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境界線の移動。。。
境界線の移動。。。

世の中、急速に「状報化社会(情報化社会ではない)」へと変容してきたために、その歪が境界線の移動という形で、影響を及ぼしているように思われる。

国家や宗教や民族や家族といった「共同体という概念」を、「ある一定の概念を共有できる集団」として(知的切断面的に)定義してみる。
「共有可能な」ある一定の概念とは、すなわち「共有可能な」状報(情報ではない)に相当する。
「ある対象」に対する「共有可能な」均質な状報を共有している状態とは、だまし絵における「多義図形」の一側面のみの見解に固執していることに相当する。


均質性とそれ以外(共有不可能な世界)との境界が、共同体の境界を形成しているのだろう。。。

で、「状報化社会」と化した現在、いままで「均質」として扱ってきたことが、事細かな「差異」として認識されるようになってきた。
「差異」を主体とするならば、それは、個人主義への流れであり、そういう意味からは、共同体の分割に相当する。
すなわち、「均質さ」を基準とした境界が、どんどん「わたし」という方向へ向かって移動してきているのではないだろうか?
そうして、「わたし」という方向性に移動してきた「境界」は、「わたし」の内部に入り込む。

たとえば、多義図形だまし絵を「絵」としてみるとき、「絵」と「それ以外」という境界が想定されたとして、その境界を「絵」の内部に移動していくとき、「多義図形」のそれぞれの形ごとに「境界」が分割していくような状態に相当するであろう。

すなわち、「多義図形としてのだまし絵」を「わたし」に見立てれば、「他者」との関係にて生み出される「多義図形」の個々の「概念」は、複数のわたしへの分割(多重人格的分割)に相当するであろう。

これは、中間管理職がよく陥るジレンマにも似ているだろうし、組織の末端(現場)でのジレンマにも似るであろう。

すなわち、2方向以上の「状報」が交錯するところ、そこに「境界」が発生し、問題が発生しやすくなる。


。。。なんだか、今日のは、暗い話しだねぇ。。。
え、いつものこと?
よし!
今度は、明るい話題にしよっと!
by kisugi_jinen | 2005-02-18 02:38 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

by kisugi_jinen
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