AX
憲法というモニュメント。。。知と情と。。。
「情」と「智・知」を扱っている関係上、本ブログでは「モニュメント」についての考察が多くなっている。
過去においては、「千の風」、「白鳥」、「靖国神社」、「愛国」という概念を取り上げたが、やはり「憲法」という概念についても書いておくべきなのかもしれない。

あまり、書きたくもないのだが、この機を逃しては、「憲法」という概念を「モニュメント」として捉えて記述することが難しくなるかもしれないので、記しておく。

過去、つらつらと書き綴ってきた各種の「モニュメント考」に共通することは、
1.モニュメントは、その向こう側に求めたいものを思うときにモニュメントたりうる。
2.モニュメントに対峙する万人の心情が様々であるとき、モニュメントが一つでも、そのモニュメントを貫いていく万人にとっての様々な思いの方向性(情的方向性)は、千差万別である。
3.逆説的に言えば、万人に共通して扱いうるシンボル・モニュメント足り得るには、万人の思いが千差万別であったとしても、共有しうる記号・符号でなければならない。
4.情的方向性の向かう先に、万人の各人が求めて止まないものは、実在・実体・真理として存在しうるもの、存在しえないもの、存在について言及不可能なもの、存在せず・かつ・存在するもの、等が含まれており、それら自体を共通認識可能なものとしては扱いえない。
5.逆説的に、共通認識不可能な、万人の各人が求めて止まない、実在・実体・真理として存在しうるもの、存在しえないもの、存在について言及不可能なもの、存在せず・かつ・存在するもの等々に向かいうる情的方向性を一つに束ねうる記号・符号足り得るものこそが、モニュメントとして存在しうる。
と、至極当たり前のことしか書いていない。

ただし、ここで注意が必要である。

1.「共有しうる記号・符号」であっても、知的論争可能な解釈レベル(すなわち、再度言い換えて「知的」認識レベル)では、万人が共通認識可能な概念を持たねばならない。共通認識可能な知的認識レベルの範囲外、すなわち知的レベルにおいては解釈・認識の食い違いが発生しうるとき、
1-1.モニュメントの範囲外として扱う
のか
1-2.モニュメントを作り直して範囲内に収める
のか
いずれかの手法がありうる。ただし、1-2を選択した場合、
1-2-1.モニュメントが分断され、複数の「共有しうる記号・符号」として別れる。
こともありうる。

2.上述の「知的・認識・解釈」レベルとは別に、「情的」方向性について、常に感じ、考えねばならない。
そもそも、「情的」方向性が異なるが故に、モニュメントがモニュメント足り得るわけである。情的方向性については、知的・論理的論争を行い続ける限り、暗黙裡の内に知的論争の背後に貼りついている。
智・知と情は、それぞれを認識可能な人類にとってしても、完全に切り離すことが不可能な表裏一体の関係にある。
そもそも、情を有しない人間は人間足りえないであろう。
智・知と情を分離して考えたり、優劣をつけて考えたりしている限りにおいては、モニュメントの本質を見誤ることになるだろう。

上述の1の思索を憲法に当てはめるなら
1.憲法の解釈論争にて共通認識が得られないのであれば、
1-1.憲法の適応外として扱う。(ただし、憲法違反となる)
1-2.憲法を改正して、範囲内に収める。
1-2-1.憲法が複数できる可能性、すなわち国家が複数に分断される可能性もありうる。
ということになる。
真っ当に考えるなら、1-2を選択すべきであろう。
1-2-1という事象が発生しやすいことは、多くの国家にて分断の方向性を有する民族の各種運動(テロ行為を含む)においても、見て取ることができる。

次に、2の思索について、深く考えてみたい。
そのまえに、ぶっちゃけた話
1-1.改憲をせずに集団的自衛権を盛り込みたい人々は、眼前の危機的状況を感じ取っているからこそ、改憲というまどろっこしい手順を踏まずに事を決議したいという思いが強いのであろう。

「眼前の危機」という概念もまた、モニュメント的な扱いがなされうる。
知的認識・論争可能なレベルと表裏一体の情的な思いの方向性。。。

それだけではない、様々なレベルでの言葉・記号・符号に関するモニュメント的な交錯。。。

逆説的に言えば、多重レベルでの言葉・記号・符号に関するモニュメント的な知・情を含む交錯があることを前提にして、複数階層(多重レベル)にて、モニュメントを扱うべきであろう。。。

何のことはない、憲法以外の法律・法規・条例といった各種レベルでの下請け・孫請け作業である。ただし、厄介なことに、扱おうとする問題には相手がいて、国家レベルでの対応として決めねばならないレベルの話である。であれば、相手側との対話にて、複数レベルに分けつつ、包含しうる各レベルでのモニュメントを模索しつづけるべきではないのだろうか?

いずれにしても、知的にのみ扱いうると誤認し、知の情に対する優性を確信している限り、解決不可能なのかもしれない。。。
[PR]
by kisugi_jinen | 2014-06-16 04:55 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://jinen.exblog.jp/tb/22790173
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 編集途中・将来という概念と、固... 知的切断。。。思春期人(ししゅ... >>



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索
カテゴリ
最新の記事
お知らせとリンク。。。
お知らせ
●コメントスパム対策のため、承認制に変更しました(2010.09.29)
●トラックバックのリンクチェック機能を追加しました。excite以外からのトラックバックをされる場合、当該記事へのリンクを埋め込んでください。
リンク
ゲストブック
---全体的なコメント等は、こちらへどうぞ。。。
来生自然のホームページ
---私の知の思想史。。。
鉄鼠
---「考える」ということに向き合う。。。
Genxx.blog
移転後http://blog.genxx.com/
---「情」を含めて専門的な立場から「こころ」を模索し続けるGenさんのブログ。。。
研幾堂
---山下裕嗣氏による哲学のサイト。以前、形而上学についてやりとりさせていただいた。
記事ランキング
最新のコメント
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 01:29
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 03:51
kisugi_jinen..
by Kandomonmasa at 14:28
> SumioBabaさ..
by kisugi_jinen at 10:41
「神」を完全に解明しまし..
by SumioBaba at 05:06
最新のトラックバック
究極の人工知能。。。ショ..
from 来生自然の。。。
所詮ゲーム、背景を勘ぐる..
from 来生自然の。。。
シン・ゴジラと所信表明演..
from 来生自然の。。。
ポケモンGOのお台場騒動..
from 来生自然の。。。
シン・ゴジラ。。。
from 来生自然の。。。
以前の記事
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
ライフログ
ファン
ブログジャンル
画像一覧