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わたしを離さないで。。。Never Let Me Go。。。その15。。。
わたしを離さないで。。。Never Let Me Go。。。その14。。。

原作に忠実なままストーリー展開された場合、「おぞましさ」という感性のみで出口が塞がれてしまう。
クローンが受け入れられるためには、魂・こころの存在を自ら明かさねばならないというのであれば、中世の魔女狩りでの神明裁判そのものである。
いや、他人ならばなおさら証明不可能である。

ドラマでの恵美子先生の言葉。。。
「あなた方は、天使なのです。」
心安らかに臓器提供を受け入れれば、神に認められると言わんばかりの誘惑。。。

確かに、死が確定し、どうしても逃れる術の無きクローンに、魂の通い合ったもののみが声がけしうる言葉としては、最善かもしれないが万能な言葉ではない。

その意味するところを考えるなら、「単に物質・クローンとして解体処理されるのでは無く、天使・クローンとして神に認められる」という捉え方が、しっくりくることだろう。。。
生から死の、正にその瞬間、神によって魂・こころを認められると言う幻想。。。

正に生きている時の「こころ・魂」は、他人によって認められるものでも、神によって認められるものでもない。

物語の最初から、主人公であるクローンに感情移入してきた読者や視聴者は、すでに分かっている。
彼らのこころ・魂の本質を。。。
相互に繋がり合うことの重要性を。。。

原書のラストは、イギリスという西欧にて受け入れられる物語でしかない。「聖書に書いてあるから」というレベルと同じである。

広島の中学生が、誤った記述に基づいた判断にて出口が塞がれて自殺した。

イシグロ氏のストーリー展開を凌駕する結末へと導かない限り、中学生の自殺問題と同じ過ちを、積極的にドラマ自ら肯定することになるだろう。

クローン、中学生に「誤った認識がなされたとしても、その中で、精いっぱい生きなさい」と、本気で言う立場を擁護するのだろうか?

「原書に書いてあったから」と。。。
。。。

2016.03.09 01:10 追記
個人的な見解にしかすぎないかもしれないが、当たらずとも遠からずと思っている。
原本にしても、イシグロ氏が意図した読み方では、読み解かれなかった。
だからこそ、イギリスにおいて高い評価を得たのでは無いのだろうか?
得体のしれないクローン人間が、ごく普通の少年少女として描かれ、成長し、悩み、友人との交流を深めていく。
そうして、ラストに、「得体のしれない」の根拠として無意識のうちにイギリス人の根底に刻み込まれている部分が暴露される。

西洋一神教系における、「魂」という知的概念。。。
その昔、魔女を魔女と認定する際に用いられた神明裁判という知的戦略。。。

ストーリー展開の如才なさに、知らず知らずのうちに情的に感情移入させられ、最後の最後に、知的なカウンターパンチを自らの脳天に打ち下ろさざるを得なかったというのが、真相なのではないのだろうか?

ストーリー内部では、少年少女が大人になる過程で、伝聞情報の誤解について、魂の通じ合った者同士が真相へとたどり着く過程が織り込まれている。
このことは、まさに伏線となって読者の魂の琴線に響いたことだろう。
クローン・臓器移植といった知的レベルでの認識以上に、相互的な交流が主体となる心情的な側面の深く・広大な問題について。。。

物語をそのままそっくり、日本に持ち込むことは不可能である。

日本のドラマが「真実(まなみ)」という人物を投入し、クローン人間の自殺という究極の境界ギリギリの選択を行わせた以上、カウンターパンチは国境を越えて、「自殺を禁じる一神教圏」への喉元へ食い込んだことだろう。
そうして、さらに、日本文化における自殺の背景と、物語原本での「生きる」という積極性とのギャップが、クローンの成長と魂の成熟過程に絡み込む。。。
全てを抱え込んだ状態で、ラストの2話の展開が原本通りであったなら、カウンターパンチはドラマの制作もとに落とされるかもしれない。。。いや、このような文書を書いているこのブログに落ちるかもしれない。。。くわばらくわばら。。。


2016.03.09 01:51 追記
「魂・こころ」の存在証明が不可能な理由。。。その2。。。
本ブログの随所に書き込まれているはずであるが、ここに明記しておく。

「魂・こころ」は、相互に影響しあう者同士のはざまに立ち現れる。いや、相互の心の鏡に投影されるというべきか。。。
たとえ、相手が「物」であってもである。
したがって、「クローンに魂などあるはずがない」と思い込んでいる人々がいたとすれば、そのようにしか映し出されない。
一神教が排他的であればあるほど、この問題の根底部分は、解決せずに、残り続けることだろう。。。


2016.3.13 04:40 追記
ネット検索していると下記のURLが引っかかってくる

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/think/thk029.html
佐倉哲エッセイ集 思索ページに関する来訪者の声
Junさんより 2000年12月22日 クローンとキリスト教倫理

非常に参考になる。
もし人クローンがでてきたとしても、キリスト教圏では法的整備が為され難くなる危険性が極めて高いといえるのだろう。。。

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by kisugi_jinen | 2016-03-08 23:13 | つれづれ。。。 | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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