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被曝の前と後と。。。越ええぬ境界を越えた時。。。
低線量放射線被曝の問題は、はっきりいって「いまだに不明」の領域である。

主として約100mSv以下の線量についての仮説としては
1.「しきい値」なしの直線仮説(NLTモデル、ICRP)
2.「しきい値」あり仮説
2-1.ホルミシス効果なし仮説
2-2.ホルミシス効果あり仮説
3.2相モデル
などがあるという。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No110/kagaku050711.pdf

それぞれについて、それぞれの研究結果があるが、いずれにしても
A) 自然放射線のレベルの変動と人為的な被曝の区分
B) 自らの健康という概念(たとえば病気に対する検査)における被曝と、望まない被曝の差異
について分けて考えたいというのは、人間として当然のことであろうし、そうあるべき問題になる。

しかしながら、一方で、この「当然で、そうあるべき」判断が、問題をさらに複雑にしている。端的に言ってしまえば、科学的議論と感情的論争の混在といった問題、さらには(人為的・望まない)被曝を受ける前と受けた後、すなわち「取り返しのつかない境界」を越える前後での心理状態(ネガティブか、ポジティブか)といった問題が関与してくる。。。

以下、外部被曝と内部被曝に分けて書いていく。

まず、外部被曝について

線質の問題はあるものの、(頻度的にも)透過力の強いガンマ線やエックス線について考えることとする。これらは電磁波であり、光と同じで秒速30万キロで飛んでいくため、線源や撮影装置からの照射が無い状態になれば、即座に消えてなくなってしまう。
物理学的には間接電離放射線に分類されており、主として間接的に励起・電離された生体内の化学物質(フリーラジカル)によって、DNAの断裂が生じるもので、問題となるのは2重鎖の破壊やクラスター破壊と呼ばれる修復が困難な破壊である。
フリーラジカル生成以降のDNAの損傷に至る過程については、生体内で常に発生しているさまざまな生化学的過程と同等であり、放射線に固有の変化ではなく、生体の修復機能によって「ある程度」回復するものである。また、実際に病気が発生するかどうかは免疫系の活性によっても異なってくるであろう。
自然放射線のレベルで言えば、年間1-2mSvといった量(下記内部被曝を合わせると約2-3mSv)となるが、CT検査では、約10mSv程度と一桁程度多い線量を浴びることになる。すなわち、病気の診断に対し一桁程度の増加は医療の世界において、現状許されている範囲ということを意味しているといっていいのかもしれない。(そういった意味では、100mSvといった二桁程度の差は当然問題視されるべきである。←2012/1/23 05:35修正)

病気の治療といった「人為的ではあるが、(説明を受け)本人が望む」(ポジティブな)被曝であれば、そうして、検査を受けないで病気が悪化するリスクと対比して被曝の影響(リスク)は小さいと判断される場合には、被曝の前でも被曝の後でも、何ら問題なく受け入れられるものであろう。
これは、「しきい値」あり仮説を取ろうと、「しきい値」なし仮説を取ろうと、2相モデルをとろうとに関りなく、当人の意思・感情にて決定されるものであり、理性・知的思索は後付的な理由として当人が納得すべく用いられるに過ぎないであろう。

そういった人は、何事についても大らかであるかもしれないし、微小な確率の変化程度については、何ら心配しない人であろう。そういった人は、積極的な行動をとるであろうし、いつもにこやかに笑って過ごしておられるかもしれない。そうして生体内での免疫機能が高まっている(たとえば、笑いによってNK細胞の活性が高まっている)状態かもしれない。

しかしながら、「人為的で、望まない」(ネガティブな)被曝であれば、そうは行かない。たとえ計測限界(自然放射線のノイズレベル以下)であっても、「人為的・望まない」被曝は、「ゼロ」とはみなしえないであろう。被曝後も、決して「笑って・朗らかに」なんて決してなりえないであろう。

さて、一つ目の問題は上記文中に隠されている。
被曝の前においては、「望む・望まない」に応じて、被曝という概念を捉えるべきであるが、望むと望まないに関らず、事故によって被曝した後の場合には、考え方をポジティブに保つようにしたほうが望ましいといえるのではないだろうか?

無論、既に受けた被曝についての態度であり、更なる被曝の可能性に対する態度とは明確に分けて考える必要があり、もともとネガティブな状況では、自己矛盾に陥るため、どだい無理な方法であるかもしれない。しかしながら、少しでも前向きに生きようとする思いこそが大切になってくるように思われる。

次に、内部被曝を考えてみる。

自然放射線として、たとえばカリウムの放射性同位体は日常的に摂取しており、体重60kgの人でカリウム40だけで約4,000ベクレル(その他あわせて約7,000ベクレル)が体内にて保有しているとのことである。これに対してセシウムがどの程度までなら許されるのか?といった考えは、ひとつには上述の外部被曝と同等の考えになるであろうが、半減期の概念を忘れてはならない。カリウムの半減期は12.77億年であるが、生物学的半減期は約30日とされ、摂取量に関らず、体内での量は一定に保たれているとされる。

一方セシウム137は半減期30.1年で、生体内での半減期は70日から100日とされている。すなわち、毎日摂取した場合、カリウムと比べて蓄積していく率は高そうである。実際には、専門機関が出している情報によらざるを得ないが、10ベクレル/日で、1,400ベクレルの蓄積で平衡に達するとのことである。(子供の場合には、約倍の蓄積)。
http://i-frontierasia.com/cesium_chikuseki.html
http://sorakuma.com/2011/11/16/5278

外部被曝の場合、(治療で必要だから)望む・(意思に反するので)望まないといった判断によって随時選択が可能であろうが、内部被曝の場合、一旦蓄積されると半減期にみあった期間はゼロにはならないといった「もうひとつの問題」が含まれてくる。

そういったことを加味し、被曝前と被曝後の心理状態をも考えるべきであろうから、ポジティブにすごすには、外部被曝よりも、さらに困難な状況になろうことは明らかであろう。

いずれにしても内部矛盾を抱えることになるかもしれないが、一般論でいえば、(理想的には)望まない被曝の前には「しきい値」なしの直線仮説(NLTモデル、ICRP)に従い、被曝後には、自分自身にとって安心しうるような理論を積極的に受け入れようとし、ポジティブに生きるのがいいといった話にならざるを得ない。

まるで、量子力学での粒子と波動の二重性のような概念操作である。

ただでさえ、目に見えず、専門家でも意見が分かれるところであり、二者択一的に扱わざるを得ない状況におかれてしまうのに、内部矛盾を抱え込んでポジティブに生きようとするといった過酷な状況が求められているといって過言ではない。

そういった状況では、当事者にとって感情の混入した部外者による論争は、はっきり言って迷惑千番になるであろう。意思や意図とは明確に区別された状態での、そうして、「望まない被曝をした」といった感情に配慮した、正確な情報を理解しやすく参照できる環境こそが大切なのではないだろうか?

実のところ、こういった文章を書くことをためらってきたのだが、福島出身者がいる酒の席上で、立場のことなる二人が論争を始めたため、「被曝前と被曝後では、よりどころとなる考え方を変えるべきでは?」といって、割って入り、上記の話の要点を話して論争をやめさせたという経験をした。

二人が納得したかどうかは別として、福島出身者の「望まない被曝をしている人々がいる」といった感情を考慮したならば、たとえ科学的かつ論理的な一方的に「安全だ」「危ない」などとはいえないことについては理解していただいたと思っている。

今回の記述が、このブログを訪れてくださった方々にとって、なにがしかの参考になれば幸いである。。。
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by kisugi_jinen | 2011-12-22 07:21 | つれづれ。。。 | Trackback | Comments(0)
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