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わたしを離さないで。。。Never Let Me Go。。。その23。。。
わたしを離さないで。。。Never Let Me Go。。。その22。。。

実のところ、原作においても非常に重大な問題を孕んでいたのだが、ドラマ最終話で明らかになった転機がある。実は、第9話にてすでに伏線が敷かれていた。

恵美子先生が病院にて、主治医と思える医者から、「提供を希望されますか?」と聞かれるシーンがある。最初、恵美子先生がクローンとしての提供者として、「任意性に基づき、提供をされますか?」と聞かれたのか?と、思ったのだが、そうではない事に直後に気づいた。恵美子先生の拒否は「クローンからの自身への提供の拒否」であった。

クローンを擁護する立場にいるべきクローンだからこそ、当然の拒否であるべきなのだが、歳を取ってこれ以上長生きしても仕方がないと拒否する人々が増えているとのことが、最終話でなされる事への伏線でもあった。

この為か、結局、恭子の元には、赤紙が来なかった。

最終話の直前(と言っても19:12)にファンメッセージに書き込んだ内容を、こちらにも転記しておく。

あれだけ大量の(いや、大人数の)クローンが、日常的に必要な理由は、恐らく明かされないのではないのだろうか?
クローンですら、手術の傷が痛々しく残る程度の医療技術。。。

もしかしたら、移植されるはずの臓器の大部分が適応不可となって、大量に処分されているのではないだろうか?
処分先は考えたくも無い。。。

恭子(原作・キャシー)の視点からの物語の限界。。。
物語を真に成立せしめるだけの条件を推察しようとする視聴者心理に、どれだけ応えられるのだろうか?

まだ、荒唐無稽なドラマだったら良かったかもしれない。。。
リアルに日本の近未来的な情景へと落とし込もうとした事が、最終的にどのように評価されるのだろうか?

少なくとも、普段、ドラマを真剣に見ようとしない私を、これだけ引きずり込んだ事実は否定のしようがないのだが。。。


日本でドラマにする事を決定した段階で、余剰クローンという事は、織り込み済みだったのかもしれない。

提供開始の通知が「赤紙」にて重ね合わされていた様に、「終戦」に該当する事態を重ね合わそうと策が練られた可能性が強い。
戦争が、多くの伝聞情報にて混乱する事とも重ね合わされる。

始める事より、終わらせる事の難しさ。。。
ある物語を思い出す「真夏のオリオン」である。

今回のドラマは、最終話にて、イシグロ氏の抱えていた問題の核心を、日本の土壌にて、しっかりと受け止め、小さいながらも希望の花を咲かせたのかもしれない。

2016.03.21 09:20追記

真夏のオリオンについては、本ブログにて以前取り上げている。
「事後からの視点」だからこそのストーリー展開。。。

真夏のオリオン・風の谷のナウシカ・終戦のローレライ。。。
http://jinen.exblog.jp/13418874/


2013.03.23 00:48 追記
この物語に、重ね合わされるべき、重要な真実と物語を挙げておくのを迂闊にも忘れるところであった。決して忘れるべきではない真実と物語。。。
ハンセン病に関する真実と様々な物語である。

「わたしを離さないで」原作では非常に注意深く、キャシー(ドラマでは恭子)の視点から「決して離れる事なく」伝聞情報の脆さと、伝聞情報の中で、精一杯生きようとする事の日常的な難しさが淡々と書き綴られているのだが、特に原因や治療法が解明した後のハンセン病の問題の大部分は、まさに伝聞情報の問題そのものの悲劇でもある。

ドラマでは、完全には、恭子の視点のみからの記述が困難だったためか、物語内部の矛盾を伝聞情報に起因するものとして処理し切れていないように思える。というより、真実(まなみ)のサイドストーリーの場面ですら、恭子の伝聞情報に基づく脳内イメージ(半ば想像)であるとすれば、ドラマとしての物語の内部矛盾のほとんど大部分が消え去ると言って過言ではない。

*ハンセン病に関して言えば、新約聖書に軸足を持つキリスト教の一部に救済しようとする教団も存在したようだ。

2013.04.01 04:35 追記
*3/30 23:07にファンメッセージへ投稿したものを一部修正して、こちらへも記しておきます。
先日解決した中学生の誘拐事件は、ハンセン病と並んで、この物語の本質を理解するのに重要な視点を与えてくれることでしょう。。。

絶望と希望の狭間。。。
原作でのキャシー(恭子)という1人のクローンの伝聞情報に基づく視点に絞り込むことが困難なドラマという特性にも関わらず、飛翔し過ぎずに終えることで、ある程度の問題を回避できた様に思える。
しかしながら、クローンと「外部」との境界を緩める方向性は、逆説的に物語の設定条件・背景の異様さを認識させる方向へと誘導することとなってしまった。

先日、2年ぶりに誘拐犯の元から逃げ出した少女。

彼女が逃げ出そうと思った理由の一つに、犯人にて遮蔽されて「外部」となってしまっていた父親の、助けたいという思いが伝わったことにあると言う。
「外部」から見放されたという犯人からの伝聞情報のみに基づいていたなら、一生そのままだったかも知れない。

余剰クローンが提供することもできず、働くこともできない状況で物語を終える。。。
提供と介護以外の職を奪われている物語での設定条件。。。
病院での贅沢な個室、質素だが確保されている衣食住。これらが、音を立てて崩れて行きかねないことも、現実として受け止めなければならない。ドラマの構成では、何らかの立法の保護を受けていたという状況も否定できないのだが、もし、そうであったならば、公務員に対する昨今の世間の対応から類推するだけでも、ドラマの中での余剰クローンの今後は、とんでもなく悲惨であろうことは、想像に難くない。しかも、生殖能を生れながら(代理の子宮から産まれながら)奪われているのと同様に、抵抗性もかなりの確率で奪われている様であるから。。。
飼い慣らされたカナリア。。。物語の中のクローン。。。その共通点が見え隠れする。。。

破滅的・絶望的な未来が予測できるにも関わらず、視聴者に希望の光を感じさせるのは、(視聴者を含めた)「外部」との間に、魂同士の繋がり合いを感じさせるラストだったからなのかもしれない。。。

2014.04.01 05:50 追記
上記事項を書いた以上、もう一点、書いておかねばならない。開けられてしまったパンドラの箱は、希望以外の、あらゆる災いを出し切る必要性がある。。。
と、その前に。。。真実(まなみ)の事件で、明らかになった様に、警察や司法が制度を維持する立場にある以上、何らかの法的整備がなされて公金が注ぎ込まれていることは確実だろう(が、これも類推の域を出ない)。このことは、一連の投稿中に記載しているのでこれ以上は触れない。
余剰クローンの介護以外での職業が許可されたとき「失われた世代(lost generation)」以上の問題を生み出しかねない。急激な境界の撤廃は、別の意味で自然発生的に境界を生み出しかねない。
ドラマが開けたパンドラの箱に希望の光を見いだすには、とてつもない災いの種を掻き分けなければならない。にもかかわらず、希望の光を感じさせる、感じざるを得ない状況が、今の日本だということの方に、驚くべきなのかもしれない。

by kisugi_jinen | 2016-03-20 08:45 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

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