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知的切断面と情と。。。
注:過去の投稿をベースにしてるので、「概念、知的切断面、状報」などに関して、リンクを埋め込みました。2005/01/23

概念という知的切断面への収束は、一方向のみであれば、単なるレッテル貼りと変わらない。
別の概念という知的切断面への収束が、相矛盾する状態を作り出すのならば、そうして、それらが、切り離し不可能な関係で結び付けられているのならば、概念同士によって「多義図形・だまし絵」が構成されていくであろう。

端的な例としては、前回示した、神・霊的存在などに対する宗教概念であろう。

注意して欲しいのは、前回までに何度も記述している「狭義の」という言葉である。
これは、知的切断面への収束度の違いによる。収束度が高いほど、情報から状報へと変化し、共有不可能性から共有可能性へと変化するという概念。収束度が高いほど狭義になるといえる。
即ち、概念として認識可能な範疇で、知的切断面への収束度が低い状態が「広義の」ということになる。
ただし、その場合、多くの人々の間では異なった考え(知的切断面)を引き起こすであろう。


さて、これら知的切断面に対する情(ないし情的方向性)は、主体からこれら知的切断面を貫く方向性にある。
逆に言えば、知的切断面の向こう側が「無」であっても、「無」を含む「総体」というものに対して、主体が情的方向性を持ちうるのであれば、そこに「知的切断面」(概念)が形作られるといっていいであろう。まさに、「紙に書いた文字をどのように感じ取るか」ということである。
知的切断面と情と。。。_b0032038_6474130.jpg

知的・幻想的に概念が共有可能であるということは、主体の位置(認識の違い・同一人物でも別の人物でもいい)に依存して知的切断面を貫く方向性が微妙にずれうる。このズレが複数の焦点に収束しうるとき、いわゆる狭義の「多義図形・だまし絵」という概念になるのだと思う。
知的切断面と情と。。。_b0032038_6475139.jpg

by kisugi_jinen | 2005-01-22 06:48 | 思考。。。 | Trackback | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。

by kisugi_jinen
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