2.SNSやネット依存
Face to faceではないSNSやネットを流れる文字情報(正確には文字状報)に依存する率が高いということは、知的表現(文字を含む記号表現)に付随すべき情の欠落を意味する。文字状報の「一人歩き」である。
炎上やバッシング、果てはヘイトスピーチの類までもが飽きることなく繰り返される。「原始的なレベルの本能的な情」、いや個人レベルの情を満足させるためだけの手段として「知」を駆使し、毒を吐き続ける。

3.人工知能への過大な期待
テレビコマーシャルでも片隅に必ず「一定の条件での・・・」という記述が為されているにもかかわらず、万能な感覚を抱く人々が多いのだろう。でなければ、企業が置いてきぼりを食らって敗者になることを嫌うが故の、プロパガンダに踊らされる人々が多いのかもしれない。
人工知能に「知的作業」を任せてしまうことで、人類の「知」は劣化し、「知を越える情」もまた、劣化していくことだろう。

堕ち続ける日本の一部ネット民は、差別思想へと走る。
生き残るために、トカゲが尻尾を切り落とすのと同様の思想である。
しかしながら、頭がある限り尻尾が生えてくるように、差別思想がある限り、対象は生成され続け、消え去ることはない。

尻尾を切り離したトカゲと、切り離された尻尾
同じところから生まれたにもかかわらず、そうして、いずれは朽ち果てていく者同士なのに、片方が優れていると思い込む、ただそれだけの理由で、優劣を「知的に」論じ、酔いしれていく。。。
by kisugi_jinen | 2016-08-23 05:34 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
Tracked from 来生自然の。。。 at 2016-08-30 02:45
タイトル : シン・ゴジラ。。。
シン・ゴジラ。。。 荒ぶる自然・神の世界と人類との狭間・ギリギリの攻防というべきか。。。 この作品の根底には、前回記述した、矛盾しつつも抱いてしまう他者に対する人智の優位性という、人類を人類足らしめる背景が織り込まれている。 15年前のつぶやき。。。 庵野監督の描く世界は、そういった精神面に沿って、現実世界を、超自然的な仮想空間へと思いっきり引き伸ばして、斜めに削ぎ落としたような、そんな世界。 今回のシン・ゴジラは、初回のゴジラと、3.11を中心とした現実世界と、エヴァとを撚り...... more
<< シン・ゴジラ。。。 昨日・今日・明日と貴方と私と。... >>



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

by kisugi_jinen
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
検索
カテゴリ
最新の記事
お知らせとリンク。。。
お知らせ
●コメントスパム対策のため、承認制に変更しました(2010.09.29)
●トラックバックのリンクチェック機能を追加しました。excite以外からのトラックバックをされる場合、当該記事へのリンクを埋め込んでください。
リンク
ゲストブック
---Yahooジオシティーズ終了に伴い、利用できなくなっています。
来生自然のホームページ
---Yahooジオシティーズ終了に伴い、利用できなくなっています。
鉄鼠
---「考える」ということに向き合う。。。
Genxx.blog
移転後http://blog.genxx.com/
---「情」を含めて専門的な立場から「こころ」を模索し続けるGenさんのブログ。。。
研幾堂
---山下裕嗣氏による哲学のサイト。以前、形而上学についてやりとりさせていただいた。
記事ランキング
最新のコメント
グローバル大納言さま ..
by kisugi_jinen at 00:13
最近はChatGPTや生..
by グローバル大納言 at 09:12
花の名前も、花言葉も知ら..
by kisugi_jinen at 07:26
> hatekatsu卿..
by kisugi_jinen at 10:05
ふるさととは根源的で絶大..
by hatekatsu卿 at 11:18
最新のトラックバック
以前の記事
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
ライフログ
ファン
ブログジャンル
画像一覧