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上橋菜穂子とカズオ・イシグロ。。。
仕事の関係上、ドラマを見る機会も少なく、小説系の読書量も圧倒的に少ないため、世間で騒がれている有名どころの作品や、有名どころの著者に対する認識が、5年・10年単位でずれている。

そういったことも背景にあるのかもしれないが、偶然に、いや、おそらくは社会的な流れの中での必然として、(少なくとも私にってはそう見える)類似の作品群に出会うことがある。
どちらが先とか、どちらが後とかいったことではなく、重要なのは、そういった作品群が、私のようなもののレベルにまで、届いてくるということである。

テレビでの前宣伝に影響されやすいということもあって、クローン・臓器移植といった、個人的に興味深い題材を扱ったカズオ・イシグロ氏の「わたしを離さないで」(Never Let Me Go)のドラマについては、このブログ始まって以来の、ほぼリアルタイムでの連投をしてしまったのだが、間髪を入れずにスタートしたNHKドラマの「精霊の守り人」も、録画してみることになってしまった。

偶然(?)にも、両方とも綾瀬はるか主演という繋がりもあるが、個人的には、両方とも「初めて見る」作品群で、それぞれの局がたいそうな力の入れようだったので、興味深かったというのが真相である。
また、「精霊の守り人」について、ネット検索したら、「わたしを離さないで」同様、出版以外に別メディア(ラジオドラマ、およびアニメ)での露出がすでになされていたという、いつもながらの遅れという共通点も同じである。

無論、「わたしを離さないで」と「精霊の守り人」は、まったく異なるジャンルの物語なのだが、「精霊の守り人」から作者の「上橋菜穂子」を初めて知り、その繋がりで、「獣の奏者」を「再発見」したのである。

「再発見」というのは、二つの理由がある。一つには、自宅の書棚に、私の所有ではない状態で、数年前から「獣の奏者」の単行本・全4巻が並んでいたにもかかわらず、この連休に突入するまで開くことすらなかったということ。今回の一連の流れから、その背表紙に「上橋菜穂子」の名前を見つけたときには、少しばかり驚いてしまった。

実を言えば、「獣の奏者」は、今回のことが無ければ、おそらく5年、10年という歳月の後に「初めて見た」かもしれない程のものだった。確か、NHKのアニメでチラ見したことがあったのだが、架空の獣を扱う少女という設定だけで、いわゆるドラゴン物系の物語の焼き直し程度だと勝手に思い込んでいた(誤認していた)。この点において、二つ目の「再発見」である。

架空の生物が出てくる物語の多くは、背景設定上、空想の領域が広く、地に足がついていない世界の物語となっていて、そういった世界観に浸るまでの(時間的・心理的)抵抗が強すぎるという難点がある。
そういった理由から、ハリーポッターや指輪物語などの有名どころの冒険ファンタジーは、映画という短時間の縛りであるなら見ることはあるものの、多数の巻が整然と並ぶ壮大なスケールに圧倒され、読書してまで見たいとは、あまり思わないジャンルである。一冊程度になっているような、ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」なら、「読んでみようか」と思う程度のものであった。

にもかかわらず、連休の前半に、一気に全4巻を読み切ってしまった。

「獣の奏者」の前半2巻は、架空の獣が出てくるにもかかわらず、その部分だけをそぎ落としたなら、ファンタジー性がほとんど消失する程度に、現実的な描写が多いのである。後から追加されたという後半2巻は、残念ながら後付的な実情からか、いくつかの箇所で無理な描写を感じてしまうのだが、それでも、完全にぶっ飛んだファンタジー系とは異なっていて、なるべく生命という実体に迫ろうという作者の思いが伝わってくる。

「獣の奏者」にて非常に残念なのは、4巻のクライマックスにおける設定である。

読み進めていくにつれ、私が想像していたのは、人間を含めた生命間で引き込み合う感情の伝播による破壊であったのだが違った。そういったレベルでの人間との関係がラスト直前まで伏線として少しばかり記述されていたのだが、そのレベルでは人間は排除されていると言わざるを得ないし、(ほぼ)物理的に無理な設定のため、残念感が強い。「○○○○サンボ」のトラを彷彿とさせる設定だと思うのは、私だけだろうか?

書籍の著者紹介や、上橋氏に関するネット上の記事からも分かることなのだが、文化人類学という視点か、主たる基盤となって記述されていることが分かる。それゆえ、後半2巻を追加する段階で、読者の想像に任せていたクライマックスのシーンを産み落とすに非情な苦労をされたであろうことは、想像するに難くない。
細かな点では、「恐水病(症)」と「破傷風」を異なる疾患として記述してしまっているところが残念である。

さて、全2巻までの時点で言えば、カズオ・イシグロ氏の「わたしを離さないで」との共通点であるが、物語の一番大きな問題点(それがなかったら、始まらない)という根本的なところについて、触れない(明らかにしない)設定が似ている。設定について説明・解説を加えようと無理をすると、突っ込みどころが露呈してしまう危うさが似ている。上橋氏の場合、アニメ化時に突っ込まれたことで後半2巻を記述されたようなのだが、謎解きに繫がるクライマックスシーンでは、上述の通りである。

しかしながら、そういった根源的な部分を除いて、子供時代からの主人公の成長に併せて、自然と広がっていく世界観と、それゆえに編み込まれた、一つの事実に対し複数の視点・観点・考え方が交錯するという記述の多さに、共通する部分を感じるし、それらの個々の出来事を、非常に細やかに描写している点が似ている。
そうして、生命の本質に迫ろうとしたところが似ている。
片や、幼少期にイギリスへの移住という経験、片や、文化人類学という経験、複数の文化からの複数の観点・視点・思考方法の多様性を内在しているからこその記述なのだろう。

そういった意味で、同一の作品群として、私の中では整理されてしまった。
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by kisugi_jinen | 2016-05-02 03:19 | つれづれ。。。 | Trackback(1) | Comments(0)
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Tracked from 来生自然の。。。 at 2016-05-09 05:19
タイトル : 状報(情報でない)の制限と境界概念。。。
ここ数日の間に記載してきた下記の記事には、共通するところがある。 ネット環境。。。プログラミング環境。。。思い。。。 上橋菜穂子とカズオ・イシグロ。。。 ジブリの大博覧会。。。ナウシカの映画のポスターにマニ族僧正。。。 それは、状報(情報ではない)の制約概念である。 昨日、上橋菜穂子氏の「獣の奏者・外伝・刹那」を入手して少し読み込みつつ、後書きを読んで確信したのだが、「あえて制約しなければならない事柄」という概念は大切だと思う。 ただし、「特定秘密保護法」のような、あからさま...... more
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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