AX
モニュメントとしての「風立ちぬ」。。。「生きねば」。。。風の谷のナウシカ・7巻。。。
まだ見てはいない。。。

ただ、垣間見る評論家の意見、「反戦派の宮崎氏にしては片手落ちだ」は、(おそらくグラマン)戦闘機に銃撃され、寺の床下に逃げ込み、一命をとりとめた私の父の言葉(※注2)を思い起こさせる。。。

子供の頃、機能的な美しさゆえに「かっこいい」という言葉を添えつつ、プラモデルの零式艦上戦闘機をくみ上げていたとき、父は悲しげに語っていた。
【かっこいい】なんて言葉を使うんじゃない。 どれだけの人が戦争で死んだと思っているんだ! 戦闘機は人殺しのための道具。 銃や戦闘機をみて【かっこいい】というのは止めるんだ。

その当時、「かっこいいものはかっこいいんだから、しょうがないじゃないか!」と反発しつつも、その後、零式艦上戦闘機を含め、兵器の持つ二面性を意識し続けることができたのは、父の言葉のおかげだと思っている。

日本の評論家に突っ込みを入れられるくらいだから、某国からの突っ込みは当然のことだったのだろう。
多数の思い・想いの交錯する道標・通過点たるモニュメント1)は多義図形5,6)の中心に設置されるべきものなのだろう。。。

某国のモニュメントたる石像も多義図形の中心になるように、別国(少なくとも日本を含めた3国以上の女性たち)が相互に支えあうような形状にすればいいのに。。。

「生きねば」。。。「風の谷のナウシカ・第7巻」のラストページのラストのコマ中央に記述されている
生きねば
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

(囲みナレーション略)
おわり 1994.1.28

「風立ちぬ」が、映画として創作されるときに、そぎ落とさざるを得なかったものは、おそらく「生きねば」というモニュメントの向こう側、「風の谷のナウシカ」の内部にあるのだろう2,3,4)。。。

殺戮と死と。。。そうして越ええぬ境界の本質を覗き込んだナウシカが破壊せざるを得なかった未来に託された生命。。。両立しえない二つの希望は、相互に絶望をもたらさざるを得ない。。。※

宮崎駿は、あの時点で、すでに多くの命を奪いすぎていたのかもしれない。

たとえそれが、アニメという架空の世界内部で、「人智」という一側面がもたらした結末であったとしても。。。

=== 2013.08.04 05:30 追記 ===
本ブログ内では「モニュメント」という言葉・記号を、通常の「モニュメント」としてだけではなく、「知的共有可能な概念・主義・主張を代表しうる記号・言葉・モノ」として扱っています。「モニュメント」に関する私の考えるところについて詳しく知りたい方は、下記URLの[1]を参考にしてください。
また、「風の谷のナウシカ」(原作・コミック・アニメージュ全7巻)に関連した他の考察[2―4]も、本投稿内容と合わせて閲覧いただくことで、「生きねば」の本質を考えることができるかもしれません。
あと、「多義図形」に関する考察[5, 6]は、本投稿内でのモニュメントに対する考察の基盤になっています。合わせて閲覧いただければ、さらに深く思索できるかもしれません。

ブログ内参考URL
1.千の風になって。。。モニュメントの真意。。。切断された情を結びつけるもの。。。
http://jinen.exblog.jp/6918801

2.人は何のために生きているのか。。。風の谷のナウシカ・考。。。
http://jinen.exblog.jp/16878881/

3.真夏のオリオン・風の谷のナウシカ・終戦のローレライ。。。
http://jinen.exblog.jp/13418874/

4.宮崎アニメに重ね見る、極刑を越える情。。。
http://jinen.exblog.jp/8562886/

5.だまし絵について。。。1.多義図形と概念。。。
http://jinen.exblog.jp/1636093

6.だまし絵について。。。2.多義図形・概念と境界。。。
http://jinen.exblog.jp/7893549

===
。。。「生きねば」。。。についての追記・補足。。。 2013.08.04 05:55
物質としてではなく、生命としての人間がもち、「こころ・精神」の一側面としての「意志」が生み出しうる言葉。
作者(宮崎駿氏)を含めスタッフに「生きねば」という思いが先にあって、映画を形作ってきたのか、映画が完成した後に「生きねば」というキャッチコピー(モニュメント)をつけたとき、なぜに「これだ」と思ったのだろうか?
風の谷のナウシカの第7巻ラストのコマでの「生きねば・・・・・・・・・・・・・・・・・・」は、物語の中の人物が語っている言葉ではない。ナレーションのごとく挿入されている。にもかかわらず、物語の多くの登場人物がそれぞれに語るにふさわしい言葉でもある。物語を終えるにあたり、作者(宮崎駿氏)が吐露せざるを得なかった一言。
このことは映画版・風の谷のナウシカをみていてもわからない。なぜなら、原作・風の谷のナウシカの物語は、死の境界を越えた世界を扱っているからである。そこでは、死の瞬間、あるいは死後の世界との精神的な面でのやり取りが当然のごとく行われているがゆえ、「生きねば」の本質を随所に織り込みながら記述できたのではないのだろうか?


※「両立しえない二つの希望は、相互に絶望をもたらさざるを得ない。。。」について
2013.8.21 07:25 追記
ナウシカ原作での7巻にて記述されているところだが、人智によって操作され、未来の地球環境にて生きることが可能な(人智の範疇にて思考可能な)人工の生命体よりも、滅亡・死を運命づけられている人種でありながら、人智では計り知れない生命との連鎖関係、言い換えれば作者:宮崎駿の知をも凌駕するが故、作品から逸脱せざるを得ない生命体系、その存続をナウシカは選択した。
でなければ、墓所の主(知の塊)によって旧世界の生命体は新世界の生命体を存続させるために利用され、滅ぼされてしまう(※注1)。
===
「風の谷のナウシカ」第7巻、ANIMAGE COMICS ワイド版、宮崎 駿、徳間書店、p.121-122、p.132およびp,198から引用。
(墓所の主、ないし墓所のしもべ・ヒドラの一人からの言葉)
弟は 若い頃本物の 慈悲深い名君だったよ
土民の平安を 心から願っていた
だがそれも 最初の二十年さ
やがて いつまでも愚かな 土民を憎む ようになった
そなた達人間は あきることなく 同じ道を 歩み続ける

(中略・上記に対するナウシカの返答)
目的のある生態系・・・ その存在そのものが 生命の本来に そぐいません
私達の生命は 風や音のようなもの・・・
生まれ
 ひびきあい
  消えていく
(中略)
私達は 血を吐きつつ
くり返し くり返し
その朝を こえて とぶ鳥だ!!

生きることは 変わることだ
王蟲も粘菌も 草木も人間も
変わっていくことだろう
腐海も共に 生きるだろう
===


※2013.08.24 07:41 追加
映画はまだ見ていないが、「風立ちぬ」を含んだ文庫本を購入し、読んでいる。
いつものように、ページの最初からと「解説」の両方から読み進めている。

。。。堀 辰雄

冒頭の「美しい村」では、女性言葉で書き連ねられており、思わず「何モノ?」と思ってしまったが、パラパラと他の作品をみながら、「解説」に目を通してようやく事情を自分なりに理解した。

おそらく(2重の推論なので邪推ともいえるが)、宮崎駿氏が「風の谷のナウシカ」(原作)にて(人間のなしうる表現の限界ゆえに)描き切ろうとして描き切れなかった「人智(人間のなしうる表現形態)」を超える「生きる」という意志と周囲との関係概念、そこに直結するのではないだろうか?
「 (前略) ただ一つの題材だけが僕に一番自然に書けそうなのだ。しかしそれは世間に向かって書いてはならないことなので困っている。そういうものはこれまでの自分の仕事でこりごりしているのだ ― このごろはもうしょうがないから、そういうもののためにその小説が書きたくって書けないでいる男の小説を書こうと思っている。 (中略) 一番小説の古風な形式だがゲエテが『ウェルテル』のために使用したその形式を、僕もひとつ使ってみてやろうかと思う」(「美しい村」旧稿ノオトII)(中略)
ノオトに記されている「書き悩んでいた小説」は「鳥料理」となり、「美しい村」はその主題を不意に堀辰雄の目の前に現れた矢野綾子という病める少女によって奪われる結果となった。(後略)
以上、「風立ちぬ・美しい村・麦藁帽子、堀 辰雄、角川文庫」の丸岡 明氏による解説から引用

「鳥料理」は宮崎アニメでの「猫の恩返し」(「耳をすませば」に登場する月島雫が書いた物語という位置づけ)を思い起こさせる。いずれも「知」の世界から逸脱できないにもかかわらず、そこから飛び出そうとしている物語としてとらえることができる。幾何かの芸術家・音楽家が阿片に頼ったりすることもある領域だが、宮崎氏も堀氏も知的範疇にて(想像の域で)阿片相当の幻惑の世界(一種の知の領域を超えた世界)に、一時的にでも足を踏み入れたかったのかもしれない。

今回の作品・映画をそういった知的枠組みから外へ向かう通過地点としてのモニュメントとみるとき、世相を反映して複数の対立しうる情勢・勢力の見解が立ち現われている現状もまた、宮崎氏や堀氏の「想定内」の状況なのだろう。。。

。。。いや、やはり邪推なのかもしれない。。。

※2013.08.26 23:40 追記
「プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル ”風立ちぬ” 1000日間の記録」を先ほど見終わった。。。
。。。「想定内」という邪推は当たらずとも遠からずといったところだろうか。。。

宮崎駿氏は映画を見た人々がどのように感じ取るであろうか、については、(当然のことながら)既に見通していた。通路を走り回るであろう子供たちについて、親の責任をも顧慮しながら、そういった映画を見るということ自体にも意味があるという思索まで吐露していた。

映画化とは、概念を固定化・モニュメント化する儀式に相当するのであろう。。。

それでもなお、作らねばならない(ならなかった)。。。
幾ら激しい(時代の)風が吹き荒ぼうとも。。。
。。。 風立ちぬ いざ生きめやも 。。。

※2019.08.28 04:30-5:55 追記
先日の「プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル」(http://www.nhk.or.jp/professional/2013/0826/index.html)では、関東大震災時の群集を映し出す3秒の場面を作り上げるのに、1年を要したとの話がでていた。。。
3年間の製作期間の間の1年である。複数の人間で並列的に作業を進めているとはいえ、大変な作業である。
宮崎氏はアニメで通常行われているような群集の描き方はせずに、群集の各々の人を、こういった場合にどうするであろうか?ということに思いを馳せながら絵コンテを書き込んでいた。登場する人物に対する宮崎氏の思い入れは随所に見られ、髪の毛の微妙な動きでの感情表現等にも修正を加えていく作業も番組では紹介されていた。
また、番組では二郎が完成したゼロ戦を見て「美しい」といったということについて、どう表現するのかについて思い悩み、映画では、カプローニとの空想の対話場面での白い(純白ではない)飛行機、機銃も爆弾もつけていない飛行機を飛ばすことで視覚的に表現する方法にたどり着くまでの状況を描き出していた。
個人的には、この場面は、2回繰り返し、2回目では画面を斜めにカットした状態で左上に空想の白い九試単座戦闘機の場面を右下には(実写でなくていいので)戦闘機が銃撃し爆撃して死者が出るという事実を短時間でもいいから描写してほしいところである。(2013.09.03 06:23 一部訂正)
番組中、幾度となく、(宮崎氏の妻や周囲の人々の)「どうして人殺しの道具を作った人の映画をつくるのか」という疑問に答えなければならないと語っていた。
氏は映画を作り上げること(すなわち、ラストを描ききること)で成し遂げようとしたというが、「堪(たふ)る限りの力を尽くして生きる」では片手落ちにならざるを得ないということについて、突っ込んだ思索と、作品に反映する苦悩が欲しかったところであるが、残念ながら放送内では見受けることができなかった。

あのままでは、アインシュタイン等の原子力(原子力発電、原子爆弾)の開発に結びつく科学者たちが「自然界の未知の力・エネルギー」を取り出そうとする過程を描き出すのと同じことになるのでは?と危惧してしまう。
映画化は時代の一断面を切り取る作業にしかならないのかもしれないが、倫理面での思索をも顧慮し、多面的に評価されうるだけの作品(多義図形的なモニュメント)としてあってほしいところなのだが。。。
もう少ししたら、映画を見に行くので、このあたりについては、後日、感想を含めて記述予定。。。

実は「プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル」を見る前に、8月3日放送の「SWITCHインタビュー 達人達:宮崎駿×半藤一利」(http://www4.nhk.or.jp/switch-int/x/2013-08-03/31/1748/)を見ていた。
印象的だったのは、二人ともが自身の親について語る場面であった。
今回の映画は宮崎氏の両親が生きた世界を描くことになるとのことで、主人公に自身の父と母の一面をも重ね合わせて描いていったのだろう。
「プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル」での宮崎氏の苦悩している目元は、両番組中で幾度となく紹介されていた宮崎駿の父親の写真での目元に、どこか似たものを感じた。。。

※2013.09.02 04:30 追記
昨日、映画「風立ちぬ」を見てきた。。。。

やはり、モニュメントであった。。。

物語の山場、「プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル」にてラスト作製現場で宮崎氏がつぶやいていた話が脳裏をよぎる。後半10分程度は、まさに磨き上げられたモニュメントのような仕上がりだった。
宮崎駿氏が現在選択しうる最善の落としどころだったのだろう。。。
並列する複数の思いを一つにまとめ上げるとは。。。
宮崎駿氏が両親の生きた世界を描き出そうとするとき、どうしても超えることのできない境界を知りつつ、超えようとした先に見出した結論だったのだろう。。。

逆説的に惜しいのは、複数の意味で「死」をモニュメントの向こう側へ完全に定位させざるをえなくなった(隠さざるを得なくなった)ということ。「なぜ、殺戮の道具を作った堀越二郎を描くのか?」に答えなければならなかった宮崎氏としては、モニュメントを確立することで、「その向こう側を覗き込んでくださいね」だろうが、それのみでは、そういった感情に十分答えられるのかどうか、今更ながらに不安になる。

奇しくも、映画「貞子3D2」の監督が舞台挨拶で「風立ちぬ」に抗して「死なねば」という言葉を選択したのは、良い意味での「風」(生者の視点でモニュメントを定位させるのではなく、死の方向から覗き込ませる方向)を起こしてくれるかもしれない。。。なぜ、戦争で多くの人々が「死なねば」ならなかったのか。。。

完成されたモニュメントは、物語りと常に平行して描写され続ける堀越二郎の「夢」を見事に利用している。この「夢」の描写は、ある意味、「風の谷のナウシカ」(コミック版・原作)にて明確に用いていた霊や死者との対話や、「未来少年コナン」で、ラナがギガントを落としたコナンを探そうとテキたちと一緒に飛ぶために魂を解き放つシーンに相当する。そうして、この「夢」の利用は、堀辰雄の「美しい村」の構成方法そのもの(いや、「ゲエテが『ウェルテル』のために使用したその形式」)ともいえる。
ちなみに物語中盤での再開の場面は「美しい村」での出会いの場面そのものといってもいい。(2013.9.18 01:42 この行の前を含め一部修正)
青空文庫:「堀辰雄 美しい村」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4812_14384.html
ちなみに、気の利いた解説文はないが、映画の題名の元になった堀辰雄の「風立ちぬ」も青空文庫で見ることができる。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html

それにしても、思った以上に客層に女性が多く、おじさん一人で見に行くと、宮崎氏が奇をてらわない様に挿入したラブシーンにて赤面しそうになる自分が恥ずかしくなるので要注意である。

※2013.09.04 05:55 追記
堀辰雄の「美しい村・ノオト」も青空文庫に収められていた。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/47874_50721.html


===
注1 追記 (2013.09.07 04:50)
この部分、記述を誤った。
ナウシカが選択しなくても、旧世界は決して滅亡はしない。
たとえ、「あのナウシカ」が選択せずに(できずに)死したとしても、「別のナウシカ」が「繰り返し 繰り返し その朝を こえて とぶ鳥」として、言い伝えの「青き衣」をまとって旧世界の存続へと「堪る限りの力を尽くそうと」するだろう。。。
この部分、映画マトリックスでの最終話におけるネオの位置づけにも似ている。。。
いや、私の稚拙ブログ内の過去にも同様の記述をしたことを、今しがた思い出した。。。
花と葉と。。。
http://jinen.exblog.jp/2910195/
での、「花」はまさに、「ナウシカ」という位置づけに相当するのかもしれない。。。
このことは、まさにオームの言っている(宮崎駿氏が言わしめている)「全と個」との関係に相当するのだろう。。。
個にして全、全にして個。。。
http://jinen.exblog.jp/1755946/

--- 以下、「花と葉と。。。」全文(挿入した写真を除く)
花は葉が変化したものであると言うことは、
昔、植物図鑑で具体例(緑色の花)について
読んで知っていた。
葉緑素が抜けることで、緑から様々な色へ変化することができたという。葉から花への変化は、他の生き物、とくに昆虫との共利共生が生み出した変化なのであろう。
花と葉との境界は、「個と全体と」の境界でもある。
葉と異なり、
受粉を媒介してくれる昆虫を招く花は、
葉緑素が抜け落ちているがゆえ、光合成をすることなく、
草木の単体にとっては、マイナス要素以外の何ものでもないはずである。
それに、やたらめったらきれいな花をつけたら、人間様に摘み取られてしまう。
花とは、草木の全体(連綿たるつながり)にとって意味のあるものであり、虫たちを誘ったり、人に愛でられることで、繁殖していくことに繋がる。
。。。
花と葉と
生殖器官と個体と
花と昆虫と
全と個と
国家と個人と
人類と国家と
地球と人類と
太陽系と地球と
銀河系と太陽系と
宇宙と銀河系と
全体(総体)と宇宙と言う知的切断面と
右翼と左翼と
。。。
境界を設定し、それについて論ずることは、自身の知的切断面の正当性を論ずることに他ならない。
そうして、想定される境界(すでに知的切断面なのだが)と、その境界を両側から見る立場の人々にとってのそれぞれの知的切断面とがズレる時、あるいは、本来あるべき「境界の曖昧性」(知的切断では捉えきれない、あるいは逃れうるべき全体・総体・情的連綿性)が二者択一を求められるとき、論争は戦争にまで発展しうるであろう。。。

知の正当性が、論理性と無矛盾性にのみ立脚しうるのであれば、情を知によって正当化しようとする試みの一切が、情・総体・全体を知的切断面によって切って捨て去る行為になるということを、深く考えるべきなのだろう。。。

「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院)


※韓国での反応が早速日本国内に流れ出している。。。
ヌルボ・イルボ氏の「韓国文化の海へ」
韓国で、映画「風立ちぬ」公開初日9月5日の観客動員は5位  ネチズンの評価は‘大分裂’
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/e8124cf10730c51ba405b834568c814b
やはりというべきだろうが、コメントのやり取りが秀逸だと思った。。。

===
注2 追記 (2013.09.18 02:07)
幼いころから繰り返し夕食時に聞かされていた父の戦争体験。。。学徒動員にて多くの女学生たちが働いていた数キロ先の縫製工場が、米軍機による銃撃・爆撃を受けるのをただ黙ってみているしかなかったと、繰り返し吐露していた。。。米軍機の操縦士の顔が見える位置で、顔が合った直後に銃撃を受けたとのこと。。。逆算すると父が10代前半なので、幼心に思いを馳せる「お姉さん」としての女学生が空爆された工場内にいたのかもしれない。。。
太平洋戦争・第二次世界大戦末期での本土空襲に関する山口県文書館の「アーカイブズガイド(学校教育編」(http://ymonjo.ysn21.jp/index/page/id/420)内にあるPDF資料へのリンク。
http://ymonjo.ysn21.jp/user_data/upload/File/ags/ags44.pdf

2013.09.22 03:27 追記
8.26放送「プロフェッショナル仕事の流儀」で分かっていたのだが、「風立ちぬ」は、宮崎駿氏の映画という側面(理想)と、ジブリ映画(現実)という側面が重なり合っているため、プロデューサー・鈴木氏の影響が宮崎氏を凌駕せざるを得ない状況が見え隠れしている。このことは、「生きねば」というキャッチコピーにも大きく関連している。
9.6の記者会見にて、ポスター内に「生きねば」の文字を入れたのは宮崎氏ではなく、鈴木氏であったとのこと。宮崎氏は今回の映画にて「生きねば」という言葉を使うかどうかの決定には関わっていない。
「生きねば」は、宮崎氏の理想と、鈴木氏のプロデューサーとしての現実に対するモニュメントの役割をも担う故、宮崎駿自身を映画の中の主人公・堀越二郎の生き様に投影することにも重なる。

=== 付記・覚書 出来事の日付 最終更新日:2013.09.22 03:50
@は自身の所作
2013.06.23  「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」
         キャッチコピー「生きねば」に至った記録。
2013.07.20 全国ロードショー
         第70回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門出展
2013.07.28  @本記事・初回アップロード
2013.08.03 NHK「SWITCHインタビュー 達人達:宮崎駿×半藤一利」放送
2013.08.26 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル」放送
2013.09.01  @映画を見る
2013.09.04 国際映画祭で上演、宮崎駿 長編映画の引退表明
2013.09.05 韓国でロードショー
2013.09.06 宮崎駿 記者会見
2013.09.08 第70回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門 残念ながら受賞ならず。
         ※個人的には、「金豚賞(キントンショウ)」というのを作ってでも、授与させてあげたいところ。。。

[PR]
by kisugi_jinen | 2013-07-28 04:51 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://jinen.exblog.jp/tb/20783519
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 単一的な思考・志向を打破するに... 日本人は「東の魔女」になるべき... >>



「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
検索
カテゴリ
最新の記事
お知らせとリンク。。。
お知らせ
●コメントスパム対策のため、承認制に変更しました(2010.09.29)
●トラックバックのリンクチェック機能を追加しました。excite以外からのトラックバックをされる場合、当該記事へのリンクを埋め込んでください。
リンク
ゲストブック
---全体的なコメント等は、こちらへどうぞ。。。
来生自然のホームページ
---私の知の思想史。。。
鉄鼠
---「考える」ということに向き合う。。。
Genxx.blog
移転後http://blog.genxx.com/
---「情」を含めて専門的な立場から「こころ」を模索し続けるGenさんのブログ。。。
研幾堂
---山下裕嗣氏による哲学のサイト。以前、形而上学についてやりとりさせていただいた。
記事ランキング
最新のコメント
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 01:29
Kandomonmasa..
by kisugi_jinen at 03:51
kisugi_jinen..
by Kandomonmasa at 14:28
> SumioBabaさ..
by kisugi_jinen at 10:41
「神」を完全に解明しまし..
by SumioBaba at 05:06
最新のトラックバック
究極の人工知能。。。ショ..
from 来生自然の。。。
所詮ゲーム、背景を勘ぐる..
from 来生自然の。。。
シン・ゴジラと所信表明演..
from 来生自然の。。。
ポケモンGOのお台場騒動..
from 来生自然の。。。
シン・ゴジラ。。。
from 来生自然の。。。
以前の記事
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
ライフログ
ファン
ブログジャンル
画像一覧