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人は何のために生きているのか。。。風の谷のナウシカ・考。。。
久しぶりの投稿ですが、「人は何のために生きているのか」とは、ある意味、非常につまらない問いです。(←2011/11/18 05:45修正)

一言で言えば、「未来のため」です。

確定していない未来には、無限の可能性が秘められているからです。

そういった「未来」のために生きると言っていいでしょう。

たとえ、具体的な目的・目標があったとしても、なかったとしてもです。

逆説的に言えば、何の夢も、何の望みもなかったならば、人は、生きる望みを失って、死に絶えるかもしれません。

でも、如何に絶望的な状況であっても、一縷の望みに夢を託して生き抜こうとする人々が必ずいるのです。

その思いは、未来に永遠に受け継がれていくことでしょう。。。

「風の谷のナウシカ」の原作(全7巻)を読み終えた方々ならば、その意味を深く感じ取ることができるかも知れません。

いや、そのような本を読まなくとも、疑心暗鬼を超えたところに(真理とはかけ離れた)人々の思いを感じ取れる人ならば、そのように思うかも知れません。

人は、幾度、幾たび裏切られようとも、「繰り返し、繰り返し、その朝を越えようとする鳥」なのでしょう。。。

===
「風の谷のナウシカ」第7巻、ANIMAGE COMICS ワイド版、宮崎 駿、徳間書店、p.121-122、p.132およびp,198から引用。
(墓所の主、ないし墓所のしもべ・ヒドラの一人からの言葉)
弟は 若い頃本物の 慈悲深い名君だったよ
土民の平安を 心から願っていた
だがそれも 最初の二十年さ
やがて いつまでも愚かな 土民を憎む ようになった
そなた達人間は あきることなく 同じ道を 歩み続ける

(中略・上記に対するナウシカの返答)
目的のある生態系・・・ その存在そのものが 生命の本来に そぐいません
私達の生命は 風や音のようなもの・・・
生まれ
 ひびきあい
  消えていく
(中略)
私達は 血を吐きつつ
くり返し くり返し
その朝を こえて とぶ鳥だ!!

生きることは 変わることだ
王蟲も粘菌も 草木も人間も
変わっていくことだろう
腐海も共に 生きるだろう

===
「風の谷のナウシカ」では、「生命の目的」そのものが「生命の本質」にそぐわないとしています。

ようするに「何のために生きるのか」といった問いかけ自身が(暗に)無意味だといっているようなものです。

しかしながら、その直後に
「生きることは 変わることだ・・・共に生きる」
と、「生命の目的」を更に暗喩として提示しています。

人の心から(ある人にとっての)「悪」という概念を排除することは不可能です。ナウシカ原作での墓所はまさにそういった「悪」の概念を彷彿とさせています。端的に言えば「目的のためには手段を選ばない」ですが、しかしながら、一方的に「悪」だと決めつけるわけにはいかない「未来」への架け橋でもあるわけです。

そういったことを承知の上で、なおかつ求めて止まないもの。。。そういった観点にて記述された文章なのでしょう。。。

ナウシカ原作での上述のような葛藤は、実のところ、今回の東日本大震災とその後の世間の対応との狭間にも見て取ることができます。

ナウシカは「すべて」を受け入れました。

人類、いや、全人類とまではいかなくとも、日本に在住する人々は、ナウシカのように行動することができるのでしょうか?
やはり、宮崎氏(および感銘を受けた読者)の空想の内部で空転してしまうべき定めなのでしょうか?

=== 2012/7/17 04:12 追記
バルセロナで活躍されておられるcruasan氏のブログにて、風の谷のナウシカのスペイン語版を通じての「生きる」という主題に関する記事(2008・2・16付)を見つけた。
http://blog.archiphoto.info/?eid=568395
「生きる」という主題については、その時々において、どのような物語であれ、何がしかのきっかけになるのだろう。。。
cruasan氏のブログでは「走れメロス」と「筋肉マン」が引き合いに出されていた。太宰治が「走れメロス」を書いた背景にはさまざまあったであろうが、原本と目される書物を青空文庫で見ることができる。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000107/card18333.html
また、太宰が「走れメロス」の境遇をわざと?体験しようとしたかのごとくの逸話もwikipediaに記載されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/走れメロス
「筋肉マン」については、もしかしたら知らない世代が台頭してくるかもしれないので、とりあえず、こちらだけでも
http://ja.wikipedia.org/wiki/筋肉マン
現代であれば、「ワンピース」であろうか?
いずれも端的にいってしまえば「友情」という概念を扱っている。そういった他者との結びつきこそが「生きる」という概念へと翻訳されうるのだろう。。。
いや、cruasan氏も触れておられるが、具体的な「何か」を自身の経験として重ね合わせることができなければ、無意味なものになるのかもしれない。。。太宰治は実体験を通じて、どこまで「無意味さ」を克服することができたのだろうか?
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by kisugi_jinen | 2011-11-14 23:36 | つれづれ。。。 | Comments(0)
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「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院) --- 厳然とした境界を越え得ぬとき、その上でなお、越えうるものがあるとすれば、それは「情」である。
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