わたしを離さないで。。。Never Let Me Go。。。その10。。。
わたしを離さないで。。。Never Let Me Go。。。その9。。。
前回、自身の記憶の曖昧さにて伝聞情報に落ち込んでしまった(笑)。
は、正確には、恭子が言っており、「塀は乗り越えるためにある」だ。その直後に「変わらないね」というセリフが入るが、着実に変化していってることを、3人は確実に共有していることであろう。。。 さて、ドラマも佳境に入りつつあるところで、本ブログにて、この物語に触れた以上、あと2つの視点からの記述をしなければならない。 1.前野氏の「受動意識仮説」 2.宮崎駿氏の「風の谷のナウシカ(原作・コミック版・全7巻)」 である。 1.「受動意識仮説」と「わたしを離さないで」との関係 受動意識「仮説」そのものには否は無いものの、閉鎖的な思索を行いがちな方々にとっては、「仮説≒真実」という思い込みの結果、自己・アイデンティティを見失い、人間性という概念の否定と、全ての意識および主体性が機械的な反応としての「結果」にしか過ぎないという思い込みに陥ることになる。 2.「風の谷のナウシカ(原作)」と「わたしを離さないで」との関係 まず、クローン・臓器移植といった生命工学的なバックグラウンドは、風の谷のナウシカ(原作)にて深く・広く・重く扱われている。(幾度か滅びた後、ないし幾度か滅びる前という意味で)完全に異なる世界であるが故、現実との整合性を取る必要が生じていない。 「人間が機械やゾンビと違わないという極端な還元論的な思考への落ち込み」(極端な受動性)と。。。 「たとえ絶望しか感じ得なくても、その向こう側へ進もうとし続ける強い思い」(極端な能動性)と。。。 これらの2つの側面は、あまりに極端でもあるが、思い・心・意思を持つからこそ、常に両者の間を揺らぎ続けるともいえる。「わたしを離さないで」は、クローン達のみならず、取り巻く人類もまた、斜陽の中で受動性主体の人生を歩んでいるかの如くに感じてしまう。 ドラマの最後では、「真実(まなみ)」に共感して立ち上がる支援者もいれば、反論する人々もいるといった、混在した状況の中を、恭子が静かに歩み続けていく姿を描いてほしいものである。
by kisugi_jinen
| 2016-02-29 22:45
| つれづれ。。。
|
Trackback(1)
|
Comments(0)
Tracked
from 来生自然の。。。
at 2016-03-05 01:35
タイトル : わたしを離さないで。。。Never Let Me Go。..
わたしを離さないで。。。Never Let Me Go。。。その10。。。 交換可能性と不可能性。。。 美和は人とクローンの間を生きたといえる。 美和は美和であり、恭子は恭子である。 「恭子になりたかった」という言葉の裏には、 「(魂の認められないクローンではなく、)人になりたかった」という切実な言葉が隠されていると同時に 「美和というアイデンティティの本質を見失う寸前だった」ところを、自らの言葉で回復することを意味している。 アイデンティティという交換不可能な魂の...... more
|
検索
カテゴリ
最新の記事
お知らせとリンク。。。
お知らせ
●コメントスパム対策のため、承認制に変更しました(2010.09.29) ●トラックバックのリンクチェック機能を追加しました。excite以外からのトラックバックをされる場合、当該記事へのリンクを埋め込んでください。 リンク ゲストブック ---Yahooジオシティーズ終了に伴い、利用できなくなっています。 来生自然のホームページ ---Yahooジオシティーズ終了に伴い、利用できなくなっています。 鉄鼠 ---「考える」ということに向き合う。。。 Genxx.blog 移転後http://blog.genxx.com/ ---「情」を含めて専門的な立場から「こころ」を模索し続けるGenさんのブログ。。。 研幾堂 ---山下裕嗣氏による哲学のサイト。以前、形而上学についてやりとりさせていただいた。 記事ランキング
最新のコメント
最新のトラックバック
以前の記事
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
ライフログ
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||