死の境界の向こう側。。。文月メイ、「ママ」。。。
文月メイのデビュー・シングル「ママ」がネット上で賛否両論の論争になっているというニュース。。。
特に「有線で放送見送り」というニュースから端を発しているようである。。。 ねとらばニュース 「虐待を受けた子ども視点の歌詞が賛否両論 有線で放送見送りにもなった楽曲「ママ」が物議」 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1310/04/news123.html スポーツ報知>芸能ニュース 「文月メイ、歌詞が過激すぎて有線配信見送り」 http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20131002-OHT1T00037.htm ニュースだから「賛否両論」と二者択一的に煽りたい心境はわからないではないが、YouTubeに配信された動画へのコメントをつらつら見るにつけ、複数の階層が折り重なっていることが分かる。さらに、「スパムとして報告されています」コメントを開いていくと、より一層複雑な階層構造を見て取れる。 コメントの中にも散見される意見でもあるが、聞き手に複数の階層(少なくとも2層)を同時に想起させうる歌であるという段階で、優れた歌であると思う。 ※2013.10.20 01:25 追記 文月メイさんの「ママ」の動画と歌詞(動画内に記載されている) ※2013.10.12 05:28-7:30 追記 歌詞について触れておかねば、下記理論展開が宙に浮いてしまいかねないので、追記しておきます。 野暮ったくあるけれど、以下に階層を明示し、すこし考察を加えてみたいと思う。そうすることで、単一的ないし論争的な側面で捉えるだけの方がいたとしても、多義図形的なモニュメントとしての「ママ」を多面的なままに受け取ることができるかもしれない。。。そうして、問題の本質を見つめ続けるには不可避な歌詞の設定になっていることも、合わせて理解しうるのかもしれない。。。 1.歌詞の内容のみに立脚した場合 2.作者の視点を考慮した場合 3.(それぞれの立場から)歌詞の親の視点を考慮した場合 4.(それぞれの立場から)歌詞の子の視点を考慮した場合 5.虐待する親の視点から見た場合 6.虐待される子の視点から見た場合 7.虐待していた親の視点から見た場合 8.虐待されてた子の視点から見た場合 1から4は、虐待に無縁の人が感じ取る階層だろうし、1から8のうちの幾つかは、実体験に重ねあわされるものだろう。 しかしながら、本質的にどうしても不可能なのが 9.虐待されたであろう死んでいった子の場合(歌詞の主人公そのもの) である。 多くはスパムとされているが、「9」の立場にて宗教的な側面(多くはあからさまに一方的な側面)からの記述が散見される。 そうして、歌詞もまた、「9」の立場を利用している。 実のところ、「千の風になって」も「9」の立場を利用しているのだが、自然界の事物に重ね合わせている段階で、アニミズム的に宗教性を回避している。しかしながら、「ママ」は、あからさまに「天使」である。 「(死後の魂として)存在する」とか「しない」とかいった二者択一論争を越えて、残された者たちの思い(当事者の親だけではなく、周囲の人々、およびニュース等で見聞きした人々の思い)が、どこに向かっているのか?ということを考えたとき、先ずは「死んでいった子」へと情が注ぎ込まれようとすることは確実であろう。。。 さらに「母親が悪い」とか「そうではない」とかいった二者択一論争を越えた問題であることもまた事実である。(2013.10.06 08:26 追記) 思いが通過するモニュメント(知的・言語的・仮想的・記号的に扱いうる概念)としての「死んでいった幼子」は、自我が目覚める以前で無垢なゆえ、現代日本でもっともふさわしいものは、まさに「羽の生えた天使」であろう。。。 また、幼子たちが犠牲になるとき、残された人々の心を締め付けるのは、幼子自身が信頼せざるを得ない親、とりわけ母親に対する無垢なる思いの強さを重ね合わせるからに他ならない。 そうして、モニュメントとしての母親像に重ねあわされるゆえに苦悩し、心を病んでしまいかねないギリギリの生活を送っている母親もいるという現実。。。 「過激」とか「そうでない」とか、「むごい」とか「むごくない」とか、「死後に魂がある」とか「ない」とか、「母が悪い」とか「そうではない」いった知的論争を越えていくもの、それはそういった無垢なる子の「死」という超えることのできない境界を越える(親子の)情愛以外の何ものでもない。あえて知的・言語的に記号化しようとすると、陳腐に表現されうるかもしれないところを、複数の視点からの想起が可能なように歌詞を編集しているが故、モニュメントとして成立しうるのだと思う。。。(2013.10.06 08:27 一部追記、2013.10.10 04:51 一部追加) ※2013.10.10 05:05 追記 上記を言い換えるなら、モニュメントとしての歌詞が、無垢なる子の、そうして死の境界の向こう側からの視点を利用するということは、読み手・聞き手側からの(自分たちの)心から発せられる境界を越えようとする「思い・想い・情」がモニュメントたる歌詞の向こう側へと通過しようとする(あるいはモニュメントたる歌詞へと投影される)ということに他ならない。 ※2013.10.13 05:20追記 下記のツイートを文月さん自身を含め複数の方がリツイートしていたのを見かけた ※2013.10.15 02:03-3:22 追記 大切なことを書いておくのを忘れていた。。。 (ここから、一部編集。2018.08.27) 最近のニュースでは、LINEを含め、ネットワーク上での複数のコミュニケーションツールの小学生4年生レベルへの急速な進展の問題が取り上げられている。これらツールはイジメの問題に直結している。 また、個人的にネット・とりわけSNS等のコミュニケーションツールを体験するにつれ、利便性が先行し、安全性に関与するセキュリティー・アクセス権や利用者ごとのリスクについては、先ずは「個人の責任(自己責任)で」として、対応が遅れているのが実情であることを常に実感せざるをえない。このあたり、個々、ないし家族といった集団にとって想定外な事態に対応する規範が流動的にならざるを得ないというところは、非常に重要なポイントだと思う。 (ここまで、分かりにくい表現があったので一部編集。2018.08.27)
※2013.11.14 23:23 追記 今回の歌・歌詞騒動の一側面として「父・母」間の問題を見ようとする向きもある。このことに関しては、上述した内容(夫婦の協調性)に関連するのだが、母親の立場からの非常に適切な「ことば」を記載しておられるところを見つけたのでリンクを貼り付けておきます。 心と心の情的繋がりが知的な戦略にて切り離されるとき、「いじめ・虐待」として鎌首をもたげてくるのだろう。。。 ※2013.12.01 04:00-04:37 追記 文月メイ『ママ』に薄氷を踏むわが身を思う=== 10月2日発売・シングル === 以下、関連する稚拙投稿。。。 情の欠落するもの。。。情を欠落させるもの。。。越えようとする思いの大切さ。。。 http://jinen.exblog.jp/17696209 千の風になって。。。モニュメントの真意。。。切断された情を結びつけるもの。。。 http://jinen.exblog.jp/6918801 人は何のために生きているのか。。。風の谷のナウシカ・考。。。 http://jinen.exblog.jp/16878881/ 母の願いは境界を越えるというのに。。。 http://jinen.exblog.jp/768610/ 鬼の心の奥に潜むもの。。。秋田男児殺害事件の境界。。。 http://jinen.exblog.jp/4969633/ === ※2013.10.17 03:30 追記 「オレンジリボン運動」というのがあるようで、子ども・児童虐待防止活動を行っているようです。下記に公式リンク・バナーを貼り付けておきます。 また、2013年11月17日に下記の市民集会が東京で開かれるとのことです。詳しくは http://www.orangeribbon.jp/info/npo/2013/09/1117-11.php を参照してください。 === 第11回 子どもの虐待死を悼み 命を讃える市民集会&パレード みんなで守ろう!子どもたちの"いのち"と"心" 広げよう子ども虐待防止オレンジリボン運動 ~子ども虐待防止のために私たちにできること~ === ※2018.11.24 06:12追記 最近、この記事が上昇して来ているので、何かあったのか?と気になって「文月メイ ママ」でググってみたけど、何も無かった。 しかしながら下記の記事を見つけた。 betti_sykさんのブログ「犬顔の猫である」での2013.11.21投稿の記事 『「無償の愛」という「理想」-文月メイ「ママ」のこと』 私が項立した「8.虐待されてた子の視点から見た場合」をまとめた記事を出発点として、ご自身の体験から離れることなく、広く、深く、かつ考えうる限りの複数の視点を切り替えつつ記されておられた。 私が、私の父を嫌いになった思春期の記憶、鼻孔から脳の奥に突き上げる気持ちとも混ざり合う内容でもある。 こちらの視点については、ネットも無かった当時の日記を掘り起こしてくれば書けないこともないのだが、布団をそっと頭まで被り嗚咽の漏れるのを聞かれたくなかったことや、言葉にできない言葉を絞り出すのに幾度となく夜明けを迎えた当時の思いは、既に思春期人を脱してしまった今、表現することは不可能に近い。 そういったことも全て含めて、子を授かり、今を生きているという私にとって、かけない背中側を書いてくださったようで、非常にありがたい記事になっている。勝手ながらトラックバックさせていただくことにした。 。。。と、随分前(2014.07.21)に引越しされてた。。。
by kisugi_jinen
| 2013-10-06 03:42
| つれづれ。。。
|
Trackback(2)
|
Comments(0)
Tracked
from 来生自然の。。。
at 2013-12-01 06:05
タイトル : 文月メイ「ママ」。。。或る父による返歌。。。
君のことが大切で 悪いことをしたら大声で叱った 行きたくないと 駄々こねる君を無理やり連れ出した ごめんな、君 そのうち分かるよ 人生は長いんだ そうだよ、君 泣けるだけ泣けばいい 独り立ちできるまで どうしてなんだろ? どうしてなんだろ? 涙が枯れ果てると 大人になれるのかな 君は、天使のように 私たちを和ませてくれる 荒んだ社会の中で 一人では生きられないから ごめんな、君 叩いたりして 君が蹴りつけた その子の痛みを、分かってあげなさい ...... more
Tracked
from 来生自然の。。。
at 2019-01-03 04:37
タイトル : そして父になる。。。そして母になる。。。そして◯◯になる..
019.1.2 01:20 タイトル修正、本文一部修正。。。「そして父になる」福山雅治主演ということで、当初から話題のあった映画だったようだが、昨日、初めて見た。端的には、古来からのことわざである「生みの親より、育ての親」。。。その主題を、様々に並走する出来事や思索、人々との交流の内部に輻輳させつつ繰り返し、繰り返し、心の奥に呼びかけてくる。音楽で言えばパッヘルベルのカノン。。。円環からの出口は直ぐ横を素通りし、デジャヴのごとき出会いがしっぺ返しを浴びせてくる。妻の言葉「あの時、あなたは言ったわよね...... more
|
検索
カテゴリ
最新の記事
お知らせとリンク。。。
お知らせ
●コメントスパム対策のため、承認制に変更しました(2010.09.29) ●トラックバックのリンクチェック機能を追加しました。excite以外からのトラックバックをされる場合、当該記事へのリンクを埋め込んでください。 リンク ゲストブック ---Yahooジオシティーズ終了に伴い、利用できなくなっています。 来生自然のホームページ ---Yahooジオシティーズ終了に伴い、利用できなくなっています。 鉄鼠 ---「考える」ということに向き合う。。。 Genxx.blog 移転後http://blog.genxx.com/ ---「情」を含めて専門的な立場から「こころ」を模索し続けるGenさんのブログ。。。 研幾堂 ---山下裕嗣氏による哲学のサイト。以前、形而上学についてやりとりさせていただいた。 記事ランキング
最新のコメント
最新のトラックバック
以前の記事
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
ライフログ
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||