[自我=自己の自己に対する絶対優位性=自己を信じる]≠狂信。。。
ネットが覚醒させる悪魔たち。。。
http://jinen.exblog.jp/26058714/ 上記に追記するつもりであったが、項を別建てすることとした。。。 このブログを始めた当初、現在放置状態のホームページよりも以前から思索してきたことを踏まえ、下記のような記述を行っている。 1.自己に対する自己の絶対優位性 http://jinen.exblog.jp/345020/ 2.信じるの本質 信じる。。。 これらは、宗教以前の人間が本質的に生きていく上での、自我の確立と同等の概念だと思っている。 しかしながら、そのまま「絶対優位性」+「信じる」を自己に中心を置いたまま、外部からの干渉を排除しつつ、対象を外部へと押し広げた途端、狂気が暴走し始める。 「ありとあらゆる人間は皆、貴方と同等の自我を持ち、自身の思うところを信じて生きている。どちらが優れているとか、劣っているとかいった話ではない。」 この言葉を受け入れられるのか否か? その時点で狂人か否かを区分しうるであろう。 物言えぬ人々、コミュニケーションを行えない状況の人々、ネットでの発言権を持つことのできない人々。。。 ありとあらゆる生きとし生ける人々の心の奥底に、それぞれの自我が息づいている。。。 ネットでの短絡的な(情報ではない)「状報」交換のみに依拠し、そういった基本的なことすら想像できない人々が悪魔と化して暴走する。 無論、貧富の差を含め、様々な背景事情が存在しうるであろうが、根源的には対象との「情的な繋がり」を排除したところに発生しうるであろう。 知的な思索にて論じることが可能なレベルでの「自我」のみにても、昨今のテロや猟奇的殺人鬼を区分しうるであろうが、そういった知的な論の、さらに根源的な背景には、情的な繋がりが必要不可欠であろう。 脳機能の一部が損傷を受けていて、自己表現やコミュニケーションができなくなっている方々がいたとしても、生きようとすることの本質を有している限り、何人たりとも、その生命を軽んじた扱いはできない。 そういったレベルでの感情移入は、ありとあらゆる生命への慈しみの心へと境界なく繫がっているはずである。 懸命に生きようとしている人々の生命を絶つような行為を平気で行える人々は、彼らに対して「優れている」と公言して憚らないが、そうではなく、心の奥底では「自らが彼らと同等、ないし劣っている」と言われるのを恐れて、抹殺しようと躍起になっているとしか、思えないのは、私だけだろうか?
by kisugi_jinen
| 2016-08-02 04:58
| つれづれ。。。
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